昭和20年5月29日(火)



 76年前の今日、米軍による横浜大空襲がありました。横浜市のホームページによると、この日午前、B29が500機、P51が100機来襲。無差別焼夷弾爆撃とP51による銃爆撃があり、焼夷弾が2570トンも投下され、市街地が壊滅したといいます。
 この大空襲の前後にも横浜に対する爆撃は何度かありました。その被害エリアを現したのが冒頭の地図です。これは国立国会図書館に残っているので、だれでも見ることができます。
 中心市街地はご覧のとおりひどいことになっていますが、そこから外れた地域でも空襲があったことが分かります。


 上の地図を拡大してみました。これは中区と磯子区の境界あたりです。見にくいですが、4月15日の空襲による被災地を示しています。八幡橋周辺に被害があったことが分かります。
 横浜大空襲の約40日前のことです。なぜ、ここがピンポイントで狙われたのか。誤爆という説もあるようですが、海軍の横須賀軍港につながる八幡橋の前後を破壊して、橋の機能を失わせる作戦だったのかもしれません。橋自体は占領後に使用するので落橋させなかったのかと。

 堀割川を遡ったところに、大きな白い四角の部分があります。ここは明治時代からあった根岸の監獄跡です。この当時は更地だったのか、それとも何かに使っていたのか分かりません。
 なぜ、ここが狙われたのでしょうか。軍事的な何かがあったことが想像されます。米軍がこんな空き地を攻撃するはずがありませんからね。

 旧根岸監獄の跡地の左側に「文」の文字が見えます。これは滝頭国民学校です。その敷地の角にも赤で示された被災地が描かれています。なんで、こんなところに? と思いましたが、昔聞いた話ではここに防災小屋があったということです。もしかしたら町内会で軍事的に利用していた施設なのかもしれませんね。
 そこから左上に少し行ったところも赤く示されています。細長い建物が並んでいる様子が見えますが、ここは万治病院ですね。おそらくこの病院を狙ったのでしょう。

 堀割川の中区側を見ると、根岸橋の周辺が爆撃されています。もしかした、この橋も使用できなくするために前後を破壊したのかもしれませんが、すぐ近くに発電所マークがあることを考えると、こちらを狙っていたのがずれてしまったとも考えられそうです。

 さて、ここからは昭和20年5月29日が8歳の誕生日だった美空ひばりの話になります。彼女の自伝や週刊誌でのコメントなどを見ても、横浜大空襲の話はまったく出てきません。話題になっているのは、滝頭方面が攻撃され防空壕に逃げ込んだという話ばかりです。
 おそらくそれが4月15日の空襲だったのでしょう。このときは大変だっと語っています。ずっと記憶に残っていたに違いありません。

 それに対し5月29日の大空襲に関しての記憶が語られていないのは、なぜなのでしょうか。勝手な想像ですが、彼女にとってあれは対岸の出来事だったのだろうと思われます。冒頭の地図を見ても分かるとおり、甚大な被害を受けている市街地は堀割川や根岸、山手の丘の向こうなのです。
 自宅周辺が攻撃された4月15日の記憶の方が強烈に残っていたのではないかと思われます。

 5月29日が来るたびに、毎回、気になって考えてしまうのですが、謎のままです…。
 


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