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2026年1月5日月曜日

ベトナム2025 十四日目(帰国)

 12月15日

関空行きのVietJet機がハノイ空港を発つのは16日の午前1時40分。つまり、今日(15日)の夜までハノイを楽しむことができる。

9時過ぎにホテルを出て、旧市街に向かう。目的はドンスワン市場の動画を撮ること。ハノイに限らず、ベトナムの市場では遠慮なく動画を撮影できる。売り場のひとたちは写真や動画に寛容で、笑顔で応えてくれる。

旧市街


ドンスワン市場

いったんホテルに戻る。Rising Dragon Hotelのチェックアウトは12時まで。これを夜まで延ばしてもらえれば、部屋の中で体を休めることができる。しかし、4時まで延ばすには半日分(1600円弱)、4時以降は1日分の宿泊料がかかるとのことだった。それなら、もっと安いドーミトリーで休もう。Booking.comで調べ、Rising Dragon Hotelから歩いて7、8分のところにあるPanda Backpackers Hostelに移動することにした。12時ちょうどにRising Dragon Hotelをチェックアウトし、バックパックを背負ってPanda Backpackers Hostelまで歩く。1泊90Kドン。日本円で540円。これで夜までのベッドを確保できた。

Panda Backpacker Hostelのベッド

12時半にPanda Backpackers Hostelを出て、統一公園へ向かう。徒歩で30分以上かかるが、時間はたっぷりある。

途中の小さな食堂でMixed Fried Riceとグラス・ビールで昼食をとる。80kドン(480円)。ホステルの1泊分の料金とあまり変わらない。

Mixed Fried Riceとビール

統一公園は特に見るべきものもなく、人もそれほど多くなかった。アイスクリームを食べただけで帰路についた。

統一公園

一昨日飲んだエッグ・コーヒーをもう一度味わいたく、Rising Dragon Hotelのすぐ近くにある小ぎれいなカフェに入る。出てきたエッグ・コーヒーは一昨日のものとは異なり、ホイップクリームが大量にのっている。これはこれでおいしいのだが、ちょっとがっかり。70Kドン(420円)。

これもエッグ・コーヒー


5時ごろにホステルへ戻り、9時までベッドに横たわる。眠ることはかなわなかったが、夜間飛行に備えた休息にはなった。

空港までのタクシーはホステルに手配してもらった。350Kドン(2100円)とかなり高めだ。この選択は失敗。時間はたっぷりあるのだから、バスにすればよかった。

空港までは車で40分強。午後10時ごろに到着した。3年前にお世話になった女性に再会できるかもとMSBの両替カウンターへ行くが、目指す女性はいなかった。まあ当然だろう。カウンターでスマホの写真を見せて、「この人を知らないか」と尋ねるが、無駄だった(そもそも話がよく通じなかった)。使い残したいくばくかのベトナム・ドンを米国ドルに再両替する。20ドル返ってきた。

両替カウンターの前にある食堂で夕食とする。注文したのは和牛フォーとコーラ。和牛(Wagyu)フォーは150Kドン(900円)と高かった。和牛だから高ったのか、空港だから高かったのか。おそらくその両方だろう。和牛ということだったが、通常の牛肉との違いは私にはわからなかった。

和牛フォーとコーラ

向かいの席の若い女性が日本語で話しかけてきた。弟が日本で働いてるというこの女性、日本語はかなり前に勉強したとのことのことで、即席の日本語講座が始まる。大学では英語を専攻していることから、会話はおのずから英語に移行した。彼女はホーチミンシティに住んでおり、ラオスのルアンパバーンを旅行して、ハノイ経由で自宅に帰るところだった。ベトナム旅行の最後の最後で、またひとついい思い出ができた。

ホーチミンシティの女性

VietJet機はほぼ定刻通り、朝の7時半に関空に到着し、約2週間のベトナム縦断旅行を無事に終えることができた。

15年前のホーチミンシティへの旅行も悪くはなかったが、2回ほどぼられた思い出が棘のように心に刺さっていた。タクシーとコーラ1本での体験で、金額は取るに足らないものだ。せいぜい数百円だろう。だが、問題は金額ではない。タイ、カンボジア、ラオスなどで一切なかったことがベトナムで発生したのだ。

そのとき以来、ベトナムにほんのわずかのネガティブな感情がつきまとうようになった。3年前のハノイ空港でのプラスの体験もこれを払拭させるまでには至らなかった。

しかし、今回のベトナム旅行はこうしたネガティブなイメージを一掃し、完全にポジティブなイメージへと転換させてくれた。何のひっかりもなく「好きな国」と呼べるようになった。

ホーチミンシティに到着した初日、私の足をとり、手をとりとりしてバイクタクシーにまたがせてくれ、ヘルメットの装着を助けてくれたおばさんたち。ベトナム語だけをしゃべりながら。ホテルのスタッフたちもおしなべて親切だった。

もっとも、裏返して言えば、こうした助けを必然にするほどに、手を差し伸べざるをえないほどに私の老化と体力の劣化が進行しているのかもしれない。


2026年1月4日日曜日

ベトナム2025 十三日目(ハノイのシティ・ツアー)

 12月14日

今日はシティ・ツアーの日。天候は快晴とはいかないが、雨が降る気配はない。

8時過ぎに中年の女性がホテルまで迎えに来てくれた。今日のツアーの英語ガイドだ。

小型バスに乗り込んでツアー開始。ベルギーから来た4人の家族連れと私以外の6人はすべてインド人という顔ぶれだ。

まずホーチミン廟を目指す。ここは午前中のみのオープンだから、どのツアーでも真っ先に訪れる。廟は大きな敷地の中にある。今日は日曜日で、来訪者の数も多い。廟そのものよりも、制服姿の学生をはじめとするベトナム人来訪者の振舞いのほうに興味があった。革命指導者の遺体を保存する慣例はレーニン廟から始まる。私にとっては金日成・金正日の遺体に次いで2番目の体験だが、こうした個人崇拝に意味を見出すのは困難だ。革命の自己否定にしか思えない。廟内の写真撮影は禁止されていた。

ホーチミン廟を訪れた子供たち


ホーチミン廟を背景に

ホーチミンが独立後に住んでいた部屋などを見たあと、廟を出る。続いて向かったのはEthnic Museum(民族博物館)。ベトナムには54の民族がある。最多数はキン族で80%を占める。写真、模型、民具などが展示されている博物館だが、足早に見て回ったため、ガイドの説明もよく頭に入らなかった。

これで午前の部は終わりらしく、ランチの席に残ったのはインド人の3人連れとベルギー人の4人家族、それに私の8人だけだった。私はベルギー人家族と同じテーブルについた。彼らはフラマン語をしゃべっていた。フランス語も学校で必修らしいので、女の子にフランス語で話しかける。小学校に入ったばかりなので、フランス語はまだまだだった。この子には箸の使い方も教授しようとしたが、即席にマスターするのは難しい。料理はまずまず。ツアーならこんなものか。

ツアーのランチ

午後、さらに2人のインド人が加わり、ツアーの再開。まずタイ湖のほとりにあるチャンクオック寺(鎮国寺)を訪れる。何百年も前の仏教寺だから、漢字が多く使われている。

鎮国寺

続いて文廟。これは1070年に建てられた孔子廟で、ベトナム最古の大学があった場所でもある。以来、ここは学問のシンボルとなっているらしい。この日(日曜日)も、特別な制服を着用した大学生、高校生、中学生の団体が数多く訪れていた。彼らは概して外国人観光客に興味津々で、我々に「ハロー」と声をかけてくる場面が何度もあった。

文廟

記念撮影をする学生たち

午後の部の最後はホアロー収容所。これは旧刑務所だ。フランス軍がベトナム人捕虜を収容する場所だったが、ディエンビエンフーでのフランス軍敗北以降、ベトナム軍がフランス人軍捕虜を収容する場に変容した。ベトナム戦争での米軍捕虜が囚われていたのもここだ。米軍の被収容者はここを「ハノイ・ヒルトン」と呼んでいたらしい。

ホアロー収容所(トイレ)

ベトナム人捕虜

シティ・ツアーは4時半に終了した。インド人が多いツアーだった。我々のグループだけでなく、ほかのグループでも多くのインド人を見かけた。インド人の観光客の多さは数年前から気づいていた。インドの経済成長に伴い、余裕のある中産階級が増えていることの証だろう。ちょうど50年前の日本、30年前の韓国、20年前の中国がそうであったように。同行のインド人たちも同じ見方だった。

いったんホテルへ戻り、6時40分に再び外へ出る。旧市街の方向に向かい、小さな食堂に入る。牛肉のフォーとハノイ・ビール(併せて480円)を注文する。

客でいっぱいの食堂の中、相席になった30歳台くらいのカップルがドイツ語をしゃべっている。ドイツ語で声をかける。フランクフルトから来たカップだった。話題はいつしか極右政党のAfDや移民問題に移る。

彼ら自身が移民だった。男性はドイツ生まれのイラン人、女性は12年前にドイツに移住したロシア人。男性は医師で、女性も同じ病院で働いているという。彼らによると、今やドイツの多数派はAfDだとのこと。世論調査やインタビューでAfD支持を公然と表明することはなくても、心の奥でAfDにシンパシーを感じている人は多い。女性もそのうちのひとりだった。

女性によると、移民の問題は、ドイツに溶け込もうとせず、働かないことだ。20年も30年も働かず、ドイツ国民の税金で食べている移民も少なくないとか。そんなことが可能なのが現在のドイツだという。

意見の違いはともかく、こうした会話をほぼドイツ語だけでやってのけることができた。今回のベトナム旅行でもっとも印象に残る触れ合いだった。

コンビニ(サークルK)で買い物をし、9時前にホテルに戻った。

2026年1月2日金曜日

ベトナム2025 十一、二日目(ハノイへ戻る)

 12月12日

ハノイ行きのベトナム航空便は16時5分発だから、今日半日をディエンビエンフーの観光に費やすことができる。

11時近くに、宿をチェックアウトし、荷物を預けて外へ出ようとすると、宿の主人が「2時まで部屋にいてもよい」と言ってくれる。空港までの車を主人にお願いし(60Kドン=360円)、荷物を再び部屋に置いて外に出た。

目指すのは、ド・カストリーの指揮下にあったフランス軍総司令部の跡だ。宿から歩いて20分ばかりで司令部に着く。だがチケット売り場は閉まっている。時刻は11時20分。おそらく勝利博物館同様、11時から1時半までは昼休みなのだろう。内部の地下壕を見られないのは残念だが、ここは外から眺めるだけにした。

フランス軍総司令部の跡


昨日ムオンタイン市場からの帰り、ちょっとモダンなカフェを見つけていた。Cafe de Mang Denというカフェで、グーグル・マップのレビューでも評判がよい。ここに入ってみる。

このカフェの一番の売りらしいドリアン・コーヒーを注文する。これが絶品だった。ドリアンのにおいはなく、クリーミィでコクのある奥深い味。48Kドン=288円。後日、ハノイでもドリアン・コーヒーを探すが残念ながら見つからなかった。

Cafe de Mang Denの店内

ドリアン・コーヒー

カフェを出ると時刻は12時過ぎ。小さな食堂で昼食をとることにした。つけ麺のような一品(ハノイのブンチャーとは異なる)を注文する。値段は200円ほどで、味はまずまず。店内にいたスタッフか客かはわからない2、3人のおばさんたちがフレンドリーで、自分たちが食べていた炒った黒豆を分けてくれた。

つけ麺

2時近くになったので宿に戻り、主人の車で空港に向かう。車に乗り込む前、主人はスマホに向かって何か話し、画面を私に見せる。主人がしゃべった内容が日本語にグーグル翻訳され、表示されている。「泊まっていただいてありがとう」と。

ベトナム航空機は16時ごろにディエンビエンフーを発ち、17時過ぎにハノイに着いた。

宿はBooking.comを通じて予約していた。先日宿泊したUrban Alley Hotelにほど近いRising Dragon Hotelだ。朝食なしの3泊で1万円ちょっと。Urban Alley Hotelより少し安い。空港からホテルまでは前回同様VietJetのシャトル・バスで行く(300円)。

Rising Dragon Hotel

7時過ぎにホテルに着き、チェックインして、少し休んでから夜の街へ出る。すぐ近くにトレインストリートがある。トレインストリートとは、列車がカフェなどの店の軒をすれすれに通る鉄道(ストリート)のことだ。このストリートの周辺はネオンサインの洪水、光の渦で、まばゆいばかり。こころならずも感動してしまう。

トレインストリートを見上げる

トレインストリート


トレインストリートの動画

トレインストリートの並びにある食堂でビーフ焼き飯とグラス・ビールを注文する(併せて500円ほど)。焼き飯はおいしくなかった。明日の朝食のためにコンビニでカップ・ヌードルを購入してからホテルに戻った。

12月13日

ハノイ市内の観光はツアーで済ませるつもりだった。もちろん自分ひとりで個々のスポットを選択して訪れることも可能だが、何も考えずに手軽にさっと済ませたいというなまけ心に負けてしまった。ハノイを発つのは15日の深夜だから、今日を含めて3日間をハノイで過ごすことになる。今日ツアーに参加するのがベストだが、今日の天気予報は雨。明日のシティ・ツアーをホテルに申し込んでおく。代金は40ドル。旅行代理店に行けばもっと安いツアーがありそうだが、ここでも面倒なことを避けるなまけ心が勝ってしまった。

昨夜買ったカップ・ヌードを朝食とする。予想どおりおいしくなかった。ベトナムのカップ・ヌードルを試したいがために買った一品だ。

天気予報の通り、外は雨。10時前にホテルを出て、傘をさしながら旧市街に向かう。途中でマンゴー・アイスを食べたりしながら、旧市街を抜けてハノイ駅の方向に引き返す。

ハノイ駅

ハノイ駅の広いカフェで、入口の看板にあったエッグ・コーヒーを注文するが、今は出していないとのことだった。このカフェに2、30人ほどの若い女性たちが入ってくる。日本語を話している。「大学生ですか」と日本語で声をかけると、なんと高校生だった。長崎の女子高校生たちで、英語の練習を兼ねた修学旅行でベトナムに来ているという。私の修学旅行の行先は長崎だったものだが。

ホテルへの帰り道、Egg Coffeeという看板を出している小さな店があったので入る。エッグ・コーヒーをつくるには時間がかかるらしく、10分近く待って出てきたコーヒーを飲む。おいしい。ディエンビエンフーで飲んだドリアン・コーヒーにも似た濃厚な味だ。私は気に入ったが、甘すぎるコーヒーを好まない人には向いていないかもしれない。代金は45kドンだったが、チップを加えて50kドン(300円)を支払った。

ハノイ発祥のエッグ・コーヒー

雨はまだ続いている。雨の中で動き回ることはやめ、ホテルへ戻って休むことにした。2週間旅をするとなれば、こうした休息日も必要だろう。

3時過ぎにホテルに戻り、6時過ぎまで体を休め、読書などで時間をつぶしてから、夕食のために再び外出した。

トレインストリートを再訪してから、食事処を探しながら旧市街を目指す。なかなか適当なレストランが見つからないなか、旧市街の外れにあったちょっと大きめの店に飛び込む。店の広さにもかかわらず客が少なく、不安ではあったが、これ以上歩く気がしない。

ここで注文したのは「コンボ」という名称の料理だったが、後で調べるとこれは「ブンチャー」というハノイの名物だった。炭火焼の豚肉が入ったスープに細麺をつける料理で、期待以上においしかった。スープが絶妙な味を出している。代金は110Kドン(660円)。

ブンチャー

コンビニ(サークルK)で買い物をし、9時前にホテルに帰った。

2025年12月31日水曜日

ベトナム2015 九、十日目(ディエンビエンフー)

 12月10日

11時にUrban Alley Hotelをチェックアウト。ホテルに手配してもらったタクシーで空港に向かう。タクシー代は12ドルで、Grabとあまり変わらない。

空港内の食堂で牛肉フォーを食べ、朝食とする。値段は忘れたが、空港にしてはそう高くはなかった。

少し遅れて飛び立ったベトナム航空機は午後3時にディエンビエンフーに着いた。

機内から見たディエンビエンフー


宿は予約していなかったが、いつもの手でBooking.comで目星をつけていた。Nha nghi Tam Guongという名称のホテル(ゲストハウス)。Booking.comの口コミ評価も非常によいうえ(9.1)、1泊200Kドン(1200円)という安さだ。このゲストハウスまでタクシーで行く(50Kドン=300円)。Booking.comで調べておいたとおり、部屋は空いていた。ここに2泊することになる。部屋は簡素ながら、シャワー、トイレはもちろん、テレビも冷蔵庫もある。

Nha nghi Tam Guong


ホテルの主人は英語をまったく話さない。壁に貼ってあった世界地図の中の日本を指さし、私が日本から来たことを確認すると、あとはすべて彼のスマホのGoogle翻訳を通じて意思疎通することになった。

4時半にホテルを出て、町の中心である勝利博物館(Museum of Dien Bien Phu Victory)まで歩く。ディエンビエンフーが世界にその名を知られているのは、1954年5月にベトナム軍(ゲリラ)がフランス軍を破った戦場としてだ。この敗戦によってフランスはインドシナから撤退することになる。今日は時間も遅いため、博物館見学は明日に回すことにした。

勝利博物館

ホテルの主人から「博物館の裏においしいフォーの店があり、外国人のお客さんにも人気だ」という情報を得ていたので、博物館の周りを探索したが、それらしい食堂は見当たらなかった。

スーパーで多少の買い物をしたあと、ホテルに引き返す。今日も昼食を抜いており、時刻はすでに6時を過ぎている。ホテル近くの小さな食堂に入り、言葉がまったく通じないなか、スマホのグーグル翻訳で壁のメニューを解読し、魚スープのヌードルを注文。40Kドン(240円)で、まずまずの味。

12月11日

10時すぎにホテルを出る。今日は戦勝博物館を皮切りに、対仏戦の戦跡をたどるつもりだが、その前にやっておきたいことがある。

まずは両替だ。空港とフエですでに合計400ドルをベトナム・ドンに替えているが、クレジットカードをあてにできないことを考えると、もう少し現金を用意しておきたい。

グーグル・マップを頼りに両替屋を目指して20分ほど歩いたが、見つからない。当該の場所に保険会社らしきものがあったので、中に入って尋ねる。ここでも両替はやっておらず、近くのBIDVという銀行に行くように勧められる。

BIDVでやっと40ドルを両替できた。レートはよくなかったが、40ドルくらいでそう差が出るわけでもない。ここまでの過程で、保険会社でも銀行でも英語はいっさい使わず、すべてGoogle翻訳で済ませた。これがベトナムの地方の実態だろう。

博物館見学の前にもうひとつやっておきたかったのは、ムオンタイン市場を見ることだ。市場はやはり午前中のほうがいい。

北方へ10分以上歩いて市場に着く。規模はそれほど大きくないが、活気のある市場だ。民族衣装の女性もちらほら見かける。

ムオンタイン市場

市場の動画

勝利博物館の方向に引き返す。だが博物館の門は閉まっている。11時から1時半までは昼休みとのこと。今は11時半。2時間ほど時間をつぶす必要がある。博物館と道路をはさんだ野外のカフェに入ることにした。カフェの若い女性が英語で声をかけてくる。飲みたかったマンゴー・ジュースはなく、代わりにココナッツ・ジュースを勧めてくる。「(ココナッツ・ジュースは)healthy for your body」と。ディエンビエンフーではじめて聞く英語だ。

野外カフェ

ココナッツ・ジュース

野外カフェのすぐ隣は人民軍兵士の霊園だ。入場は無料なので入ってみる。

人民軍兵士の霊園

小雨が降り始めるなか、1時半を過ぎたので、勝利博物館に入る(入場料100Kドン=600円)。まず展示物のある2階に案内される。写真、模型、武器、彫像、新聞などの文書類。植民地支配からの解放と独立への転回点となった戦闘だけに、力の入った展示であり、規模も大きい。

作戦を練るホーチミン

地下道の人民軍

人民軍の武器と衣服

ひととおり見て1階へ降りると、戦いの経緯を360°のパノラマ状に描いた部屋に案内される。

戦火

降伏するフランス軍

3時から別の部屋で戦いを描いたドキュメンタリー映画が上映された。30分ほどの短い映像で、フランス語のナレーションに英語の字幕が付いていた。残念ながら、内容はよく覚えていない。

博物館にはそこそこの人数の来訪者がいた。全体で30人ほどか。欧米人が多かったが、ベトナム人らしき姿もちらほら。

博物館を出ると、外は雨だった。それほど強くはないが、傘は必要だ。傘をさしながら、次の目的地の「A1の丘」を探す。フランス軍が最後まで立てこもった激戦地の丘のひとつだ。丘は博物館の近くにあるが、入り口を探すのに手間取った。

なんとか入り口を見つけ、入場料の20Kドン(120円)を支払う。雨の中、丘へ登ろうとするが、これが曲者だった。つるつる滑りそうな小さな丸木橋を渡るのがこわい。なんとか迂回路を見つけて、頂上を目指す。だが、雨に濡れた敷石に足をとられ、前のめりに転んでしまう。ズボンを少し汚しただけで済んだのは不幸中の幸い。丘へ登るもっと広い道があったのだが、このときは気づかなかった。

丘への道

雨が降っており、時間も遅かった(4時半過ぎ)せいか、私以外の来訪者は見かけなかった。

A1の丘

フランス軍の戦車

人民軍が投下した960キロの砲撃の跡

フランス軍の地下壕

A1の丘を降り、宿へ向かって歩きだしたころには雨は止んでいた。時刻は7時を過ぎている。宿の近くのこぎれいな食堂に入る。グーグル翻訳でメニューを解読し、「片面がカリッとした土鍋ご飯」なるものを注文した。料理が出てくるのが遅く、グーグル翻訳で文句をつけにいくほどだった。出てきた料理もいまひとつ(いまふたつ?)で完食はできなかった。写真ではおいしそうだが、肉がパサパサで、カリッと仕上がったライスが固すぎた。69Kドン(410円)。

片面がカリッとした土鍋ご飯

2025年12月29日月曜日

ベトナム2025 七、八日目(ハノイ、ハロン湾)

 12月8日

9時にSuny A Hotelをチェックアウトして、ホテルに手配してもらったタクシーで空港へ向かう(20Kドン=120円)。Grabタクシーを使わなかったのは、Sunny A Hotelが狭い小路に位置していて、どこから車をピックアップしていいか確かでなかったからだ。

VietJet便は12時にダナンを出て、2時ごろにハノイに着いた。ホテルは旧市街のUrban Alley Hotelを予約していた。2泊で1193Kドン(7150円)。1泊3500円超になる。ホーチミンシティやハノイは千円、二千円台のホテルを見つけるのがむずかしい。

ハノイの空港から市内へ出るにはタクシーやGrabのほか、VietJetやベトナム航空が運営しているシャトルバスもある。格段に安い(50Kドン=300円)シャトルバスでホテルの近くまで行くことにした。バスの難点は中型バスがほぼいっぱいになるまで待たなければならないこと。このときも50分くらいまっただろうか。英語で話しかけてきたベトナム人男性と一緒にバスの中で待った。彼の助言がなければバスを降りて、タクシーかGrabを利用していたかもしれない。この男性はフエ在住の画家だった。作品をいくつかスマホで見せてもらったが、もっぱら抽象画を描いているようだった。

画家

バスから降りたのは、Urban Alley Hotelから徒歩で4分の地点。外はまだ明るく、ホテルを見つけるのはそれほど難しくはなかった。だが、バイクと車の洪水の中をくぐり抜けるのはたいへんだった。ホーチミンシティの交通混雑も相当のものだが、ハノイのカオスぶりはホーチミンを上回っている。

Urban Alley Hotel

チェックインし、しばらく休んでから外へ出る。この日も昼食は抜きだった。Urban Alley Hotelは繁華街の中にあり、食べるところには事欠かない。食堂街の中で適当に店を選び、ビーフ焼き飯とハノイ・ビールを注文する。併せて95Kドン(570円)。可もなく不可もなし。

ビーフ焼き飯とビール


ホテルに戻り、明日のハロン湾ツアーを申し込んでおく。45ドル。最安値は古い1階建てのクルーズ船を利用する40ドルのツアーだが、これはすでに満席だった。45ドルのツアーは2階建ての新しい船になる。明日7時半にホテルまで迎えに来てくれるとのこと。

12月9日

昨日コンビニ(サークルK)で購入したおにぎりを朝食とする。エビマヨのおにぎりだったが、まずかった。ライスがパラパラで、とても食べられたものではない。それでもなんとか無理をして最後まで食べた。

ツアー会社のガイドが迎えに来たのは7時半ちょうど。ホテルのスタッフが用意してくれたコーヒーを飲んでいるところだった。

表通りに待ち合わせている中型のバスに乗り込む。バスは市内のところどころで止まり、客を拾い集めていく。全員揃ったところで、3~40人くらいだっただろうか。私の隣席は中年のイタリア人男性だった。背後の席には日本人の若い女性が2人いた。東洋人は私を含めて日本人3人だけだった。残りはインド人のカップル一組ともっぱらヨーロッパ勢。ドイツ人が多いようだが、フランス語も聞こえた。

英語ガイドのベトナム人男性が今日のスケジュールを説明する。どうも聞き取りにくい。隣のイタリア人男性も「15%くらいしかわからない」と言っていた。

バスは2時間半ほどのドライブでハロンに着く。船に乗る前に、真珠の養殖所(Pearl Farm)に立ち寄った。このとき2人の日本人女性と少し話す。金沢市出身の2人で、どちらも22歳と若い。ハノイやダナンを巡る1週間の個人旅行中とのこと。

バスの一行全員が同じクルーズ船に乗り込むと、すでに昼食のテーブルがセットしてある。私は隣席のイタリア人男性、日本人の女性2人組、それにポルトガルから来た中年女性2人と同席だった。イタリア人男性は日本のコマツ(本社は石川県)で働いことがあり、日本人女性たちの出身地である石川県とも多少の縁がある。

食事は予想していたよりよかった。豪勢ではないが、十分に満足できる。ただ、味付けが若干薄めだった。2人の日本人女性も同じ感想だった。

クルーズのランチ


ハロン湾の奇岩が見えてくる。1階のテーブルを離れ、2階に上がる。2階の上にももう1層のデッキがある。

ハロン湾


一番上のデッキから


しばらくして島(ティトップ島?)に上陸する。この島は数多くのクルーズ船の乗客たちで混んでいた。特に中国人観光客が目立った。おそらく中国人だけのクルーズ船を利用しているのだろう。この島には展望台があるが、かなり登ることになるので、私は遠慮した。

ティトップ島の海辺

このあと、別の島のスンソット洞窟の探索も遠慮して、船の中で待つことになる。急な石段が何段も続くからだ。上るのはともかく、下りが鬼門だ。

ルオン洞窟をカヤックもしくは小舟(なぜかbambooと呼ばれていた)で巡るオプションには参加した。もちろん選んだのは小舟だ。救命胴衣を着けて座っているだけでよい。多くの小舟が行き交うなか、中国人たちのテンションが異様に高かった。


活動を終えてクルーズ船にもどったところで、フルーツやポテトフライ、お菓子のおやつが出される。

日が暮れかかるなか、船は港に向けて引き返す。

日暮れのハロン湾

港に着いたころにはとっぷりと日が暮れていた。

夜のハロン湾

再びバスで2時間以上かけてホテルに戻ったときには9時近くになっていた。夜食はコンビニで買ったバンと韓国の飲み物(韓国語で「朝の光」とあった)で済ませた。

夜食

さてハノイでは定番のハロン湾クルーズ。正直なところ、写真で見慣れた景観は「まあこんなものか」という印象にとどまる。

それよりクルーズの他の乗客との交流が心に残っている。ドイツ語を話す機会もたっぷりあった。ゲッティンゲン(Göttingen)から来た70歳の女性には「Gö」の発音を直されたりした。ウムラウトの発音は苦手だ。

バスで私の隣の席となった50歳のイタリア人男性とも、行き帰りの6時間近く、イタリアの政治から往年のポップ・グループ(私が99Posseを知っていることに驚いていた)まで、話が尽きなかった。

明日はディエンビエンフーに飛ぶが、ハノイ空港を14時15分発なので、早起きする必要はない。