ヤンヤン 夏の想い出(2000)

「Thanks 蓮實重彦先生」 (エンドクレジットより)

台湾と日本の合作映画で、エドワード・ヤン出世作にして遺作

カンヌ国際映画祭では監督賞を受賞しています

 

原題のYi Yi: A One and a Two」は、ピンイン(音声記号)の「イーイー」と

”A One and a Two”は「ひとりずつ」「次から次へ」のような意味だそうですが

監督のヤンは「人生で起きるいくつかのことは算数の1+2と同じくらい簡単」と解説

物語は台北に住む簡易(ジアン)一家のひと夏の出来事で

結婚式に始まり葬式に終わります

同じ家族でもわかりあえない、あくまで個々であるという

小津安二郎の「東京物語」をリスペクトしていることがわかります

(東京や熱海まで出てきますし 笑)

ジョン・カサヴェテスロバート・アルトマンの影響も感じます

そんな一家を冷静にかつ客観的に

名探偵の如き見つめているのが8歳になる少年ヤンヤン

ヤンヤンは人間は自分の半分しか見えていないと

父親からもらったカメラで、自分では見ることのできない

「後ろ姿」を撮影して回るようになり

もうひとつの自分の本当の姿を大人に突きつけるというもの

でも主人公はヤンヤンではなく(笑)

ヤンヤンの父親でジアン家の主人NJ

仲間とIT企業を共同経営していて、台北の高級マンションに暮らし

BMWに乗ってることから裕福であることがわかります

妻ミンミンの弟アディの結婚式があり

新婦のシャオイェンはすでにお腹が大きい

式の最中、祖母(ミンミンの母)の体調が悪くなり

その原因を(アディの恋人だった)ユンユン は

結婚相手が自分でなかったせいだと、騒ぎをおこしてしまいます

ヤンヤンは(小柄なせいで)女の子たちから虐められていて

NJは式場の外にあるマクドナルドにヤンヤンを食事に連れて行きます

その帰り(20年以上前に別れた元カノの)シェリーとばったり出会い

彼女はアメリカ人と結婚し、今はシカゴに住んでいるといいます

「電話して」とNJに名刺を渡すと(やってきた友人にも同じように名刺を渡す)

NJに「ずっと待っていたのに、何故来なかったの?」と囁き去っていきます

披露宴の後、帰宅した祖母が(交通事故か脳卒中のどちらかで)

ゴミ捨て場で倒れていて、病院に運ばれたものの昏睡状態

医師は話しかけることで意識が戻る場合もあると

ミンミンは家族で交代で祖母に話しかけることを提案します

 

しかしヤンヤンはそのことを拒否

ミンミンは怒り、代わりにNJが祖母に語りかけます

ヤンヤン祖母に語りかけるのは、祖母のためじゃない

母親自身が(良い家族のふりをして)満足したいだけなのだと

わかっていたのでしょうね

ヤンヤンの姉で高校生のティンティンは

祖母が倒れた原因が自分にあるのではないかと

(ゴミ出しを忘れ、代わりにゴミを置きに行って事故に遭ったのではないか)

誰にも言えず密かに悩み思い込んでいました

もし赦してくれるなら目を覚ましてと祖母に語ります

 

同じ頃、隣に引っ越してきた同じ年でチェロ奏者のリーリーと仲良くなり

(母子家庭で母親は大手銀行の重役)一緒に過ごすようになります

リーリーには(楽器店でバイトしている)ファティという恋人がいて

ティンティンはふたりの関係を羨ましく思っていました

だけどリーリーはファティが待ち合わせ場所のファストフード店に来なかったことで

そこで知り合った兵役中の男性と付き合いはじめたようで

リーリーと連絡が取れなくなったファティがプチストーカー化

マンションの前でリーリーを待ち伏せして

ティンティンに手紙を渡して欲しいと頼むようになります

 

リーリーの母親も男をすぐにマンションの部屋連れ込むような女性で

夜になると痴話喧嘩が近隣まで聞こえる始末

朝になりエレベーターで一緒になったヤンヤン

(男に殴られた)リーリーの母親の顔を覗き込むと、失礼だとたしなめるNJ

ある日リーリーが帰宅すると、彼女の学校の英語の担任が裸で現れ

母親を責めるリーリー(リーリーの好きな先生だったようだ)

それらの様子を全て目撃してしまうティンティン

 

ファティからリーリーに渡す手紙を断るようになると

ファティはリーリーではなく「君にだ」とティンティンにラブレターを渡します

よほど文才があるのでしょうか(笑)

ファティからのデートの誘いに(いつもは公私ともに制服姿なのに)

頑張ってお洒落をしようとします

2度目のデートに出かけようとしたとき

リーリーが「ファティと付き合ってるの?」と尋ねます

「ただの友達」と答えるティンティン

チェロのコンサート(ファティがリーリーを忘れられないことがわかる)のあと

ラブホテルに入るふたり

しかしファティはティンティンを抱くことができず

彼女をホテルの部屋におきざりにして消えてしまいます

ひとり夜道を歩いて帰るティンティン

(こんな男と寝なくて正解だったけどせめて送っていけよ、って話よね)

ヤンヤンが学校で風船を膨らませ遊んでいると

(叔父さんのデキ婚で男の子たちが性に目覚めてしまう)

「コンドームを持ってきている生徒がいる」と

担任の先生から容疑をかけられてしまうヤンヤン

ポケットから出てきたのは風船でしかありませんでしたが

この常に竹刀を持った先生、お気に入りの女生徒たちを集めては

コカ・コーラを与えて風紀委員みたいなことをやらせていて

気に入らない生徒の虐めに加担するような、とんでもないイヤなやつ

でもヤンヤンはそのなかのひとり、背の高い女の子が好きなんですね

いつも目で追いかけてしまいます

彼女がプールで泳いでいるを見ると

洗面所に水を溜めてどれだけ息を止めれるか練習したり

誰もいないプールに服のまま飛び込んだりします

(人間の感情とか水とか、形はないけれど存在するものに対する興味)

ヤンヤンが友だちと竹刀の先生に水風船を投げたあと

視聴覚教室に逃げ込むと、その女の子も入ってきて

ドアにスカートがひっかかり白いパンティと長い脚が見えてしまいます

ヤンヤンは授業で流れるビデオではなく彼女の横顔だけを見つめていました

デキ婚したアディは借金が原因でシャオイェンに追い出され

元カノのユンユンのアパートに転がり込み助けを求めます

さらにアディは儲け話で騙され、出費した男に夜逃げされていました

こういうとき頼りになるのが、やはり長い付き合いのユンユン

で、夜のほうまでご奉仕してしまうという有様

 

だけどシャオイェンが出産し帰宅を許されたアディは

我が子の可愛さにもうメロメロ

つまりアディは2度(デキ婚と妻の出産で)ユンユンを捨てたわけです

これを許せる女がいるでしょうか

アディとシャオイェンの出産祝いのパーティにやって来たユンユン

当然シャオイェンは怒り、アディの友達は共通の友人であるユンユンを味方します

ユンユンの仲間と、シャオイェンの親族が喧嘩になり

シャオイェンの父親は娘と孫を実家に連れ戻すことを宣言します

遅れてやってきたNJに送られ

(妻は資産家らしい)立派なアパートに戻ったアディはひとり落ち込みます

 

しばらくしてシャオイェンが帰ってくりと

ガスの臭いが充満し、浴室ではアディが倒れていました

自殺したのかと思いましたが、そうではなく

窓を締め切った状態で給湯器の不完全燃焼をおこしてしまい失神

アディはシャオイェンのおかげで命拾いし

シャオイェンもアディへの愛を確信したのでした

ミンミンは昏睡状態の母親に毎日同じ事しか話していないと悩んだ末

新興宗教の高僧を頼り、山(修業所)に籠る決意をします

NJは「看護師に新聞の新しい記事を読んでもらうよう頼む」と

(看護師より新しい話題がないと悩むミンミンに教えてやれよ)

妻の申し出を快く引き受けます

出家に伴い「お布施」をもらいに来るミンミンの同僚と高僧

そちらもなんの疑いも持たず、小切手で快くお布施を渡すNJ

(妻が家を留守にすることが、ありがたいとしか思えない 笑)

NJの経営する会社ではハード事業(パソコンの販売)が

競争の激化で衰退し倒産危機

そこでソフト事業(ゲーム)に乗り出そうと

日本人のカリスマゲームデザイナー、大田(イッセー尾形)を台北に呼び

新しいゲームの開発の交渉(酒場での接待)をすることになりますが

経営側のひとりが、大田のゲームのコピー会社の小田にしたほうが

安く済んでいいと提案

NJは大田との取り引きをいったん諦めるわけですが

そこに大田のゲームなら金を出すという自称女性運動家が現れ

大田と契約するため急遽日本に出張することになったNJ

NJは(妻の不在をいいことに)シカゴのシェリーの留守番に伝言を残し

日本で再会します

 

事情を察した太田のはからいで、NJとシェリーはともに過ごすものの

NJにシェリーの求愛を正面から受け入れる勇気はありませんでした

一緒に行った熱海のホテルの部屋も別

かって彼女の前から消えてしまった理由を

「自分以外のものに指図される人生はみじめだった」のだと教えます

彼女や彼女の家族から、卒業後は(安定した生活のため)

エンジニアになってほしいという希望

結婚へと曳かれたレール、プレッシャー

そんな束縛から逃げたのに、結局は君の言う通りエンジニアになった

だけど君もアメリカ人の実業家と結婚して幸せになった

これでよかったのだと

 

でも「愛したのは君だけだ」

朝食のとき迎えに来ると、ホテルの彼女の部屋の前で約束し

NJは太田と最後の契約に向かいます

そこで太田はNJにトランプで手品を披露

なぜ数字を当てることができるのかNJが聞くと

太田は種も仕掛けもない、全てのカードを暗記しているからだと答えます

つまりNJと契約してもいいと思っているのは

NJが(種も仕掛けもない)正直な人間だと信用しているから、だと

翌朝シェリーの部屋に向かうと

清掃スタッフが「チェックアウト」したと伝えます

ロビーに電話で確認すると昨夜のうちにシェリーはチェックアウトしていて

続けざまに会社から電話が入ると

女性運動家のスポンサーが小田と(女性でEカップだったため)契約したので

太田との契約は適当に破棄して台北に戻ってくるよう言います

「お前らに誇りはないのか!」と電話を叩き切るNJ

ファティがリーリーを自転車の後ろに乗せ出かけるを見るティンティン

ティンティンと別れた後ファティとリーリーはヨリを戻したことがわかります

マンションの前でファティを見たティンティンは

ただ(自分のことは)「気にしないで」と伝えただけだったのに

イライラしたファティから物凄い勢いで罵倒されてしまいます

ショックを受けたティンティンが相談できるのは意識のない祖母だけでした

それから間もなくして、マンションの入り口に救急車やパトカーが集まり

ティンティンは警察に呼ばれ、リーリーについて質問を受けていました

何も知らないと答えるティンティン

テレビでは英語教師が刺殺されたというニュース

教師はマンションに住む女子生徒とその母親の両方と関係を持ち

女子生徒の恋人が殺人の容疑者として逮捕されたいいます

(台湾では未成年でも実名で放送されるのかな)



警察から戻ったティンティンが祖母の部屋に向かうと

祖母は起き上がり元気になっていて

折っていてた折り紙の蝶をティンティンに渡します

祖母に赦してもらえたと、これで安心して眠れると

祖母の膝で深い眠りにつくティンティン

目が覚めると自分のベッドの上で

部屋を出ると医師が祖母の逝去を伝えていました

母の死の知らせを受け葬儀のため戻ったミンミンは

宗教は救いにならなかったことをNJに伝え

NJも若いころに戻ってやり直すチャンスがあったが

そうならなかったことを打ち明けます

「人生は一度きりでいい、やり直す必要はない」 のだと

 

葬儀のあと、NJの同僚は小田のゲームはやはりクソゲーだった

だけど小田は女性運動家の愛人になれたのでもうけものだと笑い

(品質が悪くとも女性運動家から会社に金が入ったのだろう)

NJに会社に戻ってほしいと頼みますが、NJは断ります

ヤン・ヤンは母親に「おばあちゃんに話したい」と頼み

ノートに書いた作文の朗読をはじめます

 

僕はまだ分からないことだらけ

おばあちゃんがどこへ行ったのか見つけたい

知らないことを人々に伝え、見えないものを見せたい

生まれたばかりのいとこ(赤ちゃん)がおばあちゃんのことを思い出させる

おばあちゃんはいつも「年だから」と言っていた

だから僕も赤ちゃんに「年だから」と言たいのだと

拝金主義、利己主義、占いや宗教依存・・

ヤンヤンから見た大人の不思議(漢民族系のアイデンティティ)を

次の世代に知らしめたいという願望

それは大人の自分勝手への批判でしかないのですが(笑)

母はヤンヤンの立派なスピーチに涙するのでした

 

 

【解説】映画.COMより

「牯嶺街少年殺人事件」「カップルズ」などで知られる台湾ニューシネマの名匠エドワード・ヤンが、台北に暮らす5人家族にそれぞれ訪れる人生の変化を静かに見つめ、2000年・第53回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した家族ドラマ。
小学生のヤンヤンは、コンピュータ会社を経営する父NJと母ミンミン、高校生の姉ティンティン、優しい祖母と一緒に、高級マンションで何不自由ない生活を送っている。幸せを絵に描いたような家族だったが、母の弟の結婚式を境にさまざまなトラブルに見舞われる。祖母は脳卒中で昏睡状態となり、父は初恋の人に再会して心揺らぎ、母は新興宗教に救いを求める。父は倒産の危機に陥った会社の経営を立て直すため、天才的ゲームデザイナーの大田と契約するため日本へ旅立つ。一方、姉は隣人リーリーのボーイフレンドと付き合いはじめるが……。

イッセー尾形がゲームデザイナーの大田役で出演。ヤン監督は2007年に逝去したため、彼が最後に完成させた長編映画となった。2025年・第78回カンヌ国際映画祭カンヌクラシック部門のオープニング作品として4Kレストア版が上映された。

2000年製作/173分/G/台湾・日本合作
原題または英題:Yi yi (A One and a Two)
配給:ポニーキャニオン

 

ヘレディタリー/継承(2018)

原題は「Hereditary 」(遺伝性の)

「ここ50年のホラー映画の中の最高傑作」

「21世紀最高のホラー映画」と評されている

アリ・アスター長編映画監督デビュー作

 

ですが「全米No.1ヒット」「今世紀最高」「最も怖い」「世界が震撼した」・・とか

使いまわされたキャッチコピーのせいで説得力がない残念(笑)

しかも、なんか見たことあるなと思ったら

妹の首チョンパで見ていたことを思い出した(さすがにこのシーンは衝撃的だもんね)

やはり私にとってブログを書くことは

内容を整理して記憶にとどめておくための備忘録なんだな

特に前半はよく出来ていますね

私もですが、ちょっと霊感があったり見える人だと

こういう感じ、本当にあるある(笑)

しかもそういう時に限って

深夜に目が冴えてトイレに行きたくなったりするんですよ

 

後半はスパイダーマンみたいに壁に貼りついたり

天井からぶら下がって首をグルグルとかやりすぎ(笑)

リアルな怖さというより、ホラーアクション(お化け屋敷)の

見せ物みたいになってしまったのは惜しいところ

テーマは単純に「家族の崩壊」なんですが

その原因の発端が祖母の悪魔信仰(崇拝)であり

その悪魔を復活させるためは若い男の肉体が必要であり

娘や孫娘も本人が気がつかないうちに影響されていたということですね

カルト宗教(信仰)による2世3世が受ける迫害は

時には自殺や殺人にまで追い込いこまれてしまうということ

それを非常にわかりにくく、ややこやしく描いているのが本作です(笑)

物語はミニチュア模型アーティストのアニー(トニ・コレット)の

母エレンの葬儀からはじまります

その朝、夫のスティーブ(ガブリエル・バーン)は
16歳になる息子のピーター(アレックス・ウルフ)と
娘で13歳のチャーリー(ミリー・シャピロ)を起こし
(チャーリーがチョコ好きで父親との会話でナッツアレルギーだとわかる)

喪主挨拶ではエレンが、母とは疎遠だったものの

認知症を患ってからは介護のため同居していたこと

秘密主義だった母の葬儀にこんなにも参列者が来たことに驚いたこと

などを語ります

 

そしてエレンの葬儀の後から

家族に次々と不思議な現象が起こるようになるのです

チャーリーはおばあちゃんっ子で
(童顔(幼女)なのに巨乳はアリアスターの好み? 笑)
エレンが死んだら(母親がいるのに)誰が面倒を見てくれるのだろうと
さらにエレンがチャーリーが男の子になることを望んでいたことを打ち明け
嘆き悲しんでいました
(エレンは娘のアニーも男の子のように育てていた)
家の外では死んだはずのエレンの姿や燃える炎の幻影を見るようになり
鳥の死骸の首をハサミで切ったり、不気味な人形を作るようになるチャーリー

アニーはスティーブに「映画に行く」と嘘をついて
身内を亡くしたグループのカウンセリングに参加
母は解離性同一性障害で、父は統合失調症により餓死
兄は16歳で被害妄想で自殺したことを語ります
(兄は「母さんが何者かを僕の中に招きれようとした」という遺書を残していた)
さらに自分も過去には夢遊病で、寝ている子どもたちにシンナーをかけて
火をつけようとしたことを告白します
そのことで今でも長男とはわだかまりがあると
最近はシンナーを吸う若者って聞かなくなりましたが(笑)
シンナーとは塗料を薄める溶剤のことで
中枢神経を麻痺させる作用があり常習すると精神を病んでしまうこともあるそうです
アニーは仕事柄シンナーを使うことが多くシンナー中毒だったかも知れません

ピーターはクラスメイトのブリジット(マロリー・ベクテル)に夢中
ヘラクレスの受難」の授業中も、前の席のブリジットの腰ばかり眺めています
マリファナ常習の)男友達とはスマホでチャットのやりとり
ヘラクレスアガメムノンが悲劇的な存在である理由が
神々の操り人形であり、自ら運命をコントロールできないという
(それが物語の本題の伏線であるにもかかわらず)
先生の質問に対する回答を全く聞いていない状態
そしてピーターの目の前にもときおり謎の光や
エレンらしい姿が現れるようになります

友達から(ブリジットも参加するだろう)パーティに誘われたため
母親に車を貸してほしいと頼むピーター
アニーは酒を飲まないことと、妹のチャーリーも連れて行くことを条件に許します
ピーターが「行きたいか」と尋ねると「行きたくない」とチャーリー
高校生のパーティに、中学生の妹を連れて行けという母親のほうがおかしい
でも母親の性格上子どもたちは断れないのでしょう

パーティでピーターはマリファナがあるとブリジットを誘い
帰りたいというチャーリーに(大好きなチョコレート)ケーキをもらって
待っているよう頼みます
しかしそれは女の子たちがふんだんに砕いたナッツ入りのケーキでした
チャーリーの異変を知らされ、マリファナ酔いもどこへやら
真夜中の暗い道を病院に向って猛スピードで車を走らせるピーター
呼吸できず苦しむチャーリーが車の窓を開け顔を突き出し
路上に動物の死骸を見たピーターがハンドルを切った瞬間
チャーリーの頭が電柱に激突
ピーターは車を停め、しばらく考えてから自宅に戻ります
「帰って来たのね」とアニーの声が聞こえる
翌日チャーリーの首のない死体が見つかり、アニーの悲鳴が響き
何事もなかったようにチャーリーの葬儀が行われます

だけどピーターのトラウマがなくなるはずもないし

アニーはミニチュア制作に没頭(それもチャーリーの事故現場)

唯一まともなスティーブはアニーの代わりに家事をこなし

家族の絆を取り戻そうとしますが

食事中にアニーとピーターがついに激突

アニーはピーター産みたくなかった

だけど堕ろすことに失敗しエレンに強制されて産んだこと

結婚後はエレンからピーターを守るため不干渉ルールを作り

代わりに次に産まれた娘チャーリーを与えたと告白します

そこから再びグループカウンセリングに向かおうとしたものの
やはり引き返そうとするとジョーンと名乗る女性が引き止めます
ジョーンは娘を亡くしたというアニーに、私も息子と孫を亡くしたと
もし誰かと話したいことがあればと連絡先を渡されます

ジョーンのような女性って国籍、人種問わずいるんですね(笑)

いかにも好い人で善意の塊

ただ(心理カウンセラーや占い師を商売をしているわけでもないのに)
身内の不幸や哀しみをズバリ当ててくる人には注意したほうがいい

アニーも最初からジョーンを信用していたわけではないし
ジョーンの死者との交信(日本の「こっくりさん」と似ている)にも
逃げ出してしまいますが
自分だけは詐欺に引っ掛からないという人に限って、引っ掛かるってやつ(笑)
死者(娘のチャーリー)と交信するため
アイテムとなるろうそく、グラス、その人が愛用していたもの
(チャーリーのスケッチブック)を用意
ジョーンから渡された呪文を唱えると、スケッチブックに絵が描き出されます

ジョーンに(家族全員で行わなければいけないと)言われた通り夫と息子も呼び
再びスケッチブックに絵を描くようチャーリーに頼みます
(夫は何も感じない)ピーターは怖いからやめてと叫ぶ
そのときグラスが大きく移動、ろうそくは巨大に燃えます
その後、チャーリーのスケッチブックに描かれた絵が
ピーターの(目が潰され)死を現していることに気がついたアニーは
チャーリーのスケッチブックを暖炉で燃やそうとします
ところがスケッチブックに火がつくと、アニーの腕にも火がつき
スケッチブックの火を消すしかなかったアニー

屋根裏部屋では、母のものと思われるなしの腐乱死体を発見

(夫には墓が荒らされていると電話連絡があったものの妻には知らせないでいた)

改めてアニーが母の遺品を調べると、アルバムには生前の母とジョーンの写真

書物の中の1冊のマーキングされているページには

「ペイモン」と呼ばれる3つの首をぶらさげた悪魔の絵と

「ペイモン」は男性の肉体を望み、見返りに富をもたらすという記述がありました

パイモンの召喚には肉親の首が3つ必要だということ)

アニーは帰宅した夫に、屋根裏の死体や悪魔崇拝を説明しますが
スティーブはなぜ(死体があることを)警察に通報しないのだと
アニーが(夢遊病の再発で)死体遺棄したのではないかと疑います
そこでアニーは、ピーターの死を止めるためには
チャーリーのスケッチブックを燃やすしかないと
自分では怖くて出来ないからとスティーブに頼みます

しかしアニーが暖炉にスケッチブックを投げ入れたとたん
炎に包まれたのは夫でした
そのとたんアニーは何者かに憑依され錯乱してしまいます

学校で自身の顔を机に打ち付け気を失っていたピーターが目を覚まし
リビングに向かうと父親の焼死体
さらには天井を這う母親と、不気味に微笑む(エレンの葬儀に来ていた)男の姿
アニーが襲いかかり、屋根裏に逃げ込むと儀式の痕跡
すると天井からぶら下がったアニーが
ピアノ線を自らの首に巻きつけ切断しようとしていました
ピーターは窓を突き破り、地面に落下してしまいます

目覚めたピーターは(頭のない)アニーがツリーハウスに向かうのを見ます
アニーを追いツリーハウスの中に入っていくと

そこには王女レンの肖像と、チャーリーの頭部が飾りつけられた像

首のないエレンとアニーのひれ伏す姿
そしてジョーン率いるカルト的集団
意味のわからないピーターにジョーンは王冠を被せると
こう呟きます

チャーリーもう大丈夫よ

あなたはペイモンになった

地獄の8王の1人

我々は北西の方角を探しあなたを呼んだ

最初の女性の体ではなく、このように健康な男性の肉体を献上する

我らは三位一体を拒み、偉大なる王ペイモンのために祈る

秘密なるもの全ての知識を授けたまえ

ペイモン万歳!

 

【解説】映画.COMより

家長である祖母の死をきっかけに、さまざまな恐怖に見舞われる一家を描いたホラー。祖母エレンが亡くなったグラハム家。過去のある出来事により、母に対して愛憎交じりの感情を持ってた娘のアニーも、夫、2人の子どもたちとともに淡々と葬儀を執り行った。祖母が亡くなった喪失感を乗り越えようとするグラハム家に奇妙な出来事が頻発。最悪な事態に陥った一家は修復不能なまでに崩壊してしまうが、亡くなったエレンの遺品が収められた箱に「私を憎まないで」と書かれたメモが挟まれていた。「シックス・センス」「リトル・ミス・サンシャイン」のトニ・コレットがアニー役を演じるほか、夫役をガブリエル・バーン、息子役をアレックス・ウルフ、娘役をミリー・シャピロが演じる。監督、脚本は本作で長編監督デビューを果たしたアリ・アスター

2018年製作/127分/PG12/アメリ
原題または英題:Hereditary
配給:ファントム・フィルム

 

 

遺灰は語る(2022)

原題「Leonora Addio」(イタリア語で「さらば、レオノーラ」 )は

ヴェルディのオペラ「イル・トロヴァトーレ」からの引用

お互い血縁関係にあることを知らない

吟遊詩人のマンリーコと、兄のルーナ伯爵が

同じ女性レオノーラ)を愛してしまい

それぞれが持つ愛と、正義のために争い

悲劇をもたらしてしまうという物語(らしい)

タヴィアーニ兄弟といえば「二人でひとつの頭脳」と呼ばれるほど

常に一体となって映画製作を共にしてきたものの

兄ヴィットリオが2018年に88歳で逝去し

弟のパオロ91歳で初めて単独で監督をてがけたというのが本作

デジタルならではのモノトーンの使い方が実に洒落ていて

映像センスの素晴らしさは全く衰えていません

物語はノーベル文学賞を受賞した文豪ルイジ・ピランデッロの遺灰を

戦後になりローマから故郷のシチリアへ運ぶというものと

ピランデッロの遺作短編「釘」のショートムービーの2部構成になっていて

パブロの遺作ともなっています

 

難解だと評されていますが、私はたぶんパオロ・タヴィアーニからの

反戦へのメッセージだと思うんですね

薄れゆく戦争の記憶への警笛

不条理劇の先駆けと言われているピランデッロ

人間のアイデンティティを洞察した著書の数々は

今なお学界、映画界、演劇界などに多大な影響を残しているそうです

一方でイタリアファースト、イタリア民族主義者として

一時期はバリバリにムッソリーニを支持していたファシストだったということ

(のちにファシスト党を脱退し非政治的な信念を表明している)

だけど民族や宗教の争いや差別は、人間を幸福にしただろうか

その反省が「釘」なのではないかと

1936年ローマ、ピランデッロ69歳で死去

彼は自分の遺灰を散骨するか

故郷シチリアのアグリジェントの岩に中に収めて欲しいと遺言を残しますが

ムッソリーニ彼の名声を利用しようとしたため遺灰ローマに留められます

第二次世界大戦後、連合軍によりローマが解放されると

ピランデッロの遺志を尊重しようという動きがはじまり

遺灰はシチリアへ戻されることが決まり

アグリジェント市から派遣された特使が遺灰を引き取りにやって来ます

しかしアメリカ軍の飛行機では(死人と一緒なのは)縁起が悪いと搭乗拒否され

列車では遺灰の入った箱がなくなったり

(乗客がカードゲームをするために拝借していた)

イタリア人男性と言葉の通じないドイツ人女性の夫婦が突然エチしだしたり

やっとシチリアに辿り着いたと思ったら

上級司祭が(ギリシャの骨壺に入っているから)祈りを捧げたくないと言い出し

遺灰をシチリア式の骨壺に入れ替えることになりますが

こんどは壺が小さすぎて大量の遺灰がこぼれてしまいます

(こぼれた遺灰を新聞にくるんで持ち帰特使)

 

上級司祭が若い司祭たちに尋ねる

ピランデッロを読んだことがある人はいますか?」

ひとりが「隠れて読んだことがあります」

さらにその後「告解(こっかい)」 したことを打ち明けます

つまり告解(懺悔)しなければならない内容だということなのでしょう(笑)

すると老いた司祭がこっそり上級司祭に

「私は読んだことがあります」「老人と若者」と伝えます

「銘文を覚えているか?」

「私の子どもたちへ、今若く、明日は年老いる」

この銘文が冒頭の臨終の床で

ピランデッロが3人の子どもに囲まれるシーンに繋がっていたんですね

棺桶屋では死人が多くてこども用の棺桶しかないと言い

その小さな棺桶の葬列を見た住民たちが「小人の葬式だ」と笑いだす

さらに岩を削り骨壺を収める墓をつくるのに何年もかかってしまうという

ピランデッロにとって悲劇なのか喜劇なのかわからない結末になってしまいますが(笑)

 

ラスト遺灰が海に撒かれるシーンではカラー映像になり、美しい青い海が広がります

まるで平和の象徴のように

そこから舞台は、シチリアからニューヨークにやってきた移民一族が

ブルックリンで開業したイタリア料理店に変わり

父親と共にやってきた少年は仕事も英語の覚えも早い

バンドの音楽にあわせてダンスを披露したり客を喜ばせる才能もあります

店は大繁盛、自慢の息子ですね

ある日の休憩時間、少年がぶらぶら散歩していると

1台の荷馬車が大きな鉄釘を落としていきます

その釘を拾って眺めていると、激しく喧嘩するふたりの少女が現れます

ひとりは背が高く、少年と同じような褐色の肌と黒い髪

ひとりは背が低く白人の赤毛でした

少年はふたりに近寄ると、赤毛の少女を持っていた釘で刺し殺してしまいます

黒髪の少女は逃げ、少年は警察に捕まります

警察で何を聞かれても「定めだ」としか答えない少年

釘が落ちたのも「定め」

少女を殺したのも「定め」

 

しかし警察署で赤毛の少女の遺体を見た少年は

刑期を終え出所したら毎年墓参りをして罪を償うことを誓います

そして約束通り大人になった少年は少女の墓を訪れ

墓の前でみるみるうちに年老いていくのでした

フィンランド人が「つり目」ポーズの写真をSNSに投稿したことが

アジア人への差別的ジェスチャーだと騒動になっていますが

(それだと日本人のお笑い芸人が、白人のモノマネをするとき

付け鼻を付けるのも差別になりますね)

 

欧米では赤毛も差別や虐めを受けることが多いらしく

(古くからキリスト教の聖書などで)裏切者のユダや

カインが赤髪で描かれていることから

赤毛は不吉な異端児とみなされてしまうそうです

少年は思わず赤毛の少女を殺してしまいます

彼女がどういう人間か知ってるわけでも

恨んでいるわけでもないのに

 

やがて少年は自ら破壊し破滅することでしか

献身的な愛を生み出す方法を覚えられなかったことに気付くのです

 

 

【解説】映画.COMより

イタリアの名匠タビアーニ兄弟の弟パオロ・タビアーニが兄ビットリオの死後初めて単独でメガホンをとり、ノーベル賞作家の遺灰を運ぶ波乱万丈な旅の行方を、美しいモノクロ映像と鮮烈なカラー映像を織り交ぜながら描いたドラマ。
1934年にノーベル文学賞を受賞した文豪ルイジ・ピランデッロは自分の遺灰を故郷シチリアへ移すよう遺言を残すが、独裁者ムッソリーニは彼の名声を利用するため遺灰をローマに留め置いてしまう。戦後、ピランデッロの遺灰はようやくシチリアへ帰還することになり、シチリア島特使がその重要な役目を命じられる。しかし、アメリカ軍の飛行機に搭乗拒否されたり、遺灰の入った壺がどこかへ消えてしまったりと、次々とトラブルが起こり……。エピローグには、ピランデッロの遺作「釘」を映像化した短編を収録。2022年・第72回ベルリン国際映画祭国際映画批評家連盟賞を受賞した。

2022年製作/90分/PG12/イタリア
原題または英題:Leonora addio
配給:ムヴィオラ

 



惑星ソラリス(1972)

人は幸せな時は人生の意味などに関心を持たないものだ

 

原題はСолярис(太陽の)

原作はポーランドSF作家、スタニスワフ・レム

1961年に発表した小説「ソラリス

海に覆われた未知の惑星ソラリスの軌道上に浮かぶ宇宙ステーションに

調査のためにやってきた心理学者の前に10年前に自殺したはずの妻が現れます

それはソラリスの海がその人の意識を反映して具現化させた物質でしたが

そのコピーはだんだんと本当の妻らしくなっていき

学者も本気でコピーを愛するようになってしまう・・というもの

アンドレイ・タルコフスキーの名前を世界に知らしめた作品で

1972カンヌ国際映画祭では審査員特別賞を受賞

しかし原作者のレムは内容の変更や、感性の相違から

タルコフスキーに会うためモスクワまで乗り込み

激しい口論の末「大馬鹿野郎!」と捨て台詞を吐きタルコフスキーと決別

タルコフスキーが作ったのは「ソラリス」ではなくて「罪と罰」だ」と

語ったそうです(それって悪口になっていないような気が 笑)

SF映画の金字塔のひとつですが、SF的な描写や映像はなく

敢えて言うなら宇宙ステーションのセットくらい(笑)

冒頭、両親と暮らす心理学者のクリス・ケルヴィンのもとに

クリスの父親の友人で、かって宇宙飛行士だったバートンがやって来て

ソラリスで飛行していたときの奇妙な体験を証言したビデオを見ます

(ビデオの中身は不定の未来で、すでに恒星間飛行が行われている)

バートンはソラリスの海の表面が変化し、街や巨大な赤ん坊となり

その赤ん坊はバートンの知人の赤ん坊にそっくりだったといいます

クリスはソラリスの観測宇宙ステーションからの通信が途絶えため

調査のため宇宙ステーションに赴くことになっていましたが

バートンの言うことをにわかに信じることはできませんでした

そこから突然、東京の首都高が延々と現れ

なんでも未来都市のフッテージ(編集されていない映像)だったそうですが

そもそもこの映画のエピソード自体が順不同に撮影されており

同じカットでも登場人物の服装が違ったりと後からトラブル発生

気付いたときには撮り直しや編集することが間に合わず、タルコフスキー

「ファンタジーがある、みんなにこれが正しい姿だと思わせてやれ!」と

手を振ったそうです

(意外とそういうところは雑なのね 笑)

クリスがステーションにつくと、ステーションでの作業は放棄されていて

科学者のスナウトとサルトリウスは自室に籠もったまま

かわりにいるはずのない少女を見ます

サルトリウスの部屋からは小人が走り出ようとしてサルトリウスに引き戻され

クリスの友人だったギバリャンは彼にビデオメッセージを残して自殺

そのビデオにはさきほどの少女の姿が映っていました

スナウトは少女たちのことを「お客さん」と呼び

(知的生命体だと思われる)ソラリスがその人の

(最も痛ましく恥ずべき)記憶を具現化したものだと説明します

その現象はソラリスX線を放射してからはじまり

ギバリャンは「お客さん」の存在に耐えられなくなり自殺

サルトリウスはもういちどソラリス放射線を撃ち込み

「お客さん」を消そうと考えていて

スナウトはサルトリウスのむやみな対策(核による攻撃)を非難

阻止しようとしていました

翌朝、クリスが眠っている部屋に死んだはずの妻ハリーが現れます

腕には彼女が自殺したときの注射の跡

クリスにとって最も痛ましい過去はハリーの死だったのです

クリスは彼女を小型ロケットに乗せ発射させて追い払いますが

翌日ハリーは再びクリスの目の前に現れ、クリスとベッドを共にします

「お客さん」は寝ているあいだに記憶を読み取り実体化

最初は見た目が妻のハリーでも、ただのコピーでしたが

日に日に学習して、人間らしい能力を身につけていきます

スナウトは「本物の妻ではない」と警告しますが

クリスは彼女を本気で愛するようになり

このままここで彼女と暮らしてもいいと望むようになります

一方のハリーもかって自殺したハリーと同じように悩むようになり

(クリスの記憶から学習した裏切りや、嫁姑問題や、喧嘩のせいで)

ついには液体酸素を飲んで自殺してしまいます

凍てついたハリーを抱きかかえ悲しむクリスですが

スナウトが「もうすぐだ」と言うと、ハリーは息を吹き返します

このハリーの蘇生(と、ふたりの無重力)がいちばん美しく

見ごたえあるシーンで(笑)

なんとハリーを演じたナターリヤ・ボンダルチュクは

あの「戦争と平和」のセルゲイ・ボンダルチュク監督の長女(当時22歳)ということ

もしかしてこの映画が成り立っているのは彼女のおかげかもしれません

人間としては死ねないと悟ったハリーは

スナウトとサルトリウスに自分のことを破壊してくれと頼みます

そこでスナウトとサルトリウスは実験として

クリスの脳波で変調したX線をソラリスの海に送ると

「お客さん」の訪問を阻止することに成功

かわりにソラリスの海には奇妙な島々が現れたのでした

クリスは死んだ母親が自分の腕を洗ってくれる夢を見ていました

目が覚めるとハリーは消え「別れの道を選んだ」と書かれた置き手紙があり

スナウトから「もう地球に帰ったほうが良い」と言われます

クリスが地球の実家に戻ると、家の(外ではなく)中雨が降っていて

玄関から出てきた来た父親に抱きつくクリス

やがてカメラがゆっくり上空へ引いていくと

この場所がソラリスが(クリスの記憶に反応して)作った

小さな島のひとつであることがわかります

クリスは地球に戻るより

ソラリスに留まることを選んだということでしょうか

つまり現実よりソラリスが見せてくれる幻影を選んだということ

いつかハリーが再び現れることを願って・・

 



【解説】映画.COMより

ロシアの名匠アンドレイ・タルコフスキーが、ポーランドの作家スタニスワフ・レムの代表作「ソラリスの陽のもとに」を映画化した傑作SF。未知の生命体と接触し極限状態に置かれた人間の心理を独特な映像表現で描き、1972年・第25カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。海と雲に覆われ、生物の存在が確認されていない惑星ソラリス。科学者たちはソラリスの海に理性があると考え接触を図るが、失敗に終わる。宇宙ステーションは謎の混乱に陥り、地球との通信が途絶えてしまう。心理学者クリスが原因究明のため送り込まれるが、友人の物理学者は既に自殺しており、残る2人の科学者も怯えきっていた。やがてクリスの前に、数年前に自殺した妻が姿を現す。

1972年製作/165分/ソ連
原題または英題:Solaris
配給:日本海映画

 

大都会/ビッグ・シティ(1963)

レイの映画を見ていないということは

太陽も月も見ずにこの世に生きているのと同じことだ
                               黒澤明

原題は「Mahanagar」(強大な都市)

 

今から60年以上前の映画で、真のフェミズム

(女性に対する差別や不平等の解消を主張する考え方)とは何か

女性が自ら仕事を選択する権利を描いていることが、まず凄い

それでいて正統派のホームドラマとして成り立っている

世界経済フォーラムの「ジェンダーギャップ指数」では

日本の総合順位は148国中118位(2025年)ということですが(笑)

日本では根本的にフェミズムに対する考え方そのものが

国際的に最初から違っているのでしょうね

 

ラストで大都会がフォーカスされるシーンは

女性(主婦)にも無限の可能性があるのだと

(「風と共に去りぬ」の如き 笑)女性の持つパワーを感じました

第14回ベルリン国際映画祭では銀熊賞を受賞しています

1950年のインド

カルカッタ(現コルカタ)で暮らす銀行員の夫スブラタと

幼い息子ピントゥと狭いアパートで暮らしていた主婦のアラティでしたが

夫の両親と10代の義妹バニも同居することになり

夫の給料だけではとても生活費も学費もまかなえません

 

そんな時知り合いの奥さんが働きだしたと聞き

アラティは自分も仕事をしたいと夫に相談します

「男は外で働き、女は家を守る」が当たり前の時代

妻に稼いでもらうなど夫の恥、だけど背を腹には代えられない

夫は銀行の他に副職が見つかるまで、の条件でアラティの仕事探しを手伝います

そうして夫が見つけたのが、家庭用編み機のセールスレディでした

そこで知り合ったのが白人女性のエディス

エディスはバリバリのフェミニスト

(女性の権利や男女平等や多様性を志向する人のこと) で

(女性が仕事するには)内面だけでなく外見も大事だと

アラティに口紅をプレゼントしてくれたり

(口紅が主婦から働く女性への切り替えのアイテムになっている)

 

自分だけではなく、同僚の女性たちのためにも

上司のムケルジー氏に固定給以外にも、売り上げに相当する

マージン(手数料)の請求を交渉します

エディスの影響もあって、やがて会社のトップセールスになるアラティ

母親が仕事に出かけることで、ぐずつく息子でしたが

新しい玩具を買ってもらうたびに機嫌を直し

(こういうとこ、男の子は単純でいいね 笑)

義妹バニはサリーをプレゼントされ大喜び

義母は食費の援助と、家政婦を雇ってもらい大助かり

でもそれでは夫のメンツが立たない

エディスからもらった口紅も男からのプレゼントだと勝手に勘違いし

嫉妬に燃えるありさ

友人に副職先を頼み(それが決まったわけでもないのに)

妻に仕事を辞めるよう頼みます

さらに舅は嫁に面倒を見てもらうなど、とんでもないこと

バイトでもするならまだしも、賞金付きのクロスワードにのめり込み

元教師だった舅は、かっての教え子たちの元を訪れ

眼鏡を作ってもらったり

金銭をめぐんでもらうというありさ

私ならそっちのほうがよっぽど惨めだと思いますけどね(笑)

教え子たちも「あの自助論を熱心に教えた先生がね」と哀れみます

(自助論=サミュエル・スマイルズ著の成功談を集め論じた自己啓発本のこと)

仕事が面白くなってきたアラティでしたが、やはり家庭が優先

退職を伝えるため上司の元に向かったとき夫から電話が入ります

勤め先の銀行が破綻したため、辞めないでほしいと

その頃エディスが体調不良で会社を休んでおり

アラティは彼女の営業地区も担当していて

上司からの信頼も厚くセールスレディのリーダーとして

教育係も命じられます

さらにアラティが知人の男性(友人の夫)に会った時

「夫は会社経営で成功している」と嘘をついているのを偶然目撃してしまった夫は

(求職のため)アラティの上司に面会に行きます

すぐに事情を察した上司は、同郷だという理由で快く仕事を紹介するのでした

一方エディスを心配したアラティは彼女の家に見舞いに行くと

彼氏の野球の応援で雨に降られ高熱を出してしまったということ

仕事で助けてもらったことをアラティに感謝し

サングラスをプレゼントしてくれます

アラティにとってエディスはいつでも粋で素敵な女性

しかし上司は、エディスをイギリス植民地時代の置き土産だと

(体調不良で休むことを連絡していたにもかかわらず)

エディスが「サボった」のだと決め込み、クビにしてしまいます

エディスに謝罪し復職させるよう上司に頼みにいくアラティ

しかし上司は聞く耳を持ちません

エディスの形相はみるみる鬼のように変わり

エディスが辞めるなら自分も辞めると啖呵をきり

(夫が用意していた)辞表を出してしまいます

会社を飛び出すと、そこには夫の姿

(仕事のことで上司に会いに来たのかもだけど、彼女はそのことは知らない)

アラティは「迎えに来てくれたのね」と泣き出してしまいます

ただ、正しいことを主張しただけ

でも仕事がなくなったら明日からの生活はどうしたらいい?

 

そのときビルが立ち並ぶ街並みがズームアップされると

アラティは夫に頬を寄せ

この大都会ではいくらでも仕事は見つかるはずだと呟くのでした

たとえ無職になっても、なんと男とは違うことか(笑)

この不景気だとか、物価高だとか騒いでいる今の日本の

子育て世代の女性や、仕事を持つ主婦にもぜひ見てほしい

歌わないし踊らない、古典インド映画の傑作でした

 

 

【解説】映画.COMより

「大地のうた」をはじめとする「オプー3部作」で知られるインドの世界的名匠サタジット・レイが1963年に発表した代表作のひとつで、大都会カルカッタを舞台に共働き夫婦の暮らしを描いたドラマ。
1953年、カルカッタ。薄給の銀行員シュブラトの妻アラチは、家計を助けるために訪問販売の仕事を始める。やがて彼女は社長に能力を認められるようになり家計も楽になるが、夫としての立場を失ったシュブラトは仕事をやめさせようとする。日本では「大都会」のタイトルで76年に岩波ホールで公開。
2015年9月、レイ監督のデビュー60周年を記念した特集上映「Season of Ray シーズン・オブ・レイ」でリバイバル公開。2025年7月にもレイ監督のデビュー70周年を記念した特集上映「サタジット・レイ レトロスペクティブ2025」でリバイバル公開。

1963年製作/131分/G/インド
原題または英題:Mahanagar
配給:グッチーズ・フリースクール

 

恋の秋(1998)

原題は「Conte d'automne」(秋の物語)

エリック・ロメールの「四季物語」の第4部であり最終作

(「冬物語」は来年におあずけ 笑)

メインのあらすじは、夫に先立たれ子どもたちも独立

ひとりワイン農場を営むアラフィフの女性マガリ(ベアトリス・ロマン)のため

親友のイザベル(マリー・リヴィエール)が恋人を見つけてあげようと

新聞広告を出したところ

現れた男性は思いがけずイザベルのタイプだった、というもの

基本ラブコメなんだけど、ちょっと切実

いいなと思った男性が、実は親友の策略でしかも親友とデキている?

怒り心頭のマガリがいじらしくて泣ける

人生ってまったくもって無駄話ばかり

うまくいかなかったり、トラブルに見舞われたりでイライラ

だけど見終えた後の余韻と多幸感

さらに常連のマリー・リヴィエールもベアトリス・ロマンというWヒロインで

ロメールの魅力が詰まった集大成のような作品でした

ベネチア国際映画祭では脚本賞を受賞

家族が庭でランチをしながら、娘の結婚式の打ち合わせをしています

母親のイザベルは結婚式で出すワインを親友のマガリに頼んではどうかと提案

娘とマガリはかって喧嘩して仲違いしたらしく

イザベルはマガリを結婚式に招待して仲直りさせようとしていたのです

イザベルがマガリのワイン農場を訪問と、ロジーヌという女性と出会います

彼女はマガリの息子レオの恋人で、農場の手伝いに来てくれているといいます

一方成人した娘と息子は家を出て行ったまま疎遠で

ワイン作りも利益より有機栽培や熟成にこだわったり

マガリがいかに頑固な性格であることがわかります

イザベルはマガリに良い人を見つけて再婚したほうがいいと

新聞広告を出してはどうかと勧めます

冗談じゃないわよとマガリは怒りますが

イザベルは勝手にマガリのプロフィールを載せた

結婚を前提にした恋人募集の新聞広告を出してしまいます

一方、ロジーヌは元カレの高校の哲学教師

エチエンヌ(ディディエ・サンドル)を呼び出し

エチエンヌはロジーヌとヨリを戻したい気満々

何人もの教え子と交際し(一応卒業まで待つというモラルはあるようだ)

さらに年がいけばいくほど若い女が好きになっていくと

ある意味正直すぎる男なのですが(笑)

ジーヌはこの先も彼と友達であり続けたいと

エチエンヌとマガリが結婚すればいいのだと思いつきます

エチエンヌは元恋人の義父になるなんてありえないと拒否しますが

ジーヌは本気でした

イザベルは新聞広告に返事のあった男性、ジェラルドに会いに行くと

期待を大きく上回るエド・ハリス風の紳士(笑)

(すぐに親友のための広告だったと正直に打ち明ければいいものを)

マガリになりすましデートしてしまうのです

しかしこれ以上深い関係になってしまえば正体がバレる

3度目のデートで自分は結婚していて不倫する気はないと

本物のマガリの写真を見せ、ジェラルドを娘の結婚式に招待します

オマエにはプライドがないのかよ?と思うくらい(笑)

のこのこと結婚式にやって来てマガリに声をかけるジェラルド

マガリにワインの評価を聞かれ、具体的に美味しさを伝えるジェラルドに

マガリも好感を持ちます

そこにロジーヌがやってきてエチエンヌを紹介

エチエンヌもイケオジではあるけれど

マガリとの盛り上がらない話が終わるとすぐさま

式に来ていた元教え子の女性のところに行ってしまうわかりやすさ

ジェラルドがイザベルにマガリとの出会いが好印象だったことを伝えると

イザベルはジェラルドをマガリに取られるのが急に惜しくなったのか

ジェラルドにキスと抱擁を迫ります

その時、部屋のドアが開き誰か(マガリ)に目撃されてしまいます

冷静になるイザベル

マガリが家に帰ろうとするも、息子のレオが自分の車で出かけてしまい

(イザベルに頼まれ)ジェラルドがマガリを送っていくことに

当然マガリの機嫌はよろしくない

(自分の意志とは関係なく、1日にふたりの男に振られたんだもんね)

娘に会いに行くといい、駅で降ろしてもらいます

でも列車は来ず、結局タクシーでイザベルの家に戻ることに

イザベルは新聞広告でジェラルドと出会ったことをマガリに告白し

マガリもジェラルドに本当は良い印象を持っていたことを伝えます

彼に酷い態度をとってしまったことを後悔していることも

 

そこになんとジェラルドも戻って来て、偶然会えたことを歓び

マガリはジェラルドを収獲のあとのパーティに招待したのでした

アラフィフになったって、恋をしたい、幸せになりたい

寂しいのはわかるけど

だからって結婚式の裏側で何やってるの(特にイザベル)という(笑)

 

しかもロジーヌはレオとではなくエチエンヌと帰っちゃうし

イザベルは夫とダンスをしながら意味深に微笑む

恋のスリルはこのあとも続く・・のかもね(笑)

 

 

【解説】映画.COMより

フランスの巨匠エリック・ロメールによる「四季の物語」シリーズの最終作となる第4作で、2人の40代女性が織りなす恋と友情を軽やかなタッチでつづった人間ドラマ。南フランス、ローヌ渓谷の小さな農園でワイン作りに打ち込む陽気な女性マガリは、本屋を営むイザベルと親友同士。夫を亡くして以来ずっと独身のままでいるマガリを心配するイザベルは、マガリに成りすまして彼女の再婚相手を探し始める。一方、マガリの息子の恋人ロジーヌもマガリに恋の相手を紹介しようとし、事態は思わぬ方向へ転がっていく。マガリを「美しき結婚」のベアトリス・ロマン、イザベルを「緑の光線」のマリー・リビエールが演じた。

1998年製作/112分/フランス
原題または英題:Conte d'automne
配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム

 

夏物語(1996)

「女性とはただの散歩でもうまく事が運ばない」

 

原題は「Conte d'ete」(夏の物語)

夏の海で出会った友達以上、恋人未満の男女のゆくえ

女性たちの水着姿が眩しい(笑)

物語は7月17日から8月6日までの

毎日のタイトルカードが表示されながら進行していきます

ブルターニュ地方のリゾート地ディナールにある空きアパートに

ギターを持ってやってきた青年ガスパール(メルビル・プポー)は

カフェでバイトするマルゴ(アマンダ·ラングレ)と知り合い

ともに過ごすことになります

ガスパールの滞在する家が「海辺のポーリーヌ」に出て来た家にそっくりで

さらに「ポーリーヌ」のアマンダ·ラングレが(13年ぶり2度目の)ヒロイン

ポーリーヌのその後かと思ってしまいましたが

違いました(笑)

ガスパールはレンヌ出身の数学者で

休暇が終わればナントのデザイン会社に就職が決まっていましたが

一方で音楽家になりたいという夢もあります

ディナールに来たのは恋人(だと思ってる)のレナに会うため

でもレナは妹と妹の恋人とスペインに旅行中で

本当にディナールに来てくれるか定かでないと言います

マルゴははディナールから車で1時間ほどのサン・ブリュック出身

民族学の博士号を持っており、バイトの傍ら

ブルトン人(ブルターニュ地方に住む民族)の調査を行っます

彼氏は海外出張中で、ガスパールを地元の名所に案内します

マルゴに連れて行ってもらった漁師の家で

ガスパールは海の民謡に触発され、漁師の物語の曲を作り上げます

このふたりが本当にいい雰囲気で

お互い恋人とうまくいっていないなら付き合っちゃえよ、と

誰しもが思うわけなのですが

ここでガスパールに人生初の「モテ期」がやってきてしまいます(笑)

マルゴに誘われてディスコ行くものの、集団嫌いで誰とも踊れない

マルゴの知り合いで地元の銀行に勤めるソレーヌは

内気そうなガスパールを気に入り

翌日ビーチで偶然ガスパールに会うと

叔父のボートに一緒に乗りに行こうと誘います

ソレーヌの叔父の家でギターを見つけたガスパール

自作の漁師の曲を弾き、元聖歌隊だったというソレーヌに歌ってもらうと

レナのために書いたというこの曲をソレーヌにプレゼント

最近ふたりの彼氏とわかれたばかりと打ち明けるソレーヌと熱烈なキスをし

翌週(ブルターニュの先端沖にある)ウエッサン島へ行こうと誘います

ウエッサン島はガスパールの愛読書に出てくる島でした

しかしガスパールがアパートに戻ると

スペインに行ったきり全く連絡つかなかったレナから突然電話がかかってきて

ビーチで再会することになります

彼女はふたりが会えなかった間、いかにガスパールの魅力に気付いたかを語り

有頂天になったガスパールは本当に愛しているのはやはりレナだと

ソレーヌとは別れ、レナとウエッサン島に行くことにします

ところがレナは次の約束をすっぽかし

次に会った時にはイライラしていてよそよそしく

怒りに任せ「愛していない」ガスパールを罵り去っていきます

今でこそPMS月経前症候群)などによる

女性特有の心身に与える様々な不調がわかってきていますが

男性にとって女性の不機嫌や、いきなりの「ノン」は全く理解できないもの

気分屋のレナの機嫌取りや

主導権を握りたがるソレーヌのプレッシャーに疲れたガスパール

マルゴといるときが一番正直で自分らしくいられることに気付き

一緒にウエッサン島に行きたいことを告げます

ところがところが、レナが自分のとった行動を謝って来て

レナからウエッサン島に行きましょうと誘われます

その後ソレーヌからも電話がかかってきて

ウエッサン島に行くことを決めたといいます

まさかのトリプルブッキング

だけどこの優柔不断男は、どちらにもうまく断れない

(マルゴと行くと言えばいいだけなのに)

そのとき友人から電話が入り、ラ・ロシェルにいる人物が

ガスパールの曲をレコーディングをしたがっていると伝えられます

これは一生に一度のチャンスかも知れない

ガスパールはレナのことも、ソレーヌのこともなかったことにして(笑)

ディナールを去る(逃げる)ことを決意

それでもマルゴだけはこれからも自分のそばにいてくれると信じていました

しかし見送りに来たマルゴは、彼氏がもうすぐ戻ってくることと

ウエッサン島には民族学の調査に行くことを告げ

ガスパールとキスを交すと、出航するフェリーに手を振るのでした

 

この男のことだから、ほとぼりが冷めたころ

再び彼女たちと会おうとすることは間違いないと思うんですけど(笑)

結ばれるかどうかは、やはり運命が決めることなんでしょうね

 

 

【解説】映.COMより

フランスの巨匠エリック・ロメールによる「四季の物語」シリーズの第3作で、夏のリゾート地を舞台に3人の女の間で揺れ動く青年の恋愛模様をみずみずしくつづった作品。恋人レナとバカンスを過ごすため、海辺のリゾート地ディナールへやって来た大学生ガスパール。後から合流する予定のレナを待つ間、クレープ店でアルバイトするマルゴと親しくなり、デートを重ねていく。さらに、パーティで出会った魅惑的なソレーヌともひかれ合うが……。後に「わたしはロランス」などに出演するメルビル・プポーがナイーブな青年ガスパールを好演し、「海辺のポーリーヌ」以来13年ぶりにロメール監督作に出演するアマンダ・ラングレがマルゴを演じた。

1996年製作/114分/フランス
原題または英題:Conte d'ete
配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム