「かんがえる」をあそぶじかん、という集まりに参加してきました。
参加者は、赤ちゃんから中学生くらいのお子さんとその保護者、そして私のように子どもとは関係なく参加した大人まで、総勢20名弱。毎回さまざまなトピックについて話し合うそうですが、私が参加した回は「わかる」について深く考える会でした。
参加者それぞれの自己紹介の後、「わかる」について考えてみたいことを付箋に書き出し、気になったトピックについてフリーディスカッションを行いました。
さまざまな議論があった中で、特に私が考えさせられたトピックについて記します。


1. なぜ「わからなかった時の気持ち」を忘れてしまうのか?
私が書いたトピックは、「どうして最初にわからなかった時の気持ちが、わからなくなるのだろう」という疑問でした。
この疑問の背景には、研究開発部門から監査部門に異動した経験があります。
異動先の職場では、マニュアルや判断基準が明確でない業務もあり、戸惑うことが多い中でOJTの先輩もつかないまま、いきなり担当業務を任されました。困って上司や先輩に相談しても「新任なんだから、聞けばいいだけじゃない」と言われます。しかし、ある程度業務の手順や全体像がわかっていないと、何を、どのような視点で質問すればいいのかすら見えません。
異動先での具体的な経験
例えば、自分が担当したことがない製品の製造現場で起こった不具合の原因分析を担当した時のことです。
工場の担当者にヒアリングし、「ライン中で製品が蛇行して検査機械内で引っかかり、次の品目の生産時に紛れ込んだと推察しています」と報告しました。すると、「そもそも、製造ラインには製品が製品が蛇行しないようなガードがあるはずなのに、なぜ引っかかるのか?」と質問を受けました。「持ち帰り確認します」と言うと、「それくらいは事前に把握しておくべきことだ」と指摘されます。
製造ラインに詳しい人は、ライン設計上、製品が蛇行しないような品質保全の仕組みがあるという知識を持っているので、「なぜ引っかかったのか」という本質的な質問ができます。
私は研究担当としてさまざまな製造ラインを見たことはありますが、製品の包装工程以降は別部門の担当だったこともあり、品質保全のための詳細な仕組みまでは知りませんでした。製造ラインの知識がない状態で、「聞けばいいだけだから、できるでしょ」と言われる私は、品質保全の仕組みを理解した上での質問をすることができなかったのです。
経験者も新任の気持ちを忘れる
「聞けばいいだけ」と言う先輩たちも、初めて監査部門に配属された際には、戸惑うことが多かったはずです。実際に同じ部署の先輩社員は、異動当初は大変だったと口々に語ります。
しかし、なぜ、初めて担当する私に対して、自分が受けたのと同じように「新任は全て的を得た質問をすればいいだけ」という教育スタイルを踏襲するのでしょうか。なぜ、最初にわからなかった時の気持ちを忘れてしまうのだろう、そんな想いから、この疑問を書きました。
自分自身にもあった「忘れてしまう」の経験
一方、私自身も「わからなかった時の気持ち」を忘れてしまうことがあります。
研究開発を担当していた時、新卒の後輩に仕事の一部を任せ、グループ内で結果を報告してもらおうとしました。資料の流れを打ち合わせ、後はパワーポイントにまとめるだけだったので、「半日もあればできるだろう」と思っていたのですが、実際には2営業日ほどかかっていました。
当時の私は、「なぜ、そんなにかかるのだろう?」「やってみて疑問が出たら、都度、聞いてくれたらもっと早くできるのに…」と少しモヤモヤしていました。しかし、周りのグループ員に相談すると、「そもそも初めて体験する業務だし、この業務の資料作成はそのくらい時間がかかりますよ」と言われ、自分が新入社員に高い水準を期待しすぎていたことに気づかされました。
このように、自分が慣れてくると、最初にわからなかった時の気持ちを忘れて、相手に高い水準を求めてしまうことは、誰にでもあることだと再認識しました。
2. 「わかっている方がエラい」という認識の危うさ
他の参加者から出た疑問や、それを共有した後のディスカッションも興味深いものでした。
ハッとさせられたのは、子どもたちが書いた「わかってる方がエラそうなのはなぜ?」「なぜわかってるフリをするのか?→めんどうくさいから」という言葉です。
普遍的ではない「わかる」こと
そもそも、私たちが「わかっている」と思っている事柄に、普遍的なものはあるのでしょうか。
科学技術も進歩とともに、わかっていたことが塗り替えられるのはよくあることです。数百年前まで、多くの人は天動説を信じていました。また、『サピエンス全史』では、文化や宗教・価値観などの概念は、人類が作り出した虚構(フィクション)だと書かれています。
もしそうだとすれば、「こういう振る舞いをしなさい」と教える事柄も、文化や時代、宗教によって異なるはずです。例えば、今の日本では「勉強しなさい」と親が言いますが、狩猟採集時代なら狩りの技術や食べられる植物の見分け方を教える方が重要だったでしょう。
このように、私たちが「わかっている」と思って伝える事柄は、そもそも普遍的ではありません。なのに、なぜ伝える方がエラそうになってしまうのでしょうか。
監査部門の「聞けばいいだけ教」
進歩の速度が比較的遅い時代では、ノウハウは普遍的なものとして扱える時間が長く、知っている人・習得している人が「エラかった」のかもしれません。知らない人は教えてもらうことで新たな知識を得られたため、教えてあげる立場の人間が、多少エラそうにするのは許容されてきたのでしょう。
また、文化や価値観に基づく望ましい行動を教えたのに、それを受け入れない人に対しては、異教徒に対する苛立ちに近い感情が湧くのかもしれません。
上で書いた異動した部署での教育体制を例に挙げると、私以外のメンバーは「聞けばいいだけ教」の教徒だといえるかもしれません。その教義は、マニュアルがない業務でも判断基準が明文化されていなくても、厳しい指摘を受けながら質問し続けることで、監査員としての力量が身につくというものです。
教団幹部の方々(部署の先輩)に質問すると、「〇〇さん(私)のために30分も使ったね。」と恩着せがましく言われたり、Aさんに質問した場合ととBさん質問した場合で判断が異なることもありますがうまく立ち回らければなりません。Aさんの過去の判断を参考にこう記載しようと思いますとBさんに相談すると、「虚偽の報告をするつもりですか?」と叱責されることもありますが、心が折れてはいけません。
この教団には、新任が大きな仕事を一人でこなす「通過儀礼」があり、私も着任1か月目で無事に通過儀礼をクリアしました。
その後、業務でつまづくことも多かったので、OJT担当をつけてほしいと要請しましたが、「みんな忙しいからOJT担当はつけられない」「前の人は今のやり方で問題なかった」と断られました。しかし、監査部門より残業時間が長い研究開発部門ではOJT担当がついていますし、国際的な品質マネジメントシステムISO9001でも業務を行う担当者は業務を行うための力量を備えるために教育訓練が必要だと書かれています。前の人は1人で担当業務を持つ前に半年間 副担当としての見習い期間があったので、実質OJT教育を受けていますが、判断が変わる事はありませんでした。
彼らは他の教育方法(異教徒の教典)がある事は知っているが、自分達の受けた教育こそが、自分達の部署に最も適した普遍的な教育法だと考えたのでしょう。
通過儀礼をクリアして教団の一員となったにも関わらず、聞けばいいだけ教に求められる質問スキルを発揮できず、OJTやマニュアル・スキルマップに心理的安全性という異教を布教しようとする私には、「なぜ聞かない?」「聞けばいいだけじゃない?!」というエラそうな言い方で教義を語り、苛立ちをぶつけてきたのかもしれません。
また、会社の要請に従ってマニュアルやスキルマップを整備しようとしている教団幹部の方々にとっては、譲歩している自分達への感謝が足りないと思われたのかもしれません。
(後に、全社的な組織風土改革のPJが立ち上がり、各部門で教育体制を整える活動は始まっています。)
3. 共感していない「わかったわかった」の不快感
子どもたちの付箋の中には、「わかったわかったって言ってる時の気持ち」というイラストがありました。これは、頭の中に「?」が浮かんでいる先生の様子を表しており、「なんで、めんどうくさそうにいうの?」という付箋もありました。これは、聞く気がない時や面倒くさい時に、大人が「はいはい、わかったわかった」と言って話を終わらせている様子を捉えたものです。
この集まりの後、私も家で注意して会話してみると、息子との会話で「はいはい、わかったわかった」と頻繁に言っていることに気づきました。
「学校行きたくない」と毎日言う次男。学校行きたくない歌を明るく歌っているので、深刻ではないと思って、「わかったわかった」と聞き流していましたが、もしかしたら、その日は特別に嫌な出来事があり、話したかったのかもしれません。日々、子どもの言葉にちゃんと耳を傾けようと思いました。
保護者の方からは、学校で子供の喧嘩に遭遇した時、全然話したことのない先生に「お母さん、わかります。わかります。」と突然背中をさすられて不快感を感じた、という話も出ました。自分の子どもや自分の気持ちを何も話していない人に、急に共感の言葉を投げかけられても、嘘くさく感じてしまいますし、初対面の人からのボディタッチはギョッとします。
他の方は、友達と話す時に「全部はわからんけど、めっちゃわかる」と言うことがある、と話されていました。これは、「あなたの立場と違うので、すべての気持ちはわからないけれど、私はあなたの事をわかろうとしていて、一部共感できる部分があるよ」という、とても優しいメッセージだと思いました。
まとめ
「わかる」について話すだけで、あっという間に2時間以上が経過していました。
子どもも大人も、自分の気持ちを言語化するのが得意な人が多く、自分一人では気づけなかった学びがたくさんありました。
自分が相手の立場や価値観を理解しようという姿勢をもち、相手の話しを聞いて初めて、相手の言うことがわかるのではないでしょうか。
また、参加したいと思える、実りのある時間でした。