浄土真宗の聞法について

これまでの歩みや思うことを書いていきます。

(33)変化の兆し〈1/3〉

 

そんな私に、変化が起き始めました。

 

2021年7月上旬、アミダサンガの法話会直前、掲示板に投稿した質問について、メンバーのTさんからいただいたメッセージを読んだのがきっかけでした。

 

私の質問とTさんとのやり取りを3回に分けて 今から投稿していきます。



◆◆◆◆◆



〈文長 〉

・文長

俺が疑ってたら、阿弥陀さまは悲しくなるんですよね…  阿弥陀さまは地獄に落ちる俺を救ってくださるって聞いてるけど、0.1%でも俺が不安に思ったら、心が揺れたら、疑ったら、知らん顔されてキャッチしてくれないんじゃないかって思っちゃうんですよね…だから怖くって…

 

・阿弥陀さま

アホ!何をウジウジ言うてんや、文長よ。お前に、確固たる安定した心があるわけないやないか。私が絶対に救う力を持ってるのに、心が揺れて、それを疑うなんて、お前はまさに地獄行き間違いなし。だけどその疑って地獄行き間違いなしのお前を、私は必ずキャッチすると言ってるんやで。

 

・文長 

「……………」わーん!阿弥陀さま〜 ありがとう〜 (涙涙)

 

光雲先生、教えてください。

これって、自分の疑う心を正当化してるって事になりますか…??

 

〈つづく〉

 

 

(32)先生 怒っていませんか…?

 

アミダサンガでの聴聞がメインとなっていましたが、聞法道場でのやり取りも並行して続いていました。

 

アミダサンガに参加してしばらく経ったある日のこと、私は、やり取りの中で龍雲先生を怒らせてしまったと勘違いして、一晩中眠れなかったことがあります。

 

いつもは、コメントを投稿した後 すぐに「いいね!」のマークをつけてくれる先生なのに、なぜか今回だけはマークがつかない・・・

 

「とうとう 先生は俺のことを、何度言ってもわからないやつだ!と呆れてしまったのかも・・・ いつも同じことを書いてふざけたやつだ!と いよいよしびれを切らして、怒ってしまったのではないか・・・」

 

本気で怖くなりました。布団に入っても全然眠れません。

 

あまりに怖くなって、「あの… 先生 怒っていませんか…?」と深夜にメッセージを送りました。

 

「怒っていませんよ」とメッセージをいただいてから 少しやり取りをして、落ち着きを取り戻した頃には もう夜が明けていました。

 

このように、精神的にも私の聞法は完全に行き詰まっていたのでした。

 

 

(31)阿弥陀さまとの距離が近くなった

 

アミダサンガに参加してまず感じたことは、代表である光雲先生の燦々と輝く太陽のような存在感がめちゃでかい、ということです。

 

聞法道場はズームを使わず文字だけのやり取りでしたから、龍雲先生のリアルなお姿を目にすることもないし、声も聞かないので、まあ、ある意味あっさりしていました。

 

しかし、光雲先生のグループは、もちろん聞法道場と同様に Facebook スレッドで文字のやり取りはするのですが、月に2回、ズームでの法話会があるのです。

 

そこに参加すると、やさしくてあたたかい光雲先生の表情や声がリアルに伝わってきます。

 

先生のお話もやさしく、「あっ 先生は阿弥陀さまの代わりをしてくださってるんや。慈悲深い阿弥陀さまを自ら体現してくださってるんや」ということが、すぐにわかりました。

 

聞法道場時代には、阿弥陀さまに恐怖を感じていた私ですが、このグループに入って、一気に阿弥陀さまとの距離が近くなったというか、阿弥陀さまを身近な存在としてみれるようになりました。

 

しかし、そうは言っても、肝心の疑い心恐怖症は依然として患ったままでした。

 

いくら先生がやさしくても、お話を楽に聞けても、教えの要点を理解していても、阿弥陀さまとのやり取りを長く書けても、本願を喜ぶ念仏者と同じようなコメントを書けても、自分の思いを横に置いて聞法できていても、ダメなんです。

 

「疑心あることなし」をごまかすことはできませんでした。

 

だけどこれは自分でどうすることもできません。

 

「疑心あることなしとは いったいどういうことなんや…」

 

これだけは全く理解できませんでした。

 

 

(30)聞法グループ『アミダサンガ18』

 

聞法グループ『アミダサンガ18』の特徴は、「ご信心」がメインにあるのは当然ですが、何と言っても先生やメンバーみんなが共感的であたたかい、ということです。

 

他の会でよく聞く、厳しい指導や叱責などはないし、わからないからといって馬鹿にされることもありません。傷つくことなくのびのびと聞法できます。

 

そのようなあたたかい環境が、心境の変化に大きく関わっているのです。

 

この環境をベースにしたグループの中心となる活動は、月2回の法話会です。

 

法話会では毎回 日曜日の朝にズーム座談会を行うのですが、その1週間前に、光雲先生から法話会の案内と、毎回テーマが違う法話動画が送られてきます。

 

メンバーは、その法話動画を見て、要点・感想・質問などをグループの Facebook スレッド(掲示板)に書き込み、さらにグループのメンバー同士でやり取りを行います。

 

また、法話会が終わった後も、質問や感想を書き込んでやり取りがなされます。

 

日曜日のズーム座談会に都合がつかずリアルで参加できない人は、座談会後に送られてくる座談会動画を見ることができます。なので、誰でもグループの流れについていけます。

 

他にも、平日の朝や夜にズームの集い、女子会、子ども法話会、そして、ブラジルに住むサンガのメンバーが主になって開催される『ポルトガル語法話会』があったりして、内容は盛りだくさんです。

 

みなさん 和気あいあいとした楽しいグループ活動が、このグループの特徴だと言えます。

 

また、グループでは、信心を得たとか 獲信したとか、そういう言葉は使いません。代わりに「心境の変化」という言葉を使います。

 

求道において何かしらの気づきや体験があったとしても、それはただの勘違いかもしれないし、たとえ獲信したとしても、いろんな疑問は出てくるもの。

 

なので、その時に口を開きやすいように ということで、そういう言い方をします。ま、光雲先生の親心、ということですね。

 

また、「この人は心境が変わった人、この人は変わってない人」という区別もありません。

 

「老若男女  新参古参  知識のあるなし関係なし  みんな同じ仏の子」

 

そんな雰囲気があります。

 

 

(29)光雲先生からのお誘い

 

2021年2月、ひとり黙々と続けていた阿弥陀さまとのやり取りが終わりを迎えようとする頃、2年ぶりに光雲先生からメッセージをいただきました。

 

以前は 光雲先生の YouTube 法話についての感想などを一方的に先生に送りつけていたのですが、なんだかそれが 先生の迷惑になっているのではないかと気になりはじめ、それ以来 先生にメッセージを送ることをしなくなっていたのでした。

 

光雲先生からのメッセージの内容は、聞法グループへのお誘いでした。

 

当時の私は、ブラジルで布教活動中の光雲先生が ズームを使ってグループ活動をしておられることは、すでに知っていました。

 

でも 自分から進んで参加しようとは思いませんでした。

 

「ズームで人と話すなんて なんか嫌やな…」というのが一番の理由だったのですが、すでに聞法道場で龍雲先生のお世話になっているし、その状況でさらに光雲先生に頼ることは、なんだか龍雲先生に悪い気がしていました。

 

また、先生が2人になったら 聞法が混乱するのではないか、という懸念もありました。

 

そういうことで、光雲先生のグループをスルーしていたのですが、直接 先生からお誘いを受けると ことわるわけにはいきませんでした。

 

ここから聴聞のメインになるグループは、龍雲先生の聞法道場から、光雲先生の『アミダサンガ18』に移行していきました。

 

 

(28)こんだけ書いてもわからへん…

 

当時の私は、こうやって阿弥陀さまとやり取りすることで、「罪悪やご苦労を自分事として深く受け取ることができたら 救いが実感できるのではないか」と思っていたようです。

 

また、仏願の生起本末を実感できないお粗末な自分がお目当てであることを実感したかったようです。実感できれば仏願を疑いなく聞けるようになると考えていたのでしょう。



延々と続くやり取りの中で、当時の気持ちをあらわしているコメントを見つけました。



・ちゃんと聴いてるけど、なんかスッキリしない…

 

・おっしゃってる日本語の意味は分かるけど、でも…分からない…

 

・お粗末な俺だからこそ南無阿弥陀仏が作られた、と言われても、やっぱりピンとこない…

 

・分かりやすく説明いただいても、心に響かない…



やはりそうです。

 

私は、阿弥陀さまのおっしゃることを実感したかった。

 

でも、いくらやり取りを続けても、しっくりくるものがなかったのです。

 

2021年2月末、阿弥陀さまとのやり取りを書き終えた時の心境を、今でもよく覚えています。



・やっぱりダメや…

 

・こんだけ書いてもわからへん…



虚しさを感じ、深いため息をついていた自分を思い出します。

 

いま振り返って思うのは、やはり当時の私は 聞法の主役が自分になっていた、ということです。阿弥陀さまのお心ではなく、自分の心を聴聞していたのだと思います。



・スッキリしない、意味は分かるけど分からない、ピンとこない、心に響かない・・・そうやって うだうだ言ってるから 今まで迷ってきた。

 

・こんなこと言ってるから 阿弥陀さまは心配している。

 

・全身から血を流すほどに悲しんでいる。

 

・そうやって 阿弥陀さまを待たせている。

 

・南無阿弥陀仏を聞かずに、十劫ものあいだ ずーっと待たせている。



こういう親心を 全然 聞けていなかった、というよりも、そもそも 阿弥陀さまが そういう思いで いてくれていることを、知らなかった。

 

今ではそのように思います。

 

 

(27)強く叱って指導してやってください!〈3/3〉

 

〈人形文長〉

……………あの…ということは、阿弥陀さまは、あの劣悪な環境の中で地獄の50日を生きた、悲しい目をしたブロイラーなのですか?生きたまま首を引き裂かれたあの牛なのですか?涙を流していた牛なのですか?頭を大きなハンマーで思いっきり殴られて首を切られて血を抜かれて熱湯で茹でられて内臓を取り除かれて真っ二つにされたあの豚なのですか?あれが阿弥陀さまの姿なのですか?

 

そして今、食事しているあの者は、もぐもぐと口を動かしていますが、その口の中で噛み砕かれている肉が、阿弥陀さまの体の肉なの…?

 

あぁ…なんと恐ろしいことでしょう…

 

これからは、あの者は、食事の前に「阿弥陀さまを、いただきます」と言ってから、食べなければなりません。

 

だけど阿弥陀さま、あの者は、この事実に対してまったくの他人事だし、自分が食べている命を命だと思わずに、そして、自分の罪を引き受けてくださった阿弥陀さまの体の肉だとは思わずに、ただの食材が料理されたものだと思って、へらへら笑って食べていますが、本当にそれでいいのですか!どうかあの者に対して、この事実を分からせるために、強く叱って指導してやってください!




〈阿弥陀さま〉

人形文長くん、私の立場になって考えてくれてありがとう。

 

だけど私は、よーくわかっているのです。いまさら強く叱って指導しても、あの者が殺生の罪を犯している事実を自分事として受け入れることは不可能であることを。

 

そのお粗末な現状は変えることができないということを。

 

そして、殺生罪に対するお粗末さだけにとどまらず、あらゆるお粗末さについても、同じことが言えるということを。

 

あの者が、そのあらゆるお粗末さを変えることができないことは、確定済みなのです。私が五劫思惟して、そこを見抜いたから間違いありません。見抜いて確認したから、だからこそ、私は修行をしようと思ったのです。

 

だから、あの者に強く叱って指導することは、全く意味がありません。

 

たとえ強く叱って指導しても、この阿弥陀仏の体の肉を食べていると思えないお粗末さを、良い方向に変えることは不可能なのです。だからあの者は、はるか昔から、六道輪廻の世界を迷い苦しみ続けているのです。

 

どうやっても変えることができないそのお粗末さ故に、迷い苦しみ続けているあの者の存在があるからこそ、私は、自ら進んで、望んで、あの者のために、修行することを決めたのです。

 

私は、あの者のために、修行をしたかったのです。そして実際に、積極的に、あの者のために、修行をしたのです。その結果、修行は成し遂げられたのです。

 

自分で自分の罪に責任を持つことができずに、ただ迷い苦しみ続けるしかできないあの者の存在が、私を修行に向かわせたのです。

 

今、あなたに、同じ事を何度も繰り返し言っているのは、「あの者の、あらゆるお粗末さは、変わらない」ということと、「だから、私は、あの者のために、修行をしたくなった。そして実際に、修行を成し遂げた」ということを強調したいからです。


〈以下 延々と続く・・・ 〉

 

 

◆◆◆◆◆

 

〈やり取り終わり〉