仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

除夜の鐘で煩悩が消える?

「汝自身を知れ」
これは、古代ギリシアデルフォイの神殿に書かれている、不朽の名言。

私たちの人生の目的は幸せになることですが、
自分自身のことを知っていなければ、幸せにはなれません。
自分自身を知らないために失敗している人は、たくさんいます。

仕事でも、会社側の評価と自分自身の評価には隔たりがあったりします。
結婚となると、相手のことをよく吟味するのに、
自分のことはほとんど省みないんですよね。

こんなエピソードがあります。
昔インドで30人の貴公子たちが宴会を開いていました。
泥酔して眠ってしまい、起きてみると、お金が全部なくなっている。
一人の娼婦が混ざっていたんです。

その女性を探しに行く途中で、お釈迦様にお会いしました。
するとお釈迦様は
「一人の女性を探すことよりも、自分自身を探すことの方が大事ですよ」と。
一同は、夢から覚めた心地がしたそうです。

仏教のことを、別の言葉で「自覚教」とも言います。
また「法鏡」とも言います。

法というのは真実ということ。
仏教は、真実の鏡で自分のすがたを映し出す教えなんです。

「餓鬼」という言葉、時々使いますよね。
子どものことを「ガキ」と言ったりもします。

これはもともと仏教の言葉です。
餓鬼界というのは、いつも飢えている世界。
食べ物や飲み物を口元に持っていくと、燃えてしまって食べられない。

どうして餓鬼界に堕ちるのかというと、
生きている時にの虜になっていた、そういう人が堕ちる世界です。

欲の本性は「我利我利亡者」
我が利益と書くように、自分のことしか考えていない。

私たちは誰でも欲があります。
とにかく自分の利益、儲けが大事。
そういうものばかりが先に立って、そのためなら人を蹴落としても構わない。
自分さえいい思いができればそれでいい。
これが餓鬼です。

仏教では、人間の欲望を「五欲」として教えられています。
1つ目は食欲で、食べたい飲みたい、
2つ目は財欲で、お金が欲しい、
3つ目は色欲で、異性を求める、
4つ目は名誉欲で、認められたい、褒められたい、
5つ目は睡眠欲で、 楽がしたい。

朝起きると、まだ寝ていたいという睡眠欲。
学校で、あまりにも悪い成績だとかっこ悪いから勉強する。
これは名誉欲。
会社に入って、お金を稼ぐのは財欲。
町中で素敵な人とすれ違って色欲が起き、
お昼になるとお腹がすく食欲。

私たちは、この五欲を満たすことに、一生懸命で
心が揺れ動いているんです。

子どもの頃、親は子どもに色んなものを与えてくれます。
赤ちゃんはお腹がすくと、ワーンと泣く。
お母さんはミルクをあげる。
赤ちゃんはしてもらって当たり前。
これが成長しても変わらないままでいるのを「餓鬼」と言います。

旦那」という言葉がありますが、もともとはサンスクリット語の「ダーナ
英語の「ドナー(臓器提供者)」と同じ語源で与える人のこと。

仏教では「布施」と言います。
本来は親切をすること、他の人を幸せにすること。
自分の持てるものを与えて、幸せにすること。

なぜこれを親切というのかというと、
親を切るほど辛いことだからです。

私たちの本性は我利我利なので、常に自分を中心に考えています。
だから、自分の身を切って持てるものを相手に与える、幸せになってもらう。
これは、親を切るほど辛く、なかなかできないことなんですね。

父親が妻や子どもを養う。
教育費は、平均で3,000万円と言われています。
凄い金額ですよね。
なかなかできないから、旦那と言われる。

ところが子どもの方は、してもらって当たり前。
自分は与えないけれど、もらって当然。
これだと餓鬼になってしまう。

大人になっても、餓鬼の状態から抜けきれない人がいます。
何もかもしてもらって当たり前。
大人になるということは、他の人の立場に立って、人に親切をするということ。
これで餓鬼を脱して、旦那になるんですね。

たとえば、挨拶をする。
せっかくだから笑顔で。
これを和顔悦色施と言います。
柔和な顔、笑顔で挨拶。

人生がつまらない、今日は嫌なことがあった。
そんな理由で、自分がつまらない顔をしていたら、相手はどう思うでしょうか。
これを考えるのが、相手の立場に立つということです。

誰かに挨拶をしてもらう、微笑んでもらう。
これは有り難い。

でも、他の人に笑顔を振りまくのは苦手。
微笑んでもらうばかりで、自分は笑わない。
これが餓鬼です。

自分の姿を知るといっても、何もしないで分かるものではありません。
親切をしたり、布施をしていくと、自分が餓鬼であることが分かってくる。
他の人の立場に立って、初めて分かるんですね。

昔、海運王と呼ばれたアリストテレス・オナシスという人がいました。
とにかくお金があって、名声もある。
欲を満たしたけれど、幸せにはなっていない。

黄金の絨毯を走っていると、向こうの方にトンネルの抜け口が見える。
やがて抜けられると思ったけれど、出口はどんどん向こうへ行ってしまう。
求めても求めても、幸せにはなれない。
お金がないと、不平不満。
あればあったで、もっと欲しくなる。

この欲を表す言葉に「渇愛の法則」というのがあります。
渇は渇く、愛は愛でる。
「愛着」という言葉がありますが、愛とは、物事に対する執着を表します。

あれが欲しいという、異常なまでの執着。
自分のお金も放したくない。
あれだけあれば、もういいだろうと思うけれど、
お金はあればあったで、もっと欲しくなるんですね。

「満たされなければ渇き、満たせば2倍の度を増して渇く」
これが、私たちの持っている欲の本性です。

現代病とも言われるペットボトル症候群というのがあります。
清涼飲料水には、もの凄い量の砂糖が入っています。
それを飲むと、余計に喉が渇くので、もっともっと飲みたくなる。
1リットル、2リットル、多い人は4リットルも。

若ければ、すぐに病気にはならないかもしれないけれど、
50代、60代とかになると糖尿病になることも。
それで、食事制限や失明など大変なことになります。

飲まなければ飲まないで渇き、飲んだら飲んだで2倍渇く。
2600年前、お釈迦様は「海水のたとえ」を教えられました。
喉が渇いた人が、どうしようもなくなって海水を飲む。
すると塩で喉が焼ける。
それでまた飲んでしまう。
また渇く、また飲む。
ペットボトル症候群と同じです。

ある昔話があります。
大きな国と隣り合った小さな国のエピソードです。

大きな国の王様が、小さな国の人に言いました。
「1日で歩いた分だけ、土地をあげよう」

喜んだある人は歩き始めました。
もっと欲しい、もっと欲しいと思って、だんだんスピードが速くなり、
最後には全力で走ります。

滑り込みセーフ。
ところが、土地が手に入ると思いきや、その人の心臓が破裂してしまいました。
土地だけ残って、この人は何も持っていけない。

「哀れなやつだ。こんなに大きな土地は要らなかったのに」
と王様は言ったそうです。
この人は自分の欲によって殺されたんですね。

アメリカの諺に、こうあります。
「立って半畳、寝て一畳」
そんなに大きな土地は要らないということです。

ある東大の教授の話。
自分のやっている研究が評価を受けるというのは、大変な苦しみだと言います。
「逆じゃないの?」と思いますよね?

これはなぜかというと、評価された時の、もっともっと上をいかなければならない。
「あの人は落ちぶれたね」と言われたくない。
見栄を張りたい。
一旦成果を収めて、全く注目されないのは辛い。
評価されればされるほど、またやらなければならないことに。

名誉や体裁を保つために自殺する人がいます。
今さら引き返せない。
結局、名誉欲に殺されているようなもの。

欲望というのは、満たしても満たしてもキリがない。
でも、私たちに与えられた命は有限です。
有限な命で、無限の欲を満たせるわけがないんですね。

有名な古典の一つ『歎異抄』の中に
「煩悩具足の凡夫」という言葉があります。

煩悩とは私たちを煩わせ悩ませるものです。
凡夫というのは、すべての人間のこと。
具足とは、塊ということです。

煩悩は108つあります。
除夜の鐘で、108回鐘を突きますよね。
その108つの煩悩の中の一つが「貪欲」という欲の心です。

私が幸せになるためには、私自身を知らなければならない。
でも、自分が欲を起こしているなんて、なかなか思えません。

煩悩を満たそうとばかりしていると、追いかけていた幸せが手に入らない。
ありのままに、自分自身のすがたを見つめる。
これが大事です。

でも、仏教はそこで終わりません。
煩悩あるがままで、その煩悩がそっくりそのまま喜びの種に転じ変わる。
これを無碍の一道とか、煩悩即菩提と言います。

まず、私たち人間のすがたはどんなものか、自分のすがたを知ること。
それが、本当の幸せへの第一歩です。

欲望の虜になって生きるのではなく、欲望の本性を知って
それを見つめていく。
そこに、本当の幸せへの道があるんですね。