仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

天上天下唯我独尊に込められた人生の意味

天上天下 唯我独尊
 三界皆苦 吾当安此」

これは、人生の目的は万人共通だということを断言されたお釈迦様のお言葉です。

普通、人生の目的というと、
「人それぞれでいいじゃない」
「みんな違って、みんないい」
と思いますよね。
そんな人生観を持っている人が多い。
相対主義というか、確固たる人生の目的がない。

でも、お釈迦さまは違います。
人生の目的は万人共通だと断言されています。

その根拠が「唯我独尊」の「独」。
ただ私たち人間だけに、たった一つの尊い目的があると。
「各尊」であれば、みんな違っていいということになりますが、
「唯我独尊」です。
こんなことを言う人は、この世の中にいません。

天上天下唯我独尊」は「誕生偈」と言われます。
お釈迦様がお生まれになった時に言われた詩。

生まれられたのはルンビニー園という花園です。
お母さんのマーヤー夫人が草の上に産み落とされた。
その時、お釈迦様は立ち上がって、東西南北に7歩ずつ歩かれ、
天と地を指さしてこれを言われたと伝えられています。

4月8日は、お釈迦様の誕生日で花祭りと呼ばれています。

生まれた時に、こんな難しいことを言われた。
子ども向けだなと思っていても、この漢字16字の意味を知れば、
後世の人がこのようなエピソードを残された理由がよく分かります。

実際の意味をよく知ることが大事なんです。

まず「7歩」ですが、 これは6プラス1で、六道から1歩出られる、という意味。
六道は苦しみ悩みの世界で、この世界を巡り巡っていることを
「六道輪廻」と言われます。
輪廻転生という言葉、聞いたことがある人もいるかもしれませんね。

苦しみの絶えない迷いの世界には6つあります。
1つ目が地獄界
2つ目が餓鬼界
3つ目が畜生界
4つ目が修羅界
5つ目が人間界、
6つ目は天上界です。

それぞれ「界」とありますが、世界といっても、仏教では色々な世界があります。
今日でも、「男の世界」「芸能界」「政界」とか言いますよね。
そのようなものです。

地獄界はアンドロメダ星雲にあるというのではなく、「業界」と言われ、
自分の、自分の行いが生み出した世界です。

阿頼耶識は一人一人の業をおさめて、世界を生み出します。
口の業や身体の業、心の業が阿頼耶識に蓄えられ、
それが縁によって、日々受ける運命を生み出している。
自分の行いが生み出した世界ということで「業界」と言います。 

一人一人の行いが生み出す世界で、過去にやってきたことは皆違うので
同じ運命を受けることはありません。
一人一人変わるのは当然です。

落語にこんな話があります。
伊豆の大島と飛騨の高山の人が、一生に一度の江戸見物をした。
当時は新幹線なんてないから、そう何度も見に行けなかった。

宿泊先が同じで、話をしていると喧嘩になった。
その内容は「太陽はどこから昇って、どこに沈むか」について。

伊豆の人は「海から昇って海に沈む」
飛騨の人は「山から昇って山に沈む」
それぞれ、自分が見てきた真実。
明らかに見てきたことなので、
「オレだけじゃない、父ちゃんも爺ちゃんも見たんだ!」

そこで宿屋の主人が出てきて言った。
「あんた達、無知だね。太陽は屋根から昇って屋根に沈むんだ」

そんなこと、人工衛星から見なければ分からない。
環境が違うから、同じものを見ても同じように受け取れないんですね。

同じ場所にいる人でも、違う世界に住んでいると言えます。

同じ部屋を見て、「汚い」と思う人もいれば、
「きれい」と思う人もいます。
今まで自分の部屋をどれだけ掃除したかで違ってくるわけです。

アメリカ人は大きな家に住むので、
日本の住宅を「兎小屋」と思うそうです。
私たちは、アメリカ人の家を見て
「こんなに広ければ落ち着かないだろ」と思う。

「空は青い」というけれど、自分が見ている青と、人が見ている青は、
本当は違うんじゃないか。
お互い「青」という言葉だけは知っているけれど、
実際は違うものを見ているのかもしれません。

人間関係も、思い込みで全然違う、ということがあります。
厳密に言うと、一人一人全然違う。

トンボの複眼で見た世界は、人間が見た世界と全然違います。
では、人間は同じものを見ているのかというと、心が違うんですね。
これを「業界」と言います。

一人一人、業界が違う。
「これ大好き」「これ大嫌い」と、大きく違うのは、
住んでいる世界が違うからです。

ですが、境遇が似たような人もいます。
たとえば、日本人としての境遇、教育、環境、業が、アメリカ人より似ている。
だから分かり合えることがある。
梅干しを食べられるとか。
アメリカ人は食べないので、梅干しを見ると唾が出るのは日本人だけ。

そういう意味で、過去の行いが似ているから、世界を共有する点が多い。
これをカテゴリーでまとめたものが、六道なんです。

この六道は、苦しみの激しい順番から苦しみの少ない順番に書かれています。

一番苦しみが激しいのが地獄界。
地獄というと、地面の下を掘ったら監獄がある、
という幼稚なものではありません。
自分の怒りの心などのによって生み出した世界です。

インドの言葉で「ナラカ」と言いますが、「奈落の底」とか、日本語になっていますね。
直訳すると「苦界」で、苦しみの最も激しい世界です。

麻薬中毒アルコール中毒の人は、虫が這う幻覚で苦しむそうです。
人形が歩くとか、そういうものが見えるらしい。
そんな幻覚症状で苦しむんですね。
幻聴もあって、「おまえなんか、いない方がいい」
誰も言ってないのに、そう聞こえるんだとか。

治った人に聞くと、「本当としか思えなかった」と言います。
地獄というのも、それと同じです。

2番目は餓鬼界。
平安時代の絵巻で「地獄絵図」とか「餓鬼絵図」というのがありますよね。
体中痩せ細って、お腹だけプクッとなっている。

飢えた鬼の世界。
」というのは、慈しみに遠いということ。
角が生えた赤鬼、青鬼、黒鬼を豆で退治する、というのは幼稚な仏教です。

飢えた鬼ということで、自分のことしか考えられない。
これはの世界です。
さっきの地獄は怒りの世界。

餓鬼界には2種類の餓鬼がいます。
「無財餓鬼」と「有財餓鬼」。

お金がなくて飢えて苦しんでいる餓鬼と、
お金があって、それでも自分のことしか考えられない餓鬼。
まるまると太った餓鬼もいます。

お金がない人は借金で首が回らない。
「強盗でもしようか」と、借金返済のためにそういうことをしてしまう。

有財餓鬼は、お金があっても、もっと欲しくなる人。
名誉がある人でも、もっと欲しい。

プロ野球選手に「君のミート、うまいね」と言っても喜ばない。
「日本一」と言われてもそう。
「さすがに200本安打は無理か」とか言われると
「じゃあ、メジャーへ行く」となる。
ヒット1本に高揚感を感じない。

大リーグでヒットを打ったら何か感じるんじゃないか。
でも、また首位打者を続けると、同じになる。

ある人は、美人だったら内面を誉めて欲しい。
お金があったら、もっと欲しい。
これが有財餓鬼です。

3番目の畜生界は、動物の世界。
仏教の根幹、因果の道理が分からない、先の先まで考えられない。
色んな運命が起きた時、反省できない世界。
そういう愚痴の世界です。

4番目の修羅界は、争いの絶えない世界。
「修羅場」という言葉がありますが、喧嘩ばかりしている
そういう世界です。

5番目の人間界は、苦しみと楽しみが相半ばする世界で、
私たちの住んでいる世界です。

6番目の天上界は、「天女の羽衣」という昔話に出てくるような天女が、
琵琶を弾いたりして、楽しい世界。
毎日パーティーの世界で、楽しみの多い世界です。

私たちは人間界にいながらも、地獄界から天上界まで行き来しています。

受験生は戦々恐々としていて、心が忙しいので、人生の目的なんて聞けません。

天上界は、この世の春。
結婚したばかりの新婚とか、合格したばかりの受験生。

そういう色んな世界を行き来している。
自分の姿をよく見ていけば分かります。

この六道の6つの世界は、どれも苦しみ迷いの世界です。
地獄界は苦しみが絶えない苦しい世界ですが、
天上界もいつかは崩れる幸せなので、苦しみがないわけではありません。

これらの世界を、生まれては死んでを繰り返し、
何のために生まれてきたかも分からず、
生まれて苦しむのを延々と繰り返している。
これが輪廻の世界です。

車の輪が回るように、いつまでも回っている。
私たちの苦しみの世界。

平安時代源信僧都という方が言われています。

「まず三悪道を離れて、人間に生まれたことを
 喜ばなければならない」と。

人間に生まれたことを呪い、
「こんなことなら生まれてこなければよかった」という人がありますが、
まず人間に生まれたことを喜ばなければならない。

こういう発想は大事です。
アフリカとかでは、生きたくても生きられない人もいます。

仕事ばかりで勉強ばかりで「何のために生きているんだ」という人に対して、
「3度の食事が食べられるんだから」
「学費を出してもらえているんだから」と。

東南アジアを見て人間観が変わった、という人は多いです。
生きる意欲が湧いたとか。
こういうことは大事ですね。

地獄、餓鬼、畜生の三悪道に比べたら、
人間に生まれたことを喜びなさいよ、ということです。

でも、それは相対的な理由で、絶対的な理由は
天上天下唯我独尊」にあります。

六道の中で、どこに行きたいですか?
普通は天上界だと思いますよね。

でも、お釈迦様は「人間に生まれたことが一番いい」と言われた。
なぜかというと、人間に生まれた時しか仏教を聞けないからです。

この輪廻を抜け出して、永遠に変わらない幸せの世界、
真如の世界に出ること。
これを「六道出離」とか「解脱」と言います。

その迷いの世界から抜け出すことができるのが、仏教です。

仏教を聞けない8つのさわりのことを「八難」と言います。

  1. 在地獄の難(地獄界にいると苦しくて聞けない)
  2. 在餓鬼の難(餓鬼界にいると苦しくて聞けない)
  3. 在畜生の難(畜生界にいると苦しくて聞けない)
  4. 在長寿天の難(天上界で楽しみが多くて聞けない)
  5. 在辺地の難(天上界で楽しみが多くて聞けない)
  6. 聾盲瘖瘂の難(身体に障害があると聞きづらい)
  7. 智弁聡の難(知識や地位に驕って聞けない)
  8. 仏前仏後の難(の前後に生まれると聞けない)

苦しみが激しすぎて仏法を聞けない。
心が地獄の時は聞けない。
借金地獄とか、恋愛で苦しんでいる時とか、
その時は静かに仏法を聞けない。
肉体的苦痛でのたうち回る時も。

末期がんになったら、
「いよいよ死ぬ時に聞けるんじゃないか。
 背水の陣になった時、初めて聞けるんじゃないか」
と思う人があります。

でも、まず肉体的苦痛で疲れて、とても静かに仏法を聞けません。
30分も静かに聞こうとならずに、それより早く休みたいとなる。

餓鬼界もそう。
「うまいことやれば、1日で何千万も儲かる。
 もっと儲けなければ」という気持ちで、仏法を聞けない。

畜生界は、因果の道理が分からない、先が見れない人、
刹那的な人は仏法を聞けません。

修羅界は、争いの絶えない世界。
受験時代とかは聞けないし、出世競争に一生懸命になっている時は
とても仏法を聞けない。

そして天上界は、楽しみが多くて仏教を聞けないんですね。
「この人と結婚できて本当に幸せ」という新婚の人たちに、
諸行無常」と言っても響かない。

そう考えると、あまり幸せでもなく、苦しみもなかった時、
何かの間違いか聞けた。
人間界の中の人間界でないと聞けないということです。

ふと人生を真面目に考える、ターニングポイント。
その時だから聞けたということもあります。
人間界の中で人間らしい心の時に聞ける。

身体に障害がある人は、仏法を聞くこと、聴聞が難しいと思います。
政治などで、こういう人たちが仏法を聞けるようにしてもらいたいです。

智弁聡の難は、東大生とか、京大生とか、教授とか。
仏教は「心の頭を垂れて聞け」と言われますが、
一端の知識を持っている人はなかなか聞けません。
他にも、政治家とか、人に頭を下げさせるのが当たり前と思っている人は聞けない。

学生の中にもいて、徳や実績はないけれど、うぬぼれだけは一人前という人。
そういう人はすぐに反発したり、相手の意見に耳を傾けないので聞けません。 

仏前仏後の難ということで、お釈迦様が生まれる前に生を受けた人、
2600年前より前に生まれた人。
たくさんいるけれど、人生の目的を求めても、仏法は聞けない。

そして、お釈迦様の教えがなくなった時も聞けない。

仏教を正しく教える先生、善知識が現れた時には、
爆発的に仏法を聞く人が増えます。
ですが、その方が亡くなられると、真実を聞く人はいなくなる。
ちょうど波が引くように、人がいなくなるんですね。

だから、今、仏教の教えを聞くことができる人は幸せです。
真実の仏法を話される善知識から仏法を聞ける人は幸せ。

芥川龍之介ハイデガーも、人生の目的を考えているという点では
痛々しいほど真面目でした。
でも、教える人がいなかったから、分からなかった。
そういう人もいる中で聞けているというのは素晴らしいことです。

人間に生まれたのは何のためでしょうか。
お金を得るためかというと、死んでいく時にお金は持っていけません。
褒められるためでもない。

人間に生まれたのは、六道から抜け出すため。
人間に生まれてこそ、人間にしかできない、
たった一つの尊い目的を果たすことができる。
これが「天上天下唯我独尊」です。

人間の世界を、本当に変わらない安心満足の世界にするために生まれてきた。
仏教とは何が教えられたのかが分かれば、この誕生偈のエピソードも納得できます。

私たちは今、仏法を聞けるチャンスに恵まれています。
輪廻している私たちの心の中で、仏法を聞けるという焦点が合ったようなもの。

「なぜ生きるのか知りたい」という心が芽生えた。
そのチャンスに恵まれた。

せっかく人間界に身を置いても、他のところに行っては意味がありません。
このチャンスをものにしなさい。
それが仏教なんです。

人間に生まれて本当によかった、仏法を聞けて本当によかった。
もしこの人生で本当の幸せになれなかったら、
何のための人生だったのかと。

それが、お釈迦様が「人身受け難し」、
人間に生まれることは難しいとおっしゃった意味なんです。