
はっきり言うが、吉兆というのは、天から与えられるものではない。
しかし、あえて環天頂アークの出現に、いよいよ始まった丙午をかけるなら、こんな言葉が浮かぶ。
これは人間にとって、かなり扱いづらい状況だ、とわたしは思う。
なぜなら人間は、悪い状況でも「ずっと続いている状態」を、安定しているとか守られているかなどと無意識に「良い」と取り替えてしまうからだ。
政治でも、制度でも、研究でも、人間関係でも、社会のルールでも。
「丙午の女は怖い」と俗信で言われたのは、丙午の女性が、惰性で続いている習慣や状態を破壊するフィギュアだからなのだ。
どうです、納得の恐ろしさでしょう(笑)?
丙午は良い結果をもたらすのではなく、偽の前提を燃やす。
しかも躊躇なく。
丙午をポジティヴに生きるとは、善悪や意味を教えてくれたり、報酬を与えてくれたり、裁いてくれたりする、答え合わせや審判者のない世界で、それでも人間は正しい選択ができるか、ということにつきる。
目的や報酬があるとは思わず、守られると思わず、正当化を求めず、意味を問わず、それでもあなたは引き受けるのか。
なかなか凛々しい生き方ではないか。
この条件を引き受けた人にとってのみ、丙午は祝福になる。

どんどん大きくなり、やがて消えた...










