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環天頂アーク@比叡山

 

 
謹んで新年のご挨拶を申し上げます 2026年
 
 
滋賀県、比叡山のふもと、穴太衆積(あのうしゅうずみ)の石垣に囲まれた律院で、社務所の男性が声をかけてくれた。
 
「ちょっとこちらへ出てらっしゃいませんか、すごく珍しいものが空に見えていますから」と。
 
わたしはトンビかなにかが弧を描いているのかなあ! と、外へ飛び出してみたら...
 
環天頂アークが出現していた。
青空に、虹を逆さにしたような弧が。
 
「これは...昔から『吉兆』と呼ばれる現象ですか?」
「すごい吉兆ですよ。ここでも見えるのはとても珍しい」
 
ということで、みなさまにも2026年の冒頭にお裾分けを。
「行動を起こすきっかけになる『吉兆』」だそう。わたしは全然知らなかった。
 

はっきり言うが、吉兆というのは、天から与えられるものではない。

人間が人間のあいだで、そう呼んでいるだけの言葉だ。
 
環天頂アークは、幸運の予告ではない。
太陽の位置、氷晶の形、観測者の角度、すべてが揃ったときにだけ現れる、きわめて物理的な現象である。
しかし、あえて環天頂アークの出現に、いよいよ始まった丙午をかけるなら、こんな言葉が浮かぶ。

「この世で起こることは、神頼みや報酬頼みにせず、人間が引き受ける。」
 
この後に聞いたことだが、丙午のポジティヴさは、「良い結果が出る」というよりも、「偽の前提を暴く」ことにあるという。

これは人間にとって、かなり扱いづらい状況だ、とわたしは思う。


なぜなら人間は、悪い状況でも「ずっと続いている状態」を、安定しているとか守られているかなどと無意識に「良い」と取り替えてしまうからだ。

政治でも、制度でも、研究でも、人間関係でも、社会のルールでも。

「丙午の女は怖い」と俗信で言われたのは、丙午の女性が、惰性で続いている習慣や状態を破壊するフィギュアだからなのだ。

どうです、納得の恐ろしさでしょう(笑)?

 

丙午は良い結果をもたらすのではなく、偽の前提を燃やす。
しかも躊躇なく。

丙午をポジティヴに生きるとは、善悪や意味を教えてくれたり、報酬を与えてくれたり、裁いてくれたりする、答え合わせや審判者のない世界で、それでも人間は正しい選択ができるか、ということにつきる。

目的や報酬があるとは思わず、守られると思わず、正当化を求めず、意味を問わず、それでもあなたは引き受けるのか。

 

なかなか凛々しい生き方ではないか。

 

この条件を引き受けた人にとってのみ、丙午は祝福になる。

 

最強の丙午の一年になりますように! 
 

 

どんどん大きくなり、やがて消えた...

 

天平の甍 奈良

 

 

あおによし...


奈良の春日大社や東大寺は、完成された奈良観光の記号になって久しい。

関西人のわたしは当然何度も参拝したことがあるし、夫や娘も、日本へ来るたびに訪れている。それだけ魅力があるということだが。

 

 

一方、大阪難波から近鉄の観光列車に乗って、奈良駅の手前で降りると、唐招提寺と薬師寺。

人が多い・少ないという問題以外に、時空の密度が全く違う場所だ。

 


観光客の少なさ、空間の大きさ、色の鮮やかさ、端正な設計は、8世紀にタイムトリップしたのかという感覚をもたらす。

自分が薬師寺の吉祥天女像のような衣をまとって歩いているような気さえする。

 

 

奈良時代は、今から見ると当然「古代」だが、当事はむしろ最先端だった


仏教は輸入されたばかりの巨大な知的装置で、建築も制度も思想も、「これから世界をどう設計するか」という意志に満ちていたといえよう。

 

 

薬師寺の伽藍配置の明晰さ、唐招提寺の金堂の緊張感。

どちらも最先端の知を取り入れつつ、「この世界をどう整えるか」という合理的な希望を前面に出している。

 


だからだろうか、ものすごい華やかさを感じる。


朱の鮮やかさ、黒のつや、巨大な仏像の放つ黄金の光。

救済への憧れだけではなく(千手観音の手が、もともと1000あった、というのは、いたく感銘を受けた)、

「世界はもっと良くできる」
「秩序は人の手で立ち上げられる」

という、無垢で知的な確信が、建築と都市計画の骨格そのものに残っていると感じる。

輝かしい未来がある! 

鑑真が夢見たのも、それそのものだったのだろう。

 


人は完成された物語に群がり、未完の思考からは自然と距離を取りがちだ。


春日大社も、東大寺ももちろん雄大で美しいが、観光客が多いのはそこが完成された物語に満ちているからだ。


わたしが唐招提寺と薬師寺で感じたのは懐かしさではなく、超ポジティブな前向きさだった。まるで80年代に自分が感じていたような。


唐招提寺と薬師寺は、今もなお、秩序を与え、平安をもたらし、民が住みやすいよりよい世界にする! という理想を語っているように思う。

奈良時代、すごい!

 

 

神戸はお茶時間

 

 

神戸は19世紀末に外国に向かって開かれたため、昔からコーヒーや紅茶を飲み、バタートーストを食べ、フランスパンを買い、美しいケーキを愛でる気風がある...


というのは、明治生まれのハイカラ、コーヒー好きの祖母や大叔母がよく言っていたことだ。

わたしもここにも何回も書いている(笑)。

彼女たちはフランスパンが好きで、ドンクのおしゃれな紙袋が、いつも食卓にのっていた。

 

 

わたしが子供の頃は、神戸洋菓子黎明期から続く店として、ドンク(1905年創業!街角でフランスパンが買えた!)、ゴンチャロフ、モロゾフ、フロインドリーブが健在で、街の洋菓子文化を支えていた。

そう、日曜日に一家でおしゃれしていく店だった。

一方、80年代にかけて、第二波ともいえるフーケ、モーツアルト、アンテノール、アンリ・シャルパンティエ、ケーニヒスクローネ、コム・シノワなどの個性派が存在感を増していった。

その後、これらの一部は工場での大量生産へと移行し、また一部は姿を消した(<わたしはこれは、バブル期に洋菓子店までもが土地投機に巻き込まれたことが一因ではないかと睨んでいる)。

 

そして今は、ソーシャルやケーキスタンド、モンプリュなど...

そういえば、フロインドリーブや、喫茶部門はないが、シュークリームの老舗エスト・ローヤルは今もがんばっているなあ。

 

 

甘いものはそれほど量を食べられないが(好きだけれど)、コーヒーブレイクはしょっちゅう取りたい方。

エヴィアン(<夫が大ファン)や、深夜のコーヒーで二階のフランク、にしむら珈琲などに、毎日何度も顔を出す、日本一時帰国である。

 

神戸文化よ、永遠に。