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クリスマス・メッセージ:塵のようだが、ゼロではない

Merry Christmas !!

  • 感情への関心について

当サイトを以前からご覧いただいている読者の方はお気づきだろうが、わたしは『感情』というテーマに、しばしば触れるようになってきた。その最初はおそらく2011年の「知識労働、肉体労働、そして『感情労働』」かもしれないが、2017年頃から少しずつ増えている、そうなった特段のきっかけがある訳ではないが、感情というものが人間を動かす大きな原動力となっていると気づいた、それが理由である(なお、ここでは感情を「感覚的・情緒的なもの」という広い意味で使っている)。

言うまでもなく、当サイトのテーマは「計画とマネジメントの技術ノート」だ。技術と感情ほど、縁遠いものはない。技術は科学を基礎とした理知的な方法論で、かつ非属人的な移転可能なものである。感情の割り込む余地はない、はずだ。なのになぜ、感情を重要なファクターとして考えるようになったかというと、マネジメントが「人を動かす仕事」だからだ。

自分で手を動かして、設計したりモノを作ったりする仕事は、もちろんとても重要で、それがなければ世の中は回らない。しかしマネジメントとは、自分で手を動かすことではなく、人に働いてもらうこと、少なくとも人と一緒に動くことである。そして、人と人との間には、必ずヒューマン・ファクターが働く。その大きな要因が、感情面だ。

マネジメントにはテクノロジーがある、と長年わたしは主張してきた。人やモノをコントロールする業務プロセスを、誰もが一定のレベルで遂行できるようにする技術が、世には存在するのだ、と。それはたとえば、プロジェクト・マネジメント分野におけるPERT/CPM・EVMSだとか、生産マネジメント分野のスケジューリング・在庫理論などだ。これらの技術や理屈の中には、『感情』はもちろん登場しない。


  • 「(株)マネジメント・テクノロジー社」設立

ちなみに余談になるが、わたしは最近、自分自身のための会社を作った。名前を「株式会社マネジメント・テクノロジー」という。従来から研修・セミナーや、コンサルティングなどの仕事を、中小企業診断士として受けてきた。ただインボイス制度の影響や、大企業の顧客だと個人相手の契約が難しいなどの問題があり、勤務先の承認を得た上で、いわば副業用にヴィークルを作った訳である。

この「マネジメント・テクノロジー」という言葉は、数年前に惜しくも亡くなった勤務先の同僚、故・秋山聡氏が使い始めた用語だった。彼はこれをマネテクと略して、「まねてくニュース」というMLを社内で発信し続けた。なので会社名を登録するときに、故人の霊前に頭を下げ手を合わせ、無言の許可を得てから、登記した次第だ。

そんなことをしなくても別段、法律上の問題は無い。ただ、それでは自分の感情面が落ち着かないのだ。なんだか、申し訳ない気がする。だから、そういう挨拶ないし儀式が必要だった。つまり感情というのは、人間の間の敬意に、結びついている

人と人との関係には、ほぼ必ず、感情が絡みつく。上下関係にも、勝ち負けにも、貸し借りにも、そして好き嫌いにも、すぐ顔を出す。だとしたら、人が人を動かすマネジメントの仕事に、感情が無関係でいるはずがない。加えて、モチベーションとかウェルビーイングといった人財・組織開発系のキーワードも、やはり感情的価値に関係している。

ところが、(正直に告白するが)わたしは他者の感情に対する感受性が、著しく低い。そればかりか、自分自身の感情に対するセンシングも、うまくない。それでは、他者とよい協力関係で動けるはずがない。自分の感情に感度が低いので、いつの間にかメンタルに感情的負荷が高まっていても、その弊害に気づきにくい。これは心身的にもストレスだし、思考にも良い影響を及ぼさない。だから、感情というものに、ちゃんと向き合う必要を感じ始めた、ということだ。


  • 感情の底にあるもの

しかしちょっと勉強しはじめて、不思議な気持ちになった(この「不思議」も感情ですね)。心理学・精神医学・脳科学など、さまざまな学問が感情に取り組んでいる。文学・芸術や哲学も、ずっと主題にしてきた。にもかかわらず、感情という現象は、とても未整理なのだった。よく「喜怒哀楽」というが、このリストアップは文化圏によっても異なる。人間の基本的感情はいくつに分類できるのか、それさえ不明である。

感情にはポジティブとネガティブがあり、強さ弱さの強度があるから、4象限で付置できる、という理論もきいた。でも感情には時間的な波や、遷移もある。そうした動力学はどう扱うのか。そして、現象論は分かったとして、自分はどう感情に向き合い、付き合い、育てたら良いのか。なんだか五里霧中である。

ただ、考えているうちに、感情とは制御システムで言うSV(Set Value = 目標値)とPV(Process Value = 現在値)の差異をあらわす状態信号なのではないか、と思うようになった。われわれ動物は、環境に対して、ある種の期待=目標値を持っている。たとえば体内環境の一つ、体温は36.5℃前後といった風に。そして体温の現在値が目標値からずれると暑いとか寒いという感覚を感じ、フィードバック的対応をとる(ホメオスタシスの制御系)。同様に、心理的な欲求に対して現状をくらべ、快適だとか不快だとか(つまりポジティブとかネガティブの)感情を抱くのではないか。

たとえば承認欲求が満たされれば、自尊感情を感じる。安全欲求が脅かされれば、不安や恐怖を感じる。帰属欲求や所有欲求の対象が失われれば、悲しみを感じるといった風に、である。そして制御システムのように、SVとPVの差異は、それを修正しようとするMVを導き出す。つまり人の行動を促す。そう考えると、人間の多くの行動の下には感情があり、さらにその底には、さまざまな欲求が隠されている。


  • 怒りに希望はない

この事実に気がつくと、自分や他者の思考・行動が、いかに欲求と感情にドライブされているかが次第に見えてきた。見かけ上は、知性や経済合理性に基づいて考えたり発言しているようだが、実はその下に、自分をこう位置づけたい、他者をこうしたい、といった欲求がひそんでいる。わたしの敬愛する英語教育家・中津燎子氏は著書『なんで英語やるの?』の中で、人間の行動の8割以上は感情的な動因にうごかされている、という意味のことを書いていたと記憶するが、この方の洞察力にはいつも感心する。

感情の中でも一番大切なのは、『希望』かもしれない。わたし達は希望に導かれ、つまづきがちな自分の人生を何とか歩んでいく。しかし昨今の社会を見ると、合理性や正義・公正にもとづいて将来像を語る言説の裏に、じつはしばしば、怒りの感情が貼り付いた言い方が、リアルでもネットでもあふれている。怒りの底には、さらに他者への支配欲求とか、自己への承認欲求などが渦巻く。そしてネットのアルゴリズムが、人びとの同調性をさらに加速する。そんな乱流状態を、わたし達は今、体験しているのではないか。

見かけ上どれほど正しい主張でも、怒りの感情に駆られている限り、そこには希望はない。なぜなら、怒りとは、他者を打ち破ろうとする欲求と一体だからだ。支配欲求は、次には負かされた側の攻撃欲求を引き起こす。だから、これは対立を生み続ける心理ゲームである。

「剣をおさめよ。剣を取る者は剣で滅びる。」——夜の暗闇で捕縛されようとしたとき、その人は弟子にこう言った。エルサレム郊外でのことだ。今から2千年前、当時の帝国支配下の植民地状態の小国で、宗教改革者として現れた彼は、指導者層の欺瞞を批判し、命を狙われるようになる。追っ手が彼に手をかけたとき、弟子の一人は剣を取って相手に斬りかかるが、彼はそれを制止する。また、こんな風にも言った:「あなた方はまるで強盗に向かうかのように武装して、夜、捕らえに来たのか。毎日わたしは神殿の境内に座って、教えていたのに。」

怒りと支配欲求で動く者は、結局、怒りと支配欲求で滅びる。なぜなら、欲求に自分を乗っ取られると、後先を考えられなくなるからだ。強い感情は、「我を忘れる」作用がある。だから滅びたくなければ、「我にかえる」必要がある。我にかえって、少しだけ平静さを取り戻し、自分の有限さを思い出すべきである。

当時の夜は、今と違って、空に多くの星が見えただろう。星空を見ると、自分の小ささが分かる。古代人がある種、現代人より謙虚に見えるのは、そのためかもしれない。彼が亡くなって以来、2千年が経ったが、まだ人類は剣に滅びる愚かさを、抜け出ていないようにも感じる。だがこの人の活動は、意味がなかった訳ではない。

宇宙150億年の歴史に比べれば、わたし達は塵のような存在だ。だが、ゼロではない。この世を少しでも良くするために、せめて少しでも平和にするために、この冬至の短い季節に、何を語り何を祈るべきか、心静かに考えよう。


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by Tomoichi_Sato | 2025-12-20 23:48 | E6 メンタルと働き方のマネジメント | Comments(0)
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