エレベーターに乗っていたら、急に声をかけられた。「今、あの本を読んでます。とっても面白いです。本にしていただいて、ありがたいですよ」。勤務先でのことで、他部署の人だった。あの本、とはもちろん、新著「攻めの工場づくり」のことに違いない。本の中身は100%わたしのオリジナルではなく、会社の多くの同僚との共著だ。それでもまとめた人間としては、単純にうれしい。たとえ職場で、先輩格のわたしへのご挨拶半分だとしても、だ。 でも、なぜ彼は「まとめてくれて、ありがたい」とまで言ったのか? それは、この本に書いた工場エンジニアリングに関するほとんどの事柄が、社内の暗黙知か、さもなければ部内知識だったからだろう。部内知識とは、その部の書庫かデータベースのどこかには書かれているが、他の部門の人間には検索もできないし、アクセスもしにくいという意味である。 エンジニアリング会社というのは、技術の総合デパートみたいな存在だ。今どきのデパートなら、在庫マスタはどの売り場からでも参照できるだろう。だが社内の知識在庫を参照できる知識在庫マスタは、今のところない(知識在庫の半分以上は、たぶん個人の脳の中にあるし)。そもそも知識って、SQLで値を参照するようには取り出せない。RAGはどうかって? 設計技術は正確性が大事なので、生成AIの中途半端なハルシネーション回答では迷惑だ(そのうち推測確度74%とか、表示されるようになるのだろうか?)。 ともあれ職場では、部門間のインタフェースが一応、Functional WBSを基準にして、業務標準で決まっている。インプットとアウトプットは明確だ。だから他部門の知識の中身まで知らなくても、普通の仕事は回る。それでも部門横断的な知識を総合化した本がありがたいのは、なぜだろうか。単純な知識欲? それも少しはあるかもしれないが、もう少し別の理由があろう。一般に、三つくらいの動機が、考えられる。
第一の動機は、プロジェクト・マネジメントのためだろう。エンジ会社のプロマネ職は、設計部門のシニアや、販売部門のやり手営業マンの仕事ではなく、独立した専門的職種である。そして独立したキャリアパスがある。とはいえ工場づくりやプラントづくりは、設計→資機材の調達→建設管理、という順番がある。とくに設計には時間と工数がかかり、その品質と出来映えが資機材や工事に直結する。 だから良いプロマネを目指したければ、設計を理解し、その計画立案と予算化ができるようになる必要がある。とくにプロジェクトを構成する様々なアクティビティについて、その時間軸上の前後関係や矛盾を理解し、ボトルネック工程を見極められるかどうかが、大事だ。 たとえば建屋や屋外プラントなどの構築物は、ふつう上物から設計して、それから土台・基礎の設計へと進む。ところが工事は基礎から始めて下から上にしか、進めない。だから、基礎コンクリートの設計・施工がボトルネック工程になりやすい。こうした事を理解するためには、機械・配管・建築・土木など様々な設計について、広く薄く知っておく必要がある。 そして、プロジェクト途上の問題解決をファシリテーションするのも、プロマネの大事な仕事だ。プロマネは全分野の専門家ではないから、すべて自分で問題解決はできない。各専門担当者をつなげて、問題解決をファシリテーションしなければならない。それには、問題事象とその文脈や影響範囲について、広い知識と見通しがいる。
もう一つの動機は、経営企画の仕事のためだ。わたし自身、もう10年以上も経営企画畑で働いてきたので知っているが、この種の仕事は(会社によってバラエティはあれども)自社内の仕事について、広く薄い知識を必要とする。 日本企業の経営企画部門の大きな仕事は、中期経営計画の策定とモニタリングである。すなわち企業経営視点から見た、大きな課題・ニーズの把握と、リソース体制を見通す事、そしてそれを数字に落とし込むのが仕事である。だからどの部署でどんな仕事を何人がかりでやっているのか、理解しなければならない。 もう一つ重要な仕事が、投資判断のサポートである(判断自体は経営層の仕事だが、経営企画部門は事務局的な準備と調整作業を担う)。投資にはいろいろな種類がある。産拠点や営業拠点の新設、設備投資、IT投資、研究開発投資、技術提携からM&Aまで。それら各種案件が生み出すビジネス価値と、必要なコスト・時間が評価できることが大切だ。 企業内のには常に複数の投資案件の候補が動いているから、優先順位を決める必要がある。また進行中の案件リスクを見極め、必要なら中止させることもある。こうした仕事を進めるには、ファイナンスの尺度さえ知っていれば良い訳ではない。社内業務について、広く浅い、しかし構造化された知識が必要なのだ。
だがPMも経営企画も、エレベーターで声を掛けてくれた人のケースには当てはまらないかもしれない。むしろ単純に、良い設計を実現するために、他の部門の知識を知りたいという事だった可能性が高い。だが、なぜ設計に、他の部門の知識が有用なのか。オーケストラでヴァイオリン奏者が、隣のヴィオラ奏者の楽譜をのぞき込むだろうか? 空軍のパイロットが、駆逐艦の操舵を知りたいと思うだろうか? 実はそこが、設計と他の仕事との違いなのだ。設計技術者は、器楽奏者というより作曲家の立場だ。作曲家は、すべての楽器は演奏できないだろうが、楽器と奏法の基本的な特性は知らなければ、オーケストラ曲はかけない。作戦の立案者は、輸送機や駆逐艦の能力や限界について、基本を知らなければ仕事ができない。つまり、実装の基本的なやり方を知らずに、良い設計はできないということだ。 また逆に、実装しやすい設計を目指すことの意義も大きい。もちろん設計の良さには複数の尺度があり、作りやすさだけで良し悪しが決まる訳ではない。それでも工場で加工しやすく組立てやすい製品を設計すれば、コスト・品質・納期では有利である。普通は、設計→製造という風に情報は流れる。しかし設計←製造というフィードバック情報があり、双方向につながることで、より良いものを作る可能性が高まる。 これがアメリカの企業だったら、良い仕事には他分野の知識など邪魔だ、と思われるだろう。専門化と分業化の追求が是とされる文化だからだ。英米企業との仕事の経験からいうと、彼らの情報の流れは完全にウォーターフォール型であり、設計は調達や実装はお構いなし、作りやすいかどうかは関係なく、出図さえすれば問答無用で設計完了となる。日本企業は、程度の差はあれど、もう少し「下流側に優しい」。下流に優しいとは、設計技術者一人ひとりが、実装の苦労を少しは気遣いながら、仕事をするという意味だ。 もっとも、英米企業はその代わり、マネジメントの計画力が高い。個人の優しさではなく、トップダウンの仕組みで実装側の効率性を確保していく(たとえば手待ちを減らす、など)。
やや話がそれたので戻すが、設計と実装では分担の区切りが異なる。設計は機械・電気・制御・・みたいに機能別・工学別なのに、製造は加工・組立・検査みたいな作業種・工程別になる。だから実装を知ってちゃんと理解しようとすると、結局、隣接する設計領域のことも、少しは知らなくてはならなくなる。かくして、良き設計者は、広く薄い知識を得たいという気持ちを持つようになるのだ。 設計とは、Whatを決める仕事だ。それを実装するのは、Howに関わる仕事である。そして情報の双方向のつながりは、組織の統合(もっと言えば「スマートさ」)の尺度である。わたしが危惧するのは、仕事のサイロ化が進んでいる多くの日本企業で、WhatとHowがバラバラになっていく現象だ。 幸いにも拙著「攻めの工場づくり」は、出版直後にAmazonの「コンサルティング」ジャンルでランキング上位にはいった。工場に関する広く薄い知識を提供する本書が、多少なりとも好評を得ている事は、サイロを再統合したいというニーズの表れかもしれない。多少なりとも、この本がお役に立てるなら望外の喜びである。 (なお、紙のペーパーバック版は、順調にいけば12月10日頃から販売開始できる予定です) <関連エントリ> 「新著『攻めの工場づくり』出版のお知らせ」 (2025/11/17)
by Tomoichi_Sato
| 2025-12-04 17:54
| E2 設計のマネジメント
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