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考える技法——人間は言葉で考えるか

単身で海外に出て1〜2週間たち、日本語をほとんど使わない日々が続くと、英語で夢を見ることがある。夢の登場人物たちと英語で話し、夢の状況について英語で自問自答する。目が覚めると我に返ったような、ちょっと不思議な気分になる。だが、日中も同じようにしているから、そんな夢をみるようになるのだろう。

昭和の頃、ある有名な英語学校が「英語で考える」を教育スローガンにしていた。その広告を見るたびに、なんだか奇妙な感じがした。言いたいことはもちろん、わかる。英語で文章を作るときは、日本語の発想とは全く異なる仕方で、最初から英語的に組み立てないと、まともな英文にならない。自分の頭の中で日本語を介在させても、時間と思考力のムダになるだけだ。

だが、それを「英語で考える」と呼ぶべきなのか。わたし達は本当に、「言葉で考えて」いるのだろうか?

わたしが昨年、出版の取りまとめと編集をお手伝いした恩師の著作「 気品あるアタマと冒険ある実践」(西村肇・著)の中に、「人間と言葉 〜人は言葉で考えるか 科学者とコトバ〜」と言う文章が収められている。もともとこれは’90年代に、ある大手メディアが100万円の賞金をかけて21世紀論文賞を募集したときに、応募した論文であった。そして審査委員会でいったん受賞が決まりかけたのだが、一部の委員(特に名をあげると故・星野芳郎氏)が強く反対して、結局、受賞者なしとなってしまったという、いわくつきの文章だ。

この論文の最初の方に、著者がそれ以前にある雑誌に「人が何かモノを作り出そうと考えている時、コトバで考えるのだろうか」との疑問を書いたら、共感と批判の両方が寄せられた、というエピソードが紹介されている。技術者からは賛同が多く、文化系の人たちからは厳しい意見が多かったと言う。ことに、ある芸術大学の教授からは、「人は言葉で考える」のである、に始まる明確な反論が寄せられた、と書かれている。

ある種の文化系的な、あるいは西洋型教養を身に付けた人にとって、「人間は言葉で考える」は、自明の真理らしい。上に述べた星野芳郎氏の審査意見にも「本質をついていない」と言う言葉があったという。星野氏はどうやら、人間の思考の本質を、自分自身はご存じだと信じていたようだ。だが、人間の考えるという行為は、それほど自明なものだろうか。

ちょっと調べてみるとわかるが、「人間は言葉で考える」という見解は、『言語思考仮説』(linguistic relativity hypothesis)と呼ばれている。カッコ内に英語があること、その英語が日本語とは微妙に違うことから、このような考え方は西洋で育ってきたものだと推測できる。

言語思考仮説の提唱者は、20世紀初頭に活躍した言語学者のエドワード・サピア(Edward Sapir)と、彼の弟子筋にあたるベンジャミン・リー・ウォーフ(Benjamin Lee Whorf)と言われており、彼らの名前を合わせて「サピア=ウォーフの仮説」とも呼ばれる。

サピアは人類学者でもあり、「使用する言語によって人間の思考が枠付されている」という言語観を打ち立てる。のちにウォーフがそれを発展させ、「言語の構造が、その人の世界の認識のしかたに影響を与える」との説を立てた。いずれも言葉(Word)や言語(Language)が、人間の思考に重要な役割を果たしている、との主張だ。

彼らはまず、言葉(Word、語彙)と概念の関連に着目する。各言語にはそれぞれ特有の語彙が存在し、異なる単語や表現がある。英語におけるsnowのバリエーションは限られているのに対して、日本語の雪を表す言葉、粉雪とかぼたん雪とか細雪などは幅広い。さらにアイヌ語の雪に関する語彙は、もっと豊富らしい。

あるいは、わたしがよく引き合いに出す例だが、英語のManagement、 control、 administrationの区別に比べて、日本語は「管理」の一語で全部済ませてしまう。そこでマネジメントという行為の内容を、より詳細に分析する思考が止まってしまいがちだ。つまり言語が提供する語彙の範囲が、思考をも制限してしまう可能性がある訳だ。

そしてもちろん、英語の文法や、その元になっている、時制、単数複数の区別、仮定法・接続法、冠詞の存在なども、思考の枠組みや展開に影響を与えているはずだ。若い頃、フランスからの留学生に、「日本語は単数と複数を区別しないが、それでどうやって論理的に考えることができるのか」と問われて、うまく答えられなかった記憶もある。

単複の区別は別になくても不便に感じないが、しかし仕事で後輩が、過去形と現在形をごっちゃにして話しているのを聞くと、「もっと区別してくれないと相手に誤解を与えるのに」とイライラすることはある。日本語には時制の概念が薄く、「確定してしまった事態」であるかどうかの判別が重要になる。このように事象の認識に、言語のあり方が作用するのは、たしかに事実だろう。

だが、サピア=ウォーフの立論が、『仮説』と呼ばれている点にも注意してほしい。まだ実証はされていないのだ。なのに、西洋の論説が海を渡ってわたし達の国に来ると、いつの間にか真理や本質になってしまいがちなものらしい。

それとサピアやウォーフは、いずれも20世紀の米国の人であり、これらの主張が意外と新しいこともわかる。19世紀までの西洋社会では、西洋文化の考え方が絶対的に正しいもので、それ以外は未開だと考えられてきた。サピア=ウォーフの仮説は「言語相対性仮説」とも呼ばれるが、アメリカ先住民の言語研究などを通して、非西洋人も、非西洋人なりに「考える」のだ、という(我々から見れば当たり前の)ことを、明らかにした訳である。

しかしまあ一般に、欧米文化は言葉を重んじる文化だと言うことはできる。「始めに言葉ありき」というヨハネ福音書の冒頭の聖句を信じてきたから、という見方もあるだろうが、むしろ言葉を重視してきたからこそ、いかにもギリシャ的なヨハネの神学を受け入れやすかった、ということかもしれぬ。

いや、西洋だけではない。わたしの経験では、インド、イラン、アラビアなど「中洋」の人々も、我々東アジアや東南アジアの人間に比べて、ずっと理屈っぽい。彼らが「人間は言葉で思考する」と深く信じていても、不思議ではない。

先の西村肇氏の本の中では、環境科学者における発見的思考の現場を、対話で再現した部分もあり、そうした例をベースに「言語による思考」だけが思考ではない、と主張している。ところで、彼の文章に真っ向から反対した人が、芸術大学の先生だったというのは、今ひとつ解せない気もする。アーティストこそ、絵画であれ音楽であれ、自分の創作において、何を作りどう完成させていくかを考える際、言語では表現しきれない領域で働いているはずだからである。

似たことは、数学、とくに幾何学などの問題を考える際にも適用しうる。数式は、広い意味で記号的体系であり、言語表現の展開型だと、いえば言える。しかし幾何学の補助線を考えているとき、はたして頭の中で記号を論理的に展開しているのだろうか?

わたし自身の経験をふりかえると、いちばん大切なアイデアを思いつく瞬間は、頭の中はシーンとしていて、非言語的な静寂の世界にいる(これ自体はもちろん客観的には実証不可能だが)。そして、発見したアイデアを、はっきり定着させ、全体の文脈の中で位置づけるために、言葉や数式や図形などにしてみるのだ。

この段階は、思考の内容を伝達するための行為、と言っても良い。誰に伝達するのか? 他人の場合もあるが、まずは「自分自身に対して」ちゃんと言語化・定式化するためである。そして、これも「考える」という作業の重要なステップの一つである。ただ、これはアイデア生成というエンジンの、ポストプロセッサだと言えるだろう。

同様に、わたし達が問題を捉えて考える際、ふつうは現実界からの何らかのインプットがトリガーになる。ただ現実世界の情報というのは、時系列的にも空間的にも数珠つながりに広がっている。そこから、何らかの要素・概念を分節化して取り出す作業が必要だ。こちらはプリプロセッサと言っても良い。

そして、これらプリプロセッサとポストプロセッサは、いずれも言語(語彙と文法的構造)に大きく頼っている。図にすると、こんな感じだ。

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一番下に、物理的世界がある。ここは非構造的な、未分節の情報の海だ。ここから、言語・記号などの助けを借りて、パターンを見出し、分節化していく。言葉や記号は、概念に一対一で対応している。概念と概念のネットワークが、いわばわたし達が「思考」を表現する形式だ。ここまでは言語の世界である。英語で夢を見ているときは、ここが「英語モード」的に働いているらしい。

しかし、いちばん大切なアイデアを創出する段階は、一種の無音の世界で行われるのではないか。以前紹介した、W・ヤングの「アイデアの作り方」に関する記事にも、『孵化段階』=問題を意識の外に移す、という段階がある。これに相当するのだろう。

その後は、階梯を逆に降りていく。新しいネットワークを概念空間で構成し、それを記号・言語化することで、定着化を図る。最後は、声にしたり文字に書いたりして、出力していくのである。アートの世界では、言語記号を経ずに、いきなり色彩や和声などの要素に行き着くこともあるだろう。しかしアーティストではない、わたし達大多数がビジネス界で繰り広げる思考の営為は、ほぼこのようなプロセスを辿っているのではないかと、わたしは想像する。

ということで、言語・記号はとても大切なのだが、いちばん重要なのは非言語的な、無音の世界にたどり着くことにあるはずだ。どうしたら、上手にそこに到達できるようになるのか。それについては、稿を改めてまた考えてみたい。

<関連エントリ>
 「素早く考える能力、じっくり考える能力」 https://brevis.exblog.jp/29429476/ (2021-03-01)


by Tomoichi_Sato | 2023-07-11 09:34 | F1 思考とモデリングの技法 | Comments(1)
Commented at 2023-07-14 12:08
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