自宅のリビングの窓際に、クリスマス・カクタスの鉢を置いている。小さな緑のサボテンだが、いつもクリスマスの時期になると深紅の花を咲かせる。どうして植物は目も耳もないのに、正確に時を知ることができるのだろう。いつも不思議に思う。時を知るとはどういう事なのか。 「時計の針を進ませておいてはいけない」と、亡き父はいった。よく、『時間に遅れないために』時計の針をわざと数分進ませておく人がいる。時間のゆとりを確保しておくためだ。だが、父はそうした意見に反対だった。家の時計は正確に合わせておくよう、母に命じた。なぜなら、「時計は計器である」。それが技術屋だった父の答えだった。 計器は正確でなければ役に立たない――それが技術者の感覚だ。安心や余裕のために、計器の針をずらしてはいけない。たとえば体温計を考えれば分かる。体温計は計器だ。『健康のために』体温計を0.2~0.3℃、上げておく人がいるだろうか? 事実が分からなくなったら、計器の役には立たない。 ちなみに計器は英語でInstrumentという。これは多義語で、器具や楽器を指す言葉でもある。ただしこれを動名詞化してInstrumentationというと、計器を使った制御、すなわち計装のことを指す(日本で最初にInstrumentationを「計装」と訳したのは、父の働いていた会社だったらしい)。 話を戻すが、計器にはときどきキャリブレーション(較正)が必要である。居間の時計をTVの時報に合わせたりするのが、キャリブレーションだ。仕事で使う計器は、定期的に(必ずしも使うたび毎回ではないだろうが)、この作業が必要になる。その間は設備が使えないので、生産性を下げてしまう。無論、較正は必要である。だが生産性が至上命題の組織や社会で、この種の仕事がどう位置づけられるか、想像に難くはあるまい。当然、後回しになる。そして情報は次第に、正確さからズレていく。
もう20年以上も昔のことになるが、わたしはあるプロジェクトで、発注先の米国のSIerからの追加請求の交渉に直面していた。彼らのクレーム(請求項目)の一つに、サーバ間の時刻同期の問題があった。複数のサーバ群からなる、MESと制御系システムを発注している。当時のことだから、サーバは全て物理サーバで、オンプレミスである。 サーバ群のクロックを同期する仕組みを構築する作業は、最初の仕様書に明記されていないから追加役務だ、金を払えというのが、彼らの主張だった。発注側であるわたし達は、「そんなこと当然だろ」のスタンスだ。最初、議論は平行線だった。しかし対象の制御系DCSから時系列データを、MESの一部であるPI SYSTEMに送るとき、時刻がズレて未来のデータになると、MES側が受け取れない。これはパッケージの仕様であった(当時)。しかも彼らは直前に、同等構成のシステムを顧客に納めているのだから、知らなかったはずはない。これを理由に、追加をはねつけた。 しかし交渉は複数項目の間の駆け引きでもあるので、この件で逃げ切れたのはラッキーだったと思う。ただ、わたしはその時に、キャリブレーションといっても、絶対値に合わせることと、相対的に合わせることの二種類があるのだ、という事を学んだ。相対的に合っているだけでも役に立つ場合があるのだ。 サーバ間の時刻同期は、ISA95でいうLevel-2以下の制御系と、Level-3のMESでは必須である。それぞれが単独で動いている場合は別に問題はない。だが協調して働くときには必須なのだ。そしてこのようなことは、いわゆるOT技術の分野では、昔から常識だった。そのために必要なNTPプロトコルだとか、あるいは近年注目されつつあるTime-sensitive Network (TSN)といった技術の詳細についは、ここでは割愛しておく。ただここでは、近代的なスマート工場を目指すとき、ロボットやマテハン機械でもおなじ問題が起きることだけ指摘しておこう。
OT分野ではずっと以前から常識だった時刻同期問題を、今さら取り上げたのは、これがまだIT分野では課題になりがちだと、最近感じたからだ。IT分野では、たとえ記録計のSoRであっても、秒を争うようなアプリケーションはごく少数だ。情報系のSoEなら、言わずもがな。ましてクラウド化が進めば、クロックの水晶時計のズレを心配する必要などないではないか。 それが、そういってもいられれなくなってきたのは、セキュリティのためだ。サイバーセキュリティ技術は、リアルタイム性がかなり重要になる。悪意ある侵入や攻撃を、いかに瞬時に察知してはねつけるか。それなのにSSOと実体サーバが何秒もズレていては目も当てられない。 ただ、そこであらためてクローズアップされるのは、「リアルタイム性」とはそもそも何か、という問題だ。そもそもこの感覚が、OT技術者とIT技術者の間で、基本的にズレている。「リアルタイムとは何か」については、以前このサイトでも書いた(今調べてみたら、もう15年も前だ)。簡単にかいつまんでいうと、「リアルタイム性とは、対象とする系の時定数よりも、有意に短いこと」なのである。ミリ秒とか、マイクロ秒とかがリアルタイム性の定義なのではない。対象とする相手よりも有意に速いかが、リアルタイムの意味なのだ。 だから、体温を計るのに十数秒かかる体温計だって、リアルタイムなのだ。なぜなら人間の体温の変化は分とか時間単位でしか動かないからだ。機械式の時計は、1秒ごとに針が動く。それでも日常生活のスピードからはリアルタイムだ。昔、SAP社のERPはR/2とかR/3とかいう名前だった。あのRはReal-timeの頭文字であった。なぜなら、企業の会計は、一日単位で集計できれば、十分リアルタイムだからだ。企業経営の指針としての財務バランスは、そういうゆっくりした時定数で動いているからだ。 計器はリアルタイム性が必要である。しかしそれは測定する対象系の「時定数」に依存する。この時定数の感覚、系(物理対象となるシステム)がどれくらいのスピードで変化するのか、に対する感覚こそが重要だ。そして人やモノが協調して働くときには、このリアルタイム性の中で、時を共有する必要がある。 そういう意味で、組織の中に時代認識が違う人がいると、協力しにくい(たとえば人手不足問題などが、いい例かもしれない)。シニア世代と、中堅と、Z世代では、時の感覚が違う。なのにお互い、違いをきちんと認識して、同期することを諦めている。 「時計は正確でなければならない」と、技術屋出身の、経営者でもあった父はいった。事実とデータに基づいて認識し、決断すること。それが、マネジメント判断の基礎である。そういう教訓が、この短い一言に現れている。今の世でいう「データドリブン・マネジメント」とは、すなわちデータに基づくマネジメント判断である。AIを使うかどうかは本質ではない。事実を客観的にとらえようとする態度の有無が、境目なのだ。 だから事実を見て、お互い頭の中の時計を合わせよう。わたし達は協調して働けなければ、何事もなしえないのだから。 <関連エントリ> 「リアルタイムとは何か」 (2010-12-15)
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by Tomoichi_Sato
| 2026-01-05 12:45
| E1 マネジメントの技術論
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Merry Christmas !!
当サイトを以前からご覧いただいている読者の方はお気づきだろうが、わたしは『感情』というテーマに、しばしば触れるようになってきた。その最初はおそらく2011年の「知識労働、肉体労働、そして『感情労働』」かもしれないが、2017年頃から少しずつ増えている、そうなった特段のきっかけがある訳ではないが、感情というものが人間を動かす大きな原動力となっていると気づいた、それが理由である(なお、ここでは感情を「感覚的・情緒的なもの」という広い意味で使っている)。 言うまでもなく、当サイトのテーマは「計画とマネジメントの技術ノート」だ。技術と感情ほど、縁遠いものはない。技術は科学を基礎とした理知的な方法論で、かつ非属人的な移転可能なものである。感情の割り込む余地はない、はずだ。なのになぜ、感情を重要なファクターとして考えるようになったかというと、マネジメントが「人を動かす仕事」だからだ。 自分で手を動かして、設計したりモノを作ったりする仕事は、もちろんとても重要で、それがなければ世の中は回らない。しかしマネジメントとは、自分で手を動かすことではなく、人に働いてもらうこと、少なくとも人と一緒に動くことである。そして、人と人との間には、必ずヒューマン・ファクターが働く。その大きな要因が、感情面だ。 マネジメントにはテクノロジーがある、と長年わたしは主張してきた。人やモノをコントロールする業務プロセスを、誰もが一定のレベルで遂行できるようにする技術が、世には存在するのだ、と。それはたとえば、プロジェクト・マネジメント分野におけるPERT/CPM・EVMSだとか、生産マネジメント分野のスケジューリング・在庫理論などだ。これらの技術や理屈の中には、『感情』はもちろん登場しない。
ちなみに余談になるが、わたしは最近、自分自身のための会社を作った。名前を「株式会社マネジメント・テクノロジー」という。従来から研修・セミナーや、コンサルティングなどの仕事を、中小企業診断士として受けてきた。ただインボイス制度の影響や、大企業の顧客だと個人相手の契約が難しいなどの問題があり、勤務先の承認を得た上で、いわば副業用にヴィークルを作った訳である。 この「マネジメント・テクノロジー」という言葉は、数年前に惜しくも亡くなった勤務先の同僚、故・秋山聡氏が使い始めた用語だった。彼はこれをマネテクと略して、「まねてくニュース」というMLを社内で発信し続けた。なので会社名を登録するときに、故人の霊前に頭を下げ手を合わせ、無言の許可を得てから、登記した次第だ。 そんなことをしなくても別段、法律上の問題は無い。ただ、それでは自分の感情面が落ち着かないのだ。なんだか、申し訳ない気がする。だから、そういう挨拶ないし儀式が必要だった。つまり感情というのは、人間の間の敬意に、結びついている。 人と人との関係には、ほぼ必ず、感情が絡みつく。上下関係にも、勝ち負けにも、貸し借りにも、そして好き嫌いにも、すぐ顔を出す。だとしたら、人が人を動かすマネジメントの仕事に、感情が無関係でいるはずがない。加えて、モチベーションとかウェルビーイングといった人財・組織開発系のキーワードも、やはり感情的価値に関係している。 ところが、(正直に告白するが)わたしは他者の感情に対する感受性が、著しく低い。そればかりか、自分自身の感情に対するセンシングも、うまくない。それでは、他者とよい協力関係で動けるはずがない。自分の感情に感度が低いので、いつの間にかメンタルに感情的負荷が高まっていても、その弊害に気づきにくい。これは心身的にもストレスだし、思考にも良い影響を及ぼさない。だから、感情というものに、ちゃんと向き合う必要を感じ始めた、ということだ。
しかしちょっと勉強しはじめて、不思議な気持ちになった(この「不思議」も感情ですね)。心理学・精神医学・脳科学など、さまざまな学問が感情に取り組んでいる。文学・芸術や哲学も、ずっと主題にしてきた。にもかかわらず、感情という現象は、とても未整理なのだった。よく「喜怒哀楽」というが、このリストアップは文化圏によっても異なる。人間の基本的感情はいくつに分類できるのか、それさえ不明である。 感情にはポジティブとネガティブがあり、強さ弱さの強度があるから、4象限で付置できる、という理論もきいた。でも感情には時間的な波や、遷移もある。そうした動力学はどう扱うのか。そして、現象論は分かったとして、自分はどう感情に向き合い、付き合い、育てたら良いのか。なんだか五里霧中である。 ただ、考えているうちに、感情とは制御システムで言うSV(Set Value = 目標値)とPV(Process Value = 現在値)の差異をあらわす状態信号なのではないか、と思うようになった。われわれ動物は、環境に対して、ある種の期待=目標値を持っている。たとえば体内環境の一つ、体温は36.5℃前後といった風に。そして体温の現在値が目標値からずれると暑いとか寒いという感覚を感じ、フィードバック的対応をとる(ホメオスタシスの制御系)。同様に、心理的な欲求に対して現状をくらべ、快適だとか不快だとか(つまりポジティブとかネガティブの)感情を抱くのではないか。 たとえば承認欲求が満たされれば、自尊感情を感じる。安全欲求が脅かされれば、不安や恐怖を感じる。帰属欲求や所有欲求の対象が失われれば、悲しみを感じるといった風に、である。そして制御システムのように、SVとPVの差異は、それを修正しようとするMVを導き出す。つまり人の行動を促す。そう考えると、人間の多くの行動の下には感情があり、さらにその底には、さまざまな欲求が隠されている。
この事実に気がつくと、自分や他者の思考・行動が、いかに欲求と感情にドライブされているかが次第に見えてきた。見かけ上は、知性や経済合理性に基づいて考えたり発言しているようだが、実はその下に、自分をこう位置づけたい、他者をこうしたい、といった欲求がひそんでいる。わたしの敬愛する英語教育家・中津燎子氏は著書『なんで英語やるの?』の中で、人間の行動の8割以上は感情的な動因にうごかされている、という意味のことを書いていたと記憶するが、この方の洞察力にはいつも感心する。 感情の中でも一番大切なのは、『希望』かもしれない。わたし達は希望に導かれ、つまづきがちな自分の人生を何とか歩んでいく。しかし昨今の社会を見ると、合理性や正義・公正にもとづいて将来像を語る言説の裏に、じつはしばしば、怒りの感情が貼り付いた言い方が、リアルでもネットでもあふれている。怒りの底には、さらに他者への支配欲求とか、自己への承認欲求などが渦巻く。そしてネットのアルゴリズムが、人びとの同調性をさらに加速する。そんな乱流状態を、わたし達は今、体験しているのではないか。 見かけ上どれほど正しい主張でも、怒りの感情に駆られている限り、そこには希望はない。なぜなら、怒りとは、他者を打ち破ろうとする欲求と一体だからだ。支配欲求は、次には負かされた側の攻撃欲求を引き起こす。だから、これは対立を生み続ける心理ゲームである。 「剣をおさめよ。剣を取る者は剣で滅びる。」——夜の暗闇で捕縛されようとしたとき、その人は弟子にこう言った。エルサレム郊外でのことだ。今から2千年前、当時の帝国支配下の植民地状態の小国で、宗教改革者として現れた彼は、指導者層の欺瞞を批判し、命を狙われるようになる。追っ手が彼に手をかけたとき、弟子の一人は剣を取って相手に斬りかかるが、彼はそれを制止する。また、こんな風にも言った:「あなた方はまるで強盗に向かうかのように武装して、夜、捕らえに来たのか。毎日わたしは神殿の境内に座って、教えていたのに。」 怒りと支配欲求で動く者は、結局、怒りと支配欲求で滅びる。なぜなら、欲求に自分を乗っ取られると、後先を考えられなくなるからだ。強い感情は、「我を忘れる」作用がある。だから滅びたくなければ、「我にかえる」必要がある。我にかえって、少しだけ平静さを取り戻し、自分の有限さを思い出すべきである。 当時の夜は、今と違って、空に多くの星が見えただろう。星空を見ると、自分の小ささが分かる。古代人がある種、現代人より謙虚に見えるのは、そのためかもしれない。彼が亡くなって以来、2千年が経ったが、まだ人類は剣に滅びる愚かさを、抜け出ていないようにも感じる。だがこの人の活動は、意味がなかった訳ではない。 宇宙150億年の歴史に比べれば、わたし達は塵のような存在だ。だが、ゼロではない。この世を少しでも良くするために、せめて少しでも平和にするために、この冬至の短い季節に、何を語り何を祈るべきか、心静かに考えよう。 <関連エントリ> 「怒りやすい人びと・怒っていると気づかない人びと」 (2017-06-17) 「わたし達の社会には、感情的価値が足りない」 (2025-09-23)
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by Tomoichi_Sato
| 2025-12-20 23:48
| E6 メンタルと働き方のマネジメント
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時折頼まれて生産マネジメントの研修セミナーの講師を引き受けることがある。その時大体いつも最初に話すのが、「工場を生産のためのシステムとして捉える」と言うトピックだ。 システムと言うと、すぐコンピューターと情報システムを連想する人がほとんどだろう。だが、ここで言うのは「仕組み」の意味で、人間を含むいろいろな要素が、互いに機能し合い、助け合って目的を達するメカニズムのことだ。現代のシステムズ・エンジニアリングでは、仕組みを理解するために、「IPOモデル」を用いる。インプット・プロセス・アウトプットの略である。 工場という仕組みの主要なアウトプットは、当然ながら製品=プロダクトである。プロセスは文字通り、製造工程である。では、主要なインプットは何だろうか。 それは部品材料だ、と言うのが昭和時代の答えだった。部品材料をインプットして、製品というアウトプットを生み出す。これが工場だ、と。まあ部品材料以外に、副資材や用役などもサブのインプットとして必要だろうが。
ところが現代では、この答えはもはや、間違いなのだ。現代の工場の主要なインプットは何か。それは、「需要情報」である。需要情報をインプットして、製品(の形に込められた付加価値)をアウトプットする。サブのインプットとして、部品材料や副資材・用役を用いる。これが現代の生産システムの姿なのだ。 ![]() なぜ、そう言えるのか? 考えてみてほしい。あなたがどこかの工場の、工場長さんだったとする。あなたは、「部品材料があるなら、その分だけ製品を作れ」と指示するだろうか? 需要を無視して勝手に製品を作っても、ムダな製品在庫が積み上がるだけかもしれない。だから需要の明確な製品を優先して、作ろうとするだろう。すなわち、需要情報がメインのインプットに変わったのだ。 このような変化の起きた理由は、単純である。物不足時代は昭和で終わり、市場が成熟した。もはや「作れば売れる」時代ではない。だから企業は差別化を求めて、製品種類を増やしてきた。種類が増えれば、単純な外挿による昨年度並みの計画では当たらなくなる。かくして需要情報が、いちばん大事な、メインのインプットの座につくことになった。製造業とは、需要情報を得て、それを製品に変換する仕事になった。 すなわち製造業の中核部分は、じつは情報処理産業に変わったのだ。この変化にいち早く気づいた欧米人たちは、「スマート製造」とか「インダストリー4.0」といったスローガンによって、この変化を先取りしようとしている。
ところが、ひるがえってわが国では、このような意識変化についていけてない企業や、経営者・メディア・学者たちがまだまだ多いように思われる。 情報処理産業である以上、組織の外部からの情報を収集し取り込む「感覚器官」が必要だ。もちろん組織内部の状態をセンシングする内的感覚器官もなくてはならない。そして何よりも、外と内、中枢と末端をつなぐ情報のチャネル=中枢神経系が必要である。神経系である以上、バケツリレーではなくリアルタイム伝達が必須だし、一方通行ではなく双方向でないとこまる。 そして当然ながら、情報変換機能も必要だ。形のない需要情報、顧客の「ニーズ」を、具体的な製品の形に変換するのは、誰か。むろん、設計部門だろう。では、あえて質問するが、あなたの会社の設計能力は、どれほどの水準だろうか? わたしが見聞きしてきた限り、日本企業では、詳細設計は今でも一流だ。世界的に遜色ないレベルだと言える。 しかし、はっきり言って、基本設計は二流だ。なぜか。顧客の要求事項に個別に対応し続けることが、設計だと思い込んでいるからだ。一流の設計には、設計思想がいる。そして標準化への強い意思がなければならない。まして超一流の設計とは、新しい製品カテゴリーを創造する能力である。 技術カンファレンスなどを見ても、設計のツール論はたくさんあるが、設計論自体は内容が乏しい。設計を導くガイディング・プリンシプルが足りない。
しかし設計機能よりも、もっと問題な部分がある。それはマーケティング・営業である。これは需要情報をインプットし集約するとともに、需要喚起のための製品情報をアウトプットし、顧客を誘引する機能だ。生産システムのメインのアウトプットは製品それ自体だが、同時に製品に伴う情報も、アウトプットし続ける。この情報アウトプットを上手に制御しつつ、インプットの需要情報にうまくフィードバックする仕事こそ、営業に他ならない。 マーケティングとはどちらかというと中枢系の機能で、営業セールスは末端組織の力仕事という区分が、西洋社会にはある。しかし、日本企業ではこの区分が明確でない。マーケティング機能自体が、一部のB2C大企業以外では、とても乏しい。 マーケティング・営業の仕事とは、煎じ詰めれば「いかに高く売るか」を考える仕事だ。しかし、日本企業の多くは奇妙なプル型(下請型?)体質がしみこんでいて、「いかに安く売るか」「顧客にどれだけ従うか」が、思考のモノサシになっている。これでは情報の一方通行である。よい基本設計は、すぐれたマーケティングとワンセットでなければならない。末端組織の一人ひとりの営業マンは足で稼ぎ、エンジニアは詳細設計で汗をかいて努力している。だが肝心の、中枢機能がつながっていないのだ。 こうした状況は、全体システムを統合する経営レベルの問題である。組織図をつくり、KPI・KGIを与えて目標管理で皆をドライブするが、サイロ化した部署の間で、情報の流れがどうなっているのか無頓着でいる。 これらの問題は、すべて工場の外で起きている。日本の製造業を再生したかったら、設計、マーケティング、そして経営者の思考習慣を、何とかしなければならない。 もちろん工場の刷新は、必要だ。デジタル化だって、省人化だって、待ったなしだろう。でも工場のスマート化は、製造業の活性化にとって必要条件だが、十分条件ではない。製造現場にどれだけIoTセンサーを詰め込んだって、スマート製造は実現しないのである。 <関連エントリ> 「生産システム、そのパラダイム・シフト」 (2018-04-28) 「設計という仕事が、本当に目指すべき役割は何か」(2025-09-15) #
by Tomoichi_Sato
| 2025-12-10 17:36
| E3 組織・経営・戦略論
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エレベーターに乗っていたら、急に声をかけられた。「今、あの本を読んでます。とっても面白いです。本にしていただいて、ありがたいですよ」。勤務先でのことで、他部署の人だった。あの本、とはもちろん、新著「攻めの工場づくり」のことに違いない。本の中身は100%わたしのオリジナルではなく、会社の多くの同僚との共著だ。それでもまとめた人間としては、単純にうれしい。たとえ職場で、先輩格のわたしへのご挨拶半分だとしても、だ。 でも、なぜ彼は「まとめてくれて、ありがたい」とまで言ったのか? それは、この本に書いた工場エンジニアリングに関するほとんどの事柄が、社内の暗黙知か、さもなければ部内知識だったからだろう。部内知識とは、その部の書庫かデータベースのどこかには書かれているが、他の部門の人間には検索もできないし、アクセスもしにくいという意味である。 エンジニアリング会社というのは、技術の総合デパートみたいな存在だ。今どきのデパートなら、在庫マスタはどの売り場からでも参照できるだろう。だが社内の知識在庫を参照できる知識在庫マスタは、今のところない(知識在庫の半分以上は、たぶん個人の脳の中にあるし)。そもそも知識って、SQLで値を参照するようには取り出せない。RAGはどうかって? 設計技術は正確性が大事なので、生成AIの中途半端なハルシネーション回答では迷惑だ(そのうち推測確度74%とか、表示されるようになるのだろうか?)。 ともあれ職場では、部門間のインタフェースが一応、Functional WBSを基準にして、業務標準で決まっている。インプットとアウトプットは明確だ。だから他部門の知識の中身まで知らなくても、普通の仕事は回る。それでも部門横断的な知識を総合化した本がありがたいのは、なぜだろうか。単純な知識欲? それも少しはあるかもしれないが、もう少し別の理由があろう。一般に、三つくらいの動機が、考えられる。
第一の動機は、プロジェクト・マネジメントのためだろう。エンジ会社のプロマネ職は、設計部門のシニアや、販売部門のやり手営業マンの仕事ではなく、独立した専門的職種である。そして独立したキャリアパスがある。とはいえ工場づくりやプラントづくりは、設計→資機材の調達→建設管理、という順番がある。とくに設計には時間と工数がかかり、その品質と出来映えが資機材や工事に直結する。 だから良いプロマネを目指したければ、設計を理解し、その計画立案と予算化ができるようになる必要がある。とくにプロジェクトを構成する様々なアクティビティについて、その時間軸上の前後関係や矛盾を理解し、ボトルネック工程を見極められるかどうかが、大事だ。 たとえば建屋や屋外プラントなどの構築物は、ふつう上物から設計して、それから土台・基礎の設計へと進む。ところが工事は基礎から始めて下から上にしか、進めない。だから、基礎コンクリートの設計・施工がボトルネック工程になりやすい。こうした事を理解するためには、機械・配管・建築・土木など様々な設計について、広く薄く知っておく必要がある。 そして、プロジェクト途上の問題解決をファシリテーションするのも、プロマネの大事な仕事だ。プロマネは全分野の専門家ではないから、すべて自分で問題解決はできない。各専門担当者をつなげて、問題解決をファシリテーションしなければならない。それには、問題事象とその文脈や影響範囲について、広い知識と見通しがいる。
もう一つの動機は、経営企画の仕事のためだ。わたし自身、もう10年以上も経営企画畑で働いてきたので知っているが、この種の仕事は(会社によってバラエティはあれども)自社内の仕事について、広く薄い知識を必要とする。 日本企業の経営企画部門の大きな仕事は、中期経営計画の策定とモニタリングである。すなわち企業経営視点から見た、大きな課題・ニーズの把握と、リソース体制を見通す事、そしてそれを数字に落とし込むのが仕事である。だからどの部署でどんな仕事を何人がかりでやっているのか、理解しなければならない。 もう一つ重要な仕事が、投資判断のサポートである(判断自体は経営層の仕事だが、経営企画部門は事務局的な準備と調整作業を担う)。投資にはいろいろな種類がある。産拠点や営業拠点の新設、設備投資、IT投資、研究開発投資、技術提携からM&Aまで。それら各種案件が生み出すビジネス価値と、必要なコスト・時間が評価できることが大切だ。 企業内のには常に複数の投資案件の候補が動いているから、優先順位を決める必要がある。また進行中の案件リスクを見極め、必要なら中止させることもある。こうした仕事を進めるには、ファイナンスの尺度さえ知っていれば良い訳ではない。社内業務について、広く浅い、しかし構造化された知識が必要なのだ。
だがPMも経営企画も、エレベーターで声を掛けてくれた人のケースには当てはまらないかもしれない。むしろ単純に、良い設計を実現するために、他の部門の知識を知りたいという事だった可能性が高い。だが、なぜ設計に、他の部門の知識が有用なのか。オーケストラでヴァイオリン奏者が、隣のヴィオラ奏者の楽譜をのぞき込むだろうか? 空軍のパイロットが、駆逐艦の操舵を知りたいと思うだろうか? 実はそこが、設計と他の仕事との違いなのだ。設計技術者は、器楽奏者というより作曲家の立場だ。作曲家は、すべての楽器は演奏できないだろうが、楽器と奏法の基本的な特性は知らなければ、オーケストラ曲はかけない。作戦の立案者は、輸送機や駆逐艦の能力や限界について、基本を知らなければ仕事ができない。つまり、実装の基本的なやり方を知らずに、良い設計はできないということだ。 また逆に、実装しやすい設計を目指すことの意義も大きい。もちろん設計の良さには複数の尺度があり、作りやすさだけで良し悪しが決まる訳ではない。それでも工場で加工しやすく組立てやすい製品を設計すれば、コスト・品質・納期では有利である。普通は、設計→製造という風に情報は流れる。しかし設計←製造というフィードバック情報があり、双方向につながることで、より良いものを作る可能性が高まる。 これがアメリカの企業だったら、良い仕事には他分野の知識など邪魔だ、と思われるだろう。専門化と分業化の追求が是とされる文化だからだ。英米企業との仕事の経験からいうと、彼らの情報の流れは完全にウォーターフォール型であり、設計は調達や実装はお構いなし、作りやすいかどうかは関係なく、出図さえすれば問答無用で設計完了となる。日本企業は、程度の差はあれど、もう少し「下流側に優しい」。下流に優しいとは、設計技術者一人ひとりが、実装の苦労を少しは気遣いながら、仕事をするという意味だ。 もっとも、英米企業はその代わり、マネジメントの計画力が高い。個人の優しさではなく、トップダウンの仕組みで実装側の効率性を確保していく(たとえば手待ちを減らす、など)。
やや話がそれたので戻すが、設計と実装では分担の区切りが異なる。設計は機械・電気・制御・・みたいに機能別・工学別なのに、製造は加工・組立・検査みたいな作業種・工程別になる。だから実装を知ってちゃんと理解しようとすると、結局、隣接する設計領域のことも、少しは知らなくてはならなくなる。かくして、良き設計者は、広く薄い知識を得たいという気持ちを持つようになるのだ。 設計とは、Whatを決める仕事だ。それを実装するのは、Howに関わる仕事である。そして情報の双方向のつながりは、組織の統合(もっと言えば「スマートさ」)の尺度である。わたしが危惧するのは、仕事のサイロ化が進んでいる多くの日本企業で、WhatとHowがバラバラになっていく現象だ。 幸いにも拙著「攻めの工場づくり」は、出版直後にAmazonの「コンサルティング」ジャンルでランキング上位にはいった。工場に関する広く薄い知識を提供する本書が、多少なりとも好評を得ている事は、サイロを再統合したいというニーズの表れかもしれない。多少なりとも、この本がお役に立てるなら望外の喜びである。 (なお、紙のペーパーバック版は、順調にいけば12月10日頃から販売開始できる予定です) <関連エントリ> 「新著『攻めの工場づくり』出版のお知らせ」 (2025/11/17)
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by Tomoichi_Sato
| 2025-12-04 17:54
| E2 設計のマネジメント
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「ちょっと想像してみてください。もしも家の台所が1階と2階に分かれていたら、どうなると思いますか。冷蔵庫と流し台は1階にあり、ガスレンジは2階にある、と。それはどんなに不便か、お分りでしょう?」――これは、わたしが工場の建築レイアウトについて、よく使うたとえだ。「ところが、製造業のお客様の工場を訪問すると、こんなレイアウトをよく見かけるんです。モノづくりの工程が、上下階に分かれていて、途中に上下の移動が必要になっています。どんな結果が生まれるか、分りますか?」 「工程間で互いに相手の状況が見えないから、作業の同期がとりづらくなりますし、そもそも垂直搬送自体が、時間とエネルギーのムダです。ところが、働いている人は、誰もそれを不思議と思っていません。なぜなら、工場ができた時から、そうなっていたからです。」 日本は敷地が狭い。だからどうしても、工場は平屋ではなく多層階になる。それ自体は仕方があるまい。だがフロアが分かれると、いくつか弊害が出る。一つは視認性がなくなること、もう一つは垂直搬送が増えること。それは直接、生産性を阻害する。 いや、生産性という言葉は誤解を招くかもしれない。機械1台あたり・作業者1人で加工組立できる数量は、平屋でも多層階でも変わらないからだ。だが同期がとれないと、「整然とした動き」ができなくなる。組織としての俊敏性が下がるのだ。もっと分かりやすく言うと、渋滞が起きる。結果としてリードタイムが長くなる。仕掛在庫量も増える。すると、スペースも圧迫する。
わたしは東急東横線・みなとみらい線を毎日通勤に使っている。でも(個人の感想だが)東横線の横浜駅のつくりは感心しない。人の流れを導く動線が、無理に遠回りするような感じを与えるからだ。昔は地上2階にあり、ホームも狭く混雑したが、動線に迷うことはなかった。2004年にみなとみらい線とつながり、地下化してできた現在の駅は、動線の方向が直感に反している。南北両側に連絡通路があるのだから、エスカレーターや階段は両側に別れて向かうべきなのに、中央に誘導するようになっている。 混雑時のバッファリングなど、何らかの理由があってこうしたのだろうが、利用者にとって不自然である。東横線渋谷駅も、ある種似たような不便さを感じるので、これは東急電鉄の「設計思想」の結果ではないかと想像している。建築レイアウトの設計では、利便性とか安全性とかコストとか、いろいろな評価尺度がある。そして、すべてを満足させる解を作るのは難しい。その際に、どれを優先するかを決めるのが、設計思想だ。この駅の設計では、何か別の要素が優先され、結果として動線の視認性と利便性が犠牲となったのではないか。 もう一つ例を挙げる。横浜みなとみらい地区にある、ランドマークプラザとクイーンズスクエアという二つの建物だ(神奈川以外の読者の方すみません)。超高層のランドマークの隣に、ひな壇のように三つクイーンズの建物がならぶ絵姿は、横浜の代表的光景になっている。前者は三菱地所が設計し、後者は日建設計が手がけた。 だがこの二つ、動線の分かりやすさが天と地ほど違う。ランドマークプラザは自分がどこにいて、どの階のどの店にどう行けば良いか、きわめて明快だ。ところがクイーンズの方は、どこがどうつながっているのか、実に分かりにくい。クイーンズタワーA棟が勤務先なので、もうかれこれ25年以上使っているのだが、つい先日も「え、こんなところに誰も使わなそうなエレベーターが」と、新鮮な発見(笑)をしたくらいだ。 建物というハードウェアは、外観の美しさも大事だが、それと並んで動線が大切だ。クイーンズは日本建築学会賞を受賞したが、審査委員の先生方は、本当に何日間も自分の足で歩いて使ってみて、審査されたのだろうか。建物は箱ではない。大勢の人が動く場だ。その動きが、きれいな層流なのか乱流なのか、考えるべきだろう。
もっとも、人の動きを流体力学にたとえるのは、お前さんが建築出身ではなく、プラント屋だからだろ、と言われるかもしれない。別に否定はするまい。いわゆる建築美学とはかけ離れた、プラント・エンジニアリング会社で働いてきて、美術館にも教会建築にも携わったことはない。わたし達が設計するのはそうした「純建築」ではなく、工場とか研究所とか病院などの、機能的に複雑な建築物だ。 わたし達プラント・エンジ会社の技術者の目からは、工場とは「人と物が流れる場」に見える。これは、製造業の生産技術や工務部門の人たちとは、相当違う視点だろうと思う。ほとんどの製造業の生産技術者にとって、この部品はどんな機械でどう加工するか、この複雑な製品はどう精度を確保して組立てるか、が命だ。部品をどう供給するか、人はどこで着替えるか、クリーンな空気はどこから供給するか、とかは付随的な問題に過ぎない。 そして正直に言うが、エンジ会社は、製造業の顧客の本当に中核的な技術ノウハウには、タッチしない(できない)。それならば、どうやって工場づくりのインテグレーションができるのか? 中核が分からないのに、どうして周辺を決めて組上げられるのか? それは、人々がCPUチップの内部回路を知らなくても、自作PCを組上げられるのと一緒だ。CPUはパソコンの命だが、CPUだけではパソコンは機能しない。メモリや外部記憶や電源や筐体やキーボード・ディスプレイ・周辺機器がそろってはじめて、CPUが威力を発揮できる。PCを設計し組上げるのには、CPUの外部I/F要求を理解すれば十分で、必ずしも内部知識はいらない。ただしCPU以外の様々なデバイスを、性能やサイズやコストを勘案しながら、バランス良く決めなければならない。
特にCPUにとっては、各種資源にアクセスするためのバスが大切だ。CPUだけが速くても、バスの能力が低ければ、システム全体のパフォーマンスが上がらない。バスは、信号の動線だ。同じように、工場の建物というハードウェアを建てるときだって、モノと人の流量と、動線の設計が大切なのだ。 バスの能力問題は、CPUが遅いときはクローズアップされない。CPUを高速化しスケールアップ(多重化)していくと、システム全体のボトルネック工程が、CPUの外部に生じるようになる。工場も同じだ。小さな町工場に動線問題はない。だが工場を大きくし、生産量を拡大し、多品種化しようとすると、この問題がクローズアップされるようになる。だからこそ、工場の動線とレイアウト設計には、設計思想が必要なのだ。 電子機器には回路図がある。だが、あなたは工場にも、モノの流れを表す「回路図」が必要だし、存在することをご存じだったろうか? それが『マテリアルフロー図』であり、『メカニカルフロー・ダイアグラム』である。それがどういうものであるかは、ぜひ新著「攻めの工場づくり」(佐藤知一・丸山幸伸)を見ていただきたい。回路図なしに、工場を作ろうとしていないだろうか? 建築図面と機械図面があれば工場ができると思っている人にこそ、ぜひ本書を読んでほしい。 工場は、各工程という機能要素と、その間を結ぶ動線というリンクからなる、一つのシステムである。それは製造設備だけでなく、物流設備や用役設備や空調設備や、建築というハードウェアの組合せで実現される。その上で人々が働き、モノが動き、さらに情報が流れる。それを動かすためのソフト(ITシステムならびに、人を動かす手順・ルール群)がいる。それを作り上げるのが「工場のシステムズ・エンジニアリング」だ。 機械を買ってきて、建屋にポンと置けば工場ができた昭和時代から、今はここまで変わったのである。現代流の工場づくりの考え方が、我が国にももっと広まってくれれば良いと、強く願っている。 ![]() 「攻めの工場づくり」第9章より引用 <関連エントリ> 「工場レイアウト設計の典型的問題と、そのエレガントな解決法」 (2016-07-16)
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by Tomoichi_Sato
| 2025-11-26 14:36
| C1 工場計画論
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