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ウクライナの旅(その10)ウクライナ雑感

※「ウクライナの旅」は、2023年に原稿を書き、2025年2月に一部修正したものです。

 

ウクライナは、私が旅をしたとき情報が少なかったこともあり、とても苦労をした。

国境の公務員、宿のフロント、駅の切符売り場、車掌、警察官。

そういう「権力」を持った人の傲慢な態度が鼻に付いた。

基本的に、ワイロを渡せば解決することでもある。

 

つまり、日常的にワイロを受け取っているので、ワイロを払わない私は「憎むべき存在」と感じられるのではないかと想像できる。「権力」や「利権」を持ってしまうと、それを手放すときの喪失感が「怒り」に転じるということが十分に想像できる。

 

その後、何度かの政権交代もあったし、汚職追放も熱心にやっていたことであるから、状況は格段に変わっているだろう。「ワイロ」に対する「怒り」の感情が、政権交代に繋がったのではないかと私は想像している。ウクライナの庶民は、従順に対応しているように見えたが、心の底では、怒りが煮えたぎっていたのではと。その後の「マイダン革命」を経た現在、各種ブログなどで情報を確かめてみると、そこには「まるで異なるウクライナ」があることも分かる。

 

悪夢。

 

それは、この国が、ロシアの侵略に曝されていることである。

都市の数々、攻撃を受けて崩壊している報道がなされている。

今行ったら、そこには「まるで違ったウクライナ」があることだろう。

そう、「何もかもが変わってしまった」のだ。

 

あの街も、教会も、博物館も、鉄道駅も、市場も、何もかもが破壊されているかもしれないのだ。私が出会った多くの人のうち、何名かは、戦死している可能性が高いだろう。

 

家を壊され、仕事を失い、ケガをし、命を失う。何故このようなことを続けるのか。多くのウクライナ人が、いや世界の多くの人は、そう考えているだろう。一刻も早い停戦が望まれる。

 

(以下、2025年3月2日 加筆)

トランプ大統領とゼレンスキー大統領との会談が決裂したという報道があった。私はテレビ受像機を持っていないので、映像では見ていないが、どうも、それは本当のことらしい。この後、世界はどうなってしまうのか。それが、気がかりである。

もし日本が戦争に巻き込まれたら、私は命が無いだろう。今でも、「最前線」で仕事をしているのだ。動員され、最前線に送られるのは目に見えている。日本が戦争に直面したら、もう、そういう選択肢しか残されていないのではないか。そういう事態が近くなったことを感じる。

 

ウクライナに行ってみて、しみじみと感じたのは、「このような社会では、不平不満が充満するだろうな」ということだ。人間そこまで凶暴になれるのかと思う程のヒステリックな対応を、ホテルのフロント、駅のカッサ(切符売場)、車掌、警察官など多くの人から受けてきた。ギリギリのところで生活しているのだろう。余裕がないのだ。それは想像できる。だが、そいういう日常的な圧力に、怒りを爆発させた人たちが、「マイダン革命」のエネルギーになったのかもしれない。市場(ルイナック)での人々の親切と、権力者の横暴のギャップが、「理解できない」驚きだったが、その「ギャップ」がエネルギーとなって迸ったのが「マイダン革命」だったのではないか。(アメリカが火をつけたのだとしても)

 

中国、ロシア、北朝鮮に囲まれた中で生活している立場からしてみれば、ウクライナの状況は、未来の日本のように感じられてしまう。ただし、そういう政治的な立場というのは、恐ろしい。(良い方にも悪い方にも)ものごとを大きく変えてしまう、巨大な力になるというのが、私の恐怖の源である。

 

だが、ウクライナの状況は、本当のところは、私には永久に分からないかもしれないし、ルハンシクやドネツクに行けば見方も変わるのかもしれない。それに、モルドバ南部にある地域も、今は「ウクライナ領」とされているが、微妙な地域である。ロシア帝国ソ連。そういった時代の強引な領土拡張が「紛争の元」を随所にばら撒いてしまったように思えてならない。

つまり、はっきりとは書かなかったが、ウクライナソ連邦時代に、ソ連邦の「巨大な力」をつかって小国から国土を奪ったとも言えるような(いろいろな解釈はあるだろうが)歴史はあるのだ。この事例は、ウクライナの意向というよりも、モスクワの意向なのかもしれないけれど。

 

それはともかく、一刻も早く停戦し、平和を取り戻してほしいというのが私の願いであるが、自分には何の力もないことを大変申し訳なく感じる。

 

そして私が今やっていることは、「有事」への備えである。自分ができることを少しずつやっていくというのが、私が心がけてきた「ささやかな生き方」である。