(1グリブナ≒25円)
キーウからシンフェロポリに向かう寝台列車に乗る。キーウ発0:38、シンフェロポリ着16:50。つまり16時間以上も乗車することになる。国土が広いのだ。料金38グリ(950円)。シーツ代を車内で徴収される。(8グリ≒200円)。寝台なのに、他の物価と比べると料金は安い。これも旧ソ連あるあるで、公共料金は安めに設定されている場合がある。
車両、駅ともに綺麗である。
ロシア語で「プラツカ」と呼ばれる「簡易寝台」だ。長時間の移動であるから、横になれるのは有りがたい。
翌朝、明るくなると、右手に海が見え、村、森、草原が見えた。
今、列車は、駅に止まっている。
腹が減った。
とにかく腹がへった。
頭がフラフラして、倒れそうだ。食料を買い込んでいなかった。だが、我慢するしかないだろう。
列車内、ウクライナ語で、「ボールペンを貸してくれ」と言われたが、意味が分からず。「ルチカ(ボールペンとかペンとか言う意味のロシア語)か?」と聞いてみたら、
「そう、ルチカ貸してくれ」とロシア語に切り替えてきた。ボールペンを貸した。私は列車内で日記を書いていたのだ。だから、「ボールペンなんて持っていない」とは言えない。
しかし、返してくれないのではと不安があった。日記を書くのに、日本製のボールペンでないと字が書きづらい。外国製のボールペンは質がよくないことが多々あり、大事に大事に使ってきたボールペンである。
その後、「ルチカ」は返ってきたのでホッと安心した。
それにしても、最初から「ルチカ」と言えばよいのに、日常的にロシア語は使わないのだろうか。ウクライナ人とロシア人が混在して生活をしているし、あえてロシア語を使わない人も居るというので、そういうことなのかもしれない。
窓の外、広がる畑、そして森。この風景が新鮮である。中央アジアやトルコなどとは大きく異なる。豊かな自然を感じる。ウクライナの自然は予想通り、美しい。
旧ソ連の国では良くある施設で、駅の中に簡易的な宿泊施設があり、格安で泊まれる。
このときは、30グリ(750円)、ウクライナの物価は高かったから、この値段はかなり安い。
シンフェロポリの街でチキンを食べる。中央アジア風のチキン。うまい。腹が減っていたためか、非常に美味い。食料品店で、パイ、アイスを購入、市場でピザを買う。ピザは2.8グリ(70円)。市場はやはり物価が安い。
簡易宿泊所は、駅構内(切符売り場)を出たところに噴水のある広場があり、右手にベッドのマークがある。3人ドミ。シャワー代は5グリ。部屋は清潔。シャワーは使用前に5グリを払い、シャワー室の鍵を開けてもらう。英語は一言も通じない。
例によって旅券の「姓(ファミリア)」「名(イーミャ)」「国籍」「生年月日」「住んでいる都市」などを訊かれる(受付の尊大な女性従業員は、旅券の英語が読めないので)。それでも、泊まらせてくれるだけでも感謝しなければならないだろう。
簡易宿泊所は駅構内にあり、便利なのは、列車チケットの購入がすぐに出来ることだ。
ただし、時刻表が全てキリル文字で書かれていて、私の能力では、読むのに時間が掛かる。
ウクライナ人やロシア人が、「英語」を読めないと同じく、私はキリル文字がスラスラとは読めない。私の語学力では、ゆっくりでないと、読めないのだ。
既述のように簡易宿泊所は、個室ではなく、3人部屋である。他のウクライナ人、あるいはロシア人と一緒の部屋である。男性と女性は分けられているようだった。
同室の人たちと、カタコトのロシア語で会話をする。
ここが重要なところで、自分が「不審者」でないこと、「友好的」な人間であることをアピールしておくことで「安全」な旅に一歩近づく。だからこそ、私は必死でロシア語を学んだのだ。そして、その拙いロシア語で、必死になってコミュニケーションを取っていたのだ。自分の身を守るためにも。
ただし、ロシア語はそれなりに勉強はしたが、カタコトしか喋れない。
だが、こうして機会を見つけては会話をすることで、少しではあるが、意思疎通ができるようになっていく。
この国では、ウクライナ語かロシア語ができないと旅行は厳しい。(当時)


