名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

苦労が報われた

文政13年。
7月29日、山田河原で中山門弟が合図火を行う。

8月29日、安井河原で御松明方の揚火が行われる。

これまで守綱寺の表門は花屋町の方にあったが、渡邊家中屋敷の方の白林寺筋へこの時表門を移し、本堂の正面となる。
住吉町の行き当たりに裏門を開け、住吉町・花屋町より下へ少し行ったこの裏門前に借屋が出来る。
ただし、裏門の一件は今年のことではなく、翌卯年のことである。

9月2日、御ためし(様)者2人がある。

同日、激しい雷がある。

9月晦日(29日)夜、伝馬町御園角の岸部屋の風呂場が少々焼失するも、火事となるが直ぐに鎮まり、類焼はなし。

9月、熱田太神宮へのおかげ参りが大流行し、なかなか賑わう。

9月26日から、常心流馬術土屋理左衛門の稽古場については、理左衛門に跡目がなかったので中根清五郎へこの日師範を仰せ付けられる。
片端の馬場のこと。

10月14日、納屋内海屋忠蔵が3000町(1町は3000坪)の除地(年貢免除の土地)を賜る。
帯刀となり内田忠蔵と名乗り、御勘定所の支配となる。
この親忠蔵は□屋□方に丁稚奉公し、様々な苦労をして盲目となる。
その後も車を曳いていたと。
一代で数十万の金を貯えると。
浮雲の(はかない)富ではあるが、その後堅実な財産を築く。

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