文政12年。
5月18日、馬の塔は清湛院様(徳川斉朝正室)の法事のため17日だけとなる。
どちらも倹約のためとても質素である。
荒井村から棒の手つかいを御櫓で御覧になる。
本町七丁目に眼鼻細工(義眼や附鼻か?)をする者がやって来る。
入眼、入鼻はとても上手な細工であると。
入歯は奇妙だと。
5月18日、1日中大雨で雷が鳴る。
同24日、暴風雨で評定所のふくらしば(ソヨゴ)の大木が折れ、御右筆組頭尾崎又六、正木孫三郎が少々怪我をすると。
17日頃からから6月10日まで霖雨(長雨)となる。
予(水野正信)は江戸へ24日に入る。
木曽路は雨の中であった。
5月下旬の触文には、文政9申年、肥後国熊本金屋町嘉平治(嘉治平)は同年6月9日に同国熊本米屋町市原屋俊十郎に供として雇われ、京木屋町二条下る二丁目に滞在した際に同人へ傷を負わせ逃げ去った。
俊十郎は死んでしまい、当1月15日、肥後国益城郡下横辺田村で俊十郎倅平左衛門が父の敵のこの嘉治兵を討ち取ったで尋ねるには及ばずと。
6月10日頃、御園町一丁目丸文裏の桟敷で、客3人がいた席に幽霊が現れて客は逃げ出し、中の女は飛び上がる。
三之丸天王、若宮他の天王祭では町々の灯物は半減し、巾下・広井の車は中止となり、志水・出来町・小田井では車を出す。
以前隔年にするようにとの触がある。
本町筋も家主の提灯は半減する。
水主町の川祭は中止となり、天王祭は行う。
6月2日、紀州前中納言太真様が逝去し、尾州では11日から17日まで物静かとする。
そのため天王祭の12日以降の分は残らず18日まで延期される。
津島は23日となる。
5月28日、合武三島流中山大三郎弟が矢田河原で船軍の火術ならびに合図火の稽古を行う。
(内容略)
6月4日、熱田問屋場前で御園町六丁目茶道具屋の谷松屋の水泳上手の手代がおぼれ死ぬ。
津島渡辺新兵衛に連れてこられたと。
6月上旬、雷が鳴る。
梅雨入りで10日の昼からいったん雷雨が鎮まり、また申刻(午後3時)過ぎから再び雷が鳴る。
雹が降り、あちこちの屋根や板塀などを壊し、清須あたりでは特に激しくて六角堂が破損し、北市場では家2軒が倒れる。
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