正徳4年4月13日。
朝、本多与助が27で死ぬ。
昨年冬に鶏をたくさん食べ、吹き出物もたくさん出たと云々。
病中色々と話してまるで乱心のようであった。
上唇に腫物ができたのを小刀で自ら切り落としたと云々。
嶋数右衛門三男春田安左衛門を願う(養子にと願ったということでしょうか)。
中村又蔵乗物舁きの妻を、町人肝煎が小万屋へ嫁がせた。
武井四郎衛門の若党もこれを取り計った。
乗物舁きはこれに腹をたてたので、この夜町人のところで仲直りの酒と云々。
しかし、乗物舁きを殺さないことには事がおさまらないので、若党に任せて帰路加藤甚五左衛門の横町で切らせた。
2人の町人と女房は逃げ去り、若党も傷を負い逃げ去った。
乗物舁きは腕などを切られ、その場所に残された。
町へ預けられたと云々。