青窓紀聞
天保2年。3月3日より4月12日まで、栄国寺において白山権現本地仏観音ならびに霊宝を弘通する。4月23日、笠松で龍が天上し(竜巻が起こり)、大騒動になると。岐阜田代円城寺などでもいろいろと騒ぎがあり、船などが松の枝にかかり、大木は倒れ、家…
天保2年。天保2卯4月23日暁寅中刻(午前4時)頃、濃州笠松あたりで少し強い雨が降ると、急に同所から西の方にかけてどうどうとうなり声が聞こえ、人家は大地震のように揺れ、雷鳴はしないがただ風雨だけが激しく、わずかにたばこ1、2服する間ぐらい…
天保2年。1月10日、夜五時(午後8時)に中程度の地震がある。同夜八半時(午前3時)過ぎ、同様。同13日、昼九半時(午後1時)小さな地震がある。1月、秋葉山麓で石塔を磨く。2月17日から4月7日まで、濃州武儀郡津保谷高沢大日山日龍峰寺で本…
文政13年。江戸よりやって来た簡の写し。久世鎌吉へ国元下総国関宿から申して来た書付。当8月1日の夜から、領内の寺々で石塔を磨く者がいる。何者の仕業かは分からず、2、3日頃には昼間も磨くと。昼夜にいくつかの寺で磨くわけではなく、数百本の石塔…
文政13年。7月29日、山田河原で中山門弟が合図火を行う。8月29日、安井河原で御松明方の揚火が行われる。これまで守綱寺の表門は花屋町の方にあったが、渡邊家中屋敷の方の白林寺筋へこの時表門を移し、本堂の正面となる。住吉町の行き当たりに裏門…
文政13年。4月(朱書、6月10日頃だと)鳴海あたりで三度飛脚(月3回江戸と大坂を往復した飛脚)の宰領を殺して大金(朱書、311両)を奪った者の仲間は2人だと。大濱の茶屋で朝の食事をし(これは殺した朝の早朝だと)、焦っていたのか値段も聞か…
文政13年。3月江戸においての言い渡しの写し。御書物奉行 天文方兼 高橋作左衛門寅四十六。地誌ならびに蘭書和解(和訳)などの御用を勤めているので、手配した書籍を選んで差し出せば役に立つとかねてから考えていたと申し立てているが、去る戌年に江戸…
文政13年。2月21日から3月12日まで、栄国寺で嵯峨釈尊写し、善光寺一光三尊仏を開帳する。3月23日から閏13日まで、荒子村蓮位寺で三河三ケ寺野寺本証寺の宝物を弘通する。□(ママ)□(ママ)日より児玉村観音寺で観音を開帳する。大いに賑わい…
文政13年。1月15日、熱田で射的が始まる。前中納言様が御覧になるが、もっとも御透見(簾ごしなどにこっそりと見ること)なので人を制止することはなし。大薬師内高塀の中に御覧所の御幕張が出来上がり、御簾がかかる。翌年からは東の方で立って御覧に…
文政12年。10月21日、東出来町萱場で火が出る。正八時(午後2時)頃火が出て、七時(午後4時)過ぎに火が鎮まる。女房がジウノ(十能)で火を取り、小さい火が残っていたのに松葉の桶に差し込んで外出した間に火事になると。11月初め、蝮池で入水…
文政12年。9月14日から20日まで、性高院寺家一行院で幡隆上人の勧誡が行われ、その後、鍋屋町養蓮寺でも行われる。9月16日、犬山魚屋町で火が出る。52軒、寺2個所が焼失する。9月18日未の下刻(午後2時半)、杉の町筋呉服町東へ入った北側…
文政12年。文政12年乙丑10月25日、木曽御材木奉行の下役早川七助は、山小屋で時雨が降り出す。手持ち無沙汰だったので杣(そま、木こり)などと酒を酌み交わし、小者(使用人)に山中の生椎茸を採りに行かせると、夜になっても帰って来なかった。よ…
文政12年。6月、石河太八郎殿が前津矢場田面で家中屋敷として3000坪を拝領する。6月13日朝五時(午前8時)前、小さな地震がある。6月22日、大きな雷がある。伝馬町筋鍛冶屋町の角に落ち、夜になっても八時(午前2時)まで激しい雨と雷が止ま…
文政12年。5月18日、馬の塔は清湛院様(徳川斉朝正室)の法事のため17日だけとなる。どちらも倹約のためとても質素である。荒井村から棒の手つかいを御櫓で御覧になる。本町七丁目に眼鼻細工(義眼や附鼻か?)をする者がやって来る。入眼、入鼻はと…
文政12年。4月15日、地方組早川新九郎の倅19才になる者が同組の吉田助右衛門の30才になる娘と密通して欠け落ちしようとしたのを、吉田の下女が留めたので刺し殺し出奔する。同役の者が残らず追いかけて捕え、御勘定所揚り屋へ入れる。男は勘当を受…
文政12年。1月8日夜、志水坂下馬喰孫右衛門の馬屋から火が出る。馬1疋が焼け死ぬ。火の見は鐘を打たず。同7日夜、車道御手先組、横井猪左衛門組で火燵におむつをかけて黒炭を入れたので燃え上がり、寝ていた子がひどくやけどを負い、死んでしまうと。…
文政11年。19日、礼馬がさまざま出る。本重町、大網引。桜の町、うへ木(植木)祭り。上御園、金ぐら作り物。八百屋町、加藤内虎狩。富澤町、十二月。大坂の発かん湯という砂糖湯売は奇妙ないで立ちである。朱塗りの箱を担いで5人ほどを連れて歩く。6…
文政11年。戌子(文政11年)元旦の5日間は晴天。10日頃から寒さがかなり厳しくなり、去年の寒中よりは寒さも増し、氷が張り、雪も少しずつ降る。大須大塔の造営が終わるが、供養は住職がいないので延期となる。2月9日、菖蒲皮町玄乗寺で祖師遠忌の…
文政11年。一 町触の写。家中の輩に倹約を言いつけられた衣服については別紙の品の他は用いず、羽二重・絹・紬・木綿、これに準じる品については脇書の値段より高価な品の売買を5ケ年の間領内では禁止と言いつける。このことをきつく心得るように。ただし…
一 町触の写。この度家中の輩に5ケ年の間格別の倹約を言いつけられたので、町々の者どもももっぱら粗末な服を用い、日ごろから仕事に精を出し、遊芸など嗜むことがないよう倹約に励むよう言いつける。ついては去る酉年に町中へ別紙の通りの箇条書で伝えたが…
文政11年。一 10月28日、次の品物の細かい内容について御目付から触が来る。一 羽二重とそれに準じる品。羽二重、茶丸、数寄屋縮、絹上布、絽、官紗、仙台平、無地縮緬、縞縮緬、紋縮緬、山舞入龍門、京八丈、七子、縞七子、飛紗綾、畝織絹、結城縞、…
一 倹約の件につき次の通り。家中の輩始め皆に倹約を言いつけられたが、世間では身のほども知らず、贅沢な衣服などを用い、良くない行いもあると聞こえてくるのは不届きである。この度厳しく倹約を言いつけられ、別紙のとおり申し渡すので心得違いのないよう…
文政11年。振廻(振舞、供応のこと)の定。振廻のことはかねてから言いつけられている通り、贅沢であるので一切中止するように。もしやむを得ぬ場合、集まった人への食事は一汁二菜、酒の肴は2種類までとする。もちろん高値の品などは出さず、酒は何杯も…
供の者の定。大寄合、ならびに3000石以上の輩、平常は侍2人、槍、挟箱、草履取。年頭は徒2人、侍2人、槍、挟箱、草履取、長柄。御側御用人始め御用列以上、平常は侍1人、槍、挟箱、草履取。年頭は侍2人、槍、挟箱、草履取、長柄。御用列以下、太刀…
文政11年。衣服の定。万石以上、年寄中、両家嫡子、年寄列、御城代、山村甚兵衛、千村平右衛門、この輩は定の制約にはとらわれず。大年寄以下、物頭以上、この者は羽二重より上の衣服は着るべからず。肩衣、袴などもこれに準じる。物頭以下、御徒格以上、…
文政11年。10月下旬、厳しく倹約を申し付けられた触などの写し。御家中には倹約のことを引き続き申し付けられる。去る酉年にも申し付けたところではあるが、不行届きなこともある。特に衣服を質素にするために天明の年の制限を取りやめたところ全て上手…
文政11年。9月8日早朝、本町三丁目吉島屋佐兵衛の12歳になる娘を17歳になる丁稚が咽を突いて殺そうとし、自分は蔵の中へ入り、自害し死んでしまう。娘は半死半生で、この女が死んでしまったなどの噂も多い。9月□(ママ)日、秦源兵衛弟が腹を切る。…
文政11年。6月10日、鈴木丹後守殿の家老の何某の召仕中間が上屋敷の長屋で首をくくって死ぬ。4日前に暇を出されたので、その当てつけに死んだとのこと。若宮の車の中で住吉町の車は幕、高欄、人形、天井などを取り替えて立派になる。幕は猩猩緋に波を…
文政11年。4月17日、雨天のため祭礼は18日になり、無事終了する。この日は見物場所へ殿が現れるのが遅れたのであれやこれや遅れてしまい、帰りの車を御還御門まで5両引きだすと暗くなってしまい、車4両ほどを真っ暗な中で高揚(高揚提灯?)だけで…
文政11年。2月14日夕からしきりと激しい雨と風で、雷鳴もたびたびある。同18日早朝から埃のようなものが空から降る。それは霧などに似ている。半町(1町は約100メートル)先の人の顔を見分けられず。19日夜になって段々おさまる。この日の暴風…