1.はじめに
副題にもなっている「機能的な文章」として、著者は以下の通りに定義しています。
- とにかく意味がとれるということ。なにを言っているか分からない文章では困る
- 曖昧でないこと。イエスかノーかはっきりしない文章でも困る。
- 誤解されないこと。一応分かったつもりだったのが、じつはそうでなかった、という文章はいただけない。
- 読者によけいな手数をかけないこと。構文が複雑であるため、読者に必要以上の苦労を掛けるような文も、悪文である。
- そして、これらが読者に対する親切心によって裏づけられていること。
要するに、親切であるとか思いやりがあるとかが基本となり、そのうえで文章技術の面でも洗練されたものでなければならない。あるいは、洗練された文章でなければ、親切な文章とは言いがたい、ともいえる。
機能的でない悪文が、「これでもか」と例示されています。その辺からとってきた文章ではなく、著名な人が書いた著名な作品ですら採り上げられています。
本書と以下をあわせて読むと、よほど意識して書かないと相手に伝わらないし、ましてや読んでももらえない、ということがよくわかります。
2.内容
- 日本語の文は述語が基本。どの文にも、どの句にも、原則とし述語を欠かすことができない。これを欠かすと、文に結末が来ない。したがって文は形成されない。
- 長文は悪文。読者は、どこに主語があるのか、と模索しつつ読み、文の最後の部分にいたって、はじめて「なるほど、ここに主語があったのか」と諒解する。
- 文章というのは、うっかりするとひとりよがりになりやすい。だから、冷却期間を置き、書いたものを一度客観の底に突き落として、冷静に眺めるとよい。作者としてでなく、一介の読者として。その意味でわたくしは、特別急ぐものを除けば、少なくとも一晩置いて、翌日あらためて見直すことにしている。そうすれば、かならずといっていいほど、文章の構成の甘さ、言いまわしのまずさ、無駄な表現などに気がつく。
- 箇条書きにすることは、文を短くするのに役だつ。箇条書きはまた、いやでも作者にその考えを整理させる。考えが曖昧では、箇条書きにすることは困難である。ゆえに、箇条書きは、必然的に読者への伝達をより容易にするであろう。
- 主語がなくても、文は成立する。これは日本語の長所である、といってよい。だがー主語がなくてもすむゆえに、ついうっかり主格の存在を忘れてしまう。あるいは、自分の頭の中に主語ができているけれど、つい表現することを忘れて、読者に混乱を起こさせる。そういうことになりかねない、という欠点もある。
- とまれ、受身や使役の用法は、行為の主体をはっきりさせるのに役だつ。日本語文でも必要なときは、受身や使役の形をとった方がよい。その方が主格を統一させ、話の筋を明瞭にすることが多い。
- 少し長くなっても、正確に述べた方がよい。いい加減な書き方をするくせをつけていると、少し複雑な内容の文を書くとき、収拾のつかない混乱を招くことになるだろうから。
- 文中に「が」が出てくると、読者は、そのあと、前の句に対する反対の叙述があるであろう、という期待を持って読み進める。期待を裏切られたとき、とりわけそれが「漠然たる関係」であるらしいーあると断定できないところが「漠然たる関係」の「漠然たる関係」であるゆえんであるーと気づいたとき、わたくしはなんともやりきれないモヤモヤしたものに包まれる。
- 自分の書いた文を、少し時間を置いて客観的にみるならば、直さねばならないところがかならずあることに気づくであろう。削るとか、加えるとか、順序を変えるとか。そのなかで、なんといっても削ることの効果は大きい。削ることによって、もっとも必要な部分がクローズアップされるからである。とまれ、「が」は安易に使うべきではない。単に句と句とをつなげ、長文にするために使う、ということをしてはならない。
- 読点は、切れ目を示すものである。切れ目には、大きなものもあれば、小さなものもある。①大きな切れ目の読点は、欠かすことができないが、小さな切れ目の読点は、省略してよいことが多い。のみならず、②大きな切れ目を明示するためには、むしろ小さな切れ目の読点は省略した方がよいことが多い。
- 文章というものは、書いている段階では、まだ作者のメモのようなものである。だから、どんなに舌ったらずであってもさしつかえない。自分にしか分からない符号を使って書いても一向さしつかえない。しかしながら、作者の手を離れてしまうと、作者の意思とは無関係にひとり歩きを始める。そのときになって、そんなはずではなかった、と言ってももう遅い。そのとき文章は、すでに作者の手の届かないところにある。だから、書いたものは、一度客観の底に落とし、読者の立場に立って、冷静に読みなおすのがよい。表現力の欠如は、そういう努力でたいがいは補えるものである。言いかえれば、表現力の欠如の大部分は、作者に怠慢による、というべきである。
- 文章は、人の”心と心と”をつなぐ「かけ橋」である。「かけ橋」をつくるために、作者は言葉を選ぶ。まさにそれでなければならない、という語を選ぶことが、本当の文章を書くことである。
3.教訓
以上の引用は、悪文の事例が例示された後にそれぞれ解説されているものです。そして、著者による、「こう書き直せばわかってもらえるだろう」という推敲文も示されています。
よって、本書に関していえば、さまざまなレビューをされていると思いますが、レビューを参考にするだけではなく、原文を読んで「自分だったらこう書く」と考えながら読むのが良いと考えます。
本書を読んで、会社で文書を書く際に、以下のことについてより注意するようになりました。
- 主語と述語が向き合っているか
- 修飾語と被修飾語が対応しているか
- 無駄な読点を打っていないか
- 何と何とを並列に表現していることが伝わるか
- なんとなく「が」を使ってしまっていないか
そして、内容そのものに加え、下線やハイライトを使って、相手に伝えたいことを表現することも意識したいポイントです。上述の赤字部分は、特に心に残りました。
