【書評】久保田正志『オウム真理教と解離性障害ー中川智正伝』
7年前の本日、オウム真理教元信者だった中川智正さんらが処刑されました。
このところ、ブログを書くことから離れていて、久しぶりに書くとしたら、今日しかないだろうと思いました。
書くことはかねてより決めていました。
昨年8月23日夜中、Twitter上で『中川智正伝』がついに発売されるということを知り、興奮してしまいました。
著者は、久保田正志氏。
中川智正さんとは岡山大学教育学部附属中学校以来の親友の方です。
私は、読売新聞の2008年ぐらいの記事で、東京拘置所に勾留されている中川智正さんに面会し続け手記を書こうとしている方だと直感しました。
是非、手記を出してほしいと願っていましたが、
オウム真理教関係書籍はあまり売れないので、おそらく中川智正さんの周辺だけで手記が共有され、一般向け出版はないと諦めてもいました。
だから、『中川智正伝』が出版されると聞いて、一晩眠れないまま、次の日に頭痛をこらえて仕事にいくほど、興奮していました。私ほど伝記出版を喜んだものはいないでしょう。
どうしても発売日に入手したくて、大型書店に予約まで入れました。
「♪もーいくつねーるとー」(発売日?)と思いながら、日々を過ごしてきました。
そうして、2024年9月19日(木)を迎えました。
- 二枚の写真
これまで見たことのない中川智正さんの二枚の写真が掲載されていました。
頁上部のは中学同窓会でほろ酔い笑顔のもの、下部は筋肉を誇示するポーズをとったものでした。
おそらく、この写真を見た人は、「どうしてこんな笑顔で元気な人がオウム真理教関係の死刑囚なのか」とまず思うのでしょう。
私個人は、中川智正さんについて勉強していたので、
頁下部の筋肉を誇示している姿の写真からは、麻原第161回公判(2000年6月22日)に出廷した中川智正に対し、
麻原彰晃が「脚力は強いんだ・・・」「麻原彰晃、松本智津夫はお前の父親」なる不規則発言をかけたことと
つながりを感じさせる写真を選んだと捉えました。
このように、著者も真正面から中川智正さんの巫病について取り組んだという意思表示でもあると思いました。
一番後ろに掲載されている、佐々木雄司・元東京大学教授が書いた鑑定意見書③麻原との関係のなかで
「石川公一証言」として提示されている
「新実(智光)ー麻原関係は、ある種N極とN極、S極とS極で反発し合いながらものすごい力で引きあっているような感じ。
でも中川ー麻原関係は、自然に融合しちゃっているような感じでした」を、
この写真から垣間見ることが出来たと思います。
おそらく中川さんとの付き合いが長かったので、たくさんの中川さんの写真をもっているであろう久保田正志氏が、
あえてこの写真を選んだのは、上記の証言を写真で見せようとしたのかもしれないと思いました。
- 著者・久保田正志氏
本著は、あの1995年3月以降のオウム報道一連後、死刑執行に至るまで、ただ一人、中川智正さんの話を傾聴することができた久保田正志氏の存在なくして成立することはなかった死刑囚の伝記であります。
オウム真理教の歴史を振り返る上で、中川智正の存在を抜きに見ることは難しいと思います。それはオウム真理教の犯した犯罪の多くに関わったうちの一人が中川智正だからです。その人物が何をどう思っていたのか知ることで、オウム真理教に関する新たな視点を得ることができます。
久保田正志氏は、一般的には接見禁止がついていた1996(平成8)年4月9日に特別に解除され、東京拘置所にて面会が許されたのでした。
接見者が拘置所から期待される役割とは、勾留者の「心情の安定」だったようです。
この時期、まだオウム真理教事件に関する悪いイメージが先行している中で、久保田正志氏は友人として接見禁止が解除され面会が許されたということは、それだけ拘置所側からも中川智正の心情安定の役割を期待され、それに応えながら、「接見禄」をワープロ打ち(当時はワープロが主流の時期)をし続けていたのでした。
「体のエネルギーは今も時々おかしくなる」
「麻原氏の前世は徳川家光だが、私も江戸時代に生きていて周りに重装備の兵士が沢山死んでいる小高い丘に坐っていたビジョンがある・・・」
「私は天人界にいたことがあるし、井上(嘉浩。諜報省長官。2018年7月6日大阪拘置所にて死刑執行)君も一緒でその時は私の方がステージが上だった。我々は天界では竜で、麻原氏は竜王だった」
あたりを書きとれるとは・・・。
久保田正志氏の優れた傾聴力と、メモを年代別に組み立てる労力がなくして、この『中川智正伝』は成立しえなかったと思います。
中川智正さんも、久保田氏に対して「あなたはましだが」といいながら、躊躇しながら神秘体験を接見で話したのだと思います。もとより幼い頃より「光の体験」「人の影響が自分に入ってくる体験」を中川さんは母親から口にすることを禁じられていたのでした。
裁判では証言を拒んでいた時期の中川智正さんの姿をここまで残してくださって、ありがとうございますと申し上げたいです。
中川智正さんも、だからこそ伝記の執筆を久保田正志氏に託したのだろうと思います。
私は最初一読した際、中川智正さんも麻原彰晃も「異常者であった」という事実に改めて気づかされて、神秘体験の部分を読んでいるだけで自分の頭がついていきませんでした。中川智正さんが死刑になってから7年。それ以降なぜか日々の勉強(趣味?)の一環として、中川智正さんが神秘体験を重視していたことを知っていても、読後驚くことばかりでした。裁判の証言で知ったものよりもさらに詳細だったから。
『ジャム・セッション』第9号(2016)の中川智正さんの俳句の中に
百日の行や七度の結願へ
というのがあり、小さく「中学からの友人の面会が六百回を超えた」とあるのは、久保田正志氏との面会が600回を迎えたことをいっているのでしょう。
我々が確定死刑囚である中川智正さんエッセイをネット上で読めたのは、久保田正志氏が外部交通者であったことが大きいことに気付きました。
ネット上で中川智正さんのエッセイを紹介していた、京都府立医科大学の事務課の俳人は、
中川智正さんと面会の経験があっても、外部交通者ではありませんでした。
中川智正さんがエッセイを書く
⇒拘置所からの手紙として久保田正志氏の元に届く(中川智正さんの直筆)
⇒久保田正志氏がWordで活字化して、京都府立医科大学の事務課の方に郵送かメール(メールの可能性が高い?コピーペーストができるから)
⇒京都府立医科大学事務課の方が中川智正さんの短歌とエッセイを『ジャム・セッション』として掲載
これだけの煩雑な手続きを経てネットにて公開されたものであったことがわかりました。
- 巫病とマインド・コントロール
「巫病」とは、文化人類学で使われる概念で、
シャーマン(シャマン:巫者)になるプロセスの途中などで、神秘体験と結びついて起こる心身の異常状態を指します。
この概念を中川智正さんに指摘したのは藤田庄市氏。2003(平成15年)10月頃だったということです。
中川智正さんもその概念を研究し、
「オウムの人は多かれ少なかれ私と同様巫病の傾向はあった。それが前面に出ているか出ていないかの違い」としたようです。
それでもこの概念を知ったことで、中川智正さん自身の精神状態は安定に近づいたようでした。
中川智正自身が巫病発症の理由の一つとして、医師国家試験前に柔道の稽古をしなくなり筋肉が衰えたことをあげていました。
なお、中川智正本人は、意識的にか、無意識的にかはわかりませんが、
「自身が留年するかしないかの不勉強さ」を出していないことが注目点です。
医学部の世界は、大学入試が終わってからも、今度は新たに医学という学問を地道に体系立てて学んでいかねばならない世界のようです。
留年スレスレで場当たり的に大学の定期試験を乗り切ってきたようなタイプの学生にとっては、
研修医になればその知識を患者さんのために適切に提示できないといけず、その上激務に伴う不眠も伴い病んでドロップアウトしてしまう人も
実は多いようです。
その面において、精神的に辛かっただろうに、そのことについては本人は頑として認めたくなかったようでした。
一方では、オウム真理教の信者に対して「マインド・コントロール」から解ける、解けないという報道がよくされていましたが、
中川智正さんはマインド・コントロール論については批判的でした。
「尊師は光を放っています。これはたとえ話ではなく、この光は視覚的に視ることができます。
(中略)
例えば尊師の部屋は外から見ても光っていましたし、尊師から500キロメートル以上離れた所でも私はこの光を見たことがあります。
(中略)ただ、トータルで言えば、この光を見ることができる人はほとんどいません。
教団内でも大部分の人がこの光をみていないと思います。
(中略)
自分がなぜ教団に居たのかわからない脱会者は「私はマインド・コントロールを受けていたのだ」と言っています。
しかし、その「マインド・コントロール」の実態はいまだに全く明らかになっていませんし、
これからも明らかになることはないでしょう。そのようなものは存在しないからです。」(88頁~89頁)
中川智正さんが死刑執行されたときの報道では「中川智正死刑囚は、(中略)裁判では麻原のマインド・コントロール下にあったと責任能力を否定しましたが、一審・二審で死刑判決を受け、2011年には最高裁で死刑が確定しました」とアナウンサーが伝えていました。
この点ひとつでも、最後まで、現世と合わないまま迎えた最期だったともいえると思います。
拙ブログのタイトルは「僕は二つの世界に住んでいる」ですが、そのタイトルを選んだのも、中川智正さんをテーマにする際、中川智正さん自身が、大学までの人間関係や、拘置所の職員さんなどとの関係を良好にしながら、
教団時代の話を否定もせず、批判も最小限にして、自分のみたものを外部に伝えたいという思いがあったということを示していると思ってつけました。
マインド・コントロールから解放された、されないという見方で中川智正さんを見ようとしても挫折するでしょう。
私はそれで一回中川智正さんを見る視点を誤っていたことに気付き、修正したのです。
- 「巫病」か「急性一過性精神病性状態」か?
「巫病」は文化人類学的概念ですが、「急性一過性精神病性状態」は、精神科で使われている病名のようなものらしく、複数名の現役のお医者様がそのような病名の患者さんを診察したことがあると言われています。
中川の巫病には一考ありです。
— Vicarius Amidae (@ApplerV30) March 24, 2025
当時は研修医を酷使する野蛮な文化があり、優秀では無かった中川も不眠を呈した可能性は高度に有ります。
一部の精神障害は不眠を直接の契機として出現します。
急性一過性精神病様反応など、まさにコレです。
病的体験の内容も酷似してます。
数名の自験例あり。
中川智正がもし、医師国家試験後に精神に変調をきたした段階で、精神科に通院して診察を受けていたとしたら、「急性一過性精神病性状態」と診察され、投薬治療を受けていたと思います。ただ、精神科の先生方は、医師国家試験後の変調状態にフォーカスし、「急性一過性精神病性状態」と診察するでしょうが、中川智正さん本人は納得しなかっただろうと思います。もしかしたら、タイトルの通り「解離性障害」とも診察する医師もいたでしょう。
そうなると、どうして本著のタイトルを『オウム真理教事件と解離性障害』にしたのだろう・・・という疑問がわきます。
『オウム真理教と巫病ー中川智正伝』にするかどうするか悩んだのではなかったかと思います。
中川智正さんは、麻原自身も巫病であるとして、巫病を理解しようとする人に対しては、巫病について
語り、さらに死刑確定前には教団関係者で巫病の疑いのある人をカウンセリングしたりもしていたのでした。
このように、中川智正さん自身は、巫病という概念を使おうとしていたけれど、
自分の状態を現世の概念で当てはめて理解しようとする人、
例えば、アンソニー・トゥー先生には内面的な話をされても
「麻原氏がヨガの教師として優れていたから」以上の話をしないよう心掛けていたのでした。
オウム真理教がなかったとしたら、中川智正さん自身はどうなっていたのでしょうか?
おそらく、研修医が続かないといった時点で自殺か、精神科病院への入退院を繰り返す生活以外になかったと思います。
私は、自分自身も精神疾患を患いながらなんとか生活している身のため、中川智正さん死刑執行の一報を聞いたとき
なんだかうらやましかったのでした。死刑執行されたことはショックでしたが
もうこれで苦しまないでいいので、うらやましいとさえ感じました。
この自分自身の直感から、自分なりに資料に当たったりして現在に至りますが、
中川智正さんがオウム真理教に入信し、各種事件を起こした結果死刑執行となったことに関しては、
「裁判で自分なりの陳述ができて、
佐々木雄司先生のような、フィールドワークに重点を置く精神科の先生に巡り合えてよい鑑定書を書いてもらえて、
支援者にも恵まれて、死刑とはいえ人生を全う出来たのだから、
閉鎖病棟に閉じ込められたり、
医学部を出たのにニート扱いされる人生
(本当は名もなくこのような立場を余儀なくされている方は見えないけれど、我が国では多いと思っています)
にならないで、確実に死なせてもらえてうらやましい、という気持ちだけは私個人は変りません。
本人のプライドだって守られていたと思います。
医学生時代の時の中川智正さんは、留年スレスレで、医師国家試験の合格さえ教授から危ぶまれていたと書籍には
ありますが、実際は以下の通りだったようです。
府立医大では国試で不合格になりそうな者は、当時ほぼ皆無でした、、、その点は流石ですよ。
— Vicarius Amidae (@ApplerV30) 2025年3月24日
不勉強過ぎて成績は悪かった中川でしたけど、国試の心配だけは周囲の誰もしてませんよ。勉強しろっとハッパを掛ける意味での警句が基本と考えた方が良いです。
国試合格率だけは日本有数の医大でした。
意地悪い目で見るならば、中川智正さんが追試、再試に追われないで、授業をしっかり受けて
疑問点をその都度解決していくなどの努力をしていれば、沖縄県立中部病院の研修医だって受かっただろうから
今もなお、現役のお医者様として尊敬されていたと思います。
しかしながら、研修医をドロップアウトしていった先がオウム真理教だったのと、
麻原彰晃が、中川智正の身体の状況に配慮して、医療業務に関わらせたのは最小限だったらしい。
その最小限の中には、麻原彰晃が起こした事件の治療役というのがあったし(それで死刑になった)。
その他にもwikipediaからですが

医師としての技能が足らないにも関わらず、麻原彰晃以外の信徒に対して、注射だけでなく、帝王切開の経験もないのに
行うなどしているため、この部分を見た「マトモな」医者ならば、中川智正さんが医者として無能であることに気付くはずです。
その人が医師免許を返上しても、なぜか最期まで拘置所内において、「医者」扱いを受けているし、
本人も、7月2日アンソニー・トゥー先生宛手紙においても「私は医者ですから」と書いているように
人生の最期まで医者として生きることが出来てしまった・・・。
そして、オウム真理教内部において、中川智正さんによって傷つけられた人はいたでしょうし、
共犯者の中には彼に怨みを抱いているひともいるでしょう。
さらにオウム真理教の事件によって今も苦しんでいる被害者の方もいます・・・。
ある意味、「麻原彰晃の力を借りた『無敵の人』」の側面も見逃せません。
210頁に、平成元年(大学卒業、研修医生活が始まるのと前後して精神的に変調をきたしてオウムに救いを求めた時期)を振り返って
「薬は投与されたが、飲みたくなくて飲まなかった。
神秘体験を病気とは思っていなかった。
佐々木(雄司)先生が診たとしてもカウンセリングのみで、 場合によっては投薬ということだろう。
巫病について、医者としてできることはないと思う。なんともならない。
江川(紹子)さんからカルト対策としての協力]を求められたが、
巫病については何ともならないから協力しなかった。
医師がカウンセリングするだけなら、宗教団体の方に行った方が体験者としては良い。
巫病は史上ではたくさんいて、旧約聖書にも出てくる。
巫病は精神分裂症とは違って、細胞の異常とか物質的な基礎がないので、薬をだすというロジックにもならない」とのことです。
中川智正さん自身が、自分の学んできた医学を拒絶していたのでした。
中川智正さんは、再審請求はしていたものの、一貫して死刑以外の判決はないとの思いで過ごしていた方と思います。
だから、7年前の今日、居室から連れ出されていくときに、
他の死刑囚なら看守たちの肩を借りて刑場に赴くものとされそうですが、
「自分の足で歩いていきます」と落ち着いて死刑執行を迎えられたのでした。
東京拘置所で精神的にも物理的にも守られて、自分の行動を省みたり、研究したりしながら、55歳で死刑になった中川智正さんは
家族によって自室に閉じ込められた医学生slownews.com
よりも自由だったのではないかという今日この頃です。そのことをさらに教えてくれたのが、本著でした。
中川智正さんという人の人生を辿りながら、ある人は自分の心の傷に気付いたりする機会になれば
中川智正さんの魂がどこかで喜んでくれるのではないか、と思っています。
