突然、海軍航空隊に沼落ちした海軍ファンのブログです。海軍航空隊跡訪問記録もアップしています。海軍航空隊関連の本や映画も紹介しています。
2025年も終わります。海軍航空隊への愛とミーハーをひたすら書くという、オタクでマニアックなこのブログを3月から始めて、9カ月が過ぎました。こんなオタクでニッ…
鹿屋航空基地資料館 (鹿屋航空基地資料館の続きです)資料館の撮影OKのスペースには、かって鹿屋にあった掩体壕の破片が展示されていました。現在海上自衛隊鹿屋航空…
海軍航空隊の重要基地、鹿屋鴨池から早朝のフェリーに乗り、鹿屋へ向かうため垂水へ渡ります。朝焼けの中をフェリーは進む。朝の海はきれいだな~と風景に目を奪われてい…
いざ、桜島へ鹿児島県護国神社を訪ねた後は、桜島フェリーの乗って桜島へ。 私は幕末歴女でもありまして、桐野利秋(人斬り中村半次郎としての方が有名かも)のファンな…
鹿児島県護国神社fuyunoA&Bの鹿児島戦跡ツアーはまだまだ続きます。天文館前のバス停から市バスで護国神社前のバス停まで。鹿児島県護国神社に着きます。あ、な…
佐倉城址公園を引き続き巡ります。↑佐倉城の礎石 昭和59、60年(1984、1985)に発掘調査した際に、陸軍営所跡の基礎に大量の石が詰めてあって、主柱の建つ…
軍都、佐倉鹿児島戦跡ツアーはまだ続く・・・ということで、次は鹿児島県護国神社について書こうとしていた・・・のですが。この鹿児島県護国神社。もともとはミッドウェ…
貴様と俺の碑海軍航空隊鹿児島基地跡の石碑というか、鴨池小学校の前のバス停から市営バスに乗り、鴨池市営プールのバス停で下車。鹿児島市勤労女性センターの隣、駐車場…
鹿児島にもあった予科練の空指宿駅から菜の花特急という電車に乗って南鹿児島駅で下車。南鹿児島駅から海側に行くと、「鴨池」という地名の地域があり、そこに鹿児島海軍…
水上機基地、指宿1944年(昭和19年)1月に指宿の地に海軍航空基地が置かれ、第453海軍航空隊の基地となりました。第453海軍航空隊は、もともとは高知県幡多…
「台湾から出撃した陸軍沖縄特攻 ~第8飛行師団の沖縄戦~」 知覧特攻平和会館で開催中の企画展(2026年3月31日まで)。太平洋戦争中、台湾は日本の領土になっ…
知覧陸軍飛行場1941年(昭和16年)12月、知覧町に陸軍の飛行場が完成。飛行場は直ちに大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所となり、知覧教育隊になりました。少年飛行兵…
10代の特攻隊員たち万世特攻平和祈念館の一階の写真撮影可能なスペースに、おそらく目にしたことがある人も多いであろう、子犬を抱いた陸軍特攻隊員の写真があります。…
幻の特攻基地、万世万世は陸軍飛行場があった場所。そこに万世特攻平和祈念館が建っています。陸軍の飛行基地でしたから陸軍関連の展示が中心ですが、ここには貴重な海軍…
出水海軍航空隊ゆかりの戦跡出水特攻碑公園の近くには、出水海軍航空隊ゆかりの戦跡が残されています。出水特攻碑公園の前の大通り沿いに、幾つか戦跡があります。↑気象…
出水海軍航空隊1943年(昭和 18年)に、鹿児島県の現在の出水市に出水海軍航空隊が開隊。当初は搭乗員の訓練をしていましたが。戦況が厳しくなるにつれ、出水も特…
伝説の紫電改部隊零戦の後継戦闘機、紫電改。源田実司令率いる三四三空で、太平洋戦争の末期、光芒を放った紫電改部隊。鴛淵孝大尉が率いる七○一隊(通称が維新隊)菅野…
fuyunoA&B、鹿児島へ行く飛行機が大の苦手な私。いえ、見るのはいいのよ、見るのは・・・。零戦見たり彗星見たり、見るのは好きなのですが・・・。飛行機に乗る…
1941年(昭和16年)12月8日。ハワイの真珠湾を日本海軍が攻撃した日。その日から太平洋戦争が始まりました。 あの日、真珠湾を攻撃した日本海軍の飛行隊の陣容…
日本海軍では航空機に乗る搭乗員には追加で航空糧食というものが提供されたそうです。プラスアルファの食事ですね。 吉田俊雄著『日本海軍のこころ』(文藝春秋)による…
12月7日15時より、NHKBSプレミアムで『トラ・トラ・トラ!』が放映されます。バッチリ録画しちゃうもんね。リピート見しちゃうもんね。この映画、以前、アマゾ…
軍郷、四街道千葉公園の陸軍戦跡を訪ねた後、総武線で千葉駅から四街道駅に移動。千葉市のホームページによりますと。かって四街道駅周辺は見渡す限り原野の地であったそ…
アマゾンプライムで桜花を描いた映画「サクラ花」が配信開始になったので見てみたのです。 桜花。若い搭乗員の命を部品として扱った非道の特攻兵器。当時の最先端ロ…
(千葉公園の陸軍戦跡の続きです)陸軍気球連隊↑陸軍気球連隊の第二格納庫のダイヤモンドトラスなんだか現代美術といわれればそうかなと思うような構造物。陸軍気球連隊…
千葉公園にすごい陸軍戦跡がある⁉「板橋だけでなく、千葉にもドエライ陸軍戦跡あるで」と教えてもらった私。なんでも千葉駅のすぐ近くにあるそう。ええ?以前、仕事で千…
今、この時!―南太平洋海戦真珠湾攻撃の後も、村田少佐率いる雷撃隊は戦い続けます。しかしミッドウェー海戦で日本海軍は惨敗。ミッドウェーの雪辱を果たそうと必死の南…
春風駘蕩村田重治少佐(むらた しげはる)。海軍兵学校卒58期。長崎県出身。戦死後、二階級特進で大佐。享年33歳。(↑写真はWikiからお借りしています) 豊…
戦争中、気象は軍事機密だった満州事変以来、太平洋戦争終戦まで、気象が軍事機密だったことを知ったのは、今里能著『敗走一万粁 一気象将校の手記』(旺史社)を読んだ…
fuyunoB、美保基地を直撃して挫折私の妹、このブログでいうところのfuyunoB。仕事で鳥取県堺港市に行ったので、フリー時間を利用して、美保海軍航空隊跡を…
日本画家が描いた戦争画ツラギ夜襲戦。1943年。三輪晃勢(みわ ちょうせい)という日本画家が描いた戦争記録画です。1943年(昭和18年)の第2回大東亜戦争…
ゲリラの捕虜となるパラオを発った二式大艇二番機がセブ島近くの海に墜落後、海上を漂っていた搭乗員達のもとに、夜が明けて、現地住民のカヌーが近づいてきて救助して…
日本海軍最大の不祥事、海軍乙事件ダバオ誤報事件と並び、いや、それ以上に、日本海軍最大の不祥事といっても過言ではない海軍乙事件。 1943年(昭和18年)4月…
西の原爆ドーム、東の変電所武蔵村山の東京陸軍飛行学校跡地を巡った後、東大和市の旧日立航空機立川工場変電所を訪ねました。太平洋戦争終盤、アメリカの艦載機に銃撃さ…
陸軍飛行隊の華、少飛陸軍少年飛行兵。通称、少飛。陸軍の少年飛行兵学校という下士官の飛行兵養成学校を経て活躍。海軍の予科練に相当します。1937年(昭和12年)…
南鳥島のレアアース南鳥島。海軍航空隊ファンの私には馴染のある名前。これ、人口島ですか?と疑うばかりのきれいな三角形の島。(↑写真はWikiからお借りしていま…
陸軍士官学校があった場所座間には海軍だけでなく、陸軍関連の戦跡もあります。かって座間には陸軍士官学校がありました。りっくんランドで見学してきた振武薹記念館の建…
高座海軍工廠座間には、海軍ゆかりの戦跡と、陸軍ゆかりの戦跡とあり、ダブルで楽しめます。太平洋戦争中、座間には高座海軍工廠があって、零戦の後継機(と期待された)…
工都と呼ばれた街板橋にビジュアル的にドエライ陸軍戦跡がある・・・。そう聞いてはいたのですが。板橋ならいつでも行けるか~と思い、延ばし延ばしにしているうちに。一…
司令官特攻有馬正文(ありま まさふみ)海軍少将。戦死後、最終階級は中将。この方、海軍航空隊好きにはよく知られた名前だと思います。なぜ有名か?それは、海軍…
終戦に納得せず埼玉県の本庄に、かって陸軍の児玉飛行場がありました。映画「日本の一番長い日」(1967年版の白黒映画の方)に出て来る、陸軍の児玉飛行場。1945…
fuyunoB、DMZへ行く(仕事で)戦跡訪問・・・と言えなくもないですが。私の妹、このブログで言うところのfuyunoBが、韓国のDMZへ行ってトンネルくぐ…
『暗い波濤』に描かれた場所阿川弘之氏の名作『暗い波濤』。何度読み返したことか。もはや私のバイブルです。Kindleで電子書籍版を購入し、いつでも、どこでも、読…
りっくんランド陸上自衛隊の朝霞駐屯地に隣接している「りっくんランド」。陸上自衛隊広報センターです。ここに陸軍予科士官学校があったということで、振武臺記念館を訪…
三つの銀時計「絵画で見る戦争」シリーズで、伊原宇三郎氏の「特攻隊内地基地を進発す」をこのブログで紹介した時に、そこに描かれた陸軍の特攻隊、殉義隊のことを書きま…
fuyunoB台湾へ行く(仕事で)私の妹、このブログで言うところのfuyunoB。仕事で台湾を訪れたので、基隆要塞(きいるんようさい)を見て来たと報告がありま…
二枚のアッツ島の戦いの絵今週末、10月26日で、東京国立近代美術館の「記憶をひらく 記録をつむぐ」展も終了です。最後にもう一枚、この企画展で展示されている絵画…
飛燕の秘めたる空戦私は海軍の戦闘機であれば「零戦」が一番好きです。海軍の爆撃機であれば「銀河」が一番美しいと思っています。そして、陸軍の戦闘機としては「飛燕…
伊原宇三郎氏の「特攻隊内地基地を進発す」東京国立近代美術館で開催中の「記録をひらく 記憶をつむぐ」展(2025年10月26日まで)。東京国立近代美術館が所蔵し…
観音崎公園前から横須賀駅行のバスに乗り、走水上町のバス停で下車。浦賀戦跡ツアー最後の目的地、走水砲台跡に着きます。いえ、走水低砲台でした。千代ケ崎砲台や観音崎…
観音崎トーチカ駆逐艦村雨の碑にお参りした後、海沿いに観音崎通りを歩いて行くと、道路沿いに葉っぱに埋もれたトーチカが。 このトーチカも一度も攻撃されることも、…
陸軍桟橋海軍機雷学校跡の先に久里浜少年院があるのですが、その前から横須賀駅行きのバスに乗って浦賀病院前のバス停で降りて、船番所跡へ。ここの海への出っ張り部分が…
浦賀戦跡ツアーよく晴れた初秋の日曜日。fyunoA&Bは浦賀戦跡ツアーに行ってまいりました。浦賀周辺は戦跡てんこ盛り。一回では紹介しきれないので、数回に分けて…
悲劇の萬朶隊󠄁東京国立近代美術館で10月26日まで開催中の「記録をひらく 記憶をつむぐ」展。今回は陸軍航空隊の戦争画を紹介したいと思います。宮本三郎『萬朶隊…
沖縄戦の陸軍特攻第一号、伊舎堂大尉の碑添乗員をしている妹、このブログでいうところのfuyunoB。再び石垣島へ(仕事ですけれども)今回は、石垣市南ぬ浜にある「…
東京ドームの横の戦跡東京ドームの横に戦跡がある。と知り「なぬっ⁉」と驚いた私。東京ドームといったら、Kpopアイドルグループのコンサートの聖地という理解しかな…
御厨純一「ニューギニア東方敵機動部隊強襲」東京国立近代美術館で開催中の「記録をひらく 記憶をつむぐ」展(2025年10月26日まで)。東京国立近代美術館が所蔵…
月光の名ペア黒鳥四朗(くろとりしろう)少尉(最終階級は中尉)は、東京高等農林学校(現在の東京農工大学農学部)から海軍に志願した海軍飛行予備学生第13期。学徒…
fuyunoBハワイへ行く(仕事で) 添乗員をしている妹、このブログでいうところのfuyunoB.仕事でハワイに行ったということで、パールハーバー航空博物館を…
陸軍24師団第2野戦病院壕fuyunoBの沖縄戦跡訪問の最後は、陸軍24師団第2野戦病院壕。豊見城市の豊見城城祉公園の高台にあります。 壕といっても現在中に…
東京国立近代美術館の「記録をひらく 記憶をつむぐ」展現在、東京国立近代美術館で「記録をひらく 記憶をつむぐ」展が開催されています(2025年10月26日まで…
シュガーローフの戦いfuyunoBの沖縄戦跡訪問の続きです。 シュガーローフ。(アメリカ軍の呼称)安里52高地。(日本軍の呼称)慶良間チージ。(沖縄での呼称)…
東京第一陸軍造兵廠の跡を訪ねて 北区中央公園の中を歩いていくと、自衛隊の十条駐屯地に行き当たります。駐屯地の中は通れませんので、ぐる~と周囲を回って中央公園通…
東京第一陸軍造兵廠の名残を訪ねてfuyunoBの沖縄戦跡訪問はまだ続きますが・・・。シュガーローフと陸軍野戦病院跡を訪ねたということで写真と感想を受け取り、ブ…
巌部隊がいた壕fuyunoBの沖縄戦跡巡りは続く・・・。海軍司令部壕から車で10分くらいの所にあるカテーラムイ海軍壕へ。ムイは沖縄の言葉で「森」を意味するので…
(海軍司令部壕の続き) 大田司令官の最後のメッセージ↑司令官室。 大田實少将がいた司令官室。大田少将は千葉県出身。海軍兵学校卒41期。南雲司令官の下で参謀長を…
fuyunoB、沖縄へ行く石垣島から沖縄へ仕事で行った妹、このブログでいうところのfuyunoB。仕事の隙間時間を使って、那覇市にある海軍司令部壕を訪れたそう…
男前な海軍士官以前、「偵察の神様」千早猛彦少佐がテニアンからのメジュロ環礁まで飛び挺身偵察を成功させたというお話を書きましたが。 『「吾ニ追ヒツクグラマンナ…
添乗員をしている妹、このブログでいうところのfuyunoB。仕事で台湾→石垣島→沖縄とツアー中、仕事の合間に戦跡を訪ねて写真が送られてくるのだけど。これが凄い…
誰もが尊敬した瑞鶴飛行隊長納富健次郎大尉といえば、海軍航空隊ではその名が轟いた零戦パイロットで、空母瑞鶴の飛行隊長。海軍兵学校卒62期の名物男。佐賀県出身。海…
(前編から続く) 栃木県護国神社には、白鹿丸沈没の慰霊碑の他にも、日本陸軍関係の慰霊碑がいろいろとありました。アンガウル島の戦い、ニューギニア戦線、インパール…
特攻勇士の像栃木戦跡ツアーの続きです。fuyunoA&Bは、大谷資料館から宇都宮駅行きのバスに乗り、作新学院前で下車。バス停の横にある栃木県護国神社を訪れまし…
中島飛行機の秘密の地下工場小山市立博物館の後、宇都宮線で宇都宮駅へ向かったfuyunoA&B。宇都宮駅からバスで大谷資料館前まで。(「おおや」と読みます。「お…
栃木へGO!体感温度40度越えの猛暑の中、fuyunoA&B姉妹は栃木まで出かけていきました。8月30日に小山市立博物館であの「戦場に輝くベガ」が上映されると…
映画「雪風 YUKIKAZE」見てきました。海軍航空隊ファンとしては、これはやっぱり映画館で見なければなりますまい。主役は駆逐艦雪風だろうけれど。太平洋戦争の…
アメリカ軍が迫るフィリピン、ツゲガラオ基地マレー沖海戦で日本海軍の攻撃隊がイギリス東洋艦隊のプリンス・オブ・ウェールズとレパルスを沈めましたが、レパルスに爆…
草鹿任一著『ラバウル戦線異状なし 現地司令長官の回想』(中公文庫)には、ラバウルから航空隊が去った後、残された将兵達がどのように暮らし、戦い続けたかが詳細に書…
イギリス艦隊を発見した帆足少尉機太平洋戦争関連の本を読んでいると、あれ?この名前、前にも見たな・・・と思い、調べ直すことがあります。帆足正音(ほあし まさと)…
多磨霊園再訪猛暑が続く東京ですが。暑さが厳しくなる前の6月に、厚木航空隊事件で自決した山田九七郎少佐のお墓参りをしようと再訪した多磨霊園。例によって迷う・・・…
第一次T攻撃:陸軍雷撃隊の初陣!台湾沖航空戦とは昭和19年(1944年)10月12日~16日に、台湾から沖縄方面にかけてアメリカ機動部隊と日本の航空隊が戦った…
陸軍にも雷撃隊があったえ?陸軍が雷撃?魚雷を撃つの!?と驚きですが。台湾沖航空戦に投入されたT攻撃部隊には、陸軍初めての雷撃隊が加わっていたのです。最新重爆撃…
西部ニューギニア戦没者慰霊碑添乗員をしている妹、このブログでいうところのfuyunoB。仕事で徳島に行ったということで、徳島中央公園に西部ニューギニア戦没者慰…
徳島白菊特攻隊「戦跡訪問:関口特攻兄弟 後編」で紹介しました菅原完氏の本『無名戦士の最後の戦い』には、海軍機上作業練習機「白菊」で徳島海軍航空隊から特攻隊と…
『戦跡訪問:桶川飛行学校平和記念館 前編』桶川飛行学校平和記念館埼玉県桶川駅からバスで15分ほど行ったところにある桶川飛行学校平和記念館に行ってきました。桶…
桶川飛行学校平和記念館埼玉県桶川駅からバスで15分ほど行ったところにある桶川飛行学校平和記念館に行ってきました。桶川は「べに花の郷」だそうです。太平洋戦争中、…
弟・関口剛史の戦い三男の関口剛史海軍少尉(享年19歳)は神風特別攻撃隊琴平水心隊員でした。昭和20年5月4日沖縄沖方面で戦死。19歳・・・。まだ青年とも呼べな…
関口特攻兄弟之碑先日、横須賀の馬門山海軍墓地を訪れた主な目的は、「関口特攻兄弟」のお墓にお参りするためでした。兄も弟も特攻隊として散った兄弟。この関口兄弟の墓…
忠魂祠堂先日横須賀の馬門山海軍墓地を訪ねた後、バスに乗って「衣笠十字路」まで行き、衣笠商店街の裏(衣笠町内会館の隣)にある光心寺も訪ねてきました。ここには軍艦…
横須賀へレッツゴー!猛暑が続くと戦跡巡りができなくなる・・・。そんな中で奇跡のように最高気温30度と比較的涼しい日があったので、チャンス到来と横須賀戦跡巡りに…
陸軍飛行第244戦隊四宮徹中尉は、陸軍調布飛行場にいた飛行第244戦隊の一員で、以前「我がつばくろの守りあり B29撃墜王 小林照彦」でご紹介した小林照彦戦…
重要な偵察任務千早猛彦(ちはや たけひこ)少佐は、日本海軍航空隊において偵察のエキスパートとされ、「偵察の神様」と言われていました。彩雲の偵察員として、決死…
海鷲と呼ばれた海軍航空隊太平洋戦争時、戦闘機の搭乗員を「〇鷲」と自他ともに呼称し、新聞などのメディアでも報じていました。海鷲:海軍の搭乗員陸鷲:陸軍の搭乗員学…
浜松から飛び立った特攻隊海軍最初の特攻隊は第一次神風特別攻撃隊の敷島隊であるとされていますが、陸軍における最初の特攻隊は富嶽隊と万朶隊でした。「陸軍飛行場め…
赤羽は工兵の街だったかって赤羽には日本陸軍の「第一師団工兵第一大隊」と「近衛工兵大隊」の二つの工兵大隊があったので、二つの部隊を合わせて「赤羽工兵隊」と呼んだ…
常に第一線で戦ってきた零戦隊長岡嶋清熊(おかじま きよくま)海軍少佐。海軍兵学校卒63期。歴戦の零戦搭乗員。(↑写真はWikiからお借りしています) 真珠湾…
高萩の 空に舞いたる 銀翼に埼玉県の坂戸市と日高市にまたがって広がっていた陸軍の高萩飛行場。陸軍航空士官学校の練習飛行場でしたが、太平洋戦争末期には陸軍飛行第…
静岡縣護国神社谷津山越えをして、静岡縣護国神社に到着した私。 ひろーい!まずは「平和への誓い」の碑に手を合わせました。 そして、神社にお参り。 希一杓献水。戦…
歩兵第34連隊は橘のかをりとともに永久に匂はむ浜松から静岡に移動。ちびまるこちゃんがお出迎えしてくれました。 静岡駅の北口から10分ほど歩くと駿府城。徳川家康…
浜松の陸軍飛行場の歴史1933年(昭和8年)8月に浜松陸軍飛行学校が開設され、浜松市、三方原に飛行場を置きました。現在航空自衛隊の浜松飛行場になっている所と、…
念願の尾崎伸也大尉の乗った零戦を見に、浜松の航空自衛隊浜松広報館エアパークに行ってきました。浜松には、現在航空自衛隊の浜松飛行場になっている所と、三方原に、…
わだつみのこえ記念館「わだつみのこえ記念館」に行ってきました。実はうちから歩いて行ける距離にあるのですが、今まで訪ねたことがなかったのです。戦没学生の遺書や遺…