山茶花 少し前に取材した川世線と、大昔は一続きだった北多摩線の、未訪問鉄塔を訪ねた。 一本角、二本角、地線一体二本角など、なぜか各種タイプが様々混在する北多摩線だが、北多摩線76号 76号(標高52.8m)は、二本角タイプの耐張型。 架空線下道路で振り
ミスティック・リズムス―多摩の住人が綴る多摩な日々。日常雑記、音楽報告、鉄塔そして詩など。
◆ハンドル・ウィズ・ケア/ニュークリア・アソルト orderHANDLE WITH CARE/NUCLEAR ASSAULT (1989) 地球に押された「取扱注意(HANDLE WITH CARE)」の刻印。一目瞭然、地球と言う極めてデリケートな星の、その環境破壊などによる危機的状況を表している。これだけ見
くにたち北口―神明社 2 庚申塔と馬等観世音に挟まれた参道から、西町神明社の鳥居を潜る。西町神明社鳥居 参道は、国分寺崖線を上がって行く階段と言う事になる。 古航空写真を見てみる。西町神明社航空写真1961年(昭和36年)9月5日国土地理院撮影 黄←が
くにたち北口―神明社 1 三角屋根の駅舎で有名なJR中央線国立(くにたち)駅の北西、国分寺市の住宅地に、西町神明社(標高82.5m)がある。西町神明社西面 今はマンションが林立し、すっかり日陰が多くなった国立駅北口からは、直線だと凡そ1.4kmの住宅地。光町通り
コチドリ コチドリ(Charadrius dubius)、と言う名の野鳥がいる。一般には馴染みは無いかもしれないが、バードウォッチャーには比較的高人気の鳥だと思う。くりくりのお目目がカワイイ、ちっちゃな千鳥(芸人さんじゃないよ)。スズメよりは少し大きいが、長距離の渡りをす
Heavyじゃないsphere Recorder Concerto in C major
▲リコーダー協奏曲 ハ長調/ゲオルク・フィリップ・テレマン order Recorder Concerto in C major, TWV 51:C1/Georg Philipp Telemann ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681-1767)。多くの方には余り聴き馴染みはない名前かもしれないが、バロック音楽の代表的な音楽
山茶花 少し前に取材した川世線と、大昔は一続きだった北多摩線の、未訪問鉄塔を訪ねた。 一本角、二本角、地線一体二本角など、なぜか各種タイプが様々混在する北多摩線だが、北多摩線76号 76号(標高52.8m)は、二本角タイプの耐張型。 架空線下道路で振り
サカハチ終点 2 北野こだち公園の相方の許に戻り、112号を目指す。 すれば、111号下付近から112号が屋根の上に見える。112号左奥は、東京電力パワーグリッド多摩総支社(鉄塔は無い)のマイクロ波塔だ。 112号、ぱっと見オリジナルっぽくもあるが、どうであろう。
サカハチ終点 1 サカハチこと境八王子線鉄塔は、それまで一般的な四角錐型であったのに、なぜか終点に近い107号から矩形(くけい。長方形)に変わる。107号(左)と108号(右) これは今に始まった事ではなく、1940年代の古航空写真を見てもそうである(107号・108号
▲交響曲第5番 嬰ハ短調/グスタフ・マーラー order Symphony No. 5 in C-sharp minor/Gustav Mahler (1902) トランペットによる冒頭のファンファーレが、印象的だ。そしてそこから始まる、重々しい葬送行進曲。何とも不吉で不穏な開幕だ。交響曲作家として名高く、指
「核兵器持つべき」論 具体的にどのような立場のお方なのかは今一つはっきりしないが、政府安全保障政策に関わる高官ともされる方の発言としては、重大、と思わざるを得ない。先日18日の「核を持つべきだ」発言である。 無論、どの様な考え・意見を持つかは各々の自由
浅川―ダイサギ大集結 初冬の川沿いライド、風はメチャ冷たいが、空気は澄んでいる。四ツ谷橋から奥多摩方面 浅川と多摩川との合流点に近い四ツ谷橋からは、只見幹線(電源開発)と桜ヶ丘線(東電)の交差点の向こう、奥多摩の山々がとってもクリアだ。 右から桜ヶ
皀莢堰、さいかち堰上流沼 長沼線28号鉄塔の建つ、さいかちぜき公園で気になった、皀莢堰(さいかちぜき)を訪ねる。皀莢堰辺り さいかちぜき公園(標高89.4m)から浅川左岸堤防を西行して約180mの長沼橋を過ぎ、そこからまた左岸堤防上を約90m。ここが皀莢堰があっ
さいかちぜき公園 秋の浅川(多摩川支流)を遡り、周辺を彷徨いていると、鄙びた景色が視界の隅に刺さる。かわいい橋 サクラの老樹の下、小さな橋(標高88.5m)が用水を渡っている。長沼用水、だろう 橋の上流側で、左右からの二つの流れが合わさっている。おそ
◆テリブル・サートゥンティ/クリエイター orderTERRIBLE CERTAINTY/KREATOR (1987) バンド名は、リーダーであるミレ・ペトロッツァ(vo,g)によれば創造者を意味する「Creator(クリエイター)」と同じ読みだと川嶋未来氏とのインタビューで仰っていたが、名の由来につ
3年9か月―ロシア・ウクライナ戦争 ロシア・ウクライナ戦争は、2022年2月24日から現在2025年11月まで凡そ3年9か月続いている。或る意味で日本が滅亡したとも言える太平洋戦争も、1941年12月8日から1945年8月15日まで凡そ3年9か月続いた戦争であった。そう考えると、その長
仙川名所巡り 2―平和の像 勝淵神社を辞して、さらに仙川を遡る。 神社北の農地から、仙川沿いに約200m、上仙川橋から仙川奥が勝淵神社方向東八道路(都道14号)の有名な六差路、新川交番前交差点に南から接続する道路が上仙川橋で川を渡る辺り、仙川平和公園
仙川名所巡り 1―城跡と丸池の里 仙川は、主に小金井市、調布市、三鷹市など東京多摩地方を北西から南東に流下し、世田谷区で野川に合流する、多摩川水系の一級河川。長さは約20kmの短い川で、その名は「せんかわ」と読む。白百合女子大学や桐朋学園仙川キャンパスの最寄
成城Pink鉄塔 病院坂の鉄塔、川世線36号取材後、成城の街を成城六間通りで北上して行く。 高級住宅街成城の誕生については前回触れたが、も少し詳しく触れたい。 成城の元を辿ると、1889年(明治22年)の町村制施行の際、喜多見村や宇奈根村などが合併して生まれた砧
病院坂の昭和15年鉄塔 此度訪ねるは、東京都23区世田谷区成城。成城(せいじょう)と言えば、高級住宅地の代名詞的存在で有名だ。 成城の大元は、砧(きぬた)村の大字(おおあざ)喜多見。1925年(大正14年)に成城第二中学校が当地に移転して後、喜多見に字成城北、字
サカハチ―長い夏の終わり ここ数年、夏が長い。 サイクリングは荷物が増やせないので、服装には可也気を遣うが、ここ数年春・秋セッティングの服の出番が少ない。冬が過ぎ、やっと春セッティングに出来たと思ったらあっと言う間に夏セッティングの服となり、それが何時
オカサカ訪問―梅岩寺 岡部境線(オカサカ)108号(標高66.7m)は、宅地造成中と思われるエリアの向こうに見える。岡部境線108号 このエリア、昨年までは植木畑であった。宅地化を批判するのでも否定するのでもないが、多摩地域ではほぼ日常的と言えるほどに見かけ
PC修理にアクセス不可問題、及びメラノサイトーマ 9月末にWindowsを「24H2」に更新して以降、特定のサイトへのアクセスやログインができなくなってしまった。Googleマップはアクセスはできるが画面はグレーのままで肝心の地図は表示されずログインボタンもない。Wikipedia
オカサカ訪問―空堀川 長月に入ったとは言え、まだまだ気温は真夏。四時起きライドである。 早朝、気温はまだ20度台で暑くはないし、道路はメチャ空いていて快適だ。だが、湿度がゴイスー。70-80%台である。受ける風は肌に纏いつく感じで、重い。一般に、夏場の快適な
塚二つ―境塚・浅間塚 東京多摩地方北部、志村けんさん出身地でお馴染みの東村山市。その中央やや南西より、西武鉄道の三線(新宿線・国分寺線・西武園線)が乗り入れる東村山駅の、そのすぐ南側、二つの塚がある。「境塚」と「浅間塚」だ。激暑の朝、これを訪ねた。
霊園彷徨 番外:七つの子 私は墓地・霊園が好きで、時々お邪魔する。中でも多磨霊園は大好きで、当ブログにも多く記事を書かせて頂いているが、同じ都立の公園墓地である、ここ小平霊園(小平市(およそ東南部)、東久留米市(およそ北東部)、東村山市(およそ西半分)
猫、視覚喪失 昨2024年は、眼に関する出来事の多い年であった。 夏、7月に私の左目に網膜裂孔が見付かり、レーザー治療を受けた。これについては、現時点で特に問題はなく安心しているが―、もう一件の眼に関する事柄は可也重大で、正直今もショックが続いている。
霊園彷徨 霊園もみぢ 二 八角水場の4区から、大廻り西通りを北上し西2号通りに入れば、5区公園の樹々が色付いている。5区公園 公園の南東側向かい(6区)には、ひっそりと碑石がある。直木三十五追悼碑画像左奥が公園 直木賞(正式には直木三十五賞)で有名な
霊園彷徨 霊園もみぢ 一 私的には、多磨霊園(1923年開園の日本初の公園墓地)と言えば、21区国分寺線55号小金井門と北門との狭間に建つ、国分寺線55号鉄塔である。この築60年を超える古鉄塔、一本角で久我山線を併架した12本腕金。この姿が、何とも言えず美しい。
オールド東大和線鉄塔 17 番外編 建替えが進行中の旧型東大和線鉄塔訪問は、済んだ。ので、ここからは番外編として、所沢変電所のご近所を。 変電所の少し北から、東大和線を併架する水野線17号。水野線17号 上段が水野線、下段がここから志木制御所狭山分所
オールド東大和線鉄塔 16 独立最終鉄塔 旧型東大和線57号に続いては、終点一つ手前の58号(標高77.4m)。東大和線58号 58号は引下げ型だが、58号またC-2がやって来た引下げ先は所沢変電所だけではないようだ。何だろう。 回り込んでみれば、58号の所沢線か
オールド東大和線鉄塔 15 向陽第1公園 厳密に言えば、52号の次の東大和線旧型鉄塔、東大和線55号55号(標高75.8m)。 今更だが、狭山丘陵を越えて以降の東大和線鉄塔は白い。27号からだが、多摩変電所近くの鉄塔は塗装劣化で赤い錆止めが露出しているのとは大分異
オールド東大和線鉄塔 14 白き風冷たくありぬ 晩夏の頃に始めた旧型東大和線鉄塔追跡も、そろそろ終盤である。晩秋の風は冷たく、早や冬用ウインドブレーカーを着用し、いざ出発。 上新井新道で、旧型東大和線鉄塔47号が傍らに建つ西武池袋線を潜った先には48号(標高
オールド東大和線鉄塔 13 あらく 東川に架かる大六天橋を渡って崖線を上がり、東大和線旧型46号へ。東大和線46号 46号(標高87.9m)は、比較的新しそうな児童公園「上新井あらく公園」に接して建っている。南西角の主脚にある少プレ手前にお家が建ったので建設
オールド東大和線鉄塔 12 大六天 なぜか下半分が黄緑の東大和線旧型42号の次の旧型は、46号。東大和線46号(標高87.9m) 42号の建つマミーマートを過ぎ、国道463号を渡り、そして只見幹線と東大和線との交差点を過ぎ150mほど行けば、東川の向こう、対岸の数m高い台
オールド東大和線鉄塔 11 mami mart 東大和線旧型39号から次なる旧型41号へ。東大和線41号(標高89.9m)白いなあ 41号は、オカサカ91号と山口団地を挟んで丁度反対側にある。41号 これまた少プレが褪色しているが、TinySlopeさんによれば他の旧型同様「昭
オールド東大和線鉄塔 10 岩崎弁財天 東大和線旧型38号からは北東に約60m、岩崎弁財天がある。所沢市、岩崎弁財天 この間紹介の山口城を構えた、中世武士団、山口氏が治めたこの一帯は、所沢市大字山口。元は、1875年(明治8年)に六か村が合併してできた山口村で
オールド東大和線鉄塔 9 狭山線 東大和線32号の次なる旧型鉄塔は、37号(標高70.7m)。東大和線・オカサカ交差点を過ぎ、東(あずま)川を渡った先である。東大和線37号 東大和線鉄塔では、比較的少ない耐張型だ。多少だが、角度が付いているからであろう。37
オールド東大和線鉄塔 8 ゴルフ場 東大和線28号の建つ西武園特高変電所前から、また一丘越えて行くと、東大和線31-33号北方、丘上に展開する住宅地の向こうに31号から33号が見える。これから訪問予定だが、その前に西武園ゴルフ場内の29号と30号を確認したい。 南
オールド東大和線鉄塔 7 狭山丘陵 東大和線旧型鉄塔、建替え途中の18号に続いては少し間を置いて25号(標高72.4m)である。 この辺りで東大和線は、狭山丘陵を越える。東大和線23-30号航空写真2001年(平成13年)12月31日国土地理院撮影 黄●が下から上へ23号か
オールド東大和線鉄塔 6 東村山変電所 東大和線17号から僅か進んだ住宅地から、次なる旧型鉄塔が望める。東大和線18号 東村山変電所の僅か外側の畑中にある、18号(標高80.9m)だ。 下段の所沢線から、変電所へと引き下げられている。18号奥は只見幹線504号
オールド東大和線鉄塔 5 片側バランス耐張 旧型東大和線鉄塔12号からは、新型が続き次なる旧型は16号。東大和線16号方面 16号は、東村山浄水場の西側、広い農地の向こうに見える。右の巨大赤白は、只見幹線506号だ。16号と線506号 16号は、典型的V字懸垂型旧型
オールド東大和線鉄塔 4 こどもひろば 10年以上前に新型となっている、東大和線10号を飛ばし(無視してごめんなさい)、9号の建つ東京街道団地から東京街道を北へと渡る。 目指すは、旧型11号。東大和線11号 東京街道歩道から望む、11号。最も一般的で典型的な、V
オールド東大和線鉄塔 3 東京街道団地 旧型東大和線7号の建つ上仲原公園北部の四阿付近は、丘の最高点と見える(標高96.3m)。ここからは、芝の広場の向こう、グラウンド際に建つ南の7号も、芝生広場と7号そして道路向こう、東の8号も望める。8号8号アップ 8
オールド東大和線鉄塔 2 上仲原公園 建替え進行中の東大和線旧型鉄塔、1から5号に続いては6号から先を。 東大和線6号(標高89.7m)。東大和線6号と7号 送電線下は、少しずれながらも架空線下道路となっている様だ。6号 朝日を受ける街路樹と。6号(
オールド東大和線鉄塔 1 始点 東京北部東大和市の多摩変電所から、埼玉南部所沢市の所沢変電所へと連なる、東大和線鉄塔(独自鉄塔は所沢変電所までだが路線自体は志木制御所狭山分所まで続く)。1968年(昭和43年)敷設と思われるこの路線の鉄塔は、現在建替えが進んで