つなげ“希”動力-伊東勉のストラグル日記。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

2025年を終えるにあたって─「左翼思考を残す」のを強く追求していく。

1️⃣ 2025年もまもなく暮れようとしています。とは言っても、感想を出すとすれば、この数日中に書いてきたことが全て、という感じです。

 ​この1年、切実に感じさせられてきたのは「人権」や「市民的」な思想、あるいはリベラル的な思考回路を持つことそのものが「悪」であるかのように扱われてきたこと。関連記事がネット上に出たら、すぐ否定的な文章ばかりその場を占めてしまう。そのことにしんどい思いをさせられてきました。

 ​結局、人権主義は実現されていない。

 あるいは

 勢力が弱い。

 言っていることが絵空事

 だから「俺たち庶民のためになっていない」

 という理屈で、ことごとく否定されてきました。

2️⃣ ​実態はといえば、左翼・人権主義的勢力のこれまでの行動の積み重ねで、人権意識が一定の力を獲得した場面もあります。例えば、生活保護の「いのちのとりで訴訟」などがその代表的な例。

 いままでであれば、たとえその勢力が嫌いだと思っても、一定配慮を考えてみなければならない…と考えに至るところでしたが、「やったもの勝ち」とばかりに開き直ってくる。​先に述べたいのちのとりで裁判では判決が出ても「知ったこっちゃない」と言わんばかりに改悪を実行するばかりか、運動勢力の分断を図る目的で、裁判に参加できた原告とそれ以外に差を設ける「分断工作」にまで来ている。これは本当に「殺し」に来ているのだと感じます。

​3️⃣ 一連の動きは「権力者・政府の言うことにハイハイと言うことを聞けばいい」という社会にさせようとしている動きの表れ。さらに言えば、権力を批判することそのものを「悪」として扱う。

 痛覚神経を抜いた社会は、果たしてまともに機能するのでしょうか。

 「お前ら少数派が文句を言ったって無駄。多数派に添った形で物事を考えなければならない」という空気が、あらゆる場面で突き刺さります。正直、自分のやってきた社会活動30年の中で、一番精神を削られる年となり、気がつけば9月から12月半ばまでブログの記事を制作する気力が折れていました。

4️⃣ それでも、何もしていないというわけではなく、反差別・ヘイトに関わる行動に直接参加。一つ前の記事の通り「やり方が悪い」だの「それじゃ支持が得られない」などの言葉も受けましたが、「ヘイト・差別に怒っている姿を見せる」ことでマイナスを食い止める姿を見せるのも必要。やり方で言えばいろいろと模索していけばいいけど、「表だって行動をする人を止めないこと」は繰り返し申し述べておきます。

5️⃣ ここ5年間「リベラル」や「人権主義」的な考え方を社会に残すというのを社会活動の目的にしていました。この道が本格的に閉ざされてしまえば、存在そのものができなくなる私にとっては切実な問題。生き残るために迎合の道を選ぶ方もおられますが、それは「違う」のではないかな。

 2026年、どこまで人生を付き合えるかわかりませんが、最期の時まで、自分の存在する支柱となった「人権意識」や「左翼思想」を守り続けます。

 ​2025年も大変お世話になりました。

 2026年もよろしくお付き合いお願いします。

      2025年12月31日 伊東勉

不破哲三さんの逝去 見たのは「役割の貫徹」。

記述日:12月31日

 ​今年も今日で終わりますね。2025年よく無事で終われたと思いますが、そこらへんの挨拶はまた後で。

 ​30日、日本共産党の重職を経験してこられた不破哲三さんが逝去。政治家として、あるいは社会科学研究者としての不破さんに関しては、多くの人が語ると思いますので、私は組織人としての不破さんについて雑感述べていきます。

​ 最初に書いた通り、不破さんは共産党の重い役職に若い時から就き、書記局長→委員長→議長を経験、議長の役職を退任した後は、中央委員会の一員として主に社会科学の分野で尽力されていました。党の責任ある立場にいた人であっても、役職が変わればそれに応じた位置で真摯に努めていたというところに、不破さんの誠実さが現れているのかなと思っております。

 ​自分と比較して話すこと自体間違いですがひとつ。私のこれまでの人生の中で先輩風…といえば分かりやすいでしょうか、あまり吹かしてきたわけではないけども、言葉を選んで言えば、「図に乗った行動をした」部分もあり、今から考えてみれば、至らない先輩だったと思います。翻して、不破さんにはそういうものは微塵もなかった。物事にあたる誠実さを感じさせるものとなりました。

 左側の社会活動の中で、長らく最前線に出ていた不破さん、お疲れ様でした。

「反差別の“意思”を投げ捨てた」行為に抗議。何が必要かの再認識を。

記述日:12月30日

1️⃣ ​今年はついに人権問題・ヘイト差別問題しか書かなかった、とまとめたところですが、とんでもないことが起きてしまっています。

 差別・ヘイトの問題に対し、非暴力直接行動をしていた方々は、啓蒙の手段として反差別のメッセージをつけたグッズを製作。​そのメインに黒い背景にバラのイラスト、そして「私は差別に抗う」というメッセージを載せたポスターは今夏以降、反差別の行動に立つ人たちのシンボルとして呈示されていました。

 反差別・ヘイトの取り組みをさらに強化しようと、地域の団体に配布して回りましたが、それを受け取ったある地方議員が「分断を生むから廃棄する」と言ってのけてしまいました。​その方は今年の政治戦で、他所の市から移ってきた差別主義者への立ち振舞いについて批判されていました。その場でヘイト行為に抗議した人を政党の中心にいる方から評価されたことに対し、同政党アンチの人が「反執行部」の趣旨で貶めようとする行為も。

 しなければならない「差別ヘイト実行者に対する異議申し立て」はどうでもいい、ただ「敵対者が壊れればそれでいい」と考えてしまっていることに嫌悪感を表すものです。

2️⃣ ​この反ヘイト・差別行動の前線に立っている方々は、私よりもうんと若い方たちです。社会的経験の浅さゆえの危うさもあったりしますが、今までの社会活動が停滞気味でいたものに対し、新しい切り口からヘイト・差別の行動を止めようとしていることを頼もしく思うものです。

​ また、これまで散々アンチ勢力に取り囲まれて、デマだろうが何だろうが叩きつけられる状態が続いていたのに対して、こちら側がいつまでも怒らないでいいのかという部分は私も感じていたものです。数年前の総選挙討論番組で、穀田恵二さんが政治評論家の暴言に対して烈火のごとく怒ったことが。

 穀田さんは温厚ですよ、普段は。

 それでも締めなければならないところはきっちり締める厳しさも持ち合わせている方と認識します。そういう部分の厳しさ、あるいは不条理に対する怒りをしっかり表しているのが、今、路上に立っている方々ではないでしょうか。共産党だから、そうでないから、という以前延長線上だけで語ってしまうのはいかがなものか、という思いがあります。

3️⃣ そんなんで、非暴力直接行動のやり方に賛成だし、そういうやり方を止める気もないわけです。

 ​政治戦を支持者獲得の陣取りゲームに例える方も多いですが、ではその旗印は何なのか、ということは考えてみなければならないんじゃないですか。今の社会状況を見ると、共産党、あるいは左翼・人権主義的な思考回路が消えてしまったら、対応する人がいなくなってしまうジャンルはたくさんあります。この差別・ヘイトに関わる問題もしかり。

 多くの支持を集めることは、共産党でも多数者革命という形で実行しようとしているわけだから当然の話ではありますが、「アンチ」の難癖は目的と手段を取り違えているとしか思わない。

4️⃣ ​世論調査では高市政権の支持率が6割から9割と言われていますが、その支持者は「1割でも不支持があること自体がムカつくから、その存在を壊す」と。そういう意思に迎合すれば自分は無事でいられるかといったらそんなわけないでしょう。

 そのことを考えたら大人しくばかりはいられない。非・多数者をなぶるふざけた行為は嫌だ、と可視化し続けなければならないと考えます。

5️⃣ ​今回の可視化は、前線に立って行動をする人を後ろから撃ち倒すような、そういうくだらないことをするな、というのを改めて認識し直すものとなりました。

 該当の議員については批判が集中していますが、私は「色々な問題で、該当議員の立場でなければ社会に上げられないものもあるし、そのために頑張ってもらう一員」と認識しているので今回はこの程度に抑えますが、「次はない」とも申し上げておきます。激しく揺れ動く社会の中で、みんながみんな的確に動けるわけではないというのも認識していますが、それにしても「いい加減にしろ」という思いを認識いただければと考えます。

 長い文章にお付き合いいただきありがとうございました。

苛烈なテーマに取り組んだがゆえに置き去りにしたこと―2025年、政治戦を省みて。

記述日:12月29日

1️⃣ ​もう何日かで年越しという日になります。私は仕事の都合から仕事納めは大晦日になるし、仕事始めは紅白歌合戦が終わらないうちに始まります。それで初日の出が出てくる頃に一仕事終わり、という感じで。​大船渡の実家がもはや泊まれる環境ではなくなったので、大船渡に行っての正月挨拶もなさそうで、いくつか挨拶回りする場所はありますが、今年も落ち着いた正月になりそうです。

2️⃣ ​2025年を振り返って、人権問題・差別・ヘイトの問題以外の記事を書くことはありませんでした。日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」を見ると、幅広い問題に関する記事が扱われ、近隣の東北の衆院議員・高橋千鶴子さん活動報告では先日起きた北海道・青森地震についての救援活動に尽力されている様子も書かれていました。

 ​生活を営むにあたって各々の問題は重要です。が、差別・ヘイトの拡散、これが蔓延ったら「何をやってもダメ」な状況になると認識し、大船渡山林火災以外の記述はできませんでした。

3️⃣ 大船渡山林火災は2ヶ月まともに雨が降っていない状況で極度の乾燥状態になっていたことからあれだけの大きな被害に。ここ2日ぐらい雪がドカッと降りましたが、それでも市街地のような所では地面が見える程度。岩手日報の積雪情報を見たら、積雪量が三桁(100cm以上)数字のスキー場がないという状態に驚きを覚えました(土曜日の時点)。

 ​冬に雪が降らないと、今度は夏に水がたまらない、イコール渇水状態になる。今年の夏は8月以降に雨が降ったからなんとかなった部分がありましたが、それにしても平均的には雨が降らず、ゲリラ豪雨的に降ったところは壊滅的なダメージを与えてしまう。正直なんなんだ、という思いしかありません。

4️⃣ ​個人的な部分では、現れた天気に合うような服装をして防衛を図るという部分で間違いはありませんが、人間社会の行っている強力な行動が、自分たちの住処である地球に大きなダメージを与えているのだとしたら…。今までそういう警鐘・情報を出した人に対して「考えすぎのバカ」という声が多く出されましたが、少なくとも「考え始める」ことぐらいは始めたほうがいいのではないでしょうか。

5️⃣ ​自分は共産主義者ですから、資本主義者が自分の利益のためだけに「あとは野となれ山となれ」という感じで、自分の利益だけを蓄え、「社会に返す義務」をサボっていることに「いい加減にしろ」という怒りを持ちます。

 ​日本共産党がこの一年間、資本主義の限界とそこから先の社会について学び始めている様子です。今の社会が学ぶことを嫌い、無鉄砲で勢いのままに誰かを殴りつける言説がウケがいいとされる社会になっていますが、結局そういう社会では誰も助かりません。そのことを考えれば、「社会の学び直しと作り直しという作業」が必要。自分がどれぐらい長く生きられるかわかりませんが、最期の日までこの道を追求することにします。

 おつきあいいただきありがとうございます。

生活保護バッシングの「新段階」-徳島市「賞味期限切れ」の話。

 マイノリティや収入手段が限られる障害者、高齢者に対する攻撃の苛烈さは、2025年に入りかなり進んでしまっています。度々拙稿で述べていますが、Yahoo!ニュースに人権主義的な意見が出れば、そこのコメント欄は誹謗中傷にまみれてしまっているのが現状です
 少し前に徳島市生活保護受給者に対して、賞味期限の切れた食べ物を配布したという記事がありました。いわゆるフードバンク事業の中で起きたものと思われますが、この報道に対するコメント欄には「生活保護受給者のくせに生意気だ」「もらえるだけありがたいと思え」「人間ではない」「乞食、たかり」などという言葉がつらつらと並べられています。
 これらの言葉が当事者に届かないとでも思っているのでしょうか。
​ この問題に対応する徳島市の対応もおかしく、古いものを回すのをやめればいいだけの話を「フードバンク事業そのものを打ち切った」というのですから話にならない。批判されたことをこれ幸いと、『面倒くさい生活保護受給者への補助事業をやめた』と言われても仕方のないことをしています。そしてその報道が出るや、またもやコメント欄で「自業自得」「自分で自分の首を絞めた」などと悪意の相乗効果がなされていることを苦々しく思っています
 
 ​今日は12月24日。
 これまでの私なら、IBC岩手放送ニッポン放送などで行われている「ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」を引き合いに出して、「誰もが思いやれる日になればいい」と書いてきました。
 しかし、これだけ悪意ばかり見せつけられている状況で、同じ言葉を素直に書ける状態になっていません。​もちろん「そうなればいい」とは考えますが、そういう行動がイコールで「悪いこと」「弱者を甘えさせる悪いこと」と捉えられるのであれば、そういう社会を望む連中はまず停滞し、苦しみ、痛い目にあえ…と考えてしまいます。悪意をぶつけてしまうことが良いことではないのは承知の上で、あえてこの立場で語ります。
 まっとうに周囲の人と楽しめる状況にある人は楽しんでください。そこまでは私も意地悪は言いません。一応、社会の中にいる人間だということを考えれば、この立ち位置まで降りる必要はないからです。

激動の2025年と、排外主義とは抗い続ける決意を改めて―たたかい方の混乱について見解。

1⃣ ​先日の50歳記念の記事でも書きましたが、2025年という年はこれまでの人生でなかった異常事態が次々と起き、今までの考え方が否定されたと思わされることが多くあります。左翼・人権主義思考についてもそうですが、いわゆる排外主義者の横行が凄まじかった。ヘイト・差別の言動をまき散らすだけでなく、それに異議を申し立てる人に対する攻撃もこれまでになく暴力的でした。
 10月に発足した高市早苗政権の存在がそれを強く後押ししている状況も見えます。何をやっても助けの道がなくなれば迎合・過剰適応してしまうだろうと。最近行われたヘイト行動で、在日の外国人の女性が「ヘイトをする側」に回っていたという報告を聞きました。こういう人も出てきてしまうのだろうなとは思っていましたが、それが事実として突きつけられるのはショックです。
​ この過剰適応は在日の外国人に限らず、左翼・リベラルと言われる層でもそういう動きがあり、差別・ヘイトと戦う行動をする人に対し「言葉が強すぎる」と言うならまだしも、落ち込んだ支持を差別加害者層に迎合しようという方も残念ながらいたり。さすがにそれはないんじゃないかと思いますが、「これまで選挙で勝ちに持っていけなかった責任者のせい」という私怨も加わって、攻撃を加速させる様子には消化しきれない想いがあります。
2⃣ ​とにかく左翼や人権主義的行動を叩けば物事が進むと考える人が、物言いをエスカレートさせている。たまたま何がどうしたのか奈良市議会になっていまるへずまりゅう・原田某が、日本共産党の山添拓議員の発言を捕まえて「こういう反日の奴を捕まえるためにスパイ防止法を制定しろ」と言い出しましたが、スパイ防止法を要求する本音がそこに現れていて大変不快ですね。気に食わない勢力を法律や権力の威光を盾に潰してしまおうとする。あからさまに「脅しをかければ言うことを聞く」と思っているのも不愉快です。「そういう法律の運用はしない」というのが賛成派の中でも言われていますがそれすら吹っ飛ばしている。
 ​以前お話しした「支持率7割・8割」の人たちが、残る2割の人に寛容になるかといえばそんなわけがなく、「俺たち圧倒的多数派に従わないお前らを見ているのが気に食わない」とばかりに、より過剰に潰しにかかる傾向がある。かつてロシアやらカンボジアでそういう話が出ていたようですが、それの日本版がいま力を持っていることに警戒が必要と思われます。
3⃣ あまりの激動に、どう対処すればいいか分からない面もあると思われます。その全てに抗っていくのは困難でも、その変化にどうやってついていくかに関しては個人の想いの幅が広く、今日も前線に出ているお一人に無理解が生じた場面に出くわしました。その方は病気で活動を離れていた時期も長いこともあるので必要以上に詰めようとは思いません。ただ、今起きている状況の中で引くわけにはいかない面もあるわけで、さらに言えば、丁寧なばかりでは物事に対峙できないという面もあったりします。そういう意味でケースバイケースで丁寧に対応するつもりでいますが、今まさに前線に出ている人の足を引っ張ることだけは避けていただきたいとも思っております。
4⃣ ​私も二度ほど反差別・ヘイトの行動に立ち寄ったこともあります。私のビビり気質のせいで「後方の支援」という形になりますが、「そのまま見過ごせないということを意志表示する」という意味でカウンターの行動というのは必要なものと考え、様々な角度からヘイト・侮蔑が解消されるまで抗います。
 お付き合いいただきありがとうございました。

いじめっ子気質とウィークネス・フォビアがはびこる日本社会の中で。

1️⃣ ​2025年という1年は、これまでの反動的な政治に加え、いじめっ子気質が大手を振る状態となりました。言葉を言い換えれば「ウィークネス・フォビア(弱者嫌悪)」という言葉が当てはまりましょうか。

 ​これまでの社会であればそうしたいじめっ子気質、気づいたら集団で矯正されるものでした。しかし、「これまでの正しいことはすべて間違いだ」という思考回路を機械的に当てはめ、そこにウィークネス・フォビアをぶつけるから、非強者にとっては立つ瀬がなくなる。

2️⃣ ​近日の高額療養費制度やOTC医薬品の負担増の議論の中でも、それぞれの施策が現役世代の負担増につながる、そうさせているのは「怠け者の低所得者層だ」という意見が相次いでいます。現役世代の労働者の負担増の事実はその通りです。だけども、その解決の方法が「富裕層などの収奪主義者に適切な負担を求める」のではなく、「自分たちの足手まといとなっている低所得者・弱者が邪魔だ」という言い方で自分たちを慰めようとしている。問題の解決に結ばないそのやり方に「一体何なんだ」という思いでいます。

 ​特に高額療養費の部分でSNSのタイムラインを見ると、もはや乱暴というか、暴力的としか思いません。実際は高齢者や非強者を叩けば、その負担を被るのはそうした人たちの家族である現役世代なんですよ。これを話すと今度は「家族を持たない奴らが云々」と言い出しますが、では、そういう人は惨めにくたばればいいんでしょうかね。

3️⃣ ​最近の一連の議論には、そういう部分の容赦のなさが目立ちます。富裕層や大きな利益を上げている人については「その人たちは努力をしてきた」と言いますが、その経営者団体などが政権などに働きかけて、自分たちに優位な社会制度にしているという側面を抜きにして、無邪気に「よく働いたから」と言うのは何だかな、という思いでいます。

 ​そうでなくても、今年に入ってから左派主義・人権主義的な意見は、それが出されただけで否定に持っていくような論調が目立っています。「寄らば大樹の陰」という言葉がありますが、いくら支持率が7割、8割あろうが「そういうやり方に納得しない」という思いを消すことはできません。苦しい生活の実態があれば、それと戦うのが社会活動と考えております。

​4️⃣ ここ3ヶ月、拙稿では筆を鈍らせてきました。正直、自分自身を守るのが精一杯でしたし、この間にあった色々なストレスを振り払う時間が欲しかった。今後すぐに以前のようなペースで記事を作れるかといえば、すぐにはそうなりませんが、少なくとも「存在する意志」を変えないこと。それだけは愚直に追求してまいります。

「人生50年/51周目」にたどり着く。50周目を振り返って。

1️⃣ ​近日、いくつか書き溜めていた記事をアップしました。とは言っても2、3記事しか上げられなかったのが今の私の現状を表しています。

 12月15日で人生50年を迎えることができました。

 当初の予定では「生まれる前に捨てられる」はずだったのですが、なぜか母がそれを頑強に拒否し、その結果として私が生を受けるに至ったのは折に触れて書いてきた話ですが、母のこの粘りには感謝しています。

2️⃣ 数年前に母がなくなる直前、「こういう厳しい時代に生まれさせてしまって申し訳ない」と話していました。たしかに生きていてしんどいことは多々ありますが、生まれてきたこと、生きていることそのものは、何も後悔することではないと考えています。

 ​その過程で抱えてしまった様々な病気に関しても、自分の歩んできた結果と受け止め、一定の自己責任を認識しています。それも含めての人生ですから。後悔はあっても「なかったこと」にしたいとは思いません。

3️⃣ ただ、社会活動という視点で見れば話は別です。

 自己責任論が蔓延して以来、日本社会は何でもかんでも個人の責任に帰結させてしまい、社会の空気が悪くなっていることに無自覚な人が多いと感じます。個人の頑張りは大事ですが、社会全体が歪んでしまえば、その努力は簡単に一蹴されうものです。

 ​富裕層や経済界が利益を独占するために労働者にしわ寄せを強いる施策を数十年続けた結果、行き過ぎた「自己責任」社会になったと言えるかもしれません。強者が金を儲けることを善とし、そのしわ寄せを受ける市民・労働者/生活者を「自己責任」と叩き伏せる。その繰り返しが今の生きづらい社会を生んでいます。

4️⃣ ​さらに、人権思想など社会発展を否定する「バックラッシュ」があらゆる面で巻き起こっています。人権を重視するニュースが流れればコメント欄にはアンチ的な意見がこれでもか、と叩きつけられる。これをどこかで断ち切らないと、最終的には市民生活が壊れます。だからこそ、社会主義的・共産主義的な考え方を日本社会から失わせてはいけないのです。

 ​SNSでは自民党ネトサポが野良・粗暴化した「声の大きな勢力」が異なる意見を消し去ろうとしていますが、現実の問題として苦しんでいる人がいる以上、諦めて塞ぎ込むわけにはいきません。私個人の時間がいつまで残されているか分かりませんが、その日まで、私はこのスタイルであがき続けます。

 最後に50年の月日の中で、私と時を共にした皆様に厚く御礼申し上げます。

“緊急銃猟”ヤジは共産党北海道議への「殺害予告」。

記述日:12月5日

 10月以降はもう一つの主題ブログを事実上更新停止しています。ブログを記述する習慣を失ってしまったので再構築に向けて努力はしていますが、中々色々なものがついていきません。その原因の一つに「物事が色々動きすぎ」てついていけません。ぶっちゃけ言えば毎日が頭に来るような出来事が起きて、気を取り直して記述するのに疲れるので。

 いくら嫌な奴が相手だろうが、そこまで言ったらおしまいだろうというのを突きつけられて正直疲弊しています。そしてそれを更新する出来事がまたも。北海道議会で原発再稼働の問題に関して、日本共産党の真下紀子議員の質疑時に自民党議席から真下議員に対して「緊急銃猟(しろ)」というヤジが飛びました。

 日本共産党議員団は原発の再稼働に反対という立場ではありますが、それ以前に今北海道でも深刻な被害を及ぼしている熊の獣害を軽く扱うような、そして何よりも議員に対する危害行為を露にしたヤジを発したわけです。

 さすがにこれはダメだろうと思いましたが、残念ながらSNSは「池に落ちた犬は遠慮なくぶっ叩け」という性格が色濃く現れ、ヤジを発した議員より共産党北海道議員団に対しての攻撃がこれでもかと。高市政権が発足して以来同支持者がのぼせている場面はいくつも見ますが、最低新記録はどこまでも行ってしまうものだ、というのを突きつけられて食傷気味です。

 それにしても「緊急銃猟」そういう言葉、簡単に使われると本当に困るんですね。実際にやろうという人間が現れやすくなるわけで。ですからそういう部分でいつまでものぼせ上がってんじゃねえぞ、というのは申し述べさせていただきます。

生活者向け施策に対する憎悪に抗って─11月にあった出来事より。

記述日:11月某日

1️⃣ 現在、プライベートな問題について頭が一杯になっているような状態で、まともな記述ができていません。毎日毎日頭を悩ますような事態が起きて、それを落ち着かせて記事を書く暇が全然ない。そういうわけで、当面はこの調子になるのかな、と。まあ、さすがに9月10月と月1回でしか書けなかったのはまずい。情報発信、意思表示の観点から言ってもうまくないので、何とか力を取り戻すようには努めています。

2️⃣ ​先日、「岩手県生活と健康を守る会」の紹介が行われました。この会は、人々の生活のさまざまな要求を憲法第25条に基づく生存権に基づいて実現していく団体で、これまでも生活保護に関する朝日訴訟などで大きな成果を上げるなどしてきました。また、人々の生存権の保障に回らず、他の利己的な目的に使われるやり方を批判する観点から、(具体的な)問題を指摘するやり方もしてきます。

 ​SNSのタイムラインを見ていると、とにかく人権を軽視し、自己責任を押し付けるような施策を好む人が爆発的に増えています。これまでは自民党の突出した人や、「日本会議」などの自由主義を前面に押し出す勢力がそれを行ってきましたが、近年は政治的な支持を得るために、当たり前のようにそのような施策に踏み込んでくる勢力が多くなっています。

3️⃣「社会保障の給付を奪い去れば、現役世代は負担減になる」という考えが幅を占めていますが、果たしてどうなんでしょうか。高齢者は…言うまでもないですが、同時に現役世代の親なんですよね。で、それが負担増になるということは、結局、現役世代の人たちが被る負担も増えてしまう。

 まずこれが一つ。

 ​この話をすると、次に出てくるのは「子供を産みもしない役立たずがフリーライドしてるんじゃないよ」と。これは社会の問題じゃないですか。富裕層という名の「収奪者」の存在。社会として(経済的な)機能を利用して利益を確保している人が、その分を社会に還元するというのは当然の話じゃないですか。

​ そういう部分を見ずに、失礼を承知で言えば個人の部分の話だけで語るから、「そういう稼げないあるいは対応しきれない人は全部消えろ」という話に持っていかれるし、さらに言えば、自己責任論を唱える人が厳しい状況に置かれた人に「退場」を迫る言論が多くなっているのが気になるところです。

​4️⃣ これまで社会活動の中で、ある程度融和的に話していく手段が必要だろうということで対応していきましたが、これだけでは…と思わされることが多くなりました。

 苦しい状況にある人が強い怒りの声を上げて意思を示すことも必要ではないかと。それはヘイトスピーチや差別にしても同じです。

​そこのところを、ずっと「その間大人しくしていればいい」と考えてきた人が、怒りを示している人に「お前黙れよ」というしている光景を見ますが、もうそうじゃないよと。

 「苦しいのは苦しい、大変なのは大変だ」と、はっきり「不快感がある」ということを示していく。それをデマなどで押さえつけようとするならば、それとやり合うということも必要ではないかと考えるわけです。

5️⃣ ​私のXアカウントはそれが過ぎてしまって、11月中凍結状態にさせられていますが、どの媒体でもまず必要な意思は示すという部分で行動していくことにしています。とりとめのない話でしたが、お付き合いいただきありがとうございます。