
12月22日(月曜日)。
池袋の「シネマ・ロサ」へ、映画『夢と創造の果に 〜 ジョン・レノン最後の詩』を見にいく。
★
1969年3月にオノ・ヨーコと結婚し、その後ビートルズを脱退したジョン・レノン。ビートルズ解散後も独自の道を歩み、革新的な音楽を生み出す一方で、平和活動家として反戦運動の最前線に立った。1980年には本格的な音楽制作を再開し、5年ぶりとなるアルバム「ダブル・ファンタジー」を制作、カムバックツアーも計画していたが、アルバムリリース翌月の12月8日、帰宅時に射殺されてしまう。(「映画.com」より)
https://eiga.com/movie/104634/
関係者の発言が入れかわり立ち代わり出てくるんだけど、わたしはいま目が悪いので字幕を追うのがつらい。英字で関係者の肩書が出てくるが、目で英字を追っているうちに、話している翻訳の方の日本語字幕が消えてしまう。
話し手がどういった関係者なのか見るのはあきらめ、話しの内容に専念した。それでも画面の切り替わりが早いので油断すると置いていかれそうになる。
知らない「おじさん」と「おばさん」がどんどん出てきて話すが(笑)、幸いに話していることはだいたい想像がつく。本で読んだことがあるので。
めずらしい映像も写真もなく、話の内容も新しい発見はなかった。はっきりいえば、退屈70%。
★
先日FM-NHKで「渋谷陽一三昧」という4時間くらいの「追悼番組」を流していた。そのオープニングにジョン・レノンの「スターティング・オーバー」がかかった。
ゲストのひとり、音楽雑誌「ロッキング・オン」の現在の編集長・山崎洋一郎氏が、司会者に「渋谷陽一さんはジョン・レノンにどのような想いを持っていましたか」と聞かれると、
山崎洋一郎氏は、「ジョン・レノンが『ラブ&ピース』として語られるのをすごく嫌ってました」といった。
わたしたちの世代は、ジョン・レノンが『ラブ&ピース』という美辞麗句で語られることがむずがゆかった。
「愛と平和のジョン・レノンだって?」
「うぇー」となりそうだ。
『ラブ&ピース』を浸透させてきた最高の演出家は誰なのか。
わたしはオノ・ヨーコさんだと思っている。
★
2025年12月1日に出版された、青木冨貴子著『ジョン・レノン運命をたどる〜ヒーローはなぜ撃たれたのか』では、著者の青木氏はジョン・レノンを殺したマーク・チャップマンにインタビューをしている。

「なぜジョンを撃ったのか?」──その動機を犯人自身から聞けるのではないか、という期待があった。
しかし、マーク・チャップマンは、質問者は「ジョン・レノン殺害の動機」を聞きたがっているのに、話す内容は「イエス様」のこと。「イエス様」の教義。
その日(ジョンを殺害した日)、「イエスは私をとめなかった」とか、他人事(ひとごと)のように話している。正常な人のようでいて、やっぱりどこかおかしい。
マーク・チャップマンはむかしビートルズが登場したころの短い時期、ファンだったかもしれないが、ずっとジョン・レノンを追ってきたわけじゃない。
「熱烈なファンがジョンを殺した」という通説は、わたしはちがうと思っている。
ジョン・レノンが5年ぶりに出した待望のアルバム『ダブル・ファンタジー』のことを、ダコタハウスに来るまでチャップマンは知らなかった。
「熱烈なファン」には、ありえないジョンヘの一種の無関心さ。
「有名人を殺せば、自分も有名になれる」──「イエス様」を持ち出すまでもない。これがチャップマンの殺人動機ではないか。ありきたりで、くだらなすぎる。
★
青木冨貴子氏の本で興味深かったのは、ジョン・レノンが生きた最後の5年間──「ダコタ・ハウスの日々」について触れた第6章「軽井沢の夏」。
通説では、ビジネスをヨーコに任せ、ジョン・レノンはヒット曲を創るプレッシャーから解放され、パンの焼き方を覚え、生まれたばかりのショーンの子守で、穏やかな日々を送っていた──だいたいそんなふうに語られている。
ジョン・レノンとオノ・ヨーコの「愛と平和」──美しく装飾された物語だ。
映画『夢と創造の果に 〜 ジョン・レノン最後の詩』 では──どの関係者だったか──「ダコタ・ハウスで、ジョンがパンを焼いたり、ショーンの子守をしていた」といわれていることについて聞かれ、、、
「パンを1回くらいは焼いたかもしれないし、子守をしたことがあるかもしれないけど、お手伝いさんがいっぱいいましたからね、それはどうなんでしょうね」と、やわらかく通説に疑問を呈している。
ジョンが死亡した(1980年)──その数年後に「『愛と平和』の物語」を、否定するような本が出版される。
- ジョン・グリーン『ジョン・レノン最期の日々(原題「Dakota Days: The True Story of John Lennon's Final Years」』。
- フレッデリック・シーマン『ジョン・レノン最後の日々(原題「The Last Days of John Lennon: A Personal Memoir」』。
邦題が2冊とも似ているのでまぎらわしい(笑)。
青木冨貴子氏の『ジョン・レノン運命をたどる』では、「ダコタ・ハウス」の最後の5年間を、この2冊の本を引用しながらたどっている。
(註:手元にその2冊の本が今ないので、青木冨貴子氏の本から孫引用することが多くなります)
★
1冊目のジョン・グリーンは、ヨーコお抱えのタロット占い師。当時ヨーコは、タロット占いに凝っていた。行動方針を、グリーンのタロット占いに従っていた。
ジョン・グリーンの言葉を──青木氏の本から──引用する。
彼の死後、さまざまな記事や本が出たがどれもこれもお世辞だらけ。ジョン・レノンというつかみどころのない風変わりな人間は、まるでちょっとした”神”か何かのように扱われ、彼を愛するだとか理解しようなんてのはとんでもない。ひたすら崇拝すれば良いと言わんばかりなのだ。(『ジョン・レノン運命をさだめる』──第6章:136頁)
グリーンは、スランプで懊悩するジョンの様子も描いている。
「どうしたらいいかわからないんだ。ぼくは詩神(ミューズ)に捨てられてしまった。捨てられたんだ。ミューズはどこかへ消え去ってしまった。」(『ジョン・レノン運命をさだめる』──第6章:137頁)
当時ヨーコは、吉日を選ぶのも、旅行などの路線の選択も「タロット占い」に従った。わたしは、自分が占いを信じないので、占いで重要な行動を決めるというジョンとヨーコに「異様さ」を感じた。
★
フレデリック・シーマンは、ジョン・レノンの「世話係」。仕事は「ジョンをハッピーにすること」だという。
(註:シーマンの本には、ジョンヘの麻薬(コカイン)の調達も「彼の仕事」のように書かれていた記憶があるが、青木氏の本にそれは出てこないので、ここでは割愛する。)
青木氏によれば(シーマンの仕事は)、
頼まれた買い物をし、ジョンが寂しかったり退屈しているときに相手をする。もし、ジョンがいつもと違う要求をしたり奇妙な行動をとることがあったら、すぐヨーコへ知らせるというものだった。(『ジョン・レノン運命をさだめる』──第6章:142頁)
さらに、青木氏は書く。
明けても暮れてもジョンはベッドの上でテレビをつけっぱなし、音声を消した状態で本や雑誌に没頭する。時には一階のスタジオ・ワンへ降りて行って多忙なヨーコを昼食に誘い出そうと機会を窺うが、忙しすぎて昼食どころではないとヨーコに突き返される。(『ジョン・レノン運命をさだめる』──第6章:144頁)
ダコタで働きはじめて一ヶ月足らずで、私は残念ながら、こう実感せえざるをえなかった。⋯⋯ジョン・レノンは囚人として暮らしているのだ。誰かに誘拐されたわけでもなく、みずからの自由意思で⋯⋯。ドアに錠はおりていない。いつでも自由に出ていくことができる。なのに、彼は囚人だった。(『ジョン・レノン運命をさだめる』──第6章:145頁)
しかし、ジョンは立ち直る。彼に詩神(ミューズ)がもどってきた。
1980年11月17日(米国)ニュー・アルバム『ダブル・ファンタジー』を発表する。
アルバムのA面にジョンの曲を集め、ヨーコの曲をB面に集めようとしたが、ヨーコの反対で、1曲ごとに「ジョン→ヨーコ→ジョン→ヨーコ」と組んで、発表した。
ファンの評判も、音楽家の批評も──そして売上も、はじめ芳しくなかった。
しかし、ジョンがマーク・チャップマンに殺害されると、アルバムはチャートを上昇し、NO.1になった。