ベースボール白書

野球観戦、野球考察。活字ベースボールを届けます。『WBC 球春のマイアミ』をリリースしました。

第5回WBC宮崎キャンプ〜球春、神話の郷から、侍ジャパンが生まれた11日間

Amazon Kindle『WBC 球春のマイアミ』より一部を抜粋。WBCで侍ジャパンの礎を築いた宮崎キャンプを振り返る。

宮崎キャンプ(2月17〜27日)

2月17日(始動)

球春は神話の郷・宮崎からはじまった。第2回WBCのフィーバーを超える熱狂とともに、侍ジャパンは新たな野球神話を築いていく。昨日の敵が今日と明日の友になる。春に出逢い春に別れる。桜のような刹那が愛おしい。

寒さが残る2月17日(金)。宮崎キャンプ初日。咲き誇る河津桜を背に、日本代表30人のうち26人が集まった。少しずつ蕾が萌芽していく。夜明け前のビフォア・サンライズ。パームツリーが南国感を醸し出す宮崎には、お祭りのはじまりを待つ高揚感があった。真新しい「JAPAN」のユニホームに袖を通した選手たちがグラウンドを跳ね回り、活気ある声を爽やかな風に乗せる。ユニホームには日の丸の重みと日本代表としての喜びが映射していた。

今回のWBCが開幕前から楽しめるのは3月6日までメジャーリーガーが出られないからだ。本来なら宮崎合宿に全選手が合流し、開幕まで調整を行う。しかし、今年はRPGのように徐々に仲間が増えていく。現段階では"選手の集まり"。これからユニホームを泥だらけにしながら侍戦士たちは"チーム"になっていく。

第1回大会の2006年2月21日、福岡ドームで行われた合宿ではイチローが先頭を走り背中で牽引。多くの選手がオープン戦に参加する雰囲気を醸し出すなか、オリンピックの出場要請を頑なに断り続けたイチローはWBCの重みを理解していた。

野球の真の世界一を決める。

そこは憧れの舞台ではなく、世界で最も厳しい戦場。春なのに10月の状態に仕上げなければ栄冠は輝かない。ファンも贔屓球団や選手への好き嫌いの枠を越え、全員で日本代表という鍋をつつく。選手は12球団分、12倍以上の期待、普段は野球を観ない国民のプレッシャーまでも背負う。冬眠をせず、厳しい寒さのなか自主トレを行い、2月の時点で調子をピークに持ってきた。

2月17日の初日は9時に宿舎を出発し、ひなたサンマリンスタジアム宮崎へ。9時半すぎからチームミーティング。東京の原宿にある東郷神社で必勝祈願を済ませた栗山監督は世界一奪還、そして"野球発祥の地"アメリカを倒そうと檄を飛ばす。チームにリーダーを設置しないことも宣言。オフを潰して調整してきた選手たち全員がリーダーである。

2009年に優勝した際、イチローは言った。「チームには強いリーダーが必要という安易な発想があるが、今回のチームにはまったく必要がなかった。それぞれが強い向上心を持っていれば必要ない。むしろ、そんなものはいないほうがいい」

イチローが描く究極のチーム像。14年の時を経て、令和の侍ジャパンが体現しようとしている。10時前に選手たちが、ひなたサンマリンスタジアム宮崎のグラウンドへ出ると、集まった18,541人のファンから大きな拍手。

2月の宮崎は寒い。15時を過ぎれば霧島おろしが吹き気温は一気に下がる。10時45分からキャッチボールを行い、シートノック。村上宗隆のミズノ製のグラブはおろしたて、カチカチの状態。WBC公式球を受け止めながら、ほぐして手に馴染ませていく。使い慣れないコスタリカ製のボールは守備陣の送球にも大きく影響する。守備練習は優勝へ向けて最重要。

11時30分からは打撃練習。1組目の山田哲人、牧秀悟などに続き、2組目には村上、岡本和真、山川穂高がフリー打撃。日本の4番である村上はキャンプ初日からフリー打撃で11本の柵越えを披露。WBCに向けてしっかり調整してきた。令和の三冠王は宮崎の隣国・熊本県の出身。九州学院高等学校で「肥後のベーブ・ルース」と呼ばれた。第1回WBCの4番で平成の三冠王、松中信彦も同郷。

村上のWBC体験は第2回大会、9歳の春。決勝戦は熊本市内の公園で携帯電話で見た。小学校の卒業文集には「WBCに選ばれて世界で活躍したい」と書いた侍キッズ。今回のWBCがジャスト・ミートのタイミングで実施されたのは大谷翔平だけではない。村上もまた最高の実績を引っ提げてWBCに挑む。

プロ初打席は2018年9月16日。神宮球場で新人離れしたホームランを放った。本塁打の申し子。それでも国際大会ではホームランより打点が重要と語る。内野ゴロでも決勝点になればいい。下位打線まで各球団の4番が並ぶ侍ジャパンにおいて、出塁の高さは火を見るより明らか。そのランナーを返せる打点力がバッターには求められる。ベンチでは誰よりも声を張り上げ打線を引っ張る男。かつて侍ジャパンの55番をつけるべきだった松井秀喜の幻影を村上宗隆が超える。

投手陣は全体アップのあと、ダルビッシュだけが別メニューで独自調整。トレーニングルームを出たあとは持参した器具でストレッチ。1時間近く筋肉をほぐす。誰よりもコミュニケーションを意識しつつ、自らの調整も貫く。ダルビッシュが動くと、ファンも報道陣もチームメイトも追いかける。

3月末の開幕に調子を合わせる習慣が染みついているプロ野球選手にとって、1ヶ月早く仕上げるのがどれだけ大変か想像に難くない。特に気候も習慣も違う異国の地で調整を続けてきた大ベテランのメジャーリーガーにとって、この決断がどれほどの覚悟があったか。ダルビッシュ有が選んだのは温暖なアリゾナではなく寒冷の宮崎だった。2023年はMLBで大幅なルール変更があり、ピッチクロック(投球の時間制限)やピッチコム(サインを伝達する電子機器)などにアジャストしないといけない。例年よりもスプリング・キャンプが重要になる。それでもダルビッシュは長いシーズンよりも一瞬のWBCを優先した。

WBCは2週間の大会だが、その先に野球界の未来がある。WBCを見て野球をはじめる子どもたちの光がある。この20年間で日本の野球の競技人口は約300万人も減少していると言われる。野球界に恩返しができる最大の舞台がWBC。そして、ダルビッシュ自身も普段は接することのない日本の若手と交わることで、新たな野球を吸収できる。侍ジャパン唯一の昭和生まれ、36歳になってもプロである以上、引退まで進化を止めるつもりはない。

栗山監督から声をかけられたときは、これから新しい子どもが生まれてくるタイミングであり、当初は選手ではなくスコアラーの形でバックアップする予定だった。が、家族の協力もあり、宮崎キャンプから"選手"として参加。

14日にチャーター機で宮崎に入り、2月16日には巨人のキャンプを訪れ岡本、戸郷、大勢、大城と合同練習を行なった。事前にメンバー全員の動画をチェックし、コミュニケーションに備える。食事会場では、誰がどのメニューを選ぶか、どれくらいの量を摂るのかを観察し、食事に対する各人の考えを聞いて回った。栗山監督から日本野球の底上げのため、変化球の投げ方やトレーニング法、食事や睡眠などのアドバイスを大会前に求められていた。

ダルビッシュは言う。「チームの強みは、人と人の距離が近いこと。チーム一丸となった野球ができる。課題はない。全員プロ。このままの状態で大丈夫」と若手の背中を押す。キャンプ中「絶対にこのチームはアメリカの選手だったり、メジャーの選手に負けてない」と言い続け、持てる技術を余すことなく伝授。第1回大会でもメジャーリーガーの大塚晶則が「メジャーといっても凄いのは一握り。大したことはない。日本の投手のほうが技術は上」と初代のメンバーを鼓舞した。

09年の第2回大会でレッドソックスから欠場するよう暗に求められていた松坂大輔が、自らの意志を通して優勝への立役者となったように、世界最高峰のレベルを知るダルビッシュの参加は大きく影響する。侍ジャパンで選手・コーチ含めて唯一、優勝の味と重みを知る戦士。WBCという1ヶ月間の森を抜け、それぞれの球団がある町に帰っていく。そのとき選手たちは見慣れた球場が少し小さく思えるのだろう。優勝を知るダルビッシュは夢先案内人。

そしてダルビッシュが凄いのは聞く力。伝えるより聞くことで若い選手をリードした。かつてイチローは福岡ドームのキャンプの最初のウォーミングアップから全力疾走し、「今日もみんなで気合い入れていこう」と背中でナインを引っ張った。川﨑宗則は「全力で走るなんてありえない」と驚いたが、イチローにとっては「野球が好きだから」が原動力であり、責任感や仕事は二の次。きっとダルビッシュも、行き着く先は”そこ”なのだろう。

ダルビッシュはアドバイザーとしてだけでなく、日本の投手から積極的に教わった。これは第1回大会で唯一のメジャーリーガー投手だった大塚晶則も同じ。初対面の和田毅や杉内俊哉に身体の使い方やコントロールの秘訣を質問し、すぐに真似した。ダルビッシュや大谷翔平といったメジャーリーガーが逆輸入するのは技術ではなく、野球への貪欲な姿勢。

キャンプ初日を終えた栗山監督。「年齢も実績も関係なく選手一人ひとりが“自分が主将なんだ。引っ張らないといけない”と思えば行動が変わる。会社員でも“自分が作った会社だ”と思えば仕事のやり方も変わる。雰囲気については取材していた第1回や第2回大会の時はものすごい緊張感が練習から感じたけれど、今は時代なのか、選手たちからワクワク・キラキラしたものを感じて、プレッシャーを楽しんでくれているように感じる」

2月18日(ブルペン練習)

キャンプ2日目の土曜日。初日の18,541人を超える19,421人のファンが「ひなたサンマリンスタジアム宮崎」に詰めかけた。朝5時の時点で良い席を取ろうとファンが行列を作る。ゆっくりと始動するはずの春に、日本シリーズを超えるトップギアの選手たちが見られるから無理もない。海の向こうアリゾナでは大谷がブルペン練習を行っている。フロリダでは吉田正尚がフリー打撃で柵越えを連発。

ビジター用のユニホームを着たダルビッシュは、ひなた木の花ドームの室内練習場で戸郷とキャッチボールを行い、カーブの投げ方をレクチャー。木の花ドームは宮崎県産の杉を7,400本使用した単層アーチ構造。木の温もりと純白の天井が清々しい気分にさせてくれる。ミニ東京ドームといった雰囲気。サンマリンスタジアムからクロガネモチの並木を2キロ歩く。侍ジャパンが羽ばたくWBCの滑走路。秋には鮮やかなオレンジのストレリチアの花も咲く。

木の花ドームでは日本の投手もスポンジのようにメジャーリーガーの教えを吸収していく。ダルビッシュも日本人投手の器用さに感心する。第1回WBCから日本代表のトレーナーとして参加している河野徳良氏は日本人が幼少期より箸を使うため、手先や指先が器用になるという。そして、チームの雰囲気も過去の大会に比べて飛び抜けて良いと語る。

ダルビッシュは午前11時にブルペン入り。投球練習を開始すると吉井投手コーチ、佐々木、山本、宮城、戸郷、大勢、湯浅、高橋奎二が捕手の後ろから投球を見つめる。ブルペン捕手は甲斐拓也が務め、オフに一緒に自主トレを行った伊藤大海と並んで7種類の球種を35球投じた。伊藤とダルビッシュはロッカーも隣。ダルビッシュとの会話を全部ノートに記録する。WBCが終わったあとも野球人生は続く。かけがえのない時間もWBCのモチベーションと団結力につながる。

後ろで見ていた大勢は「ツーシームが見たことないくらい曲がっていた。次元が違う」と驚愕。数々のツーシームを受けてきた甲斐拓也も「これがツーシームだとわかった。回転数や景色が全然違った。やっぱりモノが違う。トラックマン(計測器)でもすごい数値が出ていた」と感嘆。

野茂英雄も訪れ、投球後に会話を交わした。前日に睡眠の質の悪さを相談した湯浅京己はダルビッシュからもらった睡眠の質を高めるグミのおかげで昨夜はぐっすり眠れたと感謝。

 

2月19日(ダルビッシュ塾)

合宿3日目の日曜日。佐々木朗希、山本由伸、髙橋宏斗がブルペン入り。佐々木はダルビッシュから教わったスライダーを早速試す。球を受けた甲斐は「こんな凄いスライダーがあるんだと思った。曲がり方がキュッとしていて、いきなりブレーキがかかって曲がる」と驚嘆。今回の宮崎キャンプでは3人のブルペン捕手がいた。日本ハムから梶原有司、広島カープから長田勝、そしてもう一人の鶴岡慎也は、かつてダルビッシュの専属捕手。それでも久しぶりに受けるスライダーは"人間の反射神経の限界"と評する。曲がりが大きすぎて捕れないこともあるほどだった。

侍ジャパンにはレーダー技術を使った弾道測定器「トラックマン」の責任者である星川太輔氏が帯同している。日本の投手の多くは一通り球数を投げ終えてからチェックするが、ダルビッシュは1球1球チェック。前者は投げたあとに「どうすればもっと球が良くなるか」を考えるが、ダルビッシュは先に仮説を立て、一球投げたらすぐに検証に入る。この光景を見た侍ジャパンのほぼすべての投手が1球1球データを見るようになった。ダルビッシュがキャンプ初日から参加することで、日本プロ野球に早速、化学反応が起きる。

ピッチャー陣の練習を見つめた栗山監督は「大爆発する雰囲気が出ている」と髙橋宏斗に期待を寄せた。

野手陣は12時40分からタイブレークを想定したゲーム形式の練習。6人ずつ2組に分け、攻守で2イニング同じ状況で実践。結局、大会を通じてタイブレークは無かったが、この入念な準備が侍ジャパンの強さ。白井ヘッドコーチは「あらゆる場面を想定した中で、いろんなケースがあると確認できたので良かった」

野球は運に左右されることが多いスポーツ。バッターにとって完璧に捉えた打球が守備の正面に飛んでしまうことがある。逆に打ち損じたボテボテの当たりが守備の間を抜けることもある。ピッチャーにとってやられた!と思った打球を守備がファインプレーしてくれることもあれば、完璧に打ち取ったあたりをエラーすることもある。栗山監督は高校野球のキャスター時代、1回負けたら終わりのトーナメントを徹底的に取材してきた。たった1つのプレーが天国と地獄を左右する。だからこそ、どんな結果になろうと後悔することなく準備を徹底する。その時間が大ききな意味を持つことを甲子園から学んだ。

「来てくれた方への思いを考えるようにしています」とダルビッシュはファンにも快くサイン対応。栗山監督は「僕以上に野球の今、将来、子どもたちのことを考えてやってくれている」と感謝。宮崎合宿に訪れた多くの野球少年たちは、かつて村上宗隆がそうであったように、小学校の卒業文集に「WBCに出たい」と書くだろう。

2月20日(宇田川会)

休養日はダルビッシュと宮城大弥が、ひなたサンマリンスタジアム宮崎で休日返上の自主練習。沖縄の興南高校時代、Twitterで「興南の宮城投手、俺あんなピッチャーになりたかった。投げ方、球筋、総合的に好きすぎる」と絶賛された縁を持つ。そしてついに、侍ジャパンのトップチームでチームメイトとなった。

ダルビッシュは左投げでもキャッチボールを行い、大谷顔負けの二刀流を披露。宮城はダルビッシュからフォークを教わる。ダルビッシュが投げるスライダーやスラーブは想像以上だった。最後の最後で手元で曲がる。グローブ1個分、先に構えなければ捕れない。

夜には宮崎市の橘通の東に佇む焼肉店「犇(ひしめき)」で投手会を実施。手配をしたのは都城市出身の戸郷。投手14人で宮崎牛を堪能、約50人前を平らげた。チョレギサラダ、炙り牛トロ握り、馬刺し、ユッケ、タン元、厚切りタン、上ハラミ、サガリ。牛一頭分の内臓を食べた。若い投手は追加で石焼ビビンパも注文。

まるで野球部の球児たちがワイワイガヤガヤする雰囲気で行われた食事会は気疲れをしていた宇田川優希を囲む「宇田川会」と命名。この気遣いが宇田川本人はもちろん、侍ジャパン全体の士気上げにつながった。厚澤ブルペンコーチから「人見知りの宇田川を頼むね」とお願いされ急遽、機転を効かせたダルビッシュ。さらには栗山監督の部屋を訪ね「宇田川を褒めてやってください。前に進みますから」と指揮官にお願いした。

「犇(ひしめき)」の入り口には14人の投手陣の写真とサインが飾られている。偶然かもしれないが、この店を予約した戸郷翔征と宇田川優希のサインが真ん中にあるところに、メンバーの関係性を感じる。

第2回WBCで投手陣のリーダーを担った松坂大輔が取り組んだことがチーム内の壁を取り除くことだった。前年にレッドソックスで18勝を挙げ、ワールドシリーズを制覇した偉人に対して若手の投手陣は萎縮し、特別視した。投手力は世界一なのにオリンピックなどの国際大会になると、その力を出せないのが日本代表。従来のパフォーマンスを発揮するには、もっと伸び伸びとプレーし、互いをフォローし合う。そのために松坂は時間を見つけて投手陣を食事に連れ出し、若手から遠慮を取り除き、壁を壊していった。その姿に誰よりも感銘を受けたのがダルビッシュであり「僕らと同じ目線で語ってくれる。壁を作らない態度が人間的に素晴らしい」と感謝した。結果、第2回大会で侍ジャパンの投手陣は9試合で防御率1・71と、準優勝の韓国の3・00を遥かに下回る防御率で大会連覇を果たした。

ダルビッシュは当日の夜にTwitterで「宇田川さんを囲む会に参加させていただきました!宇田川さん、ご馳走様でした!」と投稿。自己PRのためではなく、宇田川を励ますために日本中から元気玉を集めた。栗山監督が「ダルビッシュ・ジャパン」と形容したように、リーダーを置かない今大会でも、ダルビッシュには大きなリーダーシップがあった。

今大会のWBCでは選手たちがSNSで自主的に情報を発信していく。特にダルビッシュは野球選手の中でも積極的。Instagram、Twitter、Facebookだけでなく、YouTube、TikTok、noteでブログも書く。目的は収益の寄付であったり、世界の文化や価値観を把握したりと様々だが、日本に合流できないヌートバーがInstagramに反応するなど、チームの輪を作った。

メディアに頼るのではなく、広報活動も選手が率先してやる。SNSという拡声器を活用し、日本中に「侍ジャパン」のシュプレヒコールを起こした。東京五輪ではソーシャル・ディスタンスが色濃くあったが、WBCではソーシャル・ネットワークによって野球熱が全国に聖火リレーしていく。

 

2月21日(村上宗隆vs.ダルビッシュ有)

キャンプ5日目。第2クール初日。火曜でも18,356人の観客。球場外に設置された「SAMURAI PARK」の飲食ブースには地元宮崎の名産・チキン南蛮や宮崎牛丼、肉巻きおにぎりなどの屋台が並ぶ。

野手陣は実戦形式の打撃練習「ライブBP」を行い、村上宗隆がダルビッシュからバックスクリーンへのホームラン。

絶好調の村上に対し、岡本は空振りの三振。他にも牧秀悟や大城も対戦するが、ヒット性の当たりは近藤健介のみ。

ダルビッシュは4人の打者陣と対戦を終えると公開処刑を受けた村上との再戦を要求。一ゴロのあと「外からのスライダーが来るかと思った」と左安打で村上の勝利。ダルビッシュも三冠王の野球脳に舌を巻いた。ただし、打席に立ったとき、最も威圧感を感じたのは岡本和真だったという。

14時からは子どもサイン会。貴重な機会だからこそファンを育てる。ダルビッシュが14年ぶりにWBC出場を決めたのも、子どもの野球離れを憂い、少しでも野球をはじめるトリガーになればという想いから。それはイチローがこのWBCという大会を少しでも日本で育てたいという想いで参加した第1回大会に似ている。世界一を目指す過程において、ダルビッシュは体育会系の殺伐した雰囲気ではなく野球を楽しむエンジョイ・ベースボールをファンに見せようとした。

2月22日(岡本和真の献身)

第2クール2日目。高橋奎二はダルビッシュとキャッチボール。ダルビッシュは一流のピッチャーをキャッチボールだけで感動させた。ダルビッシュからはスライダーを教わり、逆に高橋からはチェンジアップを教える。

岡本和真がレフトの守備を行う。清水守備コーチは「普通に試合に出して大丈夫」と太鼓判。2023年、侍ジャパンへの想いが特に強いのは岡本和真。「なんでもするからWBCだけは選んでくれ」と願っていたように、本職サードで使う内野手グラブの他に、ファーストミット、外野手グラブと3種類を持参。誰もが認めるサードの守備日本一にも関わらず、令和の三冠王にポジションを譲り、ファーストにはパリーグの本塁打王・山川穂高がいる。スタート地点では控え選手。それでも侍ジャパンの一員であることに誇りを抱き、どのポジション、どの場面でも日本の勝利に貢献できるよう、プライドをかなぐり捨てて献身的な姿勢で望んだ。

特に甲子園のスターからプロ野球選手になると、スポットライトを浴びることが当たり前になり、チームプレーに徹することが難しい。侍ジャパンの中で甲子園のスーパースターだったのは大谷翔平、ダルビッシュ有、松井裕樹くらいで、甲子園に出ても脚光を浴びていない選手も多い。侍ジャパンでは誰もプライドなど持ち合わせない。そこがWBCの凄さでもある。

大勢の球を受けた甲斐拓也は「この真っ直ぐ何?直球を受けるのが怖いかもって思ったのは初めて」と興奮気味に語った。

2月23日(ダルビッシュのサイン会)

キャンプ7日目。25日に行われるソフトバンクとの練習試合に向け、多くの投手陣がブルペン入り。MLBの規定で投げられないダルビッシュを除く全投手が登板。山本由伸の球を中村が、佐々木朗希の球を大城が受ける。

ここでもダルビッシュの男気が一層光る。アメリカでの調整もなく来日し、宮崎合宿でも自身の調整より若手とのコミュニケーションに時間を割く。MLBの調整方法も多く伝授した。これまで日本のプロ野球ではブルペン入り前のマッサージが当たり前だったが、MLBでは試合前のマッサージはしない。また、日本では投球後は肩や肘をアイシングするのが日常で、戦前の日本代表の沢村栄治などは肩の炎症に馬肉を当てて熱をとったが、MLBではアイシングに疲労回復の効果はないと言われる。ダルビッシュの影響で今大会、侍ジャパンのアイシングの消費量がこれまでより極端に少なかった。

TBSの取材で「世界一になるために必要なこと」を訊かれ「世界一を考えないこと」と答えたダルビッシュ。09年に優勝した大会の直前にメジャーリーガーだった岩村明憲も同様の回答をした。世界一を目指さないこと。かつて第1回大会の福岡キャンプでイチローは松坂大輔に「お前、深いところで舐めてるだろう」と声をかけた。WBCという大会を舐めてるという意味ではなく、メジャー志向の松坂が日本の打者を少し甘く見ているという意味だ。目標を高く掲げることは大事だが、頂上ばかり見上げたまま進むと山登りでは大怪我につながる。しっかり自分の足元を見て歩むことが結果的に登頂につながる。ダルビッシュが言いたかったことは、イチローと同じ意味ではないか。25日と26日の練習試合はチケットが既に完売の大盛況。侍ジャパンにとって輝かしい船出を迎える。

 

2月24日(雨天の自主練習)

休養日の2月24日、ちょうど宮崎は雨。ダルビッシュ、今永、髙橋宏斗などの投手が室内練習場でキャッチボール等の自主練習を行い、野手では山川が、ひなた木の花ドームで打撃練習と吉村禎章コーチのノックで汗を流した。前夜には野手陣とダルビッシュで5時間の寿司会を開催。「ダルビッシュが全員に話を振って、しゃべってなかった人はいない」と先輩のコミュ力と鮨に舌鼓を打った。村上いわくバッティング練習で一番の怪物はアグー。仕上げは順調で山川はスタメン当確に思われた。前夜は近藤健介が選んだ鮨屋でダルビッシュと野手陣で5時間の決起集会。ダルビッシュが全員均等に話せるようパスを回しアグーも感動。後半はメジャーで進化するデータ野球について徹底的に話し合った。

2/25(練習試合)

2月25日(土)。昨日と打って変わって宮崎の天気は晴れ。最低気温4度、最高気温16度の予報。09年以来の世界一奪還を目指す侍ジャパンにとって不死鳥の国・宮崎は縁起のいい場所。まずはソフトバンクとの練習試合から実戦が始まる。ひなたサンマリンスタジアム宮崎は天然芝。決勝ラウンドのマイアミの球場は人工芝だが、日本よりは天然芝に近い質なので予備練習になる。3月に入ると侍ジャパンは練習試合を含めて、すべてドーム球場での戦い。その前に太陽の祝福をたっぷりと浴びておく。河津桜が白のホームユニホームを照らしていた。

チケットは完売で26,212人。JR日南線の2両編成のディーゼルカーに乗り、希望という名の電車に乗った観客が木花駅(きばなえき)に詰めかけた。歩いて15分ほどでスタジアムに着く。

今回はメジャー組が試合に出られないため、サポートメンバーとして巨人の松原聖弥と重信慎之介 、西武の西川愛也の外野手3人が参加。日本が一丸となって世界一を目指す姿はうれしい。

試合前の円陣の掛け声はアグー山川。「全員安打めざして頑張りましょう。初球からガンガン行きましょうね」と鼓舞。この掛け声は「ペップトーク」と呼ばれ、スポーツにおいて試合前の短い激励のスピーチを指す。今大会の侍ジャパンにおいて、ペップトークは大きな言魂となる。

打線のオーダーは吉村禎章バッティングコーチに一任。試合前にダルビッシュ有がコールされたときは悲鳴に近い歓声に包まれた。

バックスクリーンの頭上に太陽、広大なファウルゾーン、海から吹く風がグラウンドの芝の匂いを連れてきてくれる。13時30分、先陣を切ったのは令和のミスター・パーフェクト佐々木朗希。先頭打者は牧原大成。初球161キロのストレート。初回から162キロを叩き出したときは、サンマリンスタジアムにどよめきが起きる。順調な調整とWBCにかける意気込みを数字で示した。

牧原は二塁内野安打。3回には源田壮亮のフライをダイビングキャッチするファインプレー。このあと侍ジャパンの一員になると誰が予想しただろうか。牧原は盗塁を仕掛けるが、同期でチームメイトの甲斐キャノンが炸裂。阿部慎之助の10番を受け継ぐ侍が球場を大いに沸かせる。

調整試合とはいえ、春うららの雰囲気はなくレギュラー争いが熾烈。2月の寒空に白球が高々と舞い上がる。そこには選手だけでなく多くの日本の熱が乗っている。ノーヒットに終わった山川と違い、7番・一塁で先発フル出場した岡本和真は先制点を含む2安打3打点と爆発。

バッティングはもちろん、4回に前進守備を敷いていたにも関わらず、周東のショートゴロの間にホームを陥れた走塁もアピール。「今日はあれが一番。打者にも打点がつくので走塁もしっかりやりたい」と話した。

5回には伊藤大海が3番手で登板。背番号は17。13年の第3回大会では田中将大が着用した。今大会で代表に選出されなかった分、伊藤の活躍が期待される。「状態が良かったので、そんなに遊び球いらない」と全8球ストライクで気合の投球。1イニングを2三振で三者凡退。本戦でのパーフェクト伝説はここから始まった。

誤算は4番手の宮城大弥。WBC球への適応が間に合わなかったのかコントロールが定まらず、まさかの4失点。牧原大成にもタイムリーを浴びる。三塁の守備についた周東やショートの中野にも連続エラー。投手も守備もWBC球の感触を確かめながら修正していく。あとから調子を落とすより、本番に向けて調子を上げていくほうがいい。

宮城のあとを受けてマウンドに上がった宇田川は2アウト一、三塁の場面で4球すべて直球を叩きみ零封。物おじしない評価のとおり、見事にピンチを救った。ダルビッシュが見守る前で下手なピッチングはできない。

エラーをした周東、中野が安打を放ち得点に繋げる。試合中に挽回する強さ。最後は地元・宮崎出身の戸郷翔征が締めて8-4の勝利。

試合後にはノーアウト二塁からはじまるタイブレークでの試合。髙橋宏斗が1点を失うも、裏の攻撃で中野拓夢がタイムリーを放ち、1-1の引き分け。ひなたサンマリンスタジアム宮崎には美しい西陽が差し込んでいた。

2/26(練習試合2日目) 

2月26日の日曜日。2日連続の晴れ、最低気温2度、最高気温12度と昨日より少し寒くなる予報。試合前にはダルビッシュが2度目のライブBPに登板。打者10人を相手に32球を投じた。

MLB所属の選手が3月6日より早めに試合に出るには、日割りに基づいた保険料を支払わなければいけない。今回、参加する日本人メジャーリーガーの年俸は全員20億円を超える。仮に1日前倒したところで莫大な保険料が発生する。そのため、ダルビッシュは試合に出られず、試合前の実戦登板のみの調整となった。

チケットは2日連続の完売で26,382人。3万人を収容できるサンマリンスタジアムはファウルゾーンがとてつもなく広い。それでも両翼100m、センター122mある。普段は地元住民の人たちが朝の散歩やジョギングに使うのどかな球場だが、WBCでは聖地巡礼と化した。スタジアム近くのハンバーガーチェーンも大盛況。それでも当初は大谷翔平が来ると噂されていたので観客は減った。もし大谷が宮崎合宿から参加していれば、もっと大変な人になった。

満員御礼の吉報と逆にバッドニュースも飛び込んでくる。鈴木誠也が左脇腹を負傷。欠場はほぼ確実。鈴木はイチローの背番号51を背負う侍。17年WBC、19年プレミア12、東京五輪に出場。18試合で打率・305、4本塁打、プレミア12は大会MVPと国際大会の申し子。打撃、守備ともに替えがきかない鈴木の離脱は大打撃。彗星が墜ちたあとのような空洞を誰が埋めるのか?

ビジターユニホームの侍ジャパンは山本由伸が先発。ソフトバンクに先制点を許すと、村上の送球エラーもあり2点を失う。

しかし、周東佑京が夕焼けを浴びながら2盗塁。土煙を巻き上げて爆走する。父親も俊足、親戚は陸上の110メートルハードルの元日本記録保持者。周東も幼少期から神速で、鬼ごっこは捕まったことがないと言う。ベースランニングの速度は陸上400メートル世界王者の平均速度と遜色ない。育成ドラフト2位でソフトバンクに入団した若鷹は、19年のプレミア12では7試合に出場し4盗塁。06年決勝「神の右手」川﨑宗則の走塁、13年大会の鳥谷敬「伝説の盗塁」、WBCに刻まれた足攻の伝説を受け継ぐ。

外野の守備が良い周東は鈴木誠也の代わりもあり得たが、凄いのは近藤健介。この日も安打を放ち2日間で4打数4安打2四球、驚異の出塁率10割。日本の右翼を守るのは近藤健介。

1993年8月9日生まれの29歳。千葉県千葉市出身。人呼んで「出塁の鬼」。プロ入り後11年で通算打率は.307、出塁率.413の怪物スタッツ。本人曰く、ストライクとボールを見極め流のではなく、自分が打てる球だけを打つ。「打てない球は捨てる」というシンプルな野球脳。栗山監督が絶大な信頼を寄せる。名門・横浜高校で4番キャッチャーを務めたが軟式野球出身の近藤はスポーツ推薦ではなく一般入試組のひとり。寮の合宿所でチャーハンやスパゲティを作るほど料理上手で、将来は料理人を目指していたという。高校時代は練習がオフの日もグラウンドで練習してから仲間と遊びに行く。

今年の侍ジャパンは沈まぬ太陽。ホームランは2日間とも出なかったが、試合は4-2で勝利。一方で村上宗隆、山川穂高、山田哲人の主力が沈黙。もしWBCがシーズン終了後に行われるなら活躍は計算できる。現に昨年の11月に行われた強化試合では村上も山田も活躍。ペナントレースのパワーをそのまま出力した。しかし、年を越し春を迎えると去年の調子はリセットされる。ここにもWBCの面白さがある。一方、投手では佐々木、今永、宇多川、伊藤、大勢が無双。投手力の侍ジャパンを見せつける強化合宿となった。

 

2月27日(キャンプ最終日)

キャンプ最終日。快晴。ダルビッシュ劇場だった宮崎のラストを月曜ながら16,865人の観衆が見守る。侍戦士たちは大きな怪我なく乗り切った。11日間、最高の盛り上がりを見せたキャンプ。世界一奪還への準備は万端。締めの挨拶は昨日の試合中に指名された野手最年長の中村悠平。

昨季は12球団でトップの盗塁阻止率.364。甲斐キャノンの.343を大きく上回る。

多くの選手がダルビッシュの存在の大きさを挙げた。ダルビッシュは「同じに目線に立つというより、もともと同じ立場。友達と思って接していた」と語る。今回のWBCで世界中の選手の共通点となる「エンジョイ・ベースボール」を強調。「楽しい」はWBCを因数分解する重要な要素となった。

11日間、練習日は大半が快晴。栗山監督は進化する侍ジャパンを示唆。「いろんな化学反応があった。今後もどんな化学反応が起こるか楽しみ」

2年前の2021年12月2日。侍ジャパンの監督就任会見で、大谷翔平は招集するのかを訊かれ、「必要ですか?翔平」と逆に問い返した。大谷翔平の到着を誰よりも心待ちにしているの指揮官に他ならない。だが、その大谷なしでも侍ジャパンは強いことを宮崎合宿で披露してみせた。日本を背負うの渡り鳥たちは、明日から春風に乗って東へサーキットしていく。いよいよ空前絶後の3月が幕を開けようとしていた。

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野球の「ラッキーセブン」〜7回が持つ揺らぎと希望、野球に刻まれた浪漫

野球の「ラッキーセブン」とは?由来・意味から7回に流れが変わる背景まで

野球を見ていると、ときどき理屈を超えた流れの変化に出会うことがある。試合は淡々と進んでいるようで、ふとした瞬間に空気の向きが変わり、プレーの重さが変わる。その象徴として語られてきたのが「ラッキーセブン」

7回に差しかかると、球場のどこかがざわめき、選手も観客も“何かが起きるかもしれない”と身構える。数字やデータだけでは説明できない、野球という競技が持つ独特のリズムと期待感。本記事は、その「ラッキーセブン」という現象を、由来から文化、そして実例まで紐解いていく。

野球におけるラッキーセブン

「Lucky Seven(ラッキーセブン)」とは、野球において7回の攻撃時に“何かが起きるかもしれない”特別な時間を指す言葉。球場の空気がガラッと変わる場面でもある。

試合が進むにつれて先発投手の疲労がたまり、打者が投球に慣れてくるため、7回ごろに試合が動きやすい(逆転劇などが起こりやすい)と思われている。

ただし、実際のプロ野球で点が入りやすいのは初回や3回の「序盤」であり、7回は4番め。継投が多い現代においては、特に終盤は点が入りにくくなっている。

それでも、何かを期待させるものが、ラッキーセブンにはある。

プロとアマチュアの違い

野球の「ラッキーセブン」とは?由来・意味から7回に流れが変わる背景まで

プロ野球では、ホームチームの攻撃となる7回裏がショータイム。風船が夜空に舞ったり、球団の応援歌が一斉に流れたり、スタンドが一気に熱を帯びる。選手にとっても、この雰囲気は背中を押す追い風になり、「ここから逆転だ!」というムードが自然と生まれる。

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一方で高校野球などアマチュア野球は少し違う。ラッキーセブンの7回には、両チームの校歌や社歌の演奏を行う。

試合においては、7回というイニングが試合の分岐点と考えられている。体力が落ち始め、守備も攻撃もミスが出やすく、流れが傾くタイミング。7回表でも裏でも、「ここで試合が動くかもしれない」と誰もが息をのむ。

  • プロ野球:7回“裏”が勝負の盛り上がりどころ(応援イベント付き)
  • 高校野球:7回“全体”がドラマの起点になりやすい

ラッキーセブンは、数字の“7”が持つ縁起の良さだけでなく、野球のリズムや観客の熱気が重なって生まれる“試合の魔法の時間”である。

日本と海外の違い:MLBの「セブンス・イニング・ストレッチ」

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日本のラッキーセブンは、風船が飛び、応援歌が流れ、スタンドが一気に熱くなる“お祭りタイム”。同じ7回でもアメリカ・MLBでは、別の意味を持っている。

MLBの7回は “Seventh Inning Stretch(セブンス・イニング・ストレッチ)”。これは、観客が席から立ち上がって軽くストレッチする休憩時間のこと。試合が長くなりがちな野球において、観戦中に体が固まらないようにと生まれた習慣だと言われている。大統領が立ち上がったのを観客が真似した、という説もある。

このとき球場全体で歌われるのが、MLB名物の「Take Me Out to the Ball Game」。のびをしながらゆったり歌う、どこか“ピクニックの延長”のような雰囲気。

同じ「7回」でも、文化が変われば雰囲気が違う。それもまた、野球というスポーツの面白さでもある。

ラッキーセブンの語源・由来

野球におけるラッキーセブンの始まり

野球の「ラッキーセブン」とは?由来・意味から7回に流れが変わる背景まで

ラッキーセブンの始まりは1885年に遡る。アメリカの「シカゴ・ホワイトストッキングス(現シカゴ・カブス)」の優勝がかかった試合で、7回の攻撃時に平凡なフライを打ち上げた。しかし、強風にあおられ、まさかのホームランになった出来事があった。この幸運な出来事を勝利投手となったジョン・クラークソンが「lucky seventh(幸運な第7回)」と表現したことが、言葉の始まりとされている。

宗教的な背景(聖書)

  • 神が世界を創造した日数は「6日」、そして「7日目に休んだ」
  • 聖書では「7」は完全・安息・調和を象徴する数字

文化圏によっては、7はどこか“神の数字”のような扱いをされている。

ギャンブルでの「777」

  • スロットマシンの大当たり=“777”
  • カジノ文化の中で“7は幸運の象徴”として世界中に広まった

「7が揃えば勝ち!」という分かりやすい成功体験が、イメージを強めた。

験担ぎ

  • 物事が“7つ”でまとまることが多い(七福神、七夕、七草など)

こうした宗教・ギャンブル・験担ぎの3つが混ざり合い、「7=幸運を呼ぶ数字」というイメージがつくられていった。

伝説の7回:吉田正尚の世界を変えた一撃

2023年WBC準決勝・日本対メキシコ。この試合の“ラッキーセブン”は、まさに言葉どおり試合の流れをひっくり返す象徴的な瞬間になった。スコアは0–3のまま7回裏へ。安打数は互角でも、日本には一点が遠く、スタンドの空気も重かった。しかし「7回にドラマが起きる」という野球の定番ジンクスが、ここで静かに動き始める。

先頭の甲斐拓也は三振、ヌートバーも倒れる。2アウト、誰もが「日本の勝利は望み薄」と思い始めたところで、近藤健介が難しい球をライト前へ運び出塁。まさに“2アウトから”の象徴的な一打だった。ここから空気が変わる。続く大谷翔平は一球も振らずに四球を選び一・二塁。ジンクスが輪郭を帯びていく。

そして打席には、この大会絶好調の四番・吉田正尚。追い込まれながらも、内角低めのチェンジアップに食らいつき放った打球は、切れそうで切れずポール直撃の同点スリーラン。スタジアムが揺れ、試合の流れがひっくり返り、日本に再び息が吹き込まれた瞬間だった。

苦しい展開が続く中、7回裏だけが別の物語を描き始めたかのように流れが変わった。これこそラッキーセブン。2023年WBCのこの7回裏は、野球のジンクスが現実を動かすことを示した、最も代表的な“7回の奇跡”と言える。

野球のラッキーセブンが持つ浪漫

データをひも解けば、7回は得点が入りやすいイニングの“4番目”にすぎない。現代野球では継投が進化し、むしろ終盤ほど得点が難しくなっている。それでも、7回になると球場の空気が変わる。観客は期待を込めて身を乗り出し、選手はいつもより深く息を吸う。数字では測れない何かが、7回には宿っている。ラッキーセブンとは、単なる迷信ではない。野球という競技が人の心を動かし、希望を抱かせる、その“余白”のような時間なのだ。

それは、7回というイニングが「まだ間に合う」と「もう後がない」の境目にあるからだ。試合は確かに終盤へ向かっていくのに、わずかだけ余白が残っている。そこに選手や観客の思惑や祈りが入り込み、流れが揺さぶられる。ラッキーセブンは、その“揺らぎ”が一番大きくなる時間なのだ。

野球は、常に先が読めそうで読めないスポーツだ。打率も防御率も勝率も、どれだけ数字を並べても、次の一球がどうなるかは誰にもわからない。だからこそ、7回に差しかかると、普段より少しだけ未来が開けて見える。自分のチームが負けていても、「まだドラマは残っている」と思わせる。勝っていても、「ここをしのげば勝ち切れる」と背筋が伸びる。その微妙な緊張と期待が、7回という時間に独特の色をつける。

ときどき、本当に魔法のように試合が動く。2アウト走者なしから始まる長い連打。普段は打球が前に飛ばない選手の意外な一振り。守護神に向かっていくチームが、最後の力を振り絞る。そうした物語が球場ごとに積み重なり、ファンは「今年のラッキーセブン」を毎回心のどこかで期待してしまう。

野球のラッキーセブンに宿る浪漫とは、結局のところ“結果の保証がないからこそ信じられる希望”だ。数字とデータで管理される現代野球の中に、たった1イニングだけ、誰にも予測できないドラマが入り込む余白がある。7回は、野球がスポーツである前に“物語”であることを静かに思い出させてくれる。

だからファンは今日も、スコアがどうであれ、7回になると自然と息をのむ。そこにはいつも、“何かが起きるかもしれない”という、野球だけが持つ特別な浪漫が滲んでいる。

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2026年WBC侍ジャパン予想〜球春のマイアミ再び

2026年、WBCは20年の節目を迎える。侍ジャパンの"全進野球"により神話を創った3年前を超え、その先へ行けるか。そんな問いが、今年の冬の空気に静かに漂っている。

第6回大会は30人で、世界の頂点に挑む。守るのではなく、もう一度、奪いに行く戦いへ。

侍ジャパンシリーズを終えた11月の時点で、史上最強の侍ジャパンを予想してみた。

投手

  • 大谷翔平(ドジャース)
  • 山本由伸(ドジャース)
  • 佐々木朗希(ドジャース)
  • 今永昇太(カブス)
  • 菊池雄星(エンゼルス)
  • 松井裕樹(パドレス)
  • 今井達也(西武)
  • 伊藤 大海(日本ハム)
  • 北山 亘基(日本ハム)
  • 大勢(巨人)
  • 才木 浩人(阪神)
  • 髙橋 宏斗(中日)
  • 宮城 大弥(オリックス)
  • 及川 雅貴(阪神)
  • 曽谷 龍平(オリックス)

WBCでは、シーズンの成績がそのまま投球に表れるとは限らない。MLB仕様のボールとの相性、球春という時期、そして短期決戦。最も難しいのがピッチャーの選出だ。

侍ジャパンには二人の「軸」がいる。大谷翔平と山本由伸。ふたりが揃うだけで、投手陣は姿を変える。ラスボス2体が味方にいるRPGになる。

MLBの疲労も、怪我への不安も関係ない。野球界は関係者、ファンを含めて、早くサッカーのワールドカップに意識を追い付かなければいけない。野球の底上げのためにも、シーズンよりもWBCが最優先である。

大谷翔平の二刀流には様々な意見があるが、投げられる状態なのだから投げるべきである。そこに議論の余地はない。

佐々木朗希は先発に戻り、菊池雄星、今井達也も先発。この5人のローテーションで回し、今永昇太や伊藤大海は第二先発やリリーフとして試合を引き取る。後ろを固めるのは松井裕樹、大勢、北山、及川、曽谷。短いイニングを支える。

才木浩人(阪神)は実力、成績ともに申し分なく、大谷に片膝ホームランを打たれた男が今度は味方になるドラマ度120点も演出する。

曽谷龍平は韓国との強化試合の3回パーフェクトの内容、初見の打者が打ちにくそうな投球を見て抜擢した。奈良出身という“激甘贔屓ポイント”でも満票選出。異論は知らん。

追加招集組には、タイガースの石井大智の名前が真っ先に浮かぶ。今シーズン、防御率0.17という驚異的な数字を残したが、まだ1年。WBC球の適応も未知数なので、希望にも不安にもなる。そのあとの候補は、平良海馬、松本裕樹、松山晋也を挙げる。

捕手

  • 若月 健矢(オリックス)
  • 岸田 行倫(巨人)
  • 中村 悠平(ヤクルト)

投手との連係を考えると、セ・リーグ、パ・リーグから1人は選ばないといけないため、オリックスの若月とジャイアンツの岸田の二枚看板で回す。

中村悠平は国際大会に強く、前回の優勝マスクの捕手である経験が大きい。大舞台になったとき、アドバイスが生きる。メインは若月と岸田で回し、ムーチョは「国際大会の知恵袋」としてバックアップに回る。

追加招集としては、タイガースの坂本誠志郎、ベイスターズの山本祐大が候補。

内野手

  • 牧 秀悟(DeNA)
  • 牧原 大成(ソフトバンク)
  • 岡本 和真(巨人)
  • 小園 海斗(広島)
  • 中野拓夢(阪神)
  • 村上 宗隆(ヤクルト)
  • 佐藤 輝明(阪神)
  • 村林 一輝(楽天)

内野手に関しては圧倒的な打撃力を持つか、複数ポジションを守れることが重要となる。ショートは今年の成績だけを見れば巨人の泉口友汰が筆頭だが、1年だけの成績であること、ショート以外のポジションが未知数なこともあって、追加招集メンバーの候補とした。

他には内野すべてを守れるホークスの野村勇も候補になる。可能性は低いが、オリックスの紅林弘太郎は最も侍ジャパンへの想いが強い選手なので、メンバー入りしてほしい選手。

外野手

  • 鈴木 誠也(カブス)
  • 森下 翔太(阪神)
  • 周東 佑京(ソフトバンク)
  • 近藤 健介(ソフトバンク)

外野で決定的なのはカブスの鈴木誠也だけ。近藤健介は実力、実績は申し分ないが、コンディションが懸念される。チームを鼓舞する着火剤のヌートバーがいないのが痛い。その代わりを森下翔太が担って欲しい。

追加招集メンバーで、岡林 勇希(中日)、西川 史礁(ロッテ)、五十幡亮汰(日本ハム)、万波中正(日本ハム)がいる。

2026年WBCスタメン予想

1番・大谷 翔平(DH)

2番・近藤 健介(左)

3番・鈴木 誠也(右)

4番・村上 宗隆(三)

5番・岡本 和真(一)

6番・森下 翔太(中)

7番・小園 海斗(遊)

8番・牧 秀悟(二)

9番・岸田 行倫(巨人)

大谷翔平は普段から慣れている1番で相手をビビらす。「初回からラスボス出すなよ」と他国を呟かせる。2番はつなぎの神様、リンクマンとして近藤健介が恐怖のクリーンアップへ駅伝。得点圏でチャンスが回ってきやすい6番には勝負強い森下翔太。

そして、小園海斗という首位打者を7番に置く狂気。相手からすれば「打線…まだ続くの?」と絶望するポイント。第二の4番である8番にクラッチ・デスターシャの牧秀悟が入る。

代打には佐藤輝明。“当たれば消える”ホームラン装置。ここぞの場面で出すと、球場が即・祭り会場に変わる。代走には周東佑京。気づいたら塁が一つ増えている忍者。相手バッテリーの時間を奪っていく“走塁の怪盗”。クラッチ・ヒッターとクラッチ・ランナーで試合を決める。

相手投手にとっては拷問。日本にとってはアトラクション。試合ではなく “上映時間” と呼びたくなるレベルのメンバーで、もう一度、奪いに行く。

コラム:野球よ、世界を思い出せ

2025年11月18日。日本は静かに冬の足音を感じている。朝のニュースを見ていたら、井端監督が記者に向かってこう語っていた。「ドジャースからの返事がまだ来ない。早く欲しいんです」と。

その声には苛立ちというより、諦めかけたような無力さも混じっていた。なにしろ相手は、世界一の球団である。だが、その「世界一」がこの有様だ。迷う必要のない返事に、これほど時間をかけなければならない理由はどこにあるのか。なぜ、世界最高の国際大会出場に、これほど腰が重いのか。

「だから野球は、世界のなかでマイナースポーツなのだ」

そう言いたくなる。あまりに時代遅れである。

サッカーのワールドカップを見てほしい。各国の選手がクラブチームから離れ、誇りを胸に代表のユニホームに袖を通す。そこには、スポーツが国家や国境を超える瞬間がある。その価値を理解しているからこそ、クラブもまた後押しする。

野球は、その段階にようやく足を踏み入れようとしている。だが、悪の帝国・ドジャースのように、いまだ旧態依然とした球団が選手の「出たい」という思いを押しとどめてしまう。WBCに選ばれることは、今の野球において最大の名誉だ。選手がその舞台を望むのであれば、球団は支持すべきだ。協議など1ミリも不要。それが「世界一」を名乗る組織である。

2022年、カタールで行われたサッカーW杯の決勝戦は、地球上の15億人が目撃した。大会全体で言えば、50億人近くが何らかの形で視聴に接したとFIFAは報告している。たった一大会で、世界人口の過半数がひとつのスポーツに目を向ける。それが、ワールドカップという現象である。

収益にしても、FIFAは2022年の大会で75億ドルを超える収入を得た。SNSでは史上最多の「いいね」を記録し、Googleトレンドではあらゆるスポーツイベントの関心度を凌駕した。これはサッカーを知らない層までも巻き込む、地球規模の現象だ。

一方、サッカーのクラブ最高峰とされるUEFAチャンピオンズリーグ決勝の視聴者は、約4億人にとどまる 。つまり、W杯はクラブ大会の3〜4倍の視聴インパクトを持つ。

サッカーが世界的競技であり続ける核には、「国を背負う大会」=W杯の存在がある。そして、選手自身もそれを認識している。メッシ、ロナウドといった世界的スターも、キャリアの到達点をW杯制覇と捉えている。

次回2026年大会では100億ドル超の収益が見込まれている 。この1大会の収益だけで、プレミアリーグやセリエAを含む、欧州5大リーグの年間合計収入に迫る規模である。

この数字は、単なる興行としての成功を示しているのではない。W杯はスポーツが文化になり、言語になり、国境を越えるきっかけであることを証明している。

WBCにも、その可能性がある。選手たちが目指すのは、シーズン162試合の果てにあるタイトルではなく、国の色をまとって戦う、限られた機会なのだ。

ムーキー・ベッツが言う。「WBCはワールドシリーズよりも上だ」と。フランシスコ・リンドーアも同じように語る。リップサービスでそう言っているのではない。国の名を背負う意味を、肌で知っている。

03年に55セーブを挙げてサイ・ヤング賞に選出されたエリック・ガニエは、大谷翔平に「WBCで投げろ」と強く推す。17年WBCにカナダ代表として出場しており「野球人生で最高の経験だった。国の代表としてプレーするのは、この世で最高の舞台。あれに匹敵するものは他にない」と話す。

リスクについても「リスクはある。でも、フィールドに足を踏み入れるたびに常にリスクは存在する。リスクよりも野球そのものの価値が上回る」と力説する。

だから、ドジャースこそが先頭に立たねばならない。WBCに選手を送り出す最初の球団でなければいけない。アメリカという国が保守的になったらおしまいだ。

野球もまた、世界を本気で目指すならば、WBCを“頂点”としなければならない。いや、すでに頂点なのに、ドジャースのような球団が、そこに蓋をする。選手の想いに寄り添い、国の名を背負う誇りを支えるのが、真の「世界一の球団」の姿だ。その姿勢が、野球の未来を左右する。

球団だけではない。野球ファンも、WBCに目を向ける必要がある。

「国際大会はシーズンの妨げになる」

そんな声を耳にする。ペナントレースを大事にしたい。チームを壊されたくない。選手が怪我をするのが怖い。ファンとして、そう思う気持ちはよくわかる。だが、立ち止まって考えてほしい。

いま、あなたが熱狂しているシーズンこそ、国際大会があるから面白くなっているのだと。

WBCやプレミア12、アジアCS。あの舞台で、一流の選手たちが国を超えて交差する。その中で得た経験や技術、マインドが、シーズンに持ち帰られる。MLBや他国の代表で活躍した選手と春先にキャンプを共にし、呼吸を合わせ、意識をぶつける。その時間は試合に現れなくとも、確実にチームと選手の土壌を耕している。

2023年のWBCでは、ダルビッシュの若手への技術共有、大谷の背中が見せた野球の「本気」は、大会が終わってからも確実に残った。それはペナントの質を、着実に底上げしている。

国際大会は、選手のためだけのものではない。その先にいる「あなたの応援するチーム」のための舞台でもある。

加えて、WBCは野球というスポーツの魅力を全国、いや全世界に拡張する。2023年のWBC後、日本では少年野球の問い合わせが一気に増えた。ドラフトの入団会見で、チームの日本一や個人タイトル獲得ではなく、「侍ジャパンのユニホームを着ることが夢です」と語る選手が増えている。

その夢が、5年後、10年後にプロ野球を担う世代になる。裾野が広がり、競争が激化し、シーズンの野球が、より面白くなるのだ。

国際大会を「邪魔だ」と切り捨てる前に、その波紋がシーズンのどれほど深いところにまで届いているかを、想像してみてほしい。

国際大会は未来を作る。その恩恵を一番受けているのは、シーズンを愛するファン、あなたなのだ。

WBCが人と国をつなぎ、誇りと希望を生む場であることを、野球界が思い出す必要がある。

野球にとって、WBCとは何か。それはただの大会ではない。世界と接続する窓口であり、未来への入り口である。

2年前に出版した『WBC 球春のマイアミ』で書いた。

すべての道は、WBCに通ず。

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侍ジャパンシリーズ2025〜終わりの向こうに、始まりがある、晩秋の侍たち

侍ジャパンシリーズ2025

グラウンドの芝は、すでに夏の緑を失っている。風は冷たく、ベンチの奥にはシーズンの疲れを残した選手たちの姿がある。それでも侍たちは、再びユニフォームを着る。

胸には「JAPAN」の文字。

シーズンが終わり、少しだけ静けさを取り戻した球場に、新しい声が響く。

11月に行われる「侍ジャパンシリーズ」は、ただの親善試合ではない。翌春の国際大会を見据えたチーム結成の“予行演習”であり、実戦を通じて“チーム”という輪郭を確かめるための、実戦的な適応テストの舞台でもある。

2022年の侍ジャパンには、翌年のWBCに出場する選手が数多くいた。

佐々木朗希、今永昇太、伊藤大海、大勢、宮城大弥、高橋奎二、源田壮亮、牧秀悟、村上宗隆。全30人中15人が翌年も代表入りという事実が、このシリーズが実戦を通じたチーム形成の出発点であったことを雄弁に物語る。

だが、この舞台の価値は、数字だけでは測れない。若手の抜擢も目立つ。

大勢、湯浅京己、牧秀悟。

それぞれが、短い登板、限られた打席の中で自分の存在を刻みつけた。選手たちは、未来の扉を叩くような気持ちでこのグラウンドに立っていた。

そして、11月という季節。

プロ野球選手にとっては、「燃え尽き症候群」になりがちな時期だ。半年以上に及ぶシーズンを戦い抜き、心身ともに限界。それでも、この舞台で再びスパイクを履く。この代表戦は、モチベーションを再点火する場でもある。来年への挑戦を意識し、また新しい闘志が芽生える。

選手たちにとって、このシリーズは締めくくりではなく、コンディション調整と“シーズンの延長線”にある戦い。

観客席にもまた、静かな熱がある。シーズンが終わり、“野球ロス”の時期に行われる侍ジャパンシリーズは、ファンにとっても大切な時間だ。

贔屓チームの垣根を越え、国の代表として戦う選手たちを見守る。それは、シーズンの延長線上にある夢の時間。野球という物語が、まだ終わっていないことを教えてくれる。

やがて春が来て、WBCの舞台で日本が歓喜の輪をつくったとき、人々の記憶のどこかに、この秋の夜の光が残る。あの日の静けさの中で、確かに何かが始まっていたのだ。

「侍ジャパンシリーズ」は、終わりではなく始まり。季節の境目に生まれる、日本野球の鼓動そのものなのである。

侍ジャパン出場選手

監督・コーチ陣

  • 監督:井端 弘和(89)
  • ヘッドコーチ:金子 誠(88)
  • バッテリーコーチ:村田 善則(74/巨人)
  • 投手コーチ:能見 篤史(84)
  • 投手コーチ:吉見 一起(81)
  • 内野守備・走塁コーチ:梵 英心(77/阪神)
  • 外野守備・走塁コーチ:亀井 善行(79/巨人)
  • 野手総合コーチ:松田 宣浩(71)

投手

  • 森浦 大輔(13/広島)
  • 隅田 知一郎(14/西武)
  • 大勢(15/巨人)
  • 種市 篤暉(16/ロッテ)→辞退
  • 伊藤 大海(17/日本ハム)→辞退
  • 髙橋 宏斗(19/中日)
  • 曽谷 龍平(20/オリックス)
  • 金丸 夢斗(21/中日)
  • 及川 雅貴(37/阪神)→辞退
  • 藤平 尚真(46/楽天)
  • 北山 亘基(57/日本ハム)
  • 平良 海馬(61/西武)
  • 西口 直人(62/楽天)
  • 松本 裕樹(66/ソフトバンク)
  • 松山 晋也(90/中日)

捕手

  • 若月 健矢(4/オリックス)
  • 岸田 行倫(10/巨人)
  • 坂本 誠志郎(12/阪神)
  • 中村 悠平(27/ヤクルト)

内野手

  • 牧 秀悟(2/DeNA)
  • 牧原 大成(5/ソフトバンク)→辞退
  • 村林 一輝(6/楽天)
  • 岡本 和真(25/巨人)
  • 小園 海斗(51/広島)
  • 野村 勇(99/ソフトバンク)
  • 佐々木 泰(5/広島)、追加招集
  • 石上泰輝(DeNA)、追加招集

外野手

  • 森下 翔太(1/阪神)
  • 西川 史礁(7/ロッテ)、追加招集
  • 五十幡 亮汰(50/日本ハム)
  • 岡林 勇希(60/中日)

日程

  • 2025年11月15日(土)日本 vs 韓国 18時30分試合開始
  • 2025年11月16日(日)日本 vs 韓国 19時00分試合開始

会場

東京ドーム

韓国代表・選手

▼ 投手

1 ムン・ドンジュ(ハンファ・イーグルス)

11   オ・ウォンソク(KT ウィズ)

15 ペ・チャンスン(サムスン・ライオンズ)

16 イ・ロウン(SSG ランダース)

18 ウォン・テイン(サムスン・ライオンズ)

19 チョ・ビョンヒョン(SSG ランダース)

29 ソン・ジュヨン(LG ツインズ)

37 イ・ミンソク(ロッテ・ジャイアンツ)

38 キム・ゴンウ(SSG ランダース)

43 チョン・ウジュ(ハンファ・イーグルス)

44 キム・ソヒョン(ハンファ・イーグルス)

47 クァク・ビン(斗山ベアーズ)

55 イ・ホソン(サムスン・ライオンズ)

56 チェ・ジュンヨン(ロッテ・ジャイアンツ)

60 パク・ヨンヒョン(KT ウィズ)

63 キム・テクヨン(斗山ベアーズ)

65 ソン・ヨンタク(起亜タイガース)

67 キム・ヨンウ(LG ツインズ)

▼ 捕手

13 チェ・ジェフン(ハンファ・イーグルス)

20 チョ・ヒョンウ(SSG ランダース)

27 パク・ドンウォン(LG ツインズ)

▼ 内野手

2 パク・ソンハン(SSG ランダース)

4 シン・ミンジェ(LG ツインズ)

7 キム・ジュウォン(NC ダイノス)

8  ノ・シファン(ハンファ・イーグルス)

10 ムン・ボギョン(LG ツインズ)

24 ソン・ソンムン(キウム・ヒーローズ)

25 ハン・ドンヒ(国軍体育部隊・サンム(尚武)野球団)

30 キム・ヨンウン(サムスン・ライオンズ)

▼ 外野手

17 パク・ヘミン(LG ツインズ)

23 アン・ヒョンミン(KT ウィズ)

39 キム・ソンユン(サムスン・ライオンズ)

51 ムン・ヒョンビン(ハンファ・イーグルス)

2023年のアジアCSや2024年のプレミア12で活躍した選手が多い韓国代表。詳しくは下記を参照。

侍たちの11月 ― 野球がまだ終わらない理由

東京ドームの芝は、すでに夏の緑を失っている。それでも、グラウンドの上では、ユニフォームの胸に「JAPAN」と縫い取られた選手たちが、再びスパイクの紐を結ぶ。

11月。プロ野球選手にとっては、息を整える季節だ。半年を超える戦いを終え、ようやく肩の荷を下ろすころ。だが、「侍ジャパンシリーズ」の招集がかかると、再びグラウンドに戻る。

「なぜ今、試合をやるのか」。

そんな声が、ネットのあちこちから聞こえてくる。

「休ませてやれ」「消化試合みたいな代表戦に意味はあるのか」

そのどれもが、一見もっともに聞こえる。けれど、それは“野球”の呼吸を知らない人の言葉だ。

このシリーズは、来年の春、WBCという舞台の予行演習である。NPBのルールではなく、MLBのルールで戦う。MLB球、ピッチクロック。拡大されたベース。ピッチコム。NPBではまだ完全に導入されていない制度が、このシリーズでは採用される。

つまり、この11月の試合は、未来の野球に慣れるための時間なのだ。

選手たちは、その違和感と向き合う。時間内で次の球を投げなければならないリズム。塁が広がり、走者との距離が変わる守備の間合い。ボールの縫い目、滑り具合、風の感触までもが、微妙に異なる。それらすべてに、選手の身体が反応する。
たとえ11月の試合であっても、その一球一球の中で、野球の進化を体に刻み込む。

疲れた身体をもう一度起こすのは、簡単ではない。だが、そこで再びスパイクを履くことができる者だけが、次の世界の野球に立ち会える。このシリーズの意義は、勝敗ではない。

「順応」と「覚悟」の稽古だ。

そして、観客にとってもまた、この試合は“野球がまだ続いている”という証だ。プロ野球が終わり、甲子園も終わり、スタンドから声援が消えかけるこの季節に、まだ誰かが白球を追っている。その姿を見ることが、ファンにとっての再点火になる。

侍ジャパンシリーズの光景には、特有の静けさがある。歓声よりも、靴音やミットの音が際立つ。ベンチの奥には、疲労と、もう一度だけ戦う意志が並んでいる。シーズンを終えた選手たちが、次の時代の野球へと歩を進める。その背中を、観客は見届けている。この試合は、終わりではない。

春への序章であり、野球の“進化のリハーサル”である。ルールが変わっても、野球の魂は変わらない。白球が浮かび、落ち、また浮かぶ。その繰り返しの中に、野球という物語の「つづき」が息づいている。

11月の夜、東京ドームに灯がともる。あの明かりは、過去の栄光を照らすものではない。これからの野球が進む方向を、静かに指し示す光なのだ。

2025年11月15日(土)11月の炎 — 韓国を11−4で下した夜に

侍ジャパンシリーズ2025〜終わりの向こうに、始まりがある、晩秋の侍たち

東京ドームの天井は、冬の入り口を告げるように白く光っていた。観客数は41,631人と発表されたが、映像で見る限り、スタンドには空席が目立った。シーズンを終えた選手たちが、再びユニフォームを着る。それだけで、この夜は特別な意味を持つ。

1週間の宮崎合宿で強くなった侍ジャパンの選手たちの顔には、疲労よりも「確認」の表情があった。ピッチクロック。拡大ベース。ピッチコム。そして、WBC公式球。ここで試すのは、技術よりも適応力。世界と戦うための準備運動。

試合は、韓国の一撃から始まった。四回、森浦が捕まる。アン・ヒョンミンのツーラン。続くソン・ソンムンの放物線は、打球音からして違った。

侍ジャパンシリーズ2025〜終わりの向こうに、始まりがある、晩秋の侍たち

その裏、日本が息を吹き返す。野村勇のヒット。牧秀悟のタイムリー。そして、将来の侍ジャパンの4番・西川史礁が放った同点のツーベース。この日は佐々木泰も火を吹き、青学の同期が見事な活躍。東京ドームを神宮球場に変えた。

侍ジャパンシリーズ2025〜終わりの向こうに、始まりがある、晩秋の侍たち

そして岸田行倫の一打。決定打となるスリーラン。それは韓国代表に突き刺さる一打であり、同時にWBCメンバー選出を手繰り寄せる放物線。あとはマスクをかぶって投手陣をリードする能力が問われる。

奈良が誇る侍ジャパン先発の曽谷龍平は、三回をパーフェクト。井端監督の中で、来春の名簿が少しずつ形を帯びていく。これで少なくとも追加招集メンバーの筆頭には名を連ねるだろう。

韓国は4回以降、誤審の判定でリズムを失った。けれど、それを言い訳にするほどの差ではなかった。日本の11−4というスコアは、単なる勝敗を超えた実力差を示していた。

WBC、アジアCS、プレミア12の戦いの再現。韓国は過去3大会の対戦ですべて先制パンチを浴びせているが、そこから侍ジャパンは必ず逆転する。スタートダッシュは切るが、踏ん張れない。後半にかけて崩れていく様は余計に印象が良くない。同じ負けるにしても、前半に離されても、後半に追い上げて敗れるほうが力を感じさせる。

韓国は、先発のクァク・ビンをはじめ投手力は上がっているものの、それを上回る進化力で日本のピッチャー陣は差をつけている。これで、日韓戦の連勝を「10」に伸ばした。このチーム力は年々、開いている。

韓国は、来年の本戦に自信を持って挑むためにも、明日こそ一矢報いたい。

2025年11月16日(日)両チームが見せた光と影

2015年のプレミア12準決勝での敗戦を最後に、韓国は日本に10連敗。もはや“相性”の域を超え、呪いである。それだけに、引き分けという結果が韓国にもたらした安堵は、小さくない。負の連鎖が、かすかに緩んだ。来年のWBC本戦へとつながる、小さな出口が見えた。

試合の後半まで、球場には昨日のデジャビュが漂っていた。これまで韓国は先制点を奪いながら、リリーフが崩れ、勝機をこぼしてきた。今日も投手陣は乱れ続け、12四死球に4度の押し出し。それらがなければ、韓国は10年ぶりの勝利を掴んでいた。裏返せば、日本は負けていた。

最後に意地を見せた韓国の野球は、どこか大リーグの匂いがする。粗削りで豪快。一方、日本は基本に忠実なスモールベースボールを積み重ね、静かに相手の隙を突いていく。ただし、この日は日本の投手陣も9四死球と、決して制球が整っていたわけではなかった。互いに傷を負い、痛みを分け合うようなスコアになった。

シーズンを終えたばかりの体には、疲労が沈殿している。束の間のオフに、選手たちはようやく深く息を吐く。来年、本戦を迎える前に休息を許されるのは、このわずかな時間だけだ。

韓国は折れず、日本は負けなかった。そんな試合だった。大きな変化は起きていないように見えて、底のほうで何かが動き出している気配がある。

来年、メジャーリーガーたちが帰ってくる。その下地は整った。大谷翔平、山本由伸、佐々木朗希、鈴木誠也、今永昇太、菊池雄星、松井裕樹。七人の侍が凱旋。史上最強の侍ジャパンが、静かに輪郭を現しはじめている。

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長嶋茂雄という物語の続き—「長嶋茂雄賞」設立案

長嶋茂雄という物語の続き—「長嶋茂雄賞」設立案

2025年6月3日。その報せは静かな朝を、野球界の芯を揺らした。

ミスタープロ野球・長嶋茂雄さんの死去。享年89(やきゅう)という数字が、長嶋さんが生粋の野球人であった宿命を物語る。

ここで長嶋茂雄さんの功績を伝えるのは難しい。現役時代を知らない自分にとっては「史上最も好きなプロ野球監督」であり、ジャイアンツファンになるきっかけを作ってくれた人である。

今、プロ野球界の一角で「長嶋茂雄賞」の創設が提案されている。その中身は白紙。そこで考えてみたい。

「長嶋茂雄賞」は、どんな賞がふさわしいか。

賞は、記録のためだけに贈られるものではない。誰かの心に、深く残り続ける“記憶”のためにも存在する。

※NPBは11月10日、2026年から「長嶋茂雄賞」を新設することを正式に発表。選考基準や選考委員会の人選等の詳細は未定。

プロ野球の「人物名を冠した賞」

現在の日本のプロ野球では、個人名を冠した賞は決して多くない。むしろ、驚くほど少ないと言っていい。主だったものとしては、「沢村賞」と「正力松太郎賞」の2つが挙げられる。

沢村栄治賞(沢村賞)

長嶋茂雄という物語の続き—「長嶋茂雄賞」設立案

完投型の先発投手を対象として贈られる特別賞。沢村賞選考委員会が、いくつかの厳格な基準を用いて審議を行う。

誤解が多いが、「その年に最も活躍したピッチャー」に贈られる賞ではない。受賞者がいない年もある。2024年も受賞者なしだった。

正力松太郎賞

正力松太郎賞

その年の日本のプロ野球の発展に大きく貢献した人物を対象として贈られる賞。通称「正力賞」。大日本東京野球倶楽部(読売ジャイアンツ)の創設者である読売新聞社社主・正力松太郎の名前を冠している。

対象はプロ野球の発展に大きく貢献した人物(監督・コーチ・選手・審判)で、日本シリーズで勝利したチームの監督が選ばれることが多い。

「正力松太郎賞選考委員会」によってシーズン終了後に審議され選出される。

メジャーリーグを追随する賞

長嶋茂雄さんが憧れたジョー・ディマジオ

長嶋茂雄さんが憧れたジョー・ディマジオ

MLBの打撃賞を模倣するケースを紹介する。ちなみに、長嶋茂雄さんが最も憧れた「ジョー・ディマジオ賞」は存在しない。ディマジオはヤンキースで56試合連続安打のMLB記録を保持し、これは今後、最も破るのが難しい打者記録と言われている。

MLBは、ジャッキー・ロビンソンの賞もないのが意外である。

ハンク・アーロン賞

ハンク・アーロン賞

その年の打撃で最も際立った活躍をした選手に贈られる賞。ア・リーグ、ナ・リーグからそれぞれ1人ずつ選出。2024年は大谷翔平が受賞している。

MLB通算本塁打755本、バリー・ボンズに抜かれるまで、33年間その記録を守り続けたハンク・アーロンの名を冠している。選考にはファン投票と委員会審査の両方が用いられ、1999年創設という新しい賞である。

ベーブ・ルース賞

ベーブ・ルース賞

プレーオフ(ポストシーズン)で、最も顕著な活躍をした選手に贈られるのがベーブ・ルース賞。ワールドシリーズMVPとは別で、ポストシーズン全体での活躍をもとに選出される。言うまでもなく、「野球の神様」であるベーブ・ルースの名を冠している。

勝者だけが選ばれるわけではない。敗れたチームの選手が選ばれることもある。打者、投手の区別もない。2人同時のケースもある。「野球の神様」の懐の深さを象徴する賞。

受賞者の選定は、全米野球記者協会ニューヨーク支部が決める。

日本プロ野球のオリジナル賞

ここから「長嶋茂雄賞」の提案に入る。

トリプル・スリー賞

山田哲人

「トリプル・スリー」を達成した選手に贈る賞を「長嶋茂雄賞」とする案はどうか。背番号「3」を背負った長嶋さんに相応しい数字だ。

トリプルスリーとは、野球の1シーズンで打者が打率3割・30本塁打・30盗塁の3つを達成すること。最初の達成は1950年の岩本義行(松竹)で、史上最多3回も達成している山田哲人(ヤクルト)や松井稼頭央(西武)、金本知憲(広島)などがいる。

実は長嶋さん自身、この記録を正式には達成していない。入団1年目、打率3割5厘、本塁打29本、盗塁37。9月に一塁ベースを踏み忘れる伝説の「幻の本塁打」があり、30本目が記録から消えた。その瞬間、記録を超えて記憶に刻まれる物語となった。

そういった伝説もあって、あえてトリプル・スリー達成者に贈る賞として「長嶋茂雄賞」があってもいい。選考不要、数字で明快に決まる。ただし、この賞は「山田哲人賞」が相応しいかもしれない。

最優秀守備選手賞

長嶋茂雄さんは、三塁というポジションの風景を変えた選手。打撃だけでなく、守備でもファンを魅了した。

現在、プロ野球には各ポジションで最も優れた守備選手に贈られる「ゴールデン・グラブ賞」がある。

セ・リーグ、パ・リーグから各ポジション9名ずつが選ばれるため、長嶋茂雄賞は、ポジションを超えて「その年に最高の守備を見せた選手」1名を選ぶのはどうか。受賞できるのは1シーズンで1人のみの栄冠。

「ゴールデン・グラブ賞」が野球記者による投票なので、長嶋茂雄賞は、現役の選手間の投票で選ぶのを提案したい。

日本シリーズMVP

長嶋茂雄という物語の続き—「長嶋茂雄賞」設立案

巨人といえばV9。9年連続で日本シリーズを制覇し続けた濃密な季節。その中心にはいつも、長嶋茂雄さんがいた。

日本シリーズMVP(最高殊勲選手)、長嶋さんはこの賞を、通算4度も手にしている。いまだに破られていない記録である。2度の受賞者は何人かいる。古田敦也、秋山幸二、今江敏晃など。だが、3度目の受賞者の名前はどこにもない。長嶋さんだけが、4度もその場所に立っている。

個人記録では、本塁打こそ王貞治の29本に次ぐ25本だが、打率.343、91安打、66打点は歴代トップの数字。特に91安打という数字は、次点の柴田勲(69安打)を大きく突き放している。現役最多の柳田悠岐でさえ、41安打。半分にも届かない。

打点でも、柳田の19に対して、長嶋さんは66。誰よりも多く、誰よりも深く、秋の頂上決戦の劇場で"記録"を作り、“記憶”を打った男。

日本シリーズMVP(最高殊勲選手)は「長嶋茂雄賞」にふさわしい。

長嶋茂雄ホームラン賞

長嶋茂雄ホームラン賞

「その年、最も劇的なホームラン」を打った選手に「長嶋茂雄ホームラン賞」を贈ってはどうか。1959年(昭34年)6月25日の天覧試合で長嶋さんが放ったサヨナラ本塁打をイメージしたもの。一打が持つ熱と高揚、記録では語りきれない伝説。数字を超え、物語になった一打に与える。

2001年、近鉄の北川博敏が打った優勝決定グランドスラム、2023年WBC準決勝で吉田正尚が打った同点スリーランなどが受賞にふさわしい。

ファンが選ぶMVP

長嶋茂雄という物語の続き—「長嶋茂雄賞」設立案

長嶋茂雄という存在を、野球ファンは「記録」だけではなく「情熱」でも覚えている。ファンに最も愛された野球人。

だからこそ、すべての垣根を越えたMVPをファンの手で選ぶ賞があってもいい。プロ・アマ問わず、監督でも選手でも、その年もっとも野球の輝きを体現した人に贈る賞。

たとえば2023年であれば、WBC優勝に貢献した、大谷翔平や栗山英樹監督。

1998年なら、甲子園の決勝戦でノーヒット・ノーランを達成し、全国大会の春夏連覇を達成した高校生の松坂大輔が選ばれてもいい。

様々な垣根を越えて、最も印象に残った野球人をファン投票で選び、「長嶋茂雄賞」を与えてはどうだろうか。

記録は破られる。記憶は語り継がれる。賞は未来のためにある。誰かが記憶の続きをつくっていける。そんな賞こそ、長嶋茂雄さんにふさわしい。

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WBCの球場すべてを回って取材した渾身のデビュー作

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WBCとは?歴史、歴代優勝国、参加資格

Amazon Kindle『WBC 球春のマイアミ』より一部を抜粋。WBCとは何か?を今一度、振り返る。

WBCの創生

WBCの正式名称は「ワールド・ベースボール・クラシック(World Baseball Classic)」

ワールドカップではなく「クラシック」と名付けられた陽春の古典劇。MLB機構が主催し、メジャーリーガーの参加が唯一許される国際大会でもある。野球の万国博覧会として普段は見られない野球文化に触れることができ、同時に国・地域別で争われる世界一決定戦でもある。それまで国際大会の頂点にはオリンピックがあったが、メジャーで活躍するトップ選手の参戦はなく、アマチュア野球の王者であるキューバの独壇場。WBCにより初めて世界のベストプレーヤーが名を連ねる国際大会が始まろうとしていた。

故郷を離れてアメリカで野球をするトッププレーヤーたちにとって、母国を背負って戦える唯一の大会であり、出場を決めた選手は怪我を恐れず最大出力で挑み、アドレナリンを噴火させる。選手もファンも野球少年に戻り、ハーメルンの笛吹男に誘われるようにWBCという洞窟に向かっていく。

バド・セリグ第9代MLBコミッショナーを中心に1999年から構想が進められ、2005年5月に第1回大会開催を発表。元々はWBCではなく「スーパーワールドカップ」の呼称だった。MLB30球団で開催に反対票を投じたのはニューヨーク・ヤンキース1球団のみ。

当初、一方的な開催通告に日本は難色を示し参加を保留していたが、MLB側の警告により2005年9月16日に参戦を決定。12月2日にはイチローが出場を表明。「本当に大会を盛り上げるならシーズンを中断してやるべき」と当初は態度を保留していたが「まずは始めないと」と参加を決断。12月27日には松井秀喜が出場辞退を表明し、日本代表30人が決定したのは2006年1月13日。紆余曲折を経て3月3日、東京ドームでの韓国vs.台湾戦でWBCの歴史がはじまった。5,193人がレガシーの証人となり、韓国が2-0で勝利。

「それを作れば、彼はやってくる」

最も有名な野球映画の一節のとおり、やがてWBCは野球を愛する選手、関係者、ファンの夢の球場となる。

WBCのロゴと優勝トロフィー

WBCのロゴは中央に地球儀と野球のボールを組み合わせ、球体の周りを4色(黄・青・緑・赤)の羽の形をした半円が囲む。「黄」が陽気・解放感、「青」は冷静・誠実、「緑」は成長・平等、「赤」は情熱・高揚・愛などのメッセージが込められている。

優勝トロフィーはティファニー製。材質は銀(スターリングシルバー)。高さ25インチ(約63.5 cm)、重さ30ポンド(約13.6 kg)。プールAからDまで4つのリーグを表す羽の真ん中には野球のボール(地球)が添えられ、優勝チームには金メダル、準優勝チームに銀メダルが授与される。

WBCの参加資格

2023年の第5回大会では日系人のヌートバーの代表入りが話題になったが、そもそもWBCの参加資格は幅広い。

  1. 参加国の国籍を持っている

  2. 参加国の永住資格を持っている

  3. 参加国で生まれている

  4. 両親のどちらか参加国の国籍を保持

  5. 両親のどちらかが、参加国で出生

  6. 参加国の国籍かパスポートの資格あり

  7. 過去のWBCで、参加国の最終ロースターに登録された

第1回大会の準優勝国であるキューバ代表が「オールアマチュア」であったように、実力さえあればアマチュアでも出られ、性別や年齢制限もない。いつの日かスーパー高校生が現れ、トップチームのユニホームに袖を通すかもしれない。韓国代表のイ・ジョンフは父が中日ドラゴンズの選手だった関係で名古屋で生まれており、資格である「参加国で生まれている」を満たしているため、日本代表になることも可能。WBCは真に国際色豊かな大会となっている。

WBCのルール

  • 主催はMLB(メジャーリーグベースボール)とMLB選手会

  • 世界中の国と地域から出場(2023年大会では20チームが参加)

  • メジャーリーガーの参加が可能(主力選手も多数出場)

  • 春(主に3月)に開催される

  • 球数制限あり(登板間隔・球数など細かく規定)

  • 勝敗が並んだ場合、TQB(得失点率)ではなく直接対決や失点率が優先される

  • 使用球はアメリカのローリングス製(プレミア12は日本のSSK製)

  • 3位決定戦は行われない(準決勝で敗退した2チームが同率3位扱い)

これがプレミア12だと真逆になる。

プレミア12の概要

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  • 世界野球ソフトボール連盟(WBSC)が主催

  • WBSCが選出した12ヵ国・地域に限定

  • メジャーリーガーは参加できない

  • 秋に開催される

  • 球数制限がない

  • 勝敗が同じ場合、TQB(得失点率)を優先

  • 使用球が日本のSSK製(WBCは米国のローリングス製)

  • 3位決定戦がある

  • 球数制限がない

  • 勝敗が同じ場合、TQB(得失点率)を優先

  • 使用球が日本のSSK製(WBCは米国のローリングス製)

延長タイブレークに関しては、9回を終えて決着がつかない場合、10回以降は無死二塁からスタートになる。 打順は9回終了時点から引き継ぎ、先頭打者の直前の打順の選手か、その代走が二塁走者となる。

2026年(第6回大会)からの新ルール

2026年3月、20周年を迎えるWBCが新たな時代を迎える。今回の大会では、国際大会として初めて「ピッチコム」「ピッチクロック」「拡大ベース」という3つの新ルールが本格導入される。いずれも、競技のスピード化と安全性の向上を目的としたもので、国際舞台の野球をより近代的なものに変えていく。

ピッチコム

まず注目されるのが、ピッチコム(PitchCom)。投手と捕手の間でサインを電子的に伝達する装置で、通信機器には9つのボタンがあり、球種やコース、けん制などを設定して送信できる。最大3回の操作で細かな指示を伝えられる仕組み。サイン盗みの防止とサイン交換の迅速化を狙ったこのシステムは、MLBではすでに定着しており、WBCでも試合テンポを大きく変えることになる。

ピッチクロック(Pitch Clock)

続いて導入されるのが、ピッチクロック(Pitch Clock)。投手が投球間に要する時間を制限するルールで、走者がいない場合は15秒以内、走者がいる場合は18秒以内に投球動作を開始しなければならない。制限を超えると自動的に1ボールが加えられる。これにより、試合時間の短縮とテンポの改善が期待される。MLBではこの制度によって平均試合時間が30分以上短縮されたというデータもあり、WBCでも試合のリズムがより軽快になる見込みだ。

拡大ベース(Larger Bases)

三つ目は、拡大ベース(Larger Bases)。選手の怪我防止と安全性の向上を目的に、ホームベースを除く1塁、2塁、3塁のベースサイズが拡大される。従来の15インチ(約38.1センチ)四方から、18インチ(約45.7センチ)四方へと一辺が約3インチ(7.6センチ)広がる。塁間の距離がわずかに縮まるため、盗塁や内野安打などの攻防にも微妙な変化をもたらすことになる。

大会運営側は「選手の安全と競技の質を両立する国際基準」としてこれらのルールを採用。これまでの“伝統的な野球”から、“テンポと精度の野球”へ。新しいルールがもたらす変化の先に、どんなドラマが待っているのか。次の春、その答えが示される。

WBC歴代優勝国

WBCは歴史が浅い分、ベネズエラ代表の三冠王ミゲル・カブレラのような5大会の皆勤賞もいる。過去と現代をキャッチボールしながら見ることで、WBCをさらに楽しめる。2006年からの歴史絵巻を紐解いてみよう。

大会は過去4回行われ、優勝国は日本、ドミニカ、アメリカの3国。

第1回2006年:日本
第2回2009年:日本
第3回2013年:ドミニカ共和国
第4回2017年:アメリカ合衆国

第1回2006年

第1回2006年

2006年(平成18年)、暗夜航路のなかを船出した記念すべき第一歩。16の国と地域が招待され、アジア、北米、中米、南米、オセアニア、ヨーロッパ、アフリカとワールドワイドな大会となった。開催場所は日本(東京)、プエルトリコ(サンファン)、米国(4ヶ所)。試合数は39。日程は3月3日から21日までの19日間。記念すべきカーテンレーザー(幕開け)は3月3日、東京ドームでの韓国vs.台湾。

開催国のアメリカをはじめ、ドミニカ、プエルトリコ、ベネズエラなどはオリンピックに出場できなかった球史に名を残すメジャーリーガーが次々と参戦。豪華な顔ぶれが集結した。

初代王者は日本。96年アトランタ五輪や00年シドニー、04年アテネ五輪の参加者が多く、イチローや大塚晶則のメジャーリーガーも参戦。監督は王貞治。1次ラウンドを2位通過し(1位は韓国)、米国に舞台を移してからは誤審の常習犯であり、皮肉にもWBCを最も盛り上げた立役者ボブ・デビッドソン審判の影響でタフ・ロス(不運な敗戦)を喫する。しかし、その影響で3月3日に東京ドームで灯った種火が一気に炎上。5人のメジャーリーガーを擁し「ドリーム・オブ・ドリームチーム」と称された韓国代表を準決勝で破り、国際大会37回連続決勝進出のキューバ代表に勝利し栄冠。

MVPは3勝を挙げた松坂大輔が選ばれた。アメリカ戦、準決勝の韓国戦を最少失点、無失点に抑えた上原浩治の快投、慣れない米国での戦いを支えたイチロー、大塚晶則のサポートが光った。決勝の舞台はサンディエゴのペトコ・パーク。プエルトリコやドミニカを破って勝ち上がってきたキューバを相手に10-6で勝利。アメリカでもドミニカでもなく、遠いアジアの島国が優勝を決めた瞬間、スタジアムに維新の紙吹雪が舞った。野球はWBCによって生まれ変わろうとしていた。

第2回2009年

第2回2009年WBC

4年後が待てないと言わんばかりに第1回から3年後の2009年に第2回大会を開催。前回と同じ顔ぶれで16の国と地域が参加。開催場所は日本(東京)、メキシコ(メキシコ・シティ)、カナダ(トロント)、プエルトリコ(サンファン)、米国(3ヶ所)と前回から2ヶ所増加。試合数は前回と同じ39。日程は3月5日から24日までの20日間。日本vs.中国戦で幕が開けた。

今大会から「SAMURAI JAPAN」が誕生。当時は英語表記。監督は原辰徳。前年に左膝手術を受けた松井秀喜は連続で出場辞退。イチロー、松坂大輔、福留孝介、岩村明憲、城島健司と5人のメジャーリーガーが参加し、日本での熱が着火。空前のWBC旋風が吹き荒れた。

前回の総当たり方式のリーグ戦をやめ、2回負けたら敗退するダブルイリミネーション方式トーナメントに変更。この入り組んだ方式により、アメリカvs.ベネズエラが3回、日本vs.韓国戦が5回も行われるカオスな大会となった。前回からの改良点は、マイナーリーグ所属の審判のみの構成から、メジャー審判や国際審判を採用。日本からも4人の審判が参加した。さらにはホームランのみビデオ判定が導入。延長13回からはタイブレーク方式が採用された。

準決勝で日本はアメリカを破って3年前の雪辱を果たし、決勝の相手は韓国。ドジャースタジアムに集まったWBC史上最多54,846人もの観客が見守るなか、5-3で大会連覇。MVPは2大会連続で松坂大輔。3試合に登板し全勝の投球でチームを牽引。韓国には前回大会で1勝2敗と負け越したが、今大会は3勝2敗と勝ち越した。決勝戦でイチローが延長10回に放った勝ち越しタイムリーは、その後の多くの侍戦士を生む火種となる。

第3回大会2013年

第3回大会2013年

MLB所属のイチロー、ダルビッシュ有、岩隈久志、青木宣親、川﨑宗則、黒田博樹の6人全員が出場辞退。NPB所属選手だけの侍ジャパンとなった。1次ラウンドは初の福岡ドームでの開催。初戦はブラジル。今大会から完全招待制ではなく予選ラウンドが行われた。本戦を目指す16チームで争った結果、台湾、カナダ、ブラジル、スペインの4チームが出場。招待された12チームと合わせて16の国・地域で覇権を争った。

開催場所は日本(福岡、東京)、台湾(台中)、プエルトリコ(サンファン)、米国(4ヶ所)と前回より増加。試合数は3回連続で同じ39。日程は3月2日から19日までの18日間に短縮。オーストラリア vs.台湾でテープカット。

侍ジャパンは1次ラウンドを2勝1敗で通過し、第2ラウンド1回戦で予選を勝ち上がってきた台湾と対戦。延長10回、4時間37分の激闘はWBC史上に残る伝説となった。勢いに乗った日本はオランダを撃破して米国ラウンドに進出するが、準決勝でプエルトリコに敗戦。前田健太と井端弘和が大会ベストナインに選ばれた。

王者はドミニカ共和国。第1回、第2回大会も優勝候補に挙げられながら、三度目の正直で戴冠。全8試合に勝利し、史上初の全勝優勝。決勝の相手はプエルトリコ。前回大会の日本と韓国に続き、海を隔てた隣国同士の決戦は、降りしきる雨のサンフランシスコで行われた。日本を破ったプエルトリコを相手に3-0の完封勝利。大会MVPのロビンソン・カノをはじめとする強力打線に目が行きがちだが、チーム防御率は1.75(前回の日本の1.71に次ぐ歴代2位)の投手陣が光った。弓を引くポーズで大会を盛り上げた抑えのフェルナンド・ロドニーは8試合すべてに登板し無失点。1大会で7セーブは今後も破られないであろう記録の一つ。チームもトータルで14失点と、歴代最少失点優勝。WBCに大きな金字塔を打ち立て、サンフランシスコのバナナをAT&Tパークの夜空にペンライトのように掲げた。

第4回大会2017年

国内外の選手の多くが辞退を表明。MLBではヒューストン・アストロズ所属の青木宣親が35歳のチーム最年長で唯一メジャーリーガーとして参戦。前回同様、前年に予選ラウンドが行われオーストラリア、メキシコ、コロンビア、イスラエルが本戦に出場。

開催場所は日本(東京)、韓国(ソウル)、メキシコ(ハリスコ)、米国(3ヶ所)。試合数は前回から1試合増え40。日程は3月6日から22日までの17日間に短縮。開幕カードはイスラエルvs.韓国。

前回大会までの侍ジャパンは代表候補合宿を行い、大会直前に何人かが落選する方法だったが、選手や球団の反発から振るい落とす方式を撤去。あらかじめ集められた代表選手で本戦を戦うことになった。日本は1次ラウンド、2次ラウンドを6戦全勝で進み、チーム本塁打10本は歴代最多。

しかし、雨のロサンゼルスに乗り込んだ準決勝で惜敗。2大会連続で準決勝の壁を突破できなかった。優勝国は日本を破ったアメリカ。開催国のホストであり野球の母国でありながら「オープン戦感覚」と揶揄され続けたWBCだったが、4度目の正直にして初の戴冠。特に2次ラウンドはアメリカ、プエルトリコ、ドミニカ、ベネズエラとアメリカ大陸の最強四天王が集う超激戦。どの試合も夏と錯覚するほど熱い試合が繰り広げられ、季節を狂わせた。

決勝は全勝で勝ち進んできた最強プエルトリコを相手にMVPのマーカス・ストローマンが7回途中までノーヒットに抑える異次元のピッチング。打線もMVP級のクリスチャン・イエリチを筆頭に大爆発。アメリカはリーグ戦でドミニカ、プエルトリコに敗れていたが、トーナメントで強さを発揮。予想を裏切る8-0の大勝で、ついに王者の系譜に「チームUSA」を刻んだ。

第5回大会2023年

侍ジャパン7戦全勝で幕を閉じたWBC。開幕前に書いたように、このタイミングで開催されたことが成功につながり、最強の侍ジャパンを生み出した。完全にコロナウイルスに屈した東京オリンピックとは真反対に、コロナによって延長したことが奏功。はじめてコロナを超えたイベントとなった。

大会の観客動員数は130万6414人。2006年に始まったWBC史上最多を記録。これまで最多だった2017年大会の108万6720人から20%増加した。

侍ジャパンは代名詞の「スモールベースボール」から「全進野球」へ進化し新たな歴史を刻んだ。最初は鈴木誠也のロスを近藤健介が埋めるところからはじまり、村上の不調を吉田正尚が、栗林良吏の離脱を大勢をはじめとするリリーバー陣が、最後はメジャー組の不振を岡本など下位打線が、誰かが誰かの穴を必ず埋めた。

投手とDHでベストナインに選ばれる二刀流の大車輪。大谷翔平のWBCは強化試合のバッティング練習で開幕、そして大谷の投球で閉幕。完璧な二刀流で魅了した。大谷の大谷による大谷のためのWBC。史上最大のSHO-TIME。おそらく今後は二度と破られないパフォーマンスと記録を樹立した。

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第50回社会人野球日本選手権の秋〜月の旗をめざして

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10月の大阪には、少し特別な熱がある。それは夏の灼熱とは違う、静かに燃える熱だ。
プロの喧騒も、高校野球の歓声も届かない場所で、ひっそりと幕を開けるもうひとつの全国大会。社会人野球日本選手権。その第50回大会が、2025年10月28日、京セラドーム大阪で始まる。

この大会には、独特の静けさがある。スタンドの拍手は控えめで、球音がよく響く。その一打の重さは、どの大会にも引けを取らない。

白球を追うのは、社会に出た大人たちだ。名刺を持ち、仕事を持ち、チームの看板を背負って戦う。その姿には、少年の情熱と社会人の矜持が共存している。

予選を突破した32チームが、優勝旗“ダイヤモンド旗”をかけて競う。東の都市対抗野球が「太陽」なら、西の日本選手権は「月」。片や夏の祭典、補強選手を加えての華やかな都市の戦い。こちらは秋の決戦、自社の社員だけで挑む純粋な企業野球の競演。

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都市対抗が夢を映す舞台なら、日本選手権は現実を貫く舞台だ。太陽が沈んだあと、月が静かに空を照らすように。

その始まりは1974年(昭和49年)10月28日、阪神甲子園球場。都市対抗の第1回大会が1927年(昭和2年)だから、日本選手権は47年遅れの後輩にあたる。初代王者は三協精機。当時、夏は東京の都市対抗、秋は後楽園での日本産業対抗野球大会。どちらも東京中心だった時代に、日本選手権は関西からの声として誕生した。

その後、大阪球場、グリーンスタジアム神戸、そして京セラドーム大阪へ。場所は変わっても、秋の光景だけは変わらない。ユニホームの背中に企業の名を背負い、静かに整列する選手たち。選手の表情には、どこか仕事終わりの顔がある。

都市対抗には“補強選手”という制度がある。同地区で敗退したチームから最大三人を借りることができる。しかし、日本選手権にはそれがない。借りることも、頼ることも許されない。勝つのは、自社の社員だけで構成された“純血”のチーム。ゆえに、別名「単独チーム日本一決定戦」とも呼ばれる。

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社会人野球のグラウンドには、プロにも高校にもない「静けさ」がある。そこには、夢を終えてなお夢を見続ける者たちの姿がある。かつて甲子園を目指した男たちが、今は企業の名を刻んだユニホームを着て、再び白球を追う。その野球は、少年の夢の続きではなく、人生の中の一節として続いている。

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仕事と野球、その境界が滲む場所に、日本選手権の詩情がある。

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第50回を迎える今年。京セラドームの屋根の下、32チームが一つの旗を目指す。その旗は、月のように光を返す。眩しくはないが、確かに照らす。誰もが自分の職場へ帰っていくその背中に、淡い光を落としている。

秋の夜長にともる球場の灯り。打球が白く弧を描くたび、静かに思う。この大会こそ、日本の野球の“働く者たちの物語”なのだと。

ミキハウスvs.HONDA

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道頓堀から歩いて40分。夕暮れのビル街を抜けると、銀色のドームが夕陽を受けて光っていた。10月の風は乾いて、冷たい。だが、球場の空気は不思議と湿っている。大阪ドーム。今は京セラドームと呼ばれるその場所に、社会人野球の灯がともる。

開場予定の午後5時になっても、第2試合はまだ終わらない。押し出されるようにして、第3試合のプレイボールが遅れる。結局、入場開始は50分遅れ。試合開始は18時20分。甲子園では阪神とソフトバンクが日本シリーズの初戦を迎えていた。プロの熱狂が西宮を包むなか、大阪の片隅でも、もう一つの白球が息をはじめる。

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外で待つ観客の中には、帰りの新幹線の時間を気にする人もいた。「入場って、お金いるんですか?」と警備員に尋ねる人もいる。高校野球が“聖地”として確立されて久しいが、大学、ノンプロと、アマチュア野球の夜明けは、まだ遠い。

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ようやく入場すると、ミキハウスのシートノックが終わる直前だった。赤いユニホームの列の中に、見覚えのある投球フォームがある。かつてドラフト1位でプロに進んだ男が、再びマウンドに立とうとしていた。

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高校・大学を出て、夢を追ってプロに進む者。プロを離れ、社会に戻ってもなお、白球を追い続ける者。その交錯が、社会人野球の持つ独特の光と影をつくっている。

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始球式は侍ジャパン投手コーチ・能見篤史。かつて大阪ガスで投げ、社会人から世界へ登った男。軽やかなフォームから放たれたストライクに、スタンドが小さくどよめく。社会人野球が盛り上がってほしいと願う野球人のひとりである。

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ミキハウスの先発は、高橋優貴。昨年まで巨人に在籍していた男が、再びマウンドに戻ってきた。まだ28歳。最速149キロの直球に、110キロ台のスクリュー。初回、ツーアウト二塁のピンチをしのぐ。上々の立ち上がりに見えた。

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2回、ツーアウトから四球。連打を浴びて1点を失う。キレはある。だが、要所で甘くなる。

「コマンド」。現代の野球でシビアに問われる力。プロのマウンドで生き残る者と、社会人で再出発する者を分ける境界線だった。

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対するHONDAの先発は、片山皓心。ベイスターズに4位指名された男。球の力では高橋に劣るが、コマンドが違う。

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高橋の際どい球が“ボール”と判定され、片山の際どい球は“ストライク”になる。その数ミリの違いが、プロから招かれる者と弾かれる者の差。

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ミキハウスは4回、5回と満塁の好機を逃す。これも片山のコマンドの力。ランナーはためるが、要所で締める。
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高橋は3回途中で5失点。ジャイアンツの元ドラ1の肩書きが、スコアボードの光に照らされて消えていった。しかし、後を継いだ変則サウスポーの仲尾元貴が2回1/3を無安打無失点。

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HONDAのバッターは、明らかにやりにくそうにする。球速は140キロに届くかどうか。これがピッチングの面白さ。

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さらに3番手の松永遥平が2回を無安打無失点。味方の守備は5回までに4失策と、草野球モード。初めて観たヤマハの都市対抗が心を打ち社会人野球に引き込んでくれただけに、初めて観るミキハウスの野球が残念だった。

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スタンドは明るかった。赤と白のスティックバルーンを叩く音が、夜空に跳ねる。ミキハウスの応援は素晴らしい。会社の同僚、OB、家族、子どもたち。それぞれの思いが、一本のバットに、ひとつの投球に重なる。だから、余計に今日の内容がもったいない。

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8回。マウンドに現れたのは、桜井俊貴。ジャイアンツのルーキー時代に着けていた背番号21。

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マウンド姿を見るのは、2015年の神宮大会。まだ立命館大学で背番号17を着けていたとき以来だから10年ぶりとなる。

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あの時と同じように、振りかぶって全身を使うダイナミックな投球フォーム。現代は実利性を重んじ、セットアップで投げるコンパクトなフォームが主流なので、ピッチングが物足りない。
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球速は148キロ。スライダーは130キロ台で鋭く曲がる。

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時折、制球を乱し、2回で1失点。巨人時代からのハラハラさせる投球は健在。変わっていないことが嬉しい。

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桜井はまだ31歳。これから、社会人野球の舞台で再び名前を刻む可能性がある。ユニホームの色は変わっても、白球に向かう心は変わらない。

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試合終了は21時30分。スコアボードには「6対0」。甲子園では、ちょうど阪神が敗れた頃だった。同じ関西の空の下で、ふたつの野球が静かに交錯した夜。

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プロの喧騒と社会人の静寂。その狭間で、白球は光っていた。メガホンを叩くファンが、いつかこの京セラドームにも足を運ぶ。そんな日を、僕は少し本気で夢見ている。

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