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主人の仇を取った 烈女「お初」の墓(平塚市) - みうけんのヨコハマ原付紀行
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主人の仇を取った 烈女「お初」の墓(平塚市) - みうけんのヨコハマ原付紀行
平塚駅北口から真西に1.4キロほど行くと、住宅街の中にたたずむ松雲山 要法寺があります。 このお寺... 平塚駅北口から真西に1.4キロほど行くと、住宅街の中にたたずむ松雲山 要法寺があります。 このお寺は約700年前、鎌倉幕府の執権北条泰時の次男であり、この近辺の地頭であった北条泰知の屋敷だったところです。 北条泰知はたいへんに熱心な念仏信者でした。 これは同じく熱心に信仰する父・北条泰時の影響にもよります。 しかし、ある時から日蓮上人の龍之口法難の話を聞いてこれにいたく感動し、それ以降は法華経と日蓮上人に帰依したことから、要法寺は今でも日蓮宗の寺院として栄えています。 さて、今回のテーマは要法寺ではなく、その要法寺の西側、広蔵寺(廃寺)の墓地にある烈女「お初」のお墓の歴史に触れたいと思います。 この廃寺・広蔵寺は、「新編相模国風土記稿」の平塚宿の項によれば、すぐ近くにある春日神社の別当寺であったそうです。 神仏習合により神社にも仏教の尊格が祀られたことが多々あり、神社での仏教のおつとめをす