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夜遊びの上にほうほうの体で逃げ帰った 金目山光明寺の仁王様(平塚市) - みうけんのヨコハマ原付紀行
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夜遊びの上にほうほうの体で逃げ帰った 金目山光明寺の仁王様(平塚市) - みうけんのヨコハマ原付紀行
丹沢山塊を源流として秦野を経て、やがて相模湾に注ぎ込む川に金目川という川があります。 静かな清流の... 丹沢山塊を源流として秦野を経て、やがて相模湾に注ぎ込む川に金目川という川があります。 静かな清流の両岸にはのどかな田畑が広がり、そのすき間を埋めるように家が建つ里からは遠くに富士山を眺めることが出来、実に風光明媚な土地柄です。 この金目川のほとり、金目小学校の脇にある古刹が坂東観音霊場の第7番目の札所となる金目山 光明寺(かなめさん こうみょうじ)です。 この光明寺の創建は古く飛鳥時代にまで遡るとされていますが、大宝2年(702年=1307年前)に、大磯の浜で海女の桶にいつの間にか小さな金剛仏の仏像が入りました。 それを見た修行僧が、「これぞ聖徳太子の作られた仏像に違いない」と教え(どんな根拠があってそんな事を言うか分からぬがw)、その海女はその金剛像を大切にお祀りしたのが、今に伝わる光明寺の始まりだそうです。 なお、現在は秘仏となっており、次回のご開帳は2034年だそうです。 また、本尊