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戦争の先陣にされたか 現代の「平和観音」(綾瀬市) - みうけんのヨコハマ原付紀行
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戦争の先陣にされたか 現代の「平和観音」(綾瀬市) - みうけんのヨコハマ原付紀行
綾瀬市の県立綾瀬高校の裏手に、とても立派なお寺があります。 曹洞宗寺院、陽廣山 報恩寺で、江戸時代... 綾瀬市の県立綾瀬高校の裏手に、とても立派なお寺があります。 曹洞宗寺院、陽廣山 報恩寺で、江戸時代初期の慶長7年(1602年)開山という歴史の古いお寺です。 このお寺は観音様に対する愛情がとても深いのでしょう。 あちらこちらに観音様を讃える姿勢が見えてきます。秀麗な本堂の前に建つ回向柱にも、観音様を讃える延命十句観音経が書かれていたのが実に印象的でした。 この報恩寺の境内には、数多くの観音像が祀られています。 その中で特に気になったのが、こちらの「平和」観音でした。昭和15年(1940年)は日本独自の暦である「皇紀」2600年の節目に当たる年で、日本各地で盛大に祝われてあちこちに記念碑が建てられました。 この観音像も横には「皇紀二千六百年」と陰刻されています。 台座をよく見ると、「平和観音」の「平和」の部分だけが大きく凹んでいるのが分かります。 皇紀2600年にあたる昭和15年は、ちょうど