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開発の波に消えていく 舞岡熊之堂の祠と古道(横浜市戸塚区) - みうけんのヨコハマ原付紀行
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開発の波に消えていく 舞岡熊之堂の祠と古道(横浜市戸塚区) - みうけんのヨコハマ原付紀行
戸塚駅から東に向けて1キロたらず、豊かな森と団地に挟まれた一角に「舞岡熊之堂」という交差点がある... 戸塚駅から東に向けて1キロたらず、豊かな森と団地に挟まれた一角に「舞岡熊之堂」という交差点がある。 熊之堂というのは熊野権現堂を指すのだろうが、それらしきお堂は近くには見当たらないので、この交差点名の由来がずっと気になっていた。 地域資料によると、この近辺は大字を舞岡、字を熊野堂といい交差点名もそこから付けられたものであろう。 ただ、この熊野堂という地名があるからには熊野権現堂があったのであろうが、明治初期の古地図などにもそのような記載がなく、その熊野権現堂がいつ、どこにあったものかを示す資料は残されていないのだという。 ただひとつ、この舞岡熊野堂の交差点から少し坂を登ったところに、かつて「かまくら中ノ道」と呼ばれる鎌倉へとつながる古道沿いに、小さな石祠が残されている、と地元の方に教えていただいたのでさっそく行ってみることにした。 祠の場所は、きちんとGoogleマップにも載せられていて、