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質素と公正に生きた 青砥藤綱の墓(横浜市金沢区) - みうけんのヨコハマ原付紀行
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質素と公正に生きた 青砥藤綱の墓(横浜市金沢区) - みうけんのヨコハマ原付紀行
横浜市と横須賀市を南北に結ぶ国道16号線は通称「横須賀街道」とも呼ばれています。 その交通量はたい... 横浜市と横須賀市を南北に結ぶ国道16号線は通称「横須賀街道」とも呼ばれています。 その交通量はたいへん多く、いつも数えきれない程の車たちが砂埃を上げながら北へ南へと疾走していますが、その一角に青砥(あおと)という交差点があります。 この近辺は、有名な歴史書である「太平記」に登場して、後に大変な人気を博した鎌倉時代の武将、青砥藤綱(あおと ふじつな)が治めていた場所であるという言い伝えがあります。 そのためか、今でも住宅街の中に残る「青砥産土神社」には、彼のものと伝わる墓が残されています。 現在、この青砥産土神社には小ぢんまりとした本殿の前に、大正14年12月に建立された碑とともに五輪塔の残欠が残り、またその脇には石屋根付きの庚申供養塔が立っています。 この五輪塔の残欠が青砥藤綱の墓である、と言われているのです。 青砥藤綱は、正式には青砥左衛門尉藤綱(あおと ざえもんのじょう ふじつな)とい