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横浜にもあった 文福茶釜の伝説(横浜市港南区) - みうけんのヨコハマ原付紀行
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横浜にもあった 文福茶釜の伝説(横浜市港南区) - みうけんのヨコハマ原付紀行
横浜市の副都心、上大岡を抱える港南区は横浜市の南寄りにあって、東西を環状2号線が貫き、遠くには磯... 横浜市の副都心、上大岡を抱える港南区は横浜市の南寄りにあって、東西を環状2号線が貫き、遠くには磯子の港を眺める高台の街である。 かつて緑豊かであったろう一面の山々だったところを切り開いて、現在ではすっかり住宅街の装いであるが、その中の笹下という街にあるのが高野山真言宗の関宮山 寂静寺 東樹院である。 この寺は大治2年(1127年)に沙門順玉によって創建したと伝えられ、その後衰廃していたものを沙門至順が嘆いて笹下城主であった間宮豊前守の助力を得て再興したという由緒のあるお寺である。 全国には、タヌキが茶釜に化けていろいろなイタズラや恩返しをする昔ばなし、所謂「ぶんぶく茶釜」の話は至る所に残されている。 また、多くの寺にはタヌキやキツネにまつわる伝説も多く、いかに彼らが人間の生活に密接に関わっていたかが分かるのであるが、この笹下の東樹院にも独自に「文福茶釜の伝説」が残されているのである。 むか