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今なお信仰を集める 癪を癒した日限地蔵(横浜市港南区) - みうけんのヨコハマ原付紀行
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今なお信仰を集める 癪を癒した日限地蔵(横浜市港南区) - みうけんのヨコハマ原付紀行
地下鉄下永谷の駅から歩いて10分ほどすると急に坂はきつくなり、その行き着く先は笹山城跡という城跡... 地下鉄下永谷の駅から歩いて10分ほどすると急に坂はきつくなり、その行き着く先は笹山城跡という城跡である。今となってはその面影もなく巨大な鉄塔が2本建てられて、街はすっかり様変わりしているものの日限山2丁目公園の前の道路はかつて堀切であったとされ、わずかに城の名残を残しているという。 この笹山城跡は、かつて大船にあり北条氏の拠点ともなった大規模城郭、玉縄城の支城であったといい、これといった歴史的な資料はほとんど残されていないが、城というよりも見張り台や狼煙台としての役割が濃い支砦であったのであろう。 かつて、この地域が宅地造成された時に鎌倉古道の「早駆けの道」に沿って土塁がハッキリ残っていたのが確認され、また開発工事中の際に古井戸や柱穴跡が発見されたと言われているものの、特に発掘調査もされないまま住宅街へと変貌してしまったのである。 さて、その脇に見える小坂を登る脇には、白地に黒で「日限地蔵