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戦乱の波に消えた 哀れなる美しき姫君の伝説(愛川町) - みうけんのヨコハマ原付紀行
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戦乱の波に消えた 哀れなる美しき姫君の伝説(愛川町) - みうけんのヨコハマ原付紀行
神奈川県の中央を貫く相模川を北上して相模原市と愛川町の境に入ると、鯉のぼりの名所としても名高い高... 神奈川県の中央を貫く相模川を北上して相模原市と愛川町の境に入ると、鯉のぼりの名所としても名高い高田橋があり、その橋から愛川町側に坂を登ると小沢城址という小さな山城の址にたどり着く。 この小沢城は、中津原台地より東北に突出した部分に室町時代初期に築かれたとされる山城である。 城域は5700平方メートルほどの広さで城主は金子掃部助。山之内上杉家の配下である長尾景仲の家臣団の一翼である。 今となってはすっかり新しく切り開かれた県道63号線から城坂という坂を登るのが本来の大手口と言われているところで、つづら折りとなった急な坂はいかにも攻めにくく守りやすい中世の山城の雰囲気を今に残し、ここで幾度もの激しい戦闘が行われては名もなき多くの武将や雑兵たちが命を落としたであろうことは想像に難くない。 その城坂の路傍には、すっかり古びて苔むした数体の地蔵尊が悲しげに立っている。この地蔵尊自体はずっと後の江戸時