「ルックバック」をアマプラで観ました。
観終わった後、感情の置き所というか、処理の仕方というか、名状しがたく揺れている感じで、しばらく引きずってしまい、何も手がつかなかったです。
そんな作品でした。
- 予告編
- 安易な手段か
- 登場人物への感情移入
- 実際の事件
- 京本が好きだ
- 藤野が好きだ
- 人の道、修羅の道
- 藤野の勘違い
- 世界線?
- 時には後ろを振り向け
- 成功に囚われるか、成長に囚われるか
- 二人で一人
- 藤野という女
予告編
安易な手段か
その、感情が揺さぶられ、何も手につかなかったという、それは多分に第二の主人公の死、というショッキングなものによるものであると思います。
しかし、そこに思い至ると、「主要登場人物の死」というものは、観ている者にショックを与えるのに一番強烈でありながら一番手っ取り早く、もっと言ってしまうと「安易な方法」でもあると思うのです。
読者に与える感情の揺れ、ひいてはそこから引き出されるカタルシス、その最もたるものは、おそらく喪失感ではなかろうかとも思います。
ですが、それを引き出すのに登場人物の死を持ち出すのは簡単であるようにも思います。
登場人物の死に頼らず、喪失感を喚起することが、劇作の至上の表現でもあるようにも思うのです。
登場人物への感情移入
ただ、この「登場人物の死」による喪失感の喚起は、そこに至るまでにいかに読者にその人物を好きになってもらえるか、にかかっているとも思います。
そうでなければ、登場人物を死に至らしめても、観ている者はそれほどのショックは受けないでしょう。
僕がこれほど京本の死に感情を揺さぶられたのは、そこに至るまでに京本(藤野もだが)のことを大好きになっていたからに相違ありません。
また、殺され方もあまりにひどい。そこに至るまでの京本の人生を思うと、おそらく考えつくであろう中で最も酷い京本の殺し方であることは間違いありません。
人が怖くなってしまい、それが原因で引きこもったほどの対人恐怖症の彼女が、念願叶って入った大学内で殺人鬼に襲われた時、その心はいかばかりだったか。
実際の事件
また、殺人鬼の動機、漫画家を目指していた人物、美大という場などを鑑みると、この登場人物の殺人というシーケンスは、京アニ放火事件を下敷きにしていることは間違いないでしょう。
それを思うと、実はこの作品自体が、京アニ事件に触発されて作られたものである可能性が非常に高いようにも思います。
この映画の原作は漫画でありますが、同じアニメ・漫画業界に身を置く者としての怒り、あるいは鎮魂のようなものがあったのかもしれない。
だとすると、京本の死を「安易な登場人物の死」とは断じることは不可能です。なぜなら、もし京アニ事件に触発されてこの漫画を描いたのだとすれば、そこを描くことは不可避だからです。
京本が好きだ
しかし、それを踏まえた上で、やはり京本の死は受け入れることは難しいです。
それほどまでに、僕は京本(そして藤野のことも)が作品を通じて好きになっていました。大好きになっていました。
あの訛りのきつい朴訥とした喋り、純朴を絵に描いたような人柄、背中を丸めて机に向かうその姿、そしてあの屈託のなさすぎる笑顔。好きにならずにいられないでしょう。
藤野が好きだ
藤野だって好きです。自尊心は人一倍、自己演出やカッコつけは人二倍、それを裏付ける努力は人の三倍ではきかない。
描いてる漫画はかなりブラックで、性格も実は結構悪い。絵も上手く、運動神経まで良い藤野は多分何をやってもできてしまう子なのでしょう。その自分の実力を鼻にかける、なかなかにして鼻持ちならないクソガキです。
でも、その性格の悪さが、彼女の書く漫画もそうなんですけど、彼女自身の面白さに直結してしまってるんですねーw
自分の漫画の面白さを褒められ、調子こいて「五分で描いた」と嘯きますが、冒頭の描写でそのたかが四コマのためにどれだけ苦労しているかが暴露されてしまっているのです。
しかも藤野の部屋からは、いかに藤野が漫画が好きか、が一発でわかります。だから「五分で描いた」とカッコつけて言うところがかえって笑えてしまうのです。微笑ましいというか。可愛らしいというか。
勝手にライバル視していた京本に「なんで四コマやめちゃったんですか?」と聞かれたら、咄嗟に「コンテストに応募するため、一段上を目指していたからやめた」と居丈高に大ウソをブチかまします。面白すぎるw
なんというか、ちょっと違うかもしれないけど、ケイスケホンダのようです。
彼女の魅力はそういった性格の悪さが全て努力に裏打ちされているところだと思います。自分よりも絵が上手い奴が現れたら二年間も絵に打ち込んでしまう。しかも小学生の二年間ですよ。大人の二年とはわけが違う。彼女は執念の努力家なんです。カッコ良すぎる。
人の道、修羅の道
ただ、藤野は二年絵の勉強をやっても京本には敵いませんでした。そこで彼女は京本と出会うまで一旦漫画をやめてしまいます。そして姉の勧めで空手をはじめ(この設定が後で生かされる)、それまで通り友達と楽しく遊ぶようになります。
この頃の藤野なんですが、それまでの、謂わば「絵の修行の二年間」と比べて格段に楽しそうなんですね。
漫画に打ち込んでる時はちょっと辛そうだったんです。それを思うと、その絵をやめた期間、藤野は人間らしさを取り戻していたのかもしれません。
思うに、何かに打ち込むことは修羅の道です。人の道ではない。だから、周りからは反対される。絵に打ち込んでいた時の藤野は家族からも友達からも反対されていました。
なんとなく「かもめのジョナサン」を思い出してしまうし、イチローをも思い出してしまいました。イチローも藤野同様に、周囲の人間からは反対され、笑われ続けてきた、とMLB3,000本安打の際のコメントで語っていました。
そして藤野は京本と出会って修羅の道へと戻っていきます。
思うに、やはり藤野は漫画が大好きで仕方がないのでしょう。何がきっかけだったのか、それは描かれていないんですけど、イチローにとっての野球がそうであったように、「出会って」しまったのでしょう。
そうなると、もう後は修羅の道しかない。どんなにその道から外れても、結局戻ってしまうのです。
二人の出会いのきっかけとなったのは、京本の部屋の前に置かれたスケッチブックの上に乗っていた四コマの原稿です。その空白の四コマを見て、おそらく藤野は「反射的に」漫画を描いてしまったのだと思います。それがありえない偶然でw京本の部屋に滑り込んでしまってから全てが始まるのです。
藤野の勘違い
そして思うに、藤野は自分自身だけではなく、京本すらも修羅の道に引きずり込んでしまうのです。
そのせいで、自分のせいで藤野は京本を死なせてしまったと悔いるのです。
なぜなら、藤野の描いた四コマは京本を家から出すことを促すような内容でありながら、その落ちで京本を殺してもいるからです。元々ブラックなネタを得意とする藤野ですが、さすがに観ててこれはブラックが過ぎるんじゃないか、と思いました。そして、これがフラグにもなっていたわけですね。
思うに、藤野は様々な勘違いをしているのではないでしょうか。
勝手にライバル視していた京本の絵にしろ、藤野のものとはジャンルが違いすぎて本来比較不可能です。
そして、京本が殺されたのも、あくまで殺人鬼が悪いわけであって、藤野のせいというのは飛躍しすぎです。そのような藤野の考えでいくと、他の殺された11人も引きこもっていたら殺されなかった、ということになってしまうし、他の11人が引きこもりだったことはありえないでしょう。
世界線?
しかし藤野は自責の念にかられ、その四コマを破いてしまいます。そして、ここから不思議なことが起こるのですが、その破かれた四コマの最初のコマがタイムスリップして「あの日」の京本の部屋に滑り込み、京本と藤野が出会うことはなくなるのです。
そして十年の月日が経ち、京本は同じように美大に通い、同じように殺人鬼に襲われるのですが、そこへ空手を習い続けていた藤野が助けに来て、飛び蹴りで殺人鬼を撃退。難を逃れます。
そこで京本は藤野に「出会い」、ファンだったことを告げます。すると藤野は「また漫画描き始めた」と笑顔で告げるのです。まぁ、多分嘘でしょうし、しかしながらその嘘をホントにするのでしょう。藤野はそういう人です。
でも、それらは多分全て藤野の妄想だったのだと思います。次のシーンで「現実」に戻ります。
そこでは、やはり京本が殺された現実は続いています。そして藤野は京本の部屋に入るのですが、仲違いして別れたはずの京本の部屋は、藤野への愛で満ち溢れていました。
藤野が漫画家として成功していくシーンがあったのですが、その際、それを象徴するかのように本棚に単行本が並べられていく描写がありました。それは京本の部屋でのものだったのです。
背中に藤野のサイン(というより署名)がある、あの半纏もドアに大事そうに、誇らしげに掛けられていました。
そして藤野はその足で仕事場に戻り、一両日漫画を描き続けるのです。それは、京本と初めて出会った日と同じ行動でした。
時には後ろを振り向け
思うに、藤野は推進力がすごいのではないでしょうか。
でも、あまりに前ばかり見て、後ろを振り返らないきらいがあります。そこが京本と袂を分かつ原因ともなった気がするのです。京本はそんな藤野についていけなくなったのかもしれません。
もちろん、京本はもっと絵が上手くなりたくて、今の自分では足りない、と思ったというのもあるでしょう。でもそれは、今の自分では藤野についていけない、という思いもあったと思います。
だから二人は別れたのではないでしょうか。もし藤野が後ろを振り返っていれば、京本のことをちゃんと見てあげていれば、二人は別れなかったかもしれない。
なんとなく、「レディ・プレイヤー1」にあった、時には全力で後ろに走り出す、というのを思い出してしまいました。
そして、最悪の契機ではありましたが、この事件で藤野は振り返ることができたのです。まぁ、あまりに遅すぎましたが。
成功に囚われるか、成長に囚われるか
従って、藤野が自問したように、藤野のせいで京本が死んだというのなら、それは藤野が京本の家を初めて訪れた日ではなく、京本を振り返らなかったからではないでしょうか。なぜなら、そこから二人は別々の道を歩んだのだから。
さっきも言ったように、もし藤野が京本を振り返っていたなら、ひょっとしたら京本は死なずに済んだのかもしれない。
藤野は、本田圭佑言うところの、成功に囚われているのだと思います。
そして京本は成長に囚われていた。
もちろん、藤野も成長にも囚われているのですが、よりそのパーセンテージが成功に振れているというか。
要は藤野って、ウケ狙いな人なのではないでしょうか。なんとなく、カレカノのゆきのんを思い出してしまいました。
そんな二人の違いが、京本を置いてけぼりにしたような気がします。
天才か凡才かで言うなら、二人は似てる。どちらも努力の天才。二人の部屋は驚くほど似ていました。
漫画が好きで、絵が好きで、それなしでは生きていけない人。二人は同じ類の人なのです。
二人で一人
でも多分、藤野にとって京本はなくてはならない存在であり続けたのだと思います。それは人生という点ではもちろんですが、漫画家としてもです。
背景を描くアシスタント探しに苦労している電話のシーンがあるのですが、これは京本が救世主よろしく現れるのではないか、というその前フリかと観ていて思っていました。でも残念ながら、それとは真逆のことが起こってしまいました。
京本の死は、ある意味での藤野の死でもあると思います。なぜなら二人は藤本という藤子不二雄めいた、二人の苗字を混ぜたペンネームを使っていたからです。
二人で一人、ということは一人がいなくなったら、それは半分減るのではなく、全部減るのです。そうでなければ「藤本」たり得ないからです。
でも、藤野は復活します。京本の部屋を見て振り返り、自分は一人ではなかったことがわかったからだと思います。
二人は一人なのです。
最後、藤野は京本の部屋のドアに掛けてあった「藤野歩」と書かれた半纏を見ます。
あたかもそれは京本が「藤野歩さん」であるかのようですらあります。
つまり、京本は藤野だ、と藤野は思ったのではないでしょうか。
藤野が藤野でいる限り、京本は死なない。なぜなら、二人で藤本なのだから。一人が残れば、もう一人も生き残る。だから、藤野はまた歩けたのではないでしょうか。
藤野という女
あと思ったのは、藤野はBUMPの「バトルクライ」のようだな、と。自分に一つ嘘をつき、その嘘を誓いに変えています。
それは現実の京本に会った時も、そして、おそらくは藤野の妄想の中で再会した時も、藤野は咄嗟に嘘を吐いている(と思う)。
そして、一度はそれを現実に変えました。
あと、藤野はやっぱり性格が悪いと思います。だから面白い話が書けるのです。
全ての、人の心を掴めるような作家は性格が悪い、ということを踏襲しているように思うし、ここら辺の人物造形はやはりうまい。
