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伴一彦と君塚良一・『誰かが誰かに恋してる』『踊る大捜査線 THE MOVIE』(2)

 シリーズの起爆剤となったネットコミュニティを、こともあろうに悪の巣窟として扱った『踊る大捜査線 THE MOVIE』(1998)。その逆転構造に関して、速水健朗は10年以上を経た時点でこう述べる。

 

よく君塚(引用者註:君塚良一さんの評価で「この人はネットに対して悪意を持っているんじゃないか」という意見が聞かれますけれど、物語をつくるときには、いま実際に起こっている現象を悪いやつが応用したらどうなるか、というシミュレーションのもとにつくるのって当たり前じゃないですか。ミステリ作家で言えば、ジェフリー・ディーヴァーが完全にこれをやってますよね。
 そうやってウェブ上のつながりをとおして、ある現象が拡大していく――いまで言えばAKB48もそうだと思いますが――という状況を実際に物語のなかに取り入れたという点では、かなり先駆的な作品だったのではないでしょうか」(「踊る大捜査線」とは何だったのか https://intro.ne.jp/contents/2013/01/02_2242.html

 速水の見方は正鵠を射ていると思うが、それでは君塚良一らは何故ネットを「悪いやつが応用したら」という発想に至ったのか。後押しした存在として、筆者がまたぞろ想像してしまうのは伴一彦である。

 伴はシナリオ作家としては群を抜いた早さでネットを作品に取り込み、『踊る』のテレビシリーズの前年の段階で単発ドラマ『誰かが誰かに恋してる』(1996) を発表。『誰かが』は森光子、中居正広堂本剛滝沢秀明らがネットを通じて相手の素性も判らずに魅かれ合ったり諍いを起こしたりして、最終的にパソコンで恋が語れるなんて素晴らしい、というハッピーエンドを迎える。筆者の記憶では当時中学生の滝沢秀明のハンドルネームが「おやじ」で驚かされ、そして撹乱する問題人物の正体が堂本剛で、みなのあこがれだった女性が実は森光子だと後半で露見する。映画では『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995)と『(ハル)』(1996)が既にネットに材をとっていたけれども、映画よりさらに生々しい雰囲気で、ネットには現実とはやや異なるコミュニケーションの世界が広がっていると1996年の時点で手際よく描いてみせた伴脚本の先見性は瞠目に値する。そして伴は、『踊る大捜査線 THE MOVIE』公開の半年前の連続ドラマ『WITH LOVE』(1998)では、主人公の男女(竹野内豊田中美里)がネットでは素性を知らずに心を通わせるも、実際に顔を合わせると上手くいかないというメロドラマを盛り上げて描いた(ちなみに筆者は伴と、ある飲み会で一度だけ言葉を交わしたことがあるのだが、その際も伴はスマートフォンを操作してウェブ上の写真をさがし出し、IT関係の造詣の深さをさりげなく窺わせた)。

 『誰かが』『WITH LOVE』で伴一彦はいち早くネットのプラス面を描き、ネット空間内では喧嘩はありつつも現実以上に触れ合えると捉えた。当時の伴のネットに対する姿勢は、80年代の『うちの子にかぎって…』(1984)や『パパはニュースキャスター』(1987)と同様に、君塚良一に何らかの影響を刻印した、というのが筆者の仮説である。

 速水健朗の指摘するように『踊る』ファンのムーブメント自体が、『踊る THE MOVIE』の異常者たちのヒントになったのは事実だろうけれども、それだけではなくて、伴がネットに肯定的ならば自分は全く逆のアプローチで否定的に描いたら…という発想が、君塚にはたとえ無意識だったとしてもあったのではなかろうか。先述の通り、君塚は伴に関して何も言っていないのだが、その言及のなさが怪しい。

 ちなみに『踊る THE MOVIE』の公開1年後の1999年末、日本のネット人口は2706万人で前年比59.7%増を記録。ネットを通じた犯罪も飛躍的に増加し、君塚らの解釈が時代と合致した瞬間でもあった。

 それから歳月は流れ、伴一彦はテレビや映画から事実上撤退し、小説『あなたも人を殺すわよ』(光文社文庫)やラジオドラマを執筆。一方、君塚良一は最新映画『踊る大捜査線 N.E.W.』の公開が2026年に控える。長い月日を経て『踊る』の新作が目を開くような視座を提示できるかは極めて懐疑的にならざるを得ないけれども、時代とともにかつての先導者が忘れ去られたり取り残されたりしてしまうのは特段に珍しい光景でもないだろう。『踊る』問題はまた別の角度から追ってみたい。