福井ヘロヘロ城めぐり Part.3 一乗谷編 その①

福井のお城めぐりレポートの続きです。

 

前日までに福井城と丸岡城という福井を代表する近世城郭跡を訪れたアタシが次に向かったのは「一乗谷」です。

アタシなんぞがいうまでもないのですが、一乗谷といえば戦国時代に越前を支配し、織田家とも抗争を繰り広げた朝倉氏の本拠です。ネットで一乗谷のことを調べると「日本のポンペイ」なんて記事がいくつかヒットします。織田家との戦いで一乗谷は灰燼に帰したあと田畑になっていたため、発掘調査で城下の遺構が地下に残されていたのが分かったので、そう呼ばれるようです。

 

それはさておき、30年ほど前のこと。そのころはまだインターネットは普及しておらず、お城の情報を得る手段は主に書籍や専門誌、現地で手に入れるパンフレットや資料などでした(遠い目)。そんな時代に「日本の城(世界文化社・1996年)」で見た故・香川元太郞氏による一乗谷の復元図にはドギモを抜かれましたね…狭隘な谷間に領主の居館と家臣の屋敷や町屋を配し、谷の両端には堀と土塁を設けて外部と遮断、さらには谷を見下ろす山上には城郭を設けて、谷と山全体で堅固な城塞都市として機能している様子には「これって要塞じゃないか!」と衝撃を受けました。以来、一乗谷はずっ~と訪れたいと思っていた場所だったンですね。それが今回ようやく叶ったというわけでして、今回の福井お城めぐりツアーのメインイベントといって過言ではないのでした。

 

そんなこんなでツアー2日目となりました。

 

福井駅から京福バスに乗り、30分ほどで一乗谷に到着。

一乗谷レストラントバス停で下車しました。ここまで来るまでにも上城戸跡やらの遺構っぽいものが目に入ってきましたので、早くもコーフン気味です(^_^;)

こちらの写真は現地にあった一乗谷の案内図です。

 

まずは目指したのは一乗谷東南側にそびえる山上にある一乗谷城(一乗山城)です。

一乗城山の山頂までは4つのハイキングコースが整備されており、アタシがチョイスしたのは「馬出コース」。一乗谷城の大手道とも呼ばれる道です。

 

レストランから一乗谷川渡り、北に少々進んで下城戸橋手前で脇道に入ります。途中に「権殿」という遺跡があったようですが見逃していますorz

そして、八幡神社前(馬出しコースを案内あり)を過ぎた辺りから未舗装路になります。

 

5分かからず登山口に着きました。

ここも熊注意なんですね…。

 

登山口近くには平坦地がありました。登山口の案内板には馬出・上殿地区とありましたので、これも遺構なのでしょうか? それとも休耕畑だったりして(^_^;)

 

こういった石積みもなんか遺構っぽくはありますね( ゚д゚)

 

ともあれトレイルを進みます…トレイルとはいうものの、かつての登城路だったってことでしょうかね。

 

10分ほどで「小見放城」跡の案内標識が現れました。

標識の説明によると、馬出地区を北西に望むように築かれている城跡だそうです。

 

尾根を分断する大きな堀切や、曲輪群、竪堀などがあるらしいのですが…堀切や削平地ぽい構えがあるのはなんとかなく判別できるものの、木々が茂ってちょっとよくわからなかったなぁ(´・ω・`) 

 

さらに数分登り込んで行きますと、磨崖仏が刻まれた岩がありました。

地蔵菩薩だそうです。

 

山行的な視点では、道はよく整備されていて、危険箇所やテクニカルな箇所などもありません。しかしさすがに城跡の道だけあって、登山口からずっと急坂続きですね。

山頂までの標高差はおおよそ400mありますので、なかなかに歯ごたえがありました(^_^;)

 

なお、アタシは今回ライト目な山行装備で挑んだからよかったですが(むしろ市街地が主な丸岡城跡や福井城跡散策の際には奇異に映ったハズ)、観光で麓の遺跡を見た勢いとかで「城跡があるなら見に行こう」なーんて軽い気持&軽装(とくにシューズ)で登ったりすると痛い目を見ることになるかと…。

 

そんなこんなで英林塚コースとの分岐を通過します。

ここまで登山口から40分ほど。

 

これは削平地? 城跡っぽい構造が出てきました。

 

不動清水を通過します。

不動明王を表した石仏の下から湧き出しているので、この名があるようですね。

一乗谷城内の唯一の水源なんだそうです。

 

さらに急坂を登って行きます。

 

すると、だだっ広い削平地に到着しました。

こちらは山の斜面を段階上に削平していくつかの屋敷を造成した「山上御殿群」のひとつで、千畳敷跡ですね。

 

山城内でも最も広い曲輪で、広さは東西約30m×南北約50mあるそうです。

資料によってはココ千畳敷を含む山上御殿群を本丸と書いてあるものもありましたね。

列状に並んだ礎石があるらしいのですが…よく観察しなかったです。

 

千畳敷跡の東から北は張り出した尾根が塁壁のように取り囲んでいます…それとも土塁?

出力して持っていった「一乗谷城登山ルートMAP」の縄張り図には、千畳敷の北側塁壁の上に「北櫓跡」があるというので凸ってみましたが…

 

木々をかき分けて登った先の狭い削平地がそうだったのでしょうかね?

 

いったん千畳敷跡に戻って、今度は西南側に向かいます。

土塁跡と思しき土の盛り上がりの間を通るとまた削平地になっています。

観音屋敷跡ですね。

 

三方が土塁で囲まれており、広さは東西約20m×南北約25mとのこと。

礎石も露出していることから、ここにも建物があったと推察されているようです。

 

観音屋敷跡南西の宿直跡に向かいます。

土塁と崖によって細くなった通路は、さらにクランクしていました。

 

虎口には石垣土塁が残存しているようなことが案内されていたのですが、こちらのことでしょうか?

 

宿直跡は約750平方メートルほどの削平地です。

やはり礎石跡が露出しているということですが、ここもどれがどれやら…(^_^;)

 

こちらからは北~西~南の展望が開けていて、福井平野が一望できます。

気持ちいい眺めですね。

 

南側の上城戸方面も見下ろせましたね。

 

縄張り図によると宿直跡の東側に隣接して月見櫓跡があるとのこと。

写真は宿直跡がから見上げた塁壁。この斜面は登れないので、西側から回り込んで凸ってみたのですが…跡地と思しき場所は木々が茂っていてよくわかりませんでした。

 

月見櫓跡の塁壁下に見られる大きな溝は堀跡でしょうか?

 

観音屋敷跡と月見櫓跡の間は土塁ですかね? その上が通路のようになっていました。

 

こちらも草が多くてわかりづらいですが、赤淵神社跡と思われます。

 

そんな感じで山上御殿群跡を見たあとは、山頂エリアの連続曲輪群へと向かいますが…続きます。

 

<参考資料>

福井県教育委員会特別史跡一乗谷 朝倉氏遺跡発掘調査報告Ⅰ」(1976年)

 一乗谷朝倉氏遺跡活用推進協議会「一乗谷朝倉氏遺跡ポケットガイドBOOK」「一乗谷城登山ルートMAP」「一乗谷朝倉遺跡散策MAP」

西ヶ谷恭弘・香川元太郎「日本の城 古代~戦国編」世界文化社(1996年)