晩夏(!?)の会津お城めぐり Part.2 向羽黒山城編その①

会津のお城めぐりレポートのその2です。

 

会津若松城を見て回ったアタシは会津若松市内で宿泊。

その翌日は会津若松城から約6kmほど離れた「向羽黒山城」跡を散策いたしました。

羽黒山城は、戦国時代に会津の領主として名を馳せた芦名氏の最盛期の当主・盛氏が築城したといわれる山城跡です。城跡が所在する会津美里町のパンフレットやWebサイトでは「日本最大級」の山城と称されており、遺構もよく残されているようですので、“お城男子”としては、ぜひとも訪ねたいと思っておりました。

 

ただ、問題(?)なのは今回の会津への旅行は城跡散策以外の目的もあり、城跡には微塵も興味も持たない同行者がいること。

前日の会津若松城は有名な観光名所なので城に興味がなくても見所はあるし、お土産屋さんやらカフェやらありましたので、そういう涼しいところで時間を潰しておいてくれればと思い放置しましたが、向羽黒山城はガチの山城ですからねぇ…城跡に興味のない人が竪堀跡なんぞ見たくないでしょうし、近くにカフェなどなさそうだし、城跡のある白鳳山は公園として整備されているようではありますが、この酷暑の中を屋外で待たせるってわけにはいかないよな〜と、ちょっと困りました。

 

で、どうしたかというと早朝に訪ねることにしましたww

城跡は宿泊先から30分ほどの場所なので、早朝に散策をスタートすれば、朝食までに戻ってこられるし、同行者はまだ寝ている時間なので居場所を気にする必要がない…と、考えたわけです。

 

宿泊先からの行き帰りの時間と現地での散策時間、さらに宿泊先の朝食会場に入れるリミットを考えると、なるべく早く散策を開始したいところではありましたが…山行なら日の出前の暗いうちからスタートして時間をかせぐことができるものの、城跡散策の場合は周囲が暗いと遺構が見えません(; ̄◇ ̄) 

十分に明るくなる必要がありますので、散策開始時刻を日の出から20分後に設定しました。8月終盤だと日の出は5時近く…あんまり余裕はないです。

 

ともあれ、夜明け前に出発しようとしていたのですが…部屋から出て、ホテルの出入口に行くと…

 

ウオッツ∑(゚Д゚)

 

ロックされていて出られない!

 

フロントにも誰もおらず、つかの間ボーゼンとしましたが、周囲を見回すと明かりの点いている事務室の場所がわかりました。そこにいたスタッフに頼んで無事に外に出してもらえました。

こういうご時世だから24時間出入り可能にしていないんですね(^^;)

 

そんなこんなで向羽黒山城へ向かいます。

写真は美里町に入ったあたりで写した城跡の遠景です。

 

城跡のある白鳳山は、岩崎山(408m)、羽黒山(344m)、観音山(286m)の三つの山の総称なんだそうです。麓には地元観光協会のインフォメーションセンターがあります。アタシが訪れた時間は当然ながら閉館中。

 

道路を挟んでインフォメーションセンターの反対側に城跡への入口があります。

 

こちらが向羽黒山城の想像図だそうです。

東日本最大級ってことをアピールしてますねぇ。あんまり時間がないので、どこまで見て回れることやら(; ̄◇ ̄)

 

公園内の通路を進むと1kmほど進み、出世稲荷神社の鳥居近くの駐車場にクルマを駐めました。

まずは「伝盛氏屋敷」跡へ向かいます。

 

通路はトレイルってほどではなく、よく整備されてもいました。なお、アタシはライト目のハイキングシューズを履いております。

こちらのくるみ坂方面との分岐(?)は右に進みます。

 

周囲を見回すと、自然地形ではなく明らかに人の手が入っているようす。

 

伝盛氏屋敷に到着。東西約27m、南北20~23mある平場で、屋敷と伝わっているものの、発掘調査で建物跡の遺構は確認されなかったらしい(^_^;)

 

伝盛氏屋敷の南側には、なかなかに立派な堀跡が見受けられます。

深さは約9m、上幅は約15mあるもようです。

 

堀を挟んでも平場が見受けられ、現地案内板には「北曲輪」とありました。

後で調べたところ、この北曲輪や伝盛氏屋敷の郭跡は、軍事的緊張が極度に達した状態で突貫工事をしたものの、結局は未完成のまま廃棄された可能性があるようです。現地案内板には上杉氏時代と見られるとあったのは、会津征伐時を想定しているんでしょうね。

 

訪れた順番は前後しますが、こちらは北曲輪の南側の二北曲輪群と呼ばれる郭跡のひとつですかね。

 

いったん駐車場方面へと戻り、今度は三曲輪に向かいます。

なお、現地の案内板には郭の名称については、現地案内には「三の丸」や、これから向かう二曲輪にも「二の丸」との表記もありましたが、当レポートではパンフレットや美里町観光協会のホームページからダウンロードした「向羽黒山城跡地形図」にある「三曲輪」「二曲輪」といった表記に従います。

 

で、その三曲輪ですが、なにやら伐採でもされたような、開けた斜面が現れました。

 

斜面に立つと北東側の眺望が開けてます。

 

ここが三曲輪なの? といぶかしんだのですが、現地案内表示には「向羽黒山三の丸跡」とあります。この時は腑に落ちなかったのですが…後で調べると、ここは平場の肩の部分を削り、町のスキー場として造成された場所だったようです。

 

斜面を登ってみると上方に削平地がありましたので、こういう平場を連ねて三曲輪を構成していたのでしょうかね?

 

お次は二曲輪に向かいます。

整備された園路を進みます。三曲輪を西から南に向かって回り込むように道が延びています。ハイキングコースでもあるようで、実によく整備されていましたね。

 

園路の途中にあるげんべ沼。

美里町観光協会のホームページによると、馬の洗い場と伝えられており、沼の形がわらで作った冬の履物(げんべ)に似ているところからこの名が付いたんだそうです。

 

さらに二曲輪方面に向かう園路を進みます。

この道は往事の城内の道とは異なっているようですが、二曲輪へ向って高度を上げていきます。

 

このような見事な堀跡も見受けられます。

西北曲輪群の堀跡と思われます(*´Д`*)

 

竪堀跡。

二西曲輪群から西に延びる竪堀かな?

 

さらに二曲輪削平部の北から西に下部に展開する二西曲輪群に入ったもよう。

この辺りは、堀、土塁、削平地などの遺構が重層的に展開していて、アタシの頭の中で城跡の構造を把握しきれませんでした…ですので城の構えは後で考証することにして、とりあえず写真を撮ることに専念します。

 

…ですが、後で写真を見返してもよくわからないorz

それだけ複雑な縄張りだったってことでしょう(^_^;)

この平場は二西曲輪群のひとつの帯曲輪かな?

 

こちらは「水の手」の西側辺り? 堀なのか土塁なのか? 写真の真ん中の土塁の切れ目みたいのは城道なのか?

う~む(; ̄◇ ̄)

 

さらに二曲輪西直下に出ました。写真右手は二曲輪の塁壁で、左手は土塁後かな? 

 

土塁の奥に誘い込まれるように進んで振り返ると…オオッツ(゚Д゚)

虎口跡だったのね。

水の手方面から二曲輪へのルート上の虎口みたいですね。

石積みの跡っぽい構造が見受けられる…気がする(^_^;)

 

虎口の先には空堀および土塁がありました。標識があってわかりやすい(^_^;)

写真手前の石積みもどうやら遺構だったようです。

 

土塁を過ぎると城道跡の案内がありました。

 

どうやらこちらの写真の真ん中奥に向かって城道が三曲輪方面に延びていたもよう。

 

園路に戻って二曲輪に向かいます。

 

ってな感じで、二曲輪に到着いたしました。

…続きます。

 

<参考資料>

会津美里町教育委員会生涯学習課文化係「史跡向羽黒山城整備計画書」(平成23年