晩夏(!?)の会津お城めぐり Part.1 会津若松城編その②

本年(2025年)の8月最後の週末に会津若松城を散策した際のレポートの続きです。

北出丸を出て三岐濠に沿って東に進みます。こちらの写真は本丸方面を眺めたところ

 

堀の分岐箇所…なるほどだから三岐濠なのかと思ったことはさておき、写真右が本丸で左が二の丸の伏兵郭になります。写真の奥の方へと二の丸と本丸を隔てる堀が続いています。奥を見ると本丸からの張り出しがあり、この上には櫓があったようです…ほんとありとあらゆる方向から攻撃できるんですね(; ̄◇ ̄)

 

北の丸伏兵郭の北端。ここが尖っているのも死角を減らすためでしょうか? 

 

三の丸北側の堀まで来ました。ここが取水口になっているのかな?

 

三の丸の内側から土塁を撮ったところです。

現地案内板には埋門跡との説明がありましたが…ちょっとよくわからなかったです( ̄д ̄;)

 

三の丸二の丸の東側をぐるっと取りまく大きな郭ですが、大半が改変されているようです。写真は三の丸跡の北側に建つ福島県立博物館ですね。

 

二の丸に近い博物館の駐車場はちょっと雰囲気が感じられたかな?

 

三の丸と二の丸伏兵郭間の堀跡。

 

三の丸駐車場近くには新島八重さんの像が建っておりました。

 

駐車場と陸上競技場の縁辺りが三の丸の堀跡でしょうか?

 

二の丸に向かいますが…この辺りで強い雨に降られてしまいレインウエアを着込みました。カメラが濡れないようにレインウエアの内側に入れていたため、ちょっと写真の数が少なくて、二の丸東門跡もこんな写真しかありませんorz

 

二の丸に入る手前で眺めた瓢箪濠。この時は雨のため足早にスルーしてしまいましたが、今見るとこちらの堀もかなり深いですね。

 

こちらは二の丸に入ってから虎口を見たところです。現地案内版によると、かつてはこの虎口も石垣により枡形が形成されていたそうです。石垣の面に門の柱を当てた痕跡があるとのことで、写真の左側石垣にある細長い長方形の溝がそれでしょうか?

 

こちらの写真右側も石垣がもっと左へと伸びて門が構えられていたもようです。

 

幕末の二の丸には米蔵や書物蔵などがあったもよう。現在は芝地になっていました。前に訪れた際にはテニスコートがあったのですが、令和になってから撤去されたんだそうです。

 

先ほど北出丸の大手側から二の丸を見ましたが、その逆方向から見たところ。

緑が濃いものの、かろうじて北出丸の石垣が見えます。

現地案内板に、北側の一段低くなっている場所が元は馬場脇丸といったとあるのですが、伏兵郭のことを言っているのかしら?

その伏兵郭の大半は今もテニスコートになっておりました。

 

郭の掘に面する端は土塁がとりまいております。

 

二の丸南側の土塁。こちらも雁木が設けてありますね

 

二の丸南門の石垣を三の丸側から見たところ。二の丸南門も枡形が形成されていたようですが、堀側の石垣が撤去されたもようです。

 

二の丸と三の丸を隔てる瓢箪濠の南側部分です。

 

ふたたび三の丸(の南側)に入りました。現在は児童公園になっています。

 

五軒丁濠越しに本丸を眺めたところ。緑がかなり濃いですが写真中央の張り出しは、茶壺櫓の辺りでしょうかね。

 

二の丸に戻って本丸に向かいます。

 

二の丸と本丸間の廊下橋を渡ります。

現地案内板によると、廊下橋という名前は、蒲生氏郷に時代に屋根のある橋があったことに由来するんだそうです。

 

こちらが会津若松城の見所のひとつである高石垣ですね。廊下橋から眺めて南側の石垣は城内で最も高く、約19mあるそうです。

布積みで、曲線的な敬樹は扇の勾配または宮勾配とも呼ばれるとのこと。

 

廊下橋から北側の眺め。

ここも緑が濃いですが…御弓櫓の張り出しがあって、思い切り横矢がかかってますね(;゚д゚)

 

橋を渡っていても目の前を頑強な石垣が立ちふさがるので、本丸内を見通すことはできません

 

通路は右折れ。往事にはここに廊下橋門が構えられていたもよう。

 

枡形を構成する北側の石垣を見上げます。すげー迫力ですね。

 

枡形を内側から眺めたところです。

さすがに本丸を守る門だけありますねぇ。

 

お次は本丸内の散策ですが…続きます。