本年(2025年)の1月に、茨城県の県央から県西部エリアの城跡めぐりをした際のレポート・笠間城編の続きになります。

佐白山(城山)の三角点が設置されている本丸南西側の大土塁から下りて、お次は本丸の東側の天守曲輪へと向かいます。
なお、本丸南端にも櫓台跡があるようなのですが、アタシにはちょっとわかりませんでしてね(^_^;)

天守曲輪へ向かう虎口の辺りには門跡?

生い茂った笹でちょっと見えづらいですが、本丸東側の堀跡ですね。

天守台跡に向かう通路には石段がありましたが、これは往事からのものなのでしょうか?

石段の脇にあった石柱。
もうちょっと引きの写真を撮っておいてほしかった…自分(^_^;)

そんなこんなで天守台跡の石垣が見えてきました。

天守曲輪の石垣は蒲生氏が城主だった時代に築かれたと考えられているそうです。

天守櫓跡には現在は佐志能神社が鎮座しているのですが、東日本大震災の影響で立入禁止。

やむなく天守台跡をあとにして、ピークを巻くように東側に出ると巨岩が露出した石倉という場所に出ました。

岩には切り出し作業した思しき跡も見受けられましたね。

本丸から駐車場る途中に見受けられた、本丸塁壁の北側の石垣。

駐車場の東側の通路を進んだ先にも石垣が残っておりました。

現地案内板やパンフレットに「笠間城跡北西側の遺構」と載っている場所にも行ってみました。駐車場から上の写真の石垣まで行く通路の途中からアプローチします。

数段に重なる郭跡のようです。
尾根を削って削平したのでしょうか?

正保城絵図に「侍屋敷」と描かれた場所なのだと思いますが、下るにつれて郭跡のサイズが大きくなっていきます。
こちらの写真のフラットスペースが先端部分でしょうか? かなり広さがあり、時間節約のためにも全部を見て回ることは断念。

駐車場の北側に位置する正福寺跡(笠間百坊旧跡)にも足を伸ばしました。

こちらも段状の郭っぽい作りになっていて、実質的に笠間城の遺構なのでしょうかね。

さらに正福寺跡東側の遺構にも行きます。

ピーク(?)上が削平されており、こちらも笠間城の施設のひとつだったのだと思われました。
ってな感じで、城跡公園とその周辺の散策はこれくらいで切り上げます。

先ほど跡地だけ見た八幡櫓は、城跡公園からクルマで5分ほど北側にある真浄寺に移築されております。
平時は武器貯蔵庫に、戦時は物見に使われおり、現在の地には明治13年(1880年)に移されたとのこと。

江戸期の笠間城は浅野氏が藩主となると、藩庁が麓の下屋敷に移ったそうです。
現在の山麓公園がその跡地なのだそうですが、アタシは見逃してしまいましたorz
ただ、見たのは浅野家の家老である大石邸跡はチラ見しました。

なお、赤穂浪士で有名な大石内蔵助良雄は、浅野家および大石家が赤穂へと移る前に笠間の地で生まれたようです。

せっかく笠間市まで来たので笠間稲荷にもご挨拶。
ってな感じの笠間城への訪城でしたが、駆け足の散策でしたがこれまた想定していたよりも時間がかかってしまいました。
まぁ、それだけ見応えのある城跡だったってことで、なかなかに満足できたのですが…とにもかくにもお次の城跡に向かった次第です。
<参考資料>
新人物往来社「日本城郭体系 第4巻 茨城・栃木・群馬」
笠間市教育委員会 教育部 生涯学習課 文化振興室「笠間市指定史跡 笠間城跡」(令和6年)
笠間市市長公室秘書課「広報かさま 2023年10月号」