2026年の読書は、衝撃的な一冊から始まった。ミリアム・ルロワ著『わたしがナチスに首をはねられるまで』。タイトルからして戦慄を覚えるが、読み終えた今、私の心に刻まれているのは、理不尽な死の記録以上に、一人の女性が「自分自身を取り戻そうとした」あまりにも純粋で、それゆえに危うい生の軌跡である。
物語の主人公は、マリーナ・マルターエフ。ロシア革命を逃れ、ベルギーへと辿り着いた亡命ロシア人だ。ナチス占領下のブリュッセルで、彼女はなぜ、そしていかにして「レジスタンス」へと足を踏み入れたのか。
私が特に強く惹かれたのは、彼女が抵抗を決意する瞬間の心理描写だ。彼女は、ナチスの過酷な規則を掻いくぐり、密かにラジオを聴くユダヤ人たちの姿を見て、ある種の高揚感を覚える。それは崇高な政治的使命感というよりも、もっと根源的な、「規則に逆らいたい」という衝動に近いものとして描かれる。
「規則に逆らうこと。規則とそれをつくっている連中(に抗うこと)……」。
自由を奪われた極限状態において、禁じられた行為に手を染めることは、自らの主体性を確認するための唯一の手段だったのかもしれない。無国籍者(アパトリード)としてどこにも属せない孤独、帝政ロシアへの郷愁。そんな不安定なアイデンティティを抱えた彼女にとって、ビラを貼り、放送を訳すという行為は、世界に対して「私はここにいる」と叫ぶための言葉そのものだったのではないか。
本書が秀逸なのは、マリーナを単なる「悲劇のヒロイン」として神格化しない点にある。訳者あとがきにもある通り、著者は徹底した調査に基づき、彼女の生身の姿を浮き彫りにする。一目惚れで結婚し、子供を育て、その傍らでナチスへの小さな抵抗を繰り返す。その日常の延長線上に、あまりにも無機質で、しかしあまりにも残酷な「斬首刑」という結末が待っている。
ベルギーではフランスほどレジスタンスが活発ではなく、むしろ融和的な空気が流れていたという背景も、彼女の孤独な戦いを際立たせる。周囲が適応し、沈黙を守る中で、なぜ彼女だけが首をはねられなければならなかったのか。その問いは、現代に生きる私たちの「服従」と「抵抗」の境界線をも鋭く問い直してくる。
忘れ去られていた一人の女性の声を、現代の作家が執念深く掘り起こし、再び命を吹き込んだ。この営み自体が、歴史の忘却に対する一つの抵抗の形であると言えるだろう。2025年に読み進めてきた「自由」や「合理性」を巡る数々の論考の後に、このマリーナの生を辿ったことは、私にとって非常に大きな意味を持つ経験となった。