さいたま市立岩槻図書館所蔵

2025/06/30 大宮図書館より借入
2025/07/11 読了
2025/07/13 大宮図書館へ返却
すみません。楽して、Gemini 2.5 Pro に私の特に印象に残った箇所を読み込ませて、レビューを書いてもらいました。
私たちはどこから来て、何者であり、どこへ行くのか。この根源的な問いに対し、古代インドの賢者たちは、外なる宇宙ではなく、自らの内なる宇宙の探求へと分け入っていきました。本書『古代インドの神秘思想』は、その思索の結晶である「ウパニシャッド」の世界を、インド哲学の泰斗である著者が明晰な筆致で解き明かす、時代を超えた名著です。
私が本書を読んでまず魅了されたのは、ウパニシャッドが誕生した歴史的背景です。古代インドの聖典「ヴェーダ」の最後に位置するウパニシャッドは、それまでの神々への供犠を中心とした「祭式から哲学へ」と、人間の知性が大きく舵を切った時代の産物です。そこではもはや、「祭祀の実行よりも、人を解脱にみちびく哲学的『知識』の方がいっそう重要と考えられるように」なりました。
その知識の頂点に立つのが、「梵我一如」という壮大な思想です。本書が繰り返し光を当てる「われはブラフマンなり」「おまえはそれである」という二つの有名な句は、この思想を端的に表しています。アートマン(個人の本質、真の自己)とブラフマン(宇宙の根本原理、最高実在)は、究極的には同一である、と。賢者ウッダーラカが息子に教えるように、この真理は客観的な知識としてではなく、「自己の内奥にそれを見出すこと」、すなわち直接的な神秘体験を通してのみ悟られるのです。
本書は、この深遠な思想を説いた賢者たちの個性的な姿を生き生きと描き出します。ある賢者シャーンディリヤは、「この心臓の内部にある私のアートマンは、地より大きく、空界より大きく、天より大きい」と語り、小宇宙である自己の内に大宇宙を超える無限を見出します。一方で、本書が最も多くの紙幅を割く偉大な哲人ヤージニャヴァルキヤは、より徹底した思索を展開します。彼によれば、アートマンとは、あらゆる認識活動の根底にある純粋な「認識主体」であり、それ自体を対象として捉えることはできません。それは、「『見るものを見る』ことのできる認識主体」なのです。この究極の実在は、言葉による肯定的な定義を一切拒絶し、「『非ず、非ず』」という否定の道を通してのみ、その輪郭がおぼろげに示されるのです。
本書は、ウパニシャッドの思想が、ショーペンハウアーを魅了しただけでなく、マイスター・エックハルトのキリスト教神秘主義やイスラムのスーフィズムとも「内的な親縁関係を持つ」普遍的な叡智であることを示唆しています。古代インドの賢者たちが到達した思索の深淵へと私たちを導いてくれる、これ以上ない知的冒険の書です。
アートマンとブラフマン。「梵我一如」。やっぱりインドはいい。西欧を遥かに超えている。インド、住むには困難だが哲学はすばらしい。