カタカナ語の里帰り
先週、日本に居住して17年のイギリス人の動画を見たときのことです。カフェで「ストロベリーケーキ、プリーズ」と言った動画配信者の彼女に、店員さんは「Sorry?」と首をかしげます。あれ、おかしいな。ケーキって万国共通語じゃなかったの? 念のため「ストロベリー……ケーキ」と、日本で言うときより丁寧に、そしてちょっと鼻にかけて言い直してみたのですが、それでも通じない。
あれこれ言い直すうちに、ついには絵を描いていました。店員さんは困惑した顔のまま、別のスタッフを呼んできました。その時ようやく、「ああ、ケェイクね!」と発音してくれたスタッフの声を聞き、深くうなずく彼女。カタカナ語の発音は、日本で育てばすっかり「和」風味になるのだと、痛感した瞬間でした。
ほかの人の動画も同じような経験をしたらしい。ドイツでのこと。ホテルの朝食ビュッフェで、手に取ったものを「ハンバーグ!」と喜んでいたら、それはなんと肉団子の煮込み。「ジャーマンミートボールだよ」と言われて、少し気恥ずかしくなりなったそうです。ハンバーグとミートボールの間に立つ、言葉のギャップに思いを馳せました。
そして、「ジュース」問題。アメリカでオレンジジュースを頼んだら、「100%だけど大丈夫?」と聞かれるんですって。大丈夫も何も、日本で「ジュース」といえば、糖分と香料と水のトリオが基本。100%はむしろ「果汁100%」と、別格扱いされています。味よりまず、文字が先行する国、日本。
そう考えると、カタカナ語というのは、まるで日本で育った“帰国子女”みたいなもの。母国の言葉を話すけれど、発音や使い方には日本らしさがにじむ。そしてその“個性”を、本人(カタカナ語)は全く気にしていない。むしろ堂々と、「ジュースって言ったら、あれでしょ?」という顔をしているのです。
私たちもそう。外国へ行って、通じなくても恥ずかしがることはありません。だってそれは、日本語という大きな家庭で、大切に育てられた言葉たちなのですから。
ちょっとおかしくて、でも愛おしい、そんなカタカナ語との付き合い方。今日もまた、「アイスコーヒー」を片手に、日本の喫茶店でほっと一息つく私です。
京都と万博と、にぎやかな季節
大阪で万博が開催されているおかげか、最近、京都の街がにわかに国際色を帯びてきました。オンラインでやりとりをしている知人から、「観光のお客さんが増えているんですよ」と知らせが届きました。画面越しに彼女の話を聞きながら、見知らぬ国からやって来た人たちが、石畳の通りを歩いている様子を、そっと思い描きます。
街中では、あちこちから外国語が聞こえてきます。ふだん馴染みのある風景に、少しだけ異国の風が混ざり込むと、それだけで何だか心が浮き立つものですね。万博のマスコット「ミャクミャク」と写真を撮る人たちの姿もあちこちに見られるようになって、京都の街並みが、いっそう華やいで見える気がします。
一方で、大阪のほうも賑やかになっていると聞きます。人が集うところには、自然と活気が生まれるものなのでしょう。ただ、ふと気になったのは、大阪にも地蔵さまがいらっしゃるのかということ。京都で見かける、道端の小さなお地蔵さまは、観光の喧騒のなかでも、そっとこちらを見守ってくれているようで、その姿にいつも心が和みます。
万博という大きなイベントが、人を呼び、文化を結びつけ、そしてまた、その中で静けさに出会える場も生まれる。京都と大阪、それぞれの町がもつ魅力が、そんな多様な顔を見せてくれているのかもしれません。にぎわいのなかにも、そっと足を止めて味わいたい風景が、きっとあるのだと思うのです。
待てば海路の日和あり~株の買い方のコツ、教えます~
夫は、配当の出る株を少しずつ買っています。
夫は不安そうなわたしに、「うん、今ちょっと安くなってるからね」と言います。
株価が下がると私などは、なんだか損をしているような気がしてそわそわするのですが、夫は意に介さないようです。
「だって、配当が入るんだよ。それが続くかぎり、大丈夫」
夫は、インターネットの証券会社で、株の売買などをやっています。
その配当の通知書を小さなファイルにまとめて、それをまた、投資にまわす。几帳面というよりは、楽しみにしているように見えて、なんだか微笑ましい。
若いころは「投資なんて、危ないもの」と思い込んでいた私も、夫の様子を見ているうちに、考えが少しずつ変わってきました。
配当株は、いわば静かに実をつける果樹のようなものかもしれません。日々の変化には騒がず、気長に待てば、年に何度か、確かな実りを与えてくれる。
派手さはないけれど、心のどこかに安心感を灯すような、そんな投資のかたちもあるのだと、夫に教えられた気がします。
先月、女子会があったときに、「いまが株の買い時よ」という話になりました。現在、トランプの言葉に振りまわされて、市場が大荒れになっています。だから友だちは、銀行に預けるよりは株に投資しようかと思っているようです。
待てば海路の日和ありというのが、NISAの特徴。うろたえてすぐ売るのではなく、じっと待って配当を待つのが吉かもしれません。
愛着からはじまるドキドキの旅
朝10時。長らく連れ添ったエアコンが、ついに交代のときを迎えた。10年以上も使ったのだから、もはや健気というべきか。よく働いてくれた。夏はもちろん、冬にも空気を回してくれる存在だったから、愛着はひとしおだった。
新しいエアコンの取り付け工事は、予告通り始まったのだけれど、ここで一つ、私の心臓が少し速く打ち始めた。あ、駐車場の使用許可証……。
気づいたときには、作業車がマンションの敷地内にすでに止まっていた。慌てて管理人さんに連絡を取ろうとしたけれど、なんとその日はお休み。マンションの担当者もお休みとのこと。つまり、誰も「いいですよ」と言ってくれる人がいないということ。
マンションを購入した業者さんに電話を入れてみたが、「たぶん大丈夫だとは思いますけど、もし何か言われても、うちは責任取れませんからね」との冷静な声。まるで他人事のようで、私はますます落ち着かなくなった。
工事は思いのほか長引いて、終わったのは16時を回ったころ。幸いなことに、誰からもクレームは来なかった。でもその間、私はというと、心の中でずっと小さな太鼓を叩かれているようだった。
静かに風を送る新しいエアコンの音が、その日の終わりに少しだけ安堵をくれた。けれど、今度こういう工事があるときは、もっと早めに段取りを確認しようと、強く思ったのだった。
コーヒーで一服──小さな贅沢、ささやかな私の時間(その2)
今週のお題「コーヒー」
朝、少し早起きできた日は、それだけで得したような気持ちになります。そんな朝には、いつもより丁寧に珈琲を淹れてみたくなります。台所に立ち、ガラスのサーバーにお湯を注ぐと、湯気がふわりと立ちのぼり、部屋の空気がやわらかく変わるのがわかります。
珈琲の香りは、不思議と気持ちを落ち着かせてくれます。アロマキャンドルがあればいいのにな、とひそかに憧れたり、窓辺から部屋に光が当たるのを眺めたりすると、まるで自分だけの小さなカフェにいるよう。椅子も、姿勢よく座れるものを選ぶと、時間の流れまで丁寧に感じられるから不思議です。
最近は、珈琲豆にも興味が出てきました。ブラジルの深いコク、エチオピアの華やかな香り、グアテマラのバランスの良さ……飲んだことはないけれど、同じ珈琲でも、産地によってこんなにも表情が違うのかと驚く声に憧れがさらにアップ。少し贅沢だけれど、有機栽培の豆や豆乳でラテを作ってみたいという気持ちもあります。
日本には、季節ごとの楽しみもあります。調べてみると、夏には冷たいアフォガート、冬にはシナモンをひとふり。春には桜のフレーバーを選んでみたり。季節の移ろいを、五感で味わえる時間がここにあります。
そして珈琲は、誰かとの時間にもよく似合います。家族との時間はもちろん、最近はサークルの会員達にも、LINEで「今日は何を飲んでる?」と話のきっかけになることもしばしば。画面越しでも、珈琲があると不思議と会話がやさしくなる気がします。
ひとりの時間も、珈琲とともにあると創造的に変わります。ノートを開いて、ふと思いついたことを書きとめたり、気ままにスケッチしてみたり。あ、こんなアイデア、いつの間に浮かんでいたんだろう。そんな小さな発見も、珈琲時間の醍醐味かもしれません。
ちょっとした演出も、日々を彩ってくれます。ミルクを泡立ててラテアートに挑戦してみたり、手作りのスイーツを添えてみたり。お気に入りのコースターを敷くと、それだけでテーブルの風景が変わります。
珈琲の時間は、毎日のなかの、ほんの短いひととき。でも、そのひとときがあるだけで、日々が少し豊かになるように思うのです。
コーヒーで一服──小さな贅沢、ささやかな私の時間(その1)
今週のお題「コーヒー」
朝の静けさに、豆を挽く音がカリカリと響く。その音が、まだ眠りの残る身体と心を、ゆっくりと現実に連れ戻してくれる。コーヒーの香ばしい香りが、台所いっぱいに広がるころ、ようやく「今日」という日を受け入れる気持ちになる。
コーヒーとひと口に言っても、その楽しみ方はさまざまだ。冷たくシャープなアイスコーヒーは、夏の朝の目覚ましにぴったり。ほろ苦さが身体の隅々まで染みわたるようで、汗ばむ季節にも不思議と心が整う。
一方、ふんわりとミルクを加えたカフェラテは、午後の休憩時間に。仕事の手をいったん止め、ふうっと一息つく。お気に入りのマグカップに注いだラテの表面に、スチームミルクがつくる泡が、まるで雲のようにやさしく浮かんでいる。そこにバニラやキャラメルのシロップをひとたらしするだけで、その日の気分も少し変わるから不思議だ。
コーヒーには、ちょっとしたお供がよく似合う。スコーンのさっくり感、マドレーヌのしっとり感。あるいは小さなチョコレートや、酸味のきいたドライフルーツもいい。どれも「頑張った私」への小さなご褒美である。
そんな時間をもっと豊かにしてくれるのは、景色や音楽、本との相性。窓辺に座り、ぼんやり外を眺めながら飲むコーヒーには、時間がゆるやかに流れる感覚がある。お気に入りのピアノのCDを流したり、小説のページをめくったり。コーヒーは、そんな静かなひとときをそっと引き立ててくれる存在だ。
私には、こだわりの道具たちもある。手になじむマグカップ、丁寧にお湯を注げるドリッパー、香りを逃さないミルや保温ポットも、気づけばもう何年の付き合いだろう。どれも大切な「コーヒーの時間」のパートナーだ。
「特別」ではないけれど、「ちゃんとした」時間を過ごすこと。それが、日々を自分らしく生きるための、大切な儀式なのかもしれない。