他者を無知だと苦しく言う者は、大抵、己の無知さを他人に指摘されるのをおそれている者である。橋下氏の場合は、その典型である。「他国だってやっている」というような答弁は、万引きを見つかって叱られて、「他人だってやっている」という答弁と同じであり、極めてレベルが低い。本物とは、己もなれけば他人も無く、ただただ真理を追究しようとする。という態度をとる。ものである。己の知っている範囲の知識や、考えを絶対視し、我を通そうとするのは、学者にあっては三流以下である。
「他の国はどうだの」とか言って自分の発言に対する攻撃の矛先をすり替えようとする、見え透いた、おそまつなとり繕いは見苦しい。
医者だって皆、患者の病気を何とか治そうと努力し、治れば嬉しく思う。それは患者の幸福を純粋に喜ぶ気持ち、であると同時に、オレが治した、という自分の誇り、プライドとなるからである。つまり、半分は他人のためであり、半分は自分のための行為である。政治家にしても、また然り。である。
自分の治療法に従わないなら、勝手にしろ、というような医者は、単なるわがまま医者に過ぎない。
まず、歴史を完全に正確に認識することは不可能である、という当然の前提から歴史を考えなければならない。
従軍慰安婦の問題を論じだすとドロ沼である。様々なケースがあって、その全部を正確に把握することは不可能である。
氏は、自分の非を認めてしまうと、格好悪い、という自分の面子にとらわれてしまっている。一度、自分の非を認めてしまうと、自分の人格の全てが瓦解してしまうことをおそれているように見受けられる。
氏は虚勢をはっているが、それは、真の強さからではない。氏の虚勢の源泉は、自分は大阪市長として選ばれた、という自負ゆえと見受けられる。
しかし。その人が社会に存在することで社会が面白くなるような人を無下に、全否定したり全肯定したりすべきでもない。とも思うが。