謹賀新年
明けましておめでとうございます。
今年が皆様にとって良い年でありますよに
謹賀新年
明けましておめでとうございます。
今年が皆様にとって良い年でありますよに
今年書いた小説
1 OLとおじさんの恋・・・・3月21日(金)
2 コンタクト眼科医の恋・・・・4月9日(火)
3 高校野球小説「頭脳的勝利」・・・・4月29日(火)
4 伯父の妻と甥の恋・・・・5月14日(水)
5 gooブログ殺人事件・・・・5月18日(日)
6 光子と三人の少年・・・・5月27日(火)
7 住専問題「政治パロディー小説」・・・・6月6日
8 女教師と硬派生徒・・・・6月15日(日)
10 栄小学校の女の先生・・・・8月31日
11 女税理士と男女二人の部下・・・・12月25日(木)
12 RIZIN・・・・12月25日(木)
の12作品である。
今年は色々と忙しかった。
太極拳の、24式、32式、42式、48式を覚えた。
スポーツクラブでフラダンスをやってみた。ハンドモーションは難しくないが腰の動かし方が難しい。男でフラダンス教室に出た変わり者はもちろん僕一人である。フラダンスとは女がやるものである。
卓球をやるようになった。
Gooブログがなくなってしまうので焦った。色々と調べてみたが、ブログの引っ越し方がわからない。ある個人のパソコン教室で教えてもらって何とか引っ越しが出来た。
7月12日に父親が死んだ。
10月12日に左の足首を捻挫した。幸い前距腓靭帯、他、靭帯は切れなかった。しかし、歩くと痛く、足底筋膜症になった。左足の片足で立てなくなって、足の筋力が弱って、寝たきりになってしまうかもと焦った。しかしネットで徹底的に調べて、スクワットしたり、サポーターを色々と選んだり、足のストレッチをしたり、踵の高い靴を買ったりして、何とかほとんど元にもどって運動も出来るようになった。地獄からの生還である。
スマートフォンの使い方を学ぶために、近くにある携帯電話ショップのスマホ教室に全部、出た。それでスマートフォンの使い方は一応、わかった。しかし、使い方がわかっても、スマホを使う気にはなれない。
父親が死んだ
2025年7月12日に死んだ。
なので95歳で死んだ。
父親は昭和5年(1930年)に生まれた。
父親の父親は陸軍の事務で働いていて昭和45年(1945年)の終戦で沖縄で玉砕した。
父親の兄弟は兄と姉がいた。
父親の家系には喘息があり父親も喘息で、父親の兄も喘息で49歳で喘息重積発作で死んだ。
父親の姉は小児麻痺でビッコだった。しかし琴(生田流)を学んで琴の先生になった。しかし僕が高校1年生の時に自動車にはねられて死んだ。
父親の父が死んでしまったので父親は大学には進学できなかった。
なので高卒である。
しかし父親は英語が得意で、大阪商船三井船舶という一流企業が英語を話せる人を即戦力として募集していたので、それに応募したら採用された。
僕が生まれたのは東京の大田区の病院である。
僕の幼少で記憶しているのは埼玉県草加市の松原団地の幼稚園の時からである。
幼稚園の通園バスに乗って幼稚園に通っていた。
父親はサラリーマンで毎朝、松原団地駅から電車に乗って赤坂見附にある大阪商船三井船舶の本社に通っていた。
帰りは遅く夜、帰ってくることが多かった。
父親の性格は無口で他人との付き合いが苦手だが几帳面にコツコツ真面目に自分の仕事をする性格だった。僕も内向的で無口である。なので父親と腹を割って話をするということは全くなかった。しかし子供の頃は父親は僕に親切にしてくれた(愛は感じなかったが)。
僕の母親は父親とは正反対の性格で明るく社交的で誰とでもすぐに友達になれるような性格である。父親と母親は共にクリスチャンということで結婚した。
僕には1つ年上の姉がいる。
しかし僕は姉とも両親とも一緒に遊ぶということは、ほとんどなかった。
僕も幼少の頃から喘息で病弱で内向的で無口な子だった。
なので幼稚園に行くのがつらかった。
友達が出来ないからである。
幼稚園が終わると栄小学校に入学した。
しかし小学校でも友達は出来なかった。
なのでテレビを見たりプラモデルを作ったりして家で一人で遊んでいた。
小学校2年の初夏の頃に、親は僕の喘息治療のために、神奈川県の二ノ宮にある喘息の施設に入れることにした。それで僕は二ノ宮の喘息の施設に入った。親と別れてもホームシックになるということは全くなかった。喘息の施設に入っても最初は一人ぼっちだったが、みな喘息もちなので皆と友達になれた。友達と一緒に野球をやったりして遊んだ。
そこは小学校3年の終わりまで過ごした。
そして小学校4年から再び松原団地へもどって栄小学校に転校した。
しかし、やはり皆元気なので友達は出来ず、また一人ぼっちになってしまった。
この頃、父親と母親が意見の相違が起こっていた。
二人ともキリスト教徒でクリスチャンだが、何か知らないが考えが異なっていた。
それで父親と母親は一緒に住めないようになってしまった。
それで小学校5年から僕と母親は母親の実家である静岡県の金谷に引っ越すことになった。
ある夜、母親は発狂してしまい精神病院に入院することになった。
しかし僕は母親をたいして好きでもなかったので何とも思わなかった。
僕は金谷小学校に転入したが、ここでも友達は出来なかった。
5年の初夏に僕はまた、喘息の施設である川奈臨海学園に入った。
ここでは皆と友達になれた。
それまで僕は学校の勉強は興味なかったが、ある時、先生に褒められたことで嬉しくなって勉強に打ち込むようになった。
ここは小学校6年までなので中学校はどうするか迷った。
また父親が鎌倉市の大船に土地を買い家を建てた。
なので家族は大船の家に住むことになった。
なぜ大船かというと、家のすぐ近くに父親の母と姉(ビッコの琴の先生)が一緒に住んでいる家があって、父親は自分の母とビッコの姉の面倒をみるためである。
僕も中学校は大船のどこかの中学校に入ることになる。
しかし僕は喘息で病弱なので元気な普通の学校に入ると、また一人ぼっちになってしまうことをおそれた。
それで母親の母校である東京の東久留米市にある自由学園に入ることに決めた。
理由は自由学園は普通の学校より、おとなしい人達が入る学校というイメージがあったからである。人数も40人の1クラスだけである。なので多人数の学校よりは一人ぼっちにならないだろうと思ったからである。
学園長の羽仁恵子は母親を知っていて、姉も自由学園の女子部に入っていた。
なので中学は自由学園に入った。
大船から東久留米市に電車で通うことは出来ないので寮に入った。
しかしここも体力のあるヤツばかりで、皆と友達にはなれたが、皆、勉強などせず遊んでばかりだった。
土日には大船の家に行った。
この頃から父親が威張るようになった。
大阪商船三井船舶は一流会社で東大、一ツ橋、慶応、などの一流大学卒しか採用しない。
高卒と大卒では給料も昇進も差があり、父親は高卒なので大卒に劣等感を持っていた。
父親は課長になったが、そもそも父親は社交性や指導力がないため部下を上手く使うことが出来ない。そして酒を飲むようになった。
家では会社での不満を家族に八つ当たりして威張って、それでストレス発散するようになった。
「親と子は対等じゃない」
「親から自立して一人前になってからモノを言え」
「威張りたければ自立してからにしろ」
父親は威張ることが当たり前だと思っているのである。
そして高卒なので一流大学を出た大卒に対してコンプレックスが強いのである。
なので僕は父親が嫌いになり、父親は反面教師であり、「あんな人間にはなりたくない」と思うようになった。
また僕も将来、何になるか迷っていた。
自由学園なんて低レベルの学校の大学部に行く気にはなれなかった。
それで受験勉強を必死にして奈良県立医科大学に合格することが出来た。
すると父親の態度がコロッと180度、変わった。
「よくやった。人生で一番、嬉しい」
「学費と生活費は出すから一意専心、医学の勉強に打ち込め」
しかしその時、僕は過敏性腸症候群という、つらい病気を発症していたため、
「医者にかかりたい。過敏性腸症候群に詳しい医者にかかりたい」
「生きているだけでもつらい。膨大な医学部の勉強など出来ない」
と訴えた。しかし父親は聞く耳をもたない。
父親も喘息もちなので喘息の苦しみは理解してくれるのである。
しかし「過敏性腸症候群」と言っても、父親はそれがどんな病気であるか、知ろうともしない。人間、ストレスになると胃が痛くなったり下痢したりするから、その程度だろう、という理解しかしてくれない。
なので仕方なく僕は奈良県立医科大学に入学し、大学に近いアパートに移り住んだ。
「絶対ストレートで卒業など出来っこない」
「頑張れるまで頑張ろう」
「いつか休学することになるだろう」
という特攻精神で大学の勉強に打ち込んだ。
毎日つめこみ勉強。休日も勉強。それと過敏性腸症候群に詳しい医者を探すため、奈良県や大阪府で、精神科クリニック、や、心療内科を探した。
それで何とか頑張った。
しかし大学3年の時、
「医者なんていくらでもいる」
「小説家になろう」
という天啓が下った。
それで小説を書き出した。
しかしプロ作家になるのは至難の業である。
それに医学部に入った以上、ちゃんと卒業して医師国家試験はちゃんと通ろう、とは思っていた。
しかし友達がいないため、過去問題が手に入らず、そのため単位が取れず、過敏性腸症候群の苦しみのため、親に「休学したい」ことを訴えた。
4年の冬、親に休学して過敏性腸症候群の専門医にかかりたい、ことを訴えたが、親は聞いてくれない。
「大学の勉強が嫌ならやめな」
母親も、
「休学するかどうかは自分で決めなさい」
と言うだけだった。
父親は僕が調子のいい時は僕に親切なのだが、僕が形勢不利になると、途端に僕を見捨てるのである。
大学の同級生の方が親より遥かに優しい人もいた。
大学の同級生で出席番号で僕の次の人は末吉君といって元気で優しい人だった。
彼は一人ぼっちの僕を見て、
「大丈夫?過去問題とか持ってる?持ってなかったらあげるよ」
と言ってくれた。嬉しかったが僕はギブ&テークで僕は彼にあげるモノが何もなかったので、過去問は咽喉から手が出るほど欲しかったが、男の誇りから「いや。大丈夫だよ」と言って過去問はもらわなかった。
僕は腫瘍病理学の小西先生の温かい提案によって休学することを決めた。
僕はどうしらいいか分からなくて4年の期末テストを無断欠席した。
それで腫瘍病理学の小西先生に呼び出された。
先生は、「どういうつもりだ?」と怒ったが僕が「体調が悪く、休学しようか続けようか迷っています」と言ったら「君の実家はどこだ?」と聞いてきた。僕が「神奈川県の鎌倉市です」と答えたら「そんなに迷っているんなら、実家で1年くらいポーンと休んで医者にかかって治療を受けて病気を治してから復学したらどう?」と言ってくれた。嬉しかった。この一言が決め手になって僕は休学することにした。
基礎医学の本を全部、持って家に帰った。
家に帰ると父親は、
「いつまで休む気だ?」
と厳しく叱った。
僕は過敏性腸症候群に詳しい医者にかかりたいと思っていたので、探してみたら、武蔵野中央病院という、いい心療内科の病院と医者が見つかった。
大谷純という、ひどいドモリの先生である。
僕は涙がポロポロ出てきた。
「過敏性腸症候群などという病気をもちながら医者という激務がつとまるのか?」
というのが僕の一番の悩みだったので、
「こんなドモリの先生が苦しみながらも医者をやっている」
ということに感動した。
僕も負けず嫌いなので、
「大谷純先生だって不治の病をもちながら苦しみながら医者をやっている。なら僕だって負けないぞ」
と思った。
父親は大谷純先生を知らない。
「頑張れ」
「いつまで休む気だ?」
の一点張りである。
なので僕は父親に「決闘」を申し込んだ。
すると父親は「警察を呼ぶぞ」と言った。
その時は、
(こいつは親なんかじゃない)
と僕は思った。
そして父親は逃げた。
父親は熱海の伊豆山にある父親の母親の住んでいる豪華な老人施設に行った。
中銀ライフケア伊豆山という老人向けの高級マンションである。
「もうお前は息子ではない。お前はお前の好きなように生きよ」
という書き置きを残して。
僕は復学して卒業して医師国家試験にも通るつもりだったから、毎日、朝起きてから夜、寝るまで基礎医学の勉強をした。
休学した直後は小説を数作、書いたが、小説創作にかまけて医学の勉強をおろそかにしてはならない、と思っていたので小説創作はいったん中止して、医学の勉強だけをやった。
父親も熱海の伊豆山から帰ってきた。
父親も僕が根性のある男であることを認めているので、また僕が復学にそなえて毎日、勉強しているので、僕をせかすことはしなくなった。
そして僕は1年と半年後に復学した。
そして僕は5年(臨床医学)に進級した。
そして僕は大学を卒業し、医師国家試験にも通った。
僕が医師国家試験に通っても父親も母親も「おめでとう」の一言は言ってくれなかった。
父親は「もうこれで親の役割りは終わったんだぞ」という態度だった。
母親も「子供が20歳を過ぎたらもう親の役目は終わりなのよ」というのが口癖だった。
僕だって親にいつまでも甘える気は毛頭ない。しかし普通の家庭では自分の子供が医師国家試験に通ったら「おめでとう」というものである。僕は休学した時に一度、会った自由学園の校医でもあった佐藤智(さとうあきら)先生に会いに行った。佐藤あきら先生は優れた医者で過敏性腸症候群はもちろんのこと、どんな病気でも詳しく正確に知っている医者だった。やはり自分のことを理解してくれる人というのは嬉しいものである。休学した時、佐藤智(さとうあきら)先生は父親に「浩二くんに今なにかさせては可哀想ですよ」と進言してくれたのだが、父親は佐藤智(さとうあきら)先生を「何だか威張った医者が偉そうなことを言っている」と言って不機嫌だった。
僕は佐藤智(さとうあきら)先生に会いに行った。そして医師国家試験に通ったことを言った。すると佐藤智(さとうあきら)先生は、いきなり僕の両手を握りしめ、「おめでとう」と言ってくれた。嬉しかった。
つまり僕の家庭の親子関係は「愛情」で結ばれた親子関係ではないのである。
ただただ法的に、そして社会通念的に、親と子の「権利」と「義務」だけで結ばれた関係なのである。それにしては父親や母親は僕に対しては「愛情」を求める甘ったれた性格なのだが。親は僕が優しい性格であることを知っているからである。「愛情」で結ばれた親子関係ならば、親に言われずとも子供は「いつまでも親に甘えていてはいけない」「育ててくれた恩返しに親孝行しなければ」という気持ちが起こるものである。しかし僕の場合、「いつまでも親に甘えていてはいけない」という気持ちは当然あったが、「親孝行したい」とか「親孝行しなければ」という気持ちは全く起こらなかった。
そして僕はUターンして大船の家にもどった。
幸い千葉県にある国立下総療養所(下総精神医療センター)という研修指定病院が僕を採用してくれたので、僕は千葉県の国立下総療養所に近い所のアパートに引っ越した。
すると父親の僕に対する態度もコロッと変わった。
研修医の給料は少ないが、当直のアルバイト料も加えると年収200万円くらいになり、もう親に仕送りしてもらわなくても自立して生活できるからだ。
父親も母親も子供が「自立していば一人前」で「親のスネをかじっているうちは半人前」という思いだけなのである。
だから僕が研修指定病院に勤めるようになって、金銭的に親に頼らなくても生きていけるようになったら、途端に僕を「一人前の人間」あつかいし出した。
それまで親は僕のことを「浩二くん」と呼んでいたが、金銭的に親から自立できるようになったら、僕のことを「浩二さん」と呼ぶようになった。
僕としては気持ち悪かった。ひたすら気持ち悪かった。
国立下総療養所での2年の研修が終わった。
次の就職先として藤沢市にある湘南敬愛病院(湘南北部病院)に就職が決まった。
130床のボロボロ病院である。
しかし僕は実家に近いから藤沢市にある湘南敬愛病院に就職することに決めたのではない。
僕は神奈川県が好きだからである。僕は海が好きで藤沢市は海にすぐ行ける。そして交通の便もよかった。湘南台駅は小田急線と横浜市営地下鉄ブルーラインと、相鉄いずみの線のターミナル駅である。それに藤沢市総合市民図書館もある。湘南台の町は1966年(昭和41年)に計画的に作られた街なので平安京や平城京のように、縦横に道路が走っていて落ち着いた雰囲気なのである。
僕は週4日、病院で働いて金土日は図書館で小説を書いた。
それから数年が経った、ある日のことである。
母親から電話がきた。
沖縄にライオンズマンションを買って父親と母親は実家の家と土地を売って、沖縄のライオンズマンションに移り住むとのことだった。
父親が家族に話さず密かに計画してやったのである。
実家は父親の物だから、実家をどうするかは父親が決める権利がある。
しかし普通の親なら、こういう事は家族に話すものである。
別に両親が沖縄に移り住んでも僕は何とも思わないけど。
要するに父親は老後は通年、温かく過ごしやすい沖縄で過ごしたいという思いからである。
勝手に沖縄へでもどこへでも行け、である。
ちなみに実家の僕の部屋を「僕の部屋」というと言うと母親は怒るのである。
母親は「あなたの部屋じゃないわよ。家はお父さんの物よ」と言うのである。
そりゃ確かにそうだが、じゃあ、何と呼べばいいのか?
「僕が使わせてもらっている部屋」と呼ばなきゃいけないらしい。
どう考えても、おかしい。
父親も狂っているが母親も狂っている。
こうして父親と母親は実家を売り飛ばして、沖縄のライオンズマンションに行ってしまった。
僕は父親が沖縄に買ったライオンズマンションがどんなモノなのか知らない。
数年後、沖縄に行ってみたら、すごくゴージャスな部屋だった。
マンションの中がとても広く、いくつもの部屋がある。
父親は僕が沖縄に引っ越して、父親のマンションに住み、沖縄で医師として働くよう、さかんに勧めた。
沖縄は通年、温かく、過ごしやすいから僕が沖縄に移り住むだろうと予想していたのだ。
しかし僕は精神科とコンタクト眼科と人口透析くらいしか出来ない。
そうおいそれと沖縄で就職先が見つかるものではない。
湘南敬愛病院をやめた後も色々と就職先を探して精神病院に就職したり、コンタクト眼科の仕事をしたり、人口透析の仕事をしたりしたが、神奈川県内や関東なら働ける病院やクリニックはたくさんあるのだが、沖縄で働ける病院やクリニックは無いのである。
親にそういう医療事情をいくら説明しても聞く耳を持たないのである。
それに僕の生きがいは小説を書くことだけなので、藤沢市総合市民図書館も便利で使いたい。
過敏性腸症候群の治療にとっても本土の方が色々と便利である。
それに僕は湘南台の町が好きである。
僕の親は人の事情を慮るということが出来ないので、僕がそういう説明をしても全くわからないのである。
ただただ自分のことしか考えず、人の事は考えようともしないのである。
自己中心でワガママなのである。
沖縄に飛行機で行くには7万円くらいかかるので、収入の少ない僕には、そうおいそれと行くことなど出来ない。
親に何か困ったことが起こったら、僕も協力してやろうとは思っていたが、これが伊豆半島あたりなら行けるのだが、沖縄では飛行機代が高くて行けない。
親は若い女の韓国人を家に泊めたり、姉の娘(姪)が絵を描くのが好きで画家になりたい、と言っているので、沖縄に来させて、住まわせて沖縄県立芸術大学に入学させたりしていた。
要するに自分の好きなことばかりしているのである。
・・・・・・・・・・・・・・・
そして全く何も知らない。
調べようともしない。
新聞もとってないし、もちろんインターネットで調べるということもしない。
何も知らない。
それでいて僕がコロナワクチンはmRNAワクチンで今までとは違ったワクチンでワクチンと称する毒でありワクチン後遺症患者がたくさん出ているから打つな、といくらアドバイスしても、聞く耳をもたない。
政治や医療のことを親より、はるかに詳しく知っているのに、自分は何も調べずに何も知らないのに僕に説教するのである。
ただただ自分の好きなこと、気持ちのいいこと、遊ぶこと、しかしないのである。
健康が悪くなっても、何も努力せず、医者まかせ。
そうこうしているうちに、父親がボケ出した。
頭も使わず体も使わず、好きなことしかしなけりゃ、そりゃボケるわな。
母親は父親の介護に疲れて、父親も母親も介護認定されてケアマネージャーがついた。
それによって母親の負担がかなり軽減された。
姉には息子と娘の二人がいて、彼ら三人の誰かが、沖縄に行って親の面倒をみるようになった。
2025年に父親の容体が悪くなって、両親は長野県に住んでいる姉の近くにある、老人施設に移った。
父親は病気が悪化したのか、体力が落ちたのか、老人施設の病院に入院した。
そして2025年の7月12日に死んだ。
父親も長いこと無気力で寝たきりで、何の楽しみもなく、「生きているのが辛い」「ぽっくり死にたい」と言っていたので、ポックリ死ねて良かったんじゃないの。
父親が死んだことを姉が電話してきたが何とも思わなかった。
僕も2025年の夏は猛暑で過敏性腸症候群が悪化して苦しく、通夜にも葬式にも行く気にはなれなかった。し行かなかった。
葬式は母親と姉と姉の息子と娘の4人で行われたらしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・
父親は55歳で大阪商船三井船舶を部長で定年退職した。
その後は死ぬ40年間、ごろ寝してテレビを見るだけの生活だった。
その他、父親のことを箇条書きで書いてみる。
・・・・・・
1・・・父親は内気・・・会社では母親に作ってもらった昼食の弁当を会社のトイレで食べていた。それを人生の悲哀のように自慢していた。まあトイレで物を食べる人はいるが僕はトイレで何か食べるということは絶対に出来ない。汚いじゃない。隣に誰かが入って来てクソをしたら、ブリブリブリ―と排泄物が出る音が聞こえて。
会社の宴会で黙っていて「おい。お前、何もしゃべらないじゃないか」と言われた。それから努力して世間の出来事を知ろうと努力した。と言っている。そしてそれを自慢していた。
父親は係長→課長→部長とお決まりのコースを辿った。だが部下の女子社員に注意することが出来なかった。父親が部下の女子社員で記帳(複式簿記)のミスを注意しても女子社員は、ブーンとふてくされるだけだったらしい。情けないというか、おとなしいから、なめられるのである。
2・・・若ハゲ・・・・・父親は若ハゲだった。それで会社の帰りに女性ホルモンを打っていた。
3・・・学歴コンプレックスが強い・・・・・鎌倉の雪の下教会の牧師は東大卒のエリートだった。なので壇上から説教されることに強い劣等感を持っていた。加藤牧師。母親はおとなしく教会に行っているだけなのに母親に「そんなに加藤牧師が好きなら加藤牧師の妾にしてもらえ」と言っていた。嫉妬心が強いのである。
ある時おとなしい別の牧師が家に来た時、彼も東大卒だったので・・・牧師に説教していた。みっともない。
4・・・趣味がない・・・・・休日はいつもごろ寝して一日中テレビを観ていた。
5・・・根性がない。独創性や創意工夫の能力もない・・・・・・父親は麻雀が出来ない。なので麻雀が出来ないことに引け目を感じて愚痴を言っていた。麻雀くらい覚えろよ。(僕も麻雀のルールは知らない。だが僕は麻雀なんかに興味がないから覚えないのである。そんなくだらないもので自分の貴重な人生の時間を潰したくないからである)。僕は二ノ宮の国立小児病院二ノ宮分院でセブンブリッジを知ったので、セブンブリッジは麻雀に似ているので教えてやったが、セブンブリッジさえ、あまり理解できなかったようだ。
将棋も「ヘボ将棋をやったって意味がない」と言っていたが何事でも誰でも最初は上手く出来ないのは当然のことである。練習しようという発想が起こらないのか?
6・・・威張ることが当然のことだと思っていた・・・・「威張りたいんなら自立してからにしろ」とよく言っていた。僕は威張ることなんて、みっともないことで威張りたいなどという気持ちなど全く持っていないのに。
オウム真理教の事件が起こった時、僕は父親とは話が出来ず、母親としか話が出来ないので、ワガママで威張ってばかりいる父親が麻原に似ていたので父親のことを「尊師」と呼んでからかった。母親は「外報部長」と呼んでからかった。
7・・・ゴルフが身につかなかった・・・・・・・会社では部長になったあたりから会社の同僚や他の会社の取引先の人との接待からゴルフをやらなくてはならなくなった。父親もゴルフが上手くなりたいと思っていた。しかしスポーツの技術がどうやって上達するのか知らないので、てんぷらしか打てなかった。休日は会社関係の人達とゴルフ場に行っていた。「会社では仕事よりゴルフが上手いことの方が大事」と言っていた。父親は運動神経は普通だが、独創性や創意工夫の能力や根性がないので何も身につけられなかった。
8・・・女性差別・・・・・・・父親は「女は料理が出来て色気があればそれでいいんだ」と言っていた。
9・・・「普通」がいい。父親は「普通」でいい、と言っていた。僕はそんなレールに敷かれた人生なんて、つまんないと思っていた。
10・・・母親もそうだが父親も頭が悪い。二人はジャンボジェット機がなぜ飛べるのかわからなかった。「不思議だねー。どうしてあんな重い物が空を飛べるんだろうねー」と疑問に思っていた。そのくせ平気で飛行機に乗っていた。「揚力」というものがわからないのだろうか?
11・・・父親の美点・・・こう書くと悪いことばかりのようだが、小学校までは父親は優しかった。
二ノ宮の国立小児病院二ノ宮分院に入った時、親に欲しいマンガやプラモデルを連絡すると注文通りの物を買って持ってきてくれた。
父親にぶたれたり叱られたりしたことは一度もない。
クリスマスには夜中、寝ている間にお菓子の入ったサンタシューズを枕元に置いておいてくれた。嬉しかった。
二ノ宮の国立小児病院二ノ宮分院にはよく面会に来てくれた。
父親が面会に来てくれると嬉しかった。
父親も僕が子供の頃は僕を大事に育ててくれた。
欲しい物は大抵、買ってくれた。
それと。僕は父親と話すことがほとんどなかったので僕が居る時にも本音を言っていたが、父親は世間的に良識的な人間である。
まとめ・・・父親は若い時は真面目な性格だった。しかし喘息もちで内気、無口だった。父親の父が戦死してしまったために大学へ行けず学歴コンプレックスになってしまった。父親は、一人でコツコツと事務の仕事をするのが性に合っているのだが、そういう仕事に就けなかった。人を指導する能力がないのに一流企業に入ってしまって、係長→課長→部長、と会社の中での出世コースを歩まねばならなかったことが不運だった。そのため酒でストレスを発散するようになってしまった。もっと親孝行してやればよかったとも思っている。
母親
母親は昭和8年(1933年)生まれである。
今年で91歳である。
「もう歳だ。歳だ」と言っているがゴキブリのようにしぶとく生きている。
だがあと10年くらいは生きると思う。
母親の実家は静岡県の金谷である。
母親は兄弟姉妹がたくさんいて姉妹は5人で母親は二番目だった。
つまり次女だった。
母親の姉はヒステリーで救いようがないような女だった。
それに比べると母親はまだマシだった。
あまり母親の幼少期のことは知らない。
だが元気で明るく積極的で性格もよかった。
母親は友達を作る名人なので友達がたくさんいた。
金谷の隣の島田の中学を出たらしい。
しかし東京に自由学園というキリスト教を信仰とし、人間教育とやらを重んじる学校があることを知って高校は自由学園の女子部に入った。
母親は自由学園的に優等生だった。
「自由学園的」と書いたのは、自由学園はキリスト教の信仰を重んじ、皆で協力して行動する、ということを重んじているからだ。
母親は一応、洗礼を受けた自称クリスチャンで、友達を作る名人なので、そして、仲間と一緒に行動することが好きで得意なので、自由学園の教育方針に合っていたのである。
そもそも自由学園は創立者の羽仁もと子、と羽仁吉一夫妻によって作られた学校だが「人間を教育する」なんて僭越きわまりないと僕は思っている。
ということで自由学園の女子部を出た。
卒業後は愛知県の紡績工場で1年くらい働いた。
そして父親と結婚した。
たぶん見合い結婚なんじゃないの。知らないけど。誰かの紹介で。
それで母親は専業主婦になった。
母親は子供の頃は優しかった。というか普通だった。叱られたこともない。
しかし特別、母親を好きだったわけでもない。母親は元気そのもので明るく積極的な性格だった。内気で無口な父親とは正反対である。母親と父親は一応、自称クリスチャンだが、キリスト教に対する考え方の相違が強かった。母親は父親の収入で生活できているので、結局は母親が父親に攻撃された。
小学校4年の終わりまでは近くの栄小学校に通っていたが、父親と母親の性格の相違から一緒に住むことが出来なくなってしまって、小学5年からは、母親と僕は母親の実家である金谷に住むことになった。実家には母親の父と母がいる。僕は金谷小学校に転入した。
ある日の夜、大きな叫び声で起こされた。隣に寝ていた母親が暴れて、じいさんが必死に抑えていた。つまり発狂したのである。そして母親は精神病院に入院した。しかし僕は母親を愛していなかったので、発狂しても精神病院に入院しても別に何とも思わなかった。
小学5年の二学期から僕は、川奈臨海学園という喘息の施設に入った。
そしてそこで小学校を卒業した。
中学から鎌倉市に土地と家が建った。
中学はどこへ行くか迷ったが、母親の出身校であり、1年年上の姉も入っている東京の東久留米市にある自由学園に入ることにした。鎌倉からでは通えないので寮に入った。しかし僕は寮生活が嫌いなので、土日には家に帰っていた。
中学、高校の時は母親が立派に見えた。
というのは、母親はJOCS(日本キリスト教海外医療協力会)の活動に参加したり、横浜の寿町(スラム街)に料理を作りに行ったりと慈善活動を積極的にするからだ。
しかし僕が大学(奈良県立医科大学)に入ってから、だんだんと母親の欠点が見えてきた。
・・・・・・・・・・
母親は詩を書いてみたり、短歌や俳句をつくってみたりしたが、才能がないのでやめてしまった。母親の短歌を僕も読んでみたが、ただ明るいだけ。ピクニックの感想を5-7-5-7-7で書いているだけ。ただただ「俳句は季語が大事」と言うだけ。頭が悪い。それで自分に理解できないものを否定する。俳句の先生の書いた俳句「日陰りて花見の客のさめてきし」を読んだ時、僕は「ああー。いい俳句をつくれるものだなー」と感心した。しかし母親はその俳句の先生は暗い俳句を書くのが好きらしい、と言って理解できなかった。そして俳句の先生の悪口を言っていた。母親はゲラゲラ笑うだけ。人生や人間の悲哀というものがない。
母親の性格は、一言でいって「軽率」「軽佻浮薄」「いい加減」「デリカシーが無い」「自己正当化」「ウソつき」「バカ」「記憶にございません」「恩着せがましい」などである。
母親の口癖は「20を過ぎれば親の扶養義務はないのよ」である。
母親の性格をよく表しているイエス・キリストの言葉がある。
それは「種まきの喩え」である。
「種まきの喩え」とはイエス・キリストの教えを聞いて、それに対してどう反応する人がいるかを、いくつかのパターンにわけているものである。
母親は、良い教えを聞くと、その時は感動するのである。しかし翌日になると、コロッと忘れてしまう、というか、元にもどってしまうのである。ざるに水をくむようなものである。
自分の心に根づいた信念というものがないのである。
母親は一応、自称クリスチャンで洗礼も受けているが、実際の所はエセ・クリスチャンである。母親は聖書、イエス・キリストの教えが自分の心の拠り所と言っている。らしい。
しかし母親は「
(キリストの教えは)現実的には無理なのよ」というが口癖である。
しかしキリストはそう言っていない。
キリストは、
「だからあなたがたは天の父が完全なように、あなたたちも完全でありなさい。(マタイによる福音書 5:48)」
と言っている。
「自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない(マタイによる福音書 10:37-39)」とも言っている。
「単細胞」宮崎勤の事件が起こった時には僕にも本気で幼女を殺していないかと聞いてきた。
こんなヤツ母親じゃない。無口な人=宮崎勤。人と付き合わない人=宮崎勤。という単細胞思考は母親だけじゃないけど。奈良県立医科大学の同級生のバカ共にも、そういう人はいたけど。
内向的な人間=思索が深い。外向的人間=考える能力が無い。という傾向は明らかにある。
オウム真理教のサリン事件が起こった時も同じ。外向的人間は単細胞思考しか出来ない。
内向的人間は自我というものをしっかり持っているから洗脳されるということがないのだ。
むしろ外向的人間は自我というものを持っていないから簡単に洗脳されてしまうのだ。
オウム真理教に洗脳された人間は皆、外交的な人間ばかりである。
つまり母親と息子の会話がないのである。心の交流もない。
・・・・・・・・・・・
なので、きゃつを地獄へ落とす。
母親が沖縄に行ってしまってからは、電話で時々、話をするだけになってしまった。
私が母親に真面目な質問をしても母親は答えられなくなると「会話は気持ちよくなくてはならないのよ」と言う。息子には好き勝手に、言いたい放題のことを言うのに、僕が意見(僕としては正論を言っているつもりだが)を言って答えられなくなると「会話は気持ちよくてはならないのよ」と言う。至言は耳に逆らう(真心からいさめようとする忠告は耳に痛いからなるべく聞くまいとすることをいう)を否定しているのである。
母親は「会話は気持ちよくてはならないのよ」というのが母親の口癖なのだが、要するに「会話は(私が)気持ちよくならなくてはならないのよ」ということである。
2025年の大晦日である。
さいたまスーパーアリーナでRIZIN主催による格闘技の試合が行われた。
始めは、朝倉未来(あさくらみくる)対フロイド・メイウェザーの予定だったが、急遽、メインイベントのカードが変更になった。もっと大物のカードが見つかったのである。
メインイベントは、一般には知られていない、アマチュア小説家の青木航、対、アマチュア小説家の、飼い猫ちゃりりん、となった。
なぜかというと。青木航と飼い猫ちゃりりんの二人は、弱小小説投稿サイトの「作家でごはん」に小説を投稿していたのだが。青木航は「坂東の風」という大長編歴史小説を分割して投稿していた。一方の飼い猫ちゃりりん、は一話完結の小説を投稿していた。青木航の「坂東の風」は分割投稿だったので、わかりにくいと、「作家でごはん」の雑魚どもに嫌われていた。一方の飼い猫ちゃりりんの小説は、同じ小説をちょこちょこと書き換えた小説を何度も何度も投稿していた。しかし二人は、お互いの小説に関して批判することはなかった。
・・・・・・・・・・
しかし2024年から、二人は新型コロナウイルスのワクチンに関して激しく対立するようになったのである。飼い猫ちゃりりん、によると。新型コロナウイルスはビルゲイツによって人工的に作られたウイルスで、その目的は増え過ぎた世界人口を9割削減するためと、ユダヤマフィア(ビルゲイツ財団、ロックフェラー財団、ロスチャイルド財団他、いわゆるDS(ディープステート))が残りの1割の地球上の人間を奴隷・家畜化し、ユダヤマフィアのエリート(700人)が人類を支配するという優生思想のためであり、新型コロナウイルスのために作られたmRNAワクチンは毒である、と主張した。
しかし青木航は、そんなことは一部のSNSで拡散されている子供じみた陰謀論であり、もしそれが本当なら、テレビや新聞が報道するはずだ、バカバカしい、と言って聞かなかった。日本政府がそんな事を認めるわけがなく、もしコロナワクチンが毒ならば、日本の全ての医者は毒を打っているということになる。そんなことはあり得ない、と主張し、コロナワクチンを信じて7回も打っていた。
二人の意見対立は激しくなり、やがてそれは日本中に知れ渡った。
そのため、青木航と飼い猫ちゃりりんは、「それなら2025年の大晦日のRIZINで決着をつけよう」ということになったのである。
「負けた方は今後、二度と相手の意見に誹謗・中傷しない」という条件がつけられた。
RIZINのメインイベントが、無名のアマチュア小説家、二人の対戦では興行が成り立たない、とRIZINの榊原信行CEOは反対していたが、世界の金融資本の半分以上を持つ、ユダヤマフィア(ビルゲイツ財団、ロックフェラー財団、ロスチャイルド財団他、いわゆるDS(ディープステート))が資金を出すと言ったので、この対戦が成り立ったのである。
当然、DS(ディープステート)は大金を出して青木航にボクシングの名トレーナーをつけ、青木航を応援した。青木航も朝のロードワークからパンチングボール、ミット打ち、マススパーリングとボクシングの練習に励んだ。
一方の、飼い猫ちゃりりんも、山谷の涙橋の下にある丹下団平ボクシングジムに通い、ボクシングの練習に励んだ。
やがて時が経ち、2025年の大晦日になった。
RIZINはこんな無名の者二人の対戦では、興行にならないと確信していたが、日本ではコロナワクチンに関しては、ワクチン肯定派とワクチン否定派、がお互い、の意見を主張し、対立していたので、この対戦に興味を示して、チケットは完売された。
前座試合では、朝倉未来(あさくらみくる)対フロイド・メイウェザーのエキシビションマッチが行われた。朝倉未来は、やんちゃ上がりの総合格闘技の選手で、一方のフロイド・メイウェザーは引退したとはいえ、元WBCの五階級を制覇した、50戦して一度も負けを知らない天才ボクサーなので、はなしにならず、朝倉未来は2ラウンドでTKO負けした。
「つまんねーぞ」
と会場から激しいブーイングが起こった。
さて、いよいよメインイベントの、飼い猫ちゃりりん、と、青木航の試合になった。
わーわーと会場は盛り上がった。
やがて時間となり、飼い猫ちゃりりん、と、青木航の二人が登場した。
「青木航がんばれー」
と応援したのは、DS、日本政府、日本医師会、製薬会社、など日本人の9割りを越すワクチン肯定派だった。
一方、飼い猫ちゃりりん、を応援したのは、京都大学医学部名誉教授・福島雅典、名古屋大学医学部名誉教授・小島勢二、東京理科大学名誉教授・村上康文、など一般社団法人ワクチン問題研究会の人たち、と新型コロナワクチン後遺症患者の会、新型コロナワクチン遺族会の人たち、参政党、れいわ新撰組の支持者など、ワクチンを否定する少数派だった。
飼い猫ちゃりりん、と、青木航の二人がリングに立つと、
「青木航。がんばれー」
「飼い猫ちゃりりん。がんばれー」
の大声援が会場内に轟いた。
リングアナウンサーが両選手を紹介した。
「青コーナー。134ポンド。青木航」
というアナウンスが流れると会場は、わーと沸き立った。
「赤コーナー。132ポンド。飼い猫ちゃりりん」
というアナウンスには、「飼い猫ちゃりりんさん、頑張って下さい」というワクチン否定派の人たちの声援が起こった。
実況中継は古舘伊知郎で、解説者は元THE OUTSIDERプロデューサーの前田日明だった。
リングドクターは時々「作家でごはん」に小説を投稿している浅野浩二氏がつとめることとなり、真剣な眼差しで二人を見つめていた。
「それでは試合前に花束贈呈を行います」
とリングアナウンサーが言った。
サングラスに和装という姿の、ごぼうの党の奥野卓志がリングに上がった。
奥野卓志は花束を持って青木航に近づいた。
青木航が嬉しそうに花束を受けとろうと手を差し出すと、奥野卓志は無造作にポイと花束を投げ捨てた。
「おおー」
という驚きの声が会場に轟いた。
「恥を知れ」
「日本人の恥」
「うせろ」
会場から激しい罵倒が起こった。
「こんなことは前代未聞です。一体どういうことなんでしょう?」
「さあ。全くわかりません。奥野卓志さんは青木航くんを嫌っているのかもしれませんね。しかし、どんな理由があるにせよ、こんな事はするべきではありません」
とキッパリと言った。
青木航は花束を拾い、リングサイドのセコンドに渡した。
「両者。リングの中央へ」
レフェリーに言われて、青木航と飼い猫ちゃりりんは、リングの中央に歩み寄った。
「青木。あんたはメディアに洗脳されているよ。目を覚まさせてやる」
と飼い猫ちゃりりんが言うと、
「お前の荒唐無稽な陰謀論こそ叩き潰してやるぜ」
と青木航は言い返した。
二人はにらみ合った。
「グローブはしっかり握って打つように。サミング、ローブロー、ラビットパンチ、キドニーパンチ、バッティング、には、くれぐれも気をつけて。故意とみなしたら減点します。フェアープレーの健闘を祈る」
レフェリーが、ありきたりの試合前の注意をした。
青木航のセコンドには具志堅用高がついた。
一方、飼い猫ちゃりりんのセコンドには、ラピスがついた。
カーン。
試合開始のゴングが鳴った。
レフェリーが言った。
飼い猫ちゃりりんと青木航の二人は、クラウチングスタイルのファイティングポーズをとって、接近した。
飼い猫ちゃりりんはサウスポーに構え、右ジャブの後で左ボディストレート、さらに右ジャブを放った。
青木航は飼い猫ちゃりりんのパンチを察知しバックステップで距離をあけた。
飼い猫ちゃりりんは左ボディストレートを当て、右ジャブから左ストレートを打ち出した。
青木航はガードを高くして向かい、飼い猫ちゃりりんは左ストレートから右フックへと繋げた。
これをガードした青木航はボディブローを返した。青木航はジャブからボディストレート、右ストレートとパンチを放った。
カーン。
1ラウンドを終了するゴングが鳴った。
レフェリーが、青木航の攻撃を、「ストップ」と言って、やめさせた。
二人は、それぞれのコーナーに戻った。
といっても青木航は、ピンピンしているが、飼い猫ちゃりりんはフラフラである。
飼い猫ちゃりりんのセコンドの、ラピスは、飼い猫ちゃりりんのマウスピースを外し、うがいをさせた。
飼い猫ちゃりりんの口の中は、かなり切れていた。
「よく、1ラウンド頑張ったな」
ラピスが哲也の勇気を讃えた。
(私はワクチン後遺症で苦しんでいる人達のためにも絶対に負けられない)
(これ以上、日本をアメリカとディープステートどもの奴隷国家にしてはいけない)
口にこそ出さね、飼い猫ちゃりりんの闘志は少しも落ちていなかった。
カーン。
第2ラウンドのゴングが鳴った。
両者はクラウチングスタイルのファイティングポーズをとって接近した。
青木航はプレッシャーを増し飼い猫ちゃりりんに歩を進めた。モーションのない右ストレートが飼い猫ちゃりりんの顔面にヒットした。
飼い猫ちゃりりんは左フックを連続で放つが、青木航はヘッドワークとブロックで当てさせない。青木航は再びノーモーションストレートを見せ、それはヒットした。
青木航は続いてボディにストレートを当て、飼い猫ちゃりりんのジャブは目先でかわしていった。そして右ストレートを再び飼い猫ちゃりりんに当てた。
しかし飼い猫ちゃりりんは左ストレート、右フックと当て、左ストレートで青木航に迫った。被弾があった青木航は笑みを見せ少し下がったが、そこから体を入れ替え逆に飼い猫ちゃりりんをロープを背負わせた。
そこから青木航はまたストレートを当て、右を伸ばしてきた飼い猫ちゃりりんにカウンターの右ストレートを当てた。
飼い猫ちゃりりんがダウンした。
「ニュートラルコーナーへ」
レフェリーに言われて青木航はニュートラルコーナーへ行った。
レフェリーは、倒れている、飼い猫ちゃりりんの、カウントを数えだした。
「1・2・3・4・5・6・・・・・・」
6で何とか飼い猫ちゃりりんは立ち上がったが、視線が定まっておらず、レフェリーがここで試合をストップした。
レフェリーは青木航の手を高々と上げた。
「ふふふ。飼い猫よ。約束だぞ。これでもう荒唐無稽なことは言うなよ」
青木航が勝ち誇って飼い猫に言った。
会場にいたディープステートたちは「しめしめ。これでまた日本人をmRNAで儲けることが出来る」とほくそ笑んだ。
(く、くやしい。これで緊急事態条項が通ってしまう)
飼い猫は涙を流した。
その時である。
青木航がパタリと倒れた。
リングドクターの浅野浩二が急いでリングに上がった。
そして青木航を診察した。
「心臓の辺りが熱い。40度以上もある。血圧も70を切っている。こんなことは初めて見ることだ。救急患者を受け入れてくれる近くの病院は?」
エッシ、エッシと心臓マッサージをしながら浅野浩二が言った。
「東京医科歯科大学の医学部のICUが受け入れてくれるそうです」
すぐに救急車がやって来て、青木航は救急車に乗せられて、東京医科歯科大学に運ばれた。
福島雅典医師はじめ、ワクチン問題研究会の人たちも車で東京医科歯科大学に向かった。
しかし救急車が東京医科歯科大学のICUに着いた時には、もう青木航の対光反射、脈拍、呼吸は無く死亡が確認された。
青木航の死体はすぐに東京医科歯科大学の病理学教室に運ばれ病理解剖が行われた。
人は死ぬと2時間後から死後硬直が起こり始め、体温は急速に下がっていくはずなのに、心臓が40度と高温で、しかも解けてフニャフニャだった。
血中の遊離スパイクタンパク質は33.9pg/mLと有意に高濃度だった。
死亡診断書の原死因は「コロナワクチン接種による心筋炎」と書かれた。
これによって、日本の医学界でも、日本政府も「ワクチン後遺症」「ワクチン死」を認めざるをえなくなった。
こうして日本でもようやくmRNAワクチンの接種が禁止され、ワクチン後遺症に苦しむ人達に対する上限無制限の治療費を支払うこと、ワクチン遺族会の人たちに対する高額の慰謝料が支払うことが法律で決められた。
・・・・・・・・・・・・・
青木航の葬式は築地本願寺で盛大に行われた。
友人代表として「作家でごはん」で青木航をおちょくっていた麻生凪が弔辞を読んだ。
「青木航くんよ」と呼びかけたまま麻生凪は慟哭し、しばらくの間読みつげなかった。
青木航君よ
君が自ら選み自ら決したる死について我等何をか云はんや
たゞ我等は君が死面に平和なる微光の漂へるを見てはなはだ安心したり
友よ安らかに眠れ
君が書きし坂東の風秀なれば後世に残るに違いなく
我等また微力を致して君が眠りのいやが上に安らかならんことに努むべし
たゞ悲しきは君去りて我等が身辺とみに蕭篠たるを如何せん
麻生凪は大泣きに泣きながら弔辞を読んだ。
それは、葬式に来ていた弔問客400人の涙を呼び、満場すすり泣きの声に満ちた。
飼い猫ちゃりりんは、あんまりムキになってケンカせず、もっと穏やかに話し合うべきだったと反省し涙した。
2025年12月25日(木)擱筆
日本の、ある村でのことです。
何事でも、格差の大きい日本の社会です。
その村も、過疎で、若者は、みんな、都会に出で行ってしまい、村は、老人だけ、でした。
その村に、ある、おじいさん、と、おばあさん、が住んでいました。
おじいさんと、おばあさん、は、兼業農家をしていました。
ですが、台風、地震、豪雨災害、などの、自然災害の激しい日本です。
老夫婦の田畑は、豪雨災害で、目茶目茶になってしまいました。
なので、仕方なく、おじいさんと、おばあさん、は、仕事を無くしてしまいました。
ある時、おじいさん、は、野良仕事に行き、おばあさん、は、洗濯機が壊れてしまったので、仕方なく、川に、洗濯に行きました。
おばあさん、は、いい歳をして、いるのに、密かに、20代の若い女が履くような、セクシーな、ブラジャーと、パンティーを履いていました。
それで、一人で、ナルシズムに浸っていました。
(私だって、歳をとってしまったから、ばあさんに、なってしまったけれど、若い時は、村で一番の美人だったんだから)
と、愚痴を言いながら。
それが、ばあさん、が、自分のグロテスクな趣味を正当化する口実でした。
その口実が、本当に事実なのか、どうかは、定かでは、ありません。
ともかく、そう愚痴を言いながら、ばあさんは、川の清流で、洗濯をしていました。
すると、川の川上から、どんぶらこ、どんぶらこ、と、大きな桃が流れてきました。
ばあさんは、びっくりしました。
重さ30kgは、ありそうな、大きな桃です。
「うわっ。すごい桃じゃな」
そう言って、ばあさんは、急いで、川に入って、流れてくる桃を、拾い上げました。
もしかすると、その桃は、上流で、誰かが、落としてしまった桃かもしれず、こういう場合、本来は、拾い物は警察に届けるのが、スジであるべきなのですが、ばあさんは、根が性悪なので、取得物横領することにしました。
それで、桃を持ち上げて、「重い。重い」、と、ウンウン唸りながら、桃を、家に持って帰りました。
重いけれども、不思議な、貴重な、もしかしたら世界に二つと無いかもしれない桃なので、インターネット、オークションにかけたら、もしかすると、100万円、くらいの値段がつくかもしれない、と思うと、その喜びで、胸が躍って、重さ、は、苦になりませんでした。
○
家では、じいさん、が、ばあさん、の帰りを待っていました。
「じいさんや。戸をあけてくれ」
ばあさんは、桃を、胸の前に抱えながら、足で、戸を蹴りながら言いました。
「どうしたんじゃ。ばあさん?」
じいさんは、すぐに、玄関に、行って、戸を開けました。
はあさんが、大きな桃を抱えていました。
「どうしたんじゃ。その、大きな桃は?」
爺さんが聞きました。
「いやね。今日、川で洗濯をしていたら、こんな大きな桃が、流れてきてね。拾って持ってきたんじゃ」
と、言いました。
「おお。物凄くでっかい桃じゃのう」
そう言って、爺さんも手伝って、桃を、囲炉裏の前に置きました。
「どうしたもんかのう。この桃?」
二人は、大きな桃を前に、腕組みをして迷いました。
「何でも鑑定団の人に来てもらって、この桃の価値を聞いてみては、どうじゃろうか?」
婆さんが、言いました。
「いや。それは、いかん」
爺さんが、厳しく否定しました。
「どうしてじゃな?」
ばあさん、が聞きました。
「だって、考えてみろ。何でも鑑定団の人に来てもらって、この桃の価値を聞いてもらうと、すると、この桃は、どこで手に入れた、ということを聞かれるじゃろ。そうすると、取得物横領の罪がバレてしまうじゃないか」
爺さんが言いました。
「なるほど。そうじゃのう」
ばあさん、が、肯きました。
「桃は、傷みやすい。ともかく、桃を切ってみよう」
しばし、思案した後に、じいさんが言いました。
爺さんは、高校時代、剣道部で、剣道三段の腕前で、居合い、も、出来て、居合い、は、四段の腕前でした。
それで、桃をスパッと切ってみたい、という欲求が強くなっていったのです。
爺さんは、家宝の、備前長船、を、上段に構えると、「やっ」、という掛け声と、同時に、白刃を勢いよく、桃めがけて、振り下ろしました。
桃に刀が入った、その瞬間です。
桃の中から、小さな幼児が、現れて、「やっ」、という、掛け声と共に、爺さんの、白刃をピタリと両手で、挟み押さえました。
真剣白刃取り、です。
「危ねーじゃねえか。オレが、真剣白刃取り、が、出来たからいいが、もし出来なかったら、今頃、血まみれになって、死んでたぞ」
と、子供は、生意気な口調で、爺さんに言いました。
「それにだ。ねこばば、するのは、いいけど、もしかすると、爆弾とか、危険物かもしれないじゃねえか。最近は、テロも巧妙になっているだろ。慎重に、切ってみるべきだ、ということくらい、頭が働かないのか?」
と、子供が生意気な口調で言いました。
じいさんと、ばあさんは、呆気にとられて、子供を見ました。
「お前は誰じゃ?」
爺さんが聞きました。
「まあ、そんなことは、どうでも、いいじゃんか。摩訶不思議な、謎の子供だよ。だけど、失われた20年で、長引くデフレ不況のため、養育費が工面できなくなって、親に捨てられた子供じゃないぜ」
と、子供は、また、生意気な口調で言いました。
「本当かな。それを証明できるか?」
爺さんが、訝しそうな目で見ながら聞きました。
「バカな爺さんだな。オレはちゃんと、言葉を話せるじゃねえか。捨子ってのは、まだ言葉の話せない、乳幼児だけだぜ。言葉が話せるんなら、住所も、自分の名前も、親の名前も言えるじゃねえか。そうしたら、警察に引き渡せば、すぐに親元に帰されちゃうだろ。そのくらい、わかんないのかよ」
と、生意気なガキは言いました。
言われて、爺さんは、なるほど、もっともだ、と思いました。
「ともかく、オレは真剣白刃取り、が、出来るほどだから、特殊な能力をもってるんだよ。だから、オレを、あんたらが、育てた方が、きっと、あんたらに良い事があるぞ」
と、桃から出てきた、生意気なガキは言いました。
爺さんは、しばし、思案に暮れていましたが、この幼い歳で、真剣白刃取り、が、出来るほどなのですから、運動神経が、ズバ抜けて、優れているのだろうと、確信しました。
なので、大切に育てれば、将来、プロ野球選手とか、Jリーグ、とか、相撲取り、とかになって、年俸3億かせぐ、スター選手になれるかもしれない、と、爺さんは、思いました。
「おい。腹が減ったよ。メシくれよ」
と、生意気なガキが言いました。
「わかった。わかった。お前を育ててやるよ」
そう言って、爺さんは、大盛りの、牛丼を、生意気なガキに与えました。
ガキは、貪るように、ガツガツと、牛丼を食いました。
ご飯を食べ終わると、ガキは、横になって、グーグー寝てしまいました。
こうして、爺さんと、ばあさんは、生意気なガキを育てることにしました。
名前は、桃から、出てきたので、「桃太郎」、と名づけました。
○
桃太郎は、すくすくと育っていきました。
一年もすると、もう、体重は、90kgを越しました。
桃太郎は、毎日、寝転がって、漫画を読んでいるだけでした。
これでは、年俸3億の、プロスポーツ選手になれないんじゃないか、と、爺さんは心配しました。
しかし、桃太郎は、腕力は強く、牛を一撃で殺し、10円硬貨を、指三本で、折りたたむことが、出来ました。
それを見て、爺さんは、安心しました。
○
その村は、海辺に面した村でした。
海から、10kmくらい離れた所に、小さな島があって、そこには、鬼が住んでいました。
島の名前は、鬼が島、と言いました。
爺さんは、この、将来性があるのか、どうか、わからない、桃太郎に、一つの提案を思いつきました。
そして、ごろ寝して、漫画を読んでいる桃太郎に、言いました。
「桃太郎や。お前は強い。どうか、悪い鬼を退治しておくれ」
と、婆さんは言いました。
桃太郎は、
「わかった。オレは鬼退治に行くぜ」
と、二つ返事で答えました。
婆さんは、キビだんごを、作って、桃太郎に、持たせました。
「悪い鬼を退治してくる」
そう言って、桃太郎は、必勝と書いた、日の丸の、鉢巻をして、颯爽と家を出ました。
途中で、犬と、猿と、雉が、出て来ました。
「桃太郎さん。どこへ行くのですか?」
犬と、猿と、雉が、聞きました。
「鬼が島に、悪い鬼を退治しに行くんだ。お前たちも来るか?」
桃太郎は、聞きました。
「ええ。行きます」
犬と、猿と、雉は、すぐに、答えました。
「そうか。それなら、これをやる。キビ団子だ。腹が減っては、戦が出来んというからな」
そう言って、桃太郎は、犬と、猿と、雉に、キビ団子を、与えました。
犬と、猿と、雉は、キビ団子を、一口で、ペロリと食べてしまうと、桃太郎に、ついて行きました。
○
さて。
こちらは、鬼が島の、鬼たちです。
やたら腕力のある、桃太郎の噂は、鬼が島の鬼たちにも、伝わっていました。
鬼が島で、鬼たちは、平和に暮らしていました。
鬼たちは、皆、心が優しいので、民主的に、リーダーを決めていました。
そもそも犯罪というものがないので、法律も、なければ、治安を守る警察組織のようなものも、裁判制度も、必要がないので、警察も軍隊も、裁判官もいませんでした。
鬼の女は、人間とは、比べものにならないほど、綺麗で、「うる生やつら」の、「ラム」のような、美鬼ばかりでした。
桃太郎が、鬼退治に、やって来る、という噂を、聞いた鬼たちは、焦りに焦りました。
「どうしましょう。桃太郎さまが、私達を退治しに来るらしいわ」
「私達は、決して、悪いことはしていない、ということを、丁寧に説明しましょう」
「でも、桃太郎さまは、私達を悪い生き物だと思っておられるわ」
「ともかく、ホールドアップして、笑顔で、出迎えましょう。美味しい料理を差し出して、丁重に、迎えましょう」
そんな会話が鬼たちの間で交わされました。
○
さて。桃太郎が、船で、海原を分けて、鬼が島に、やって来ました。
猿、犬、雉、を連れて。
桃太郎は、鬼が島に着きました。
すると、鬼が島、の鬼たちは、全員、総出で、浜辺に出て来ました。
「やっ。いきなり、総がかりで、応戦しようって、わけだな。卑怯なヤツラだ」
桃太郎は、鬼が島に、上陸すると、鬼たちに、向かって、そう、怒鳴りつけました。
「ち、違います。桃太郎さん。どうか、私達を殺さないで下さい。ここに居る者が、鬼が島の、全員です。私たちに、桃太郎さんと、戦う意志は、全くないことを示すため、投降のような、意味で、全員、出て来たんです」
そう、一番、手前にいる、女の鬼が言いました。
「あ、あの。桃太郎さん。私は、我々、鬼の、代表者です。名前をラムと申します」
その鬼は、恭しく、そう言いました。
代表者と自称しましたが、ラムは、鬼たちが、敬愛し、崇拝する、鬼たちの女王でした。
「桃太郎さん。私達が、人間さまに対して、どんな悪い事をしたというのですか?」
ラムが、悲しそうな顔で言いました。
「ふん。悲しそうな顔をして、オレを油断させて、その隙に、襲いかかろうって、わけだな。ほとほと、小汚いヤツラだ」
桃太郎は、居丈高に言いました。
「桃太郎さん。今日、桃太郎さん、が、お越しになると聞いて、腕によりをかけて、料理を作って、待っていました。私達は桃太郎さん、の誤解を解いて、桃太郎さん、と、友達になりたいのです。どうぞ、お召し上がり下さい」
そう言って、ラムは、膳に乗せた、料理を、桃太郎に差し出しました。
そこには、美味そうな料理と、酒が、乗っていました。
「お前らは、ほとほと、小汚いヤツラだな。そんな、見え透いた、騙し、に、なんか、乗るものか。その料理と酒には、毒が含まれていることくらい、バカでもわかるわ」
そう言って、桃太郎は、料理と酒の乗った、膳を蹴とばしました。
きれいに盛りつけられた料理は、地面に散らばりました。
「ああっ」
ラムは、それを見て、ポロポロと涙を流しました。
「男の鬼は、全員、前に出ろ」
桃太郎は、厳しい口調で、鬼たちに向かって、言いました。
言われて、何人もの男の鬼たちが、前に出ました。
「よし。全員、手を後ろに回せ」
桃太郎は、言いました。
男の鬼たちは、桃太郎に言われて、手を背中に回しました。
「犬。猿。雉。こいつらを、後ろ手に縛り上げろ」
桃太郎が、三匹の、家来に命じました。
「かってん。承知しやした」
犬、猿、雉、は、嬉しそうに、急いで、男の鬼たちの所に行き、縄で、男の鬼たちを、後ろ手に縛りました。
「お前らは、戦力になるからな」
桃太郎は、男の鬼たちを、ジロリと見ながら言いました。
「犬、猿、雉。次は、こいつらの首を、縄で縛って、それを数珠つなぎ、に、つなぎ合わせろ」
と、桃太郎は、命じました。
「へい。わかりやした」
犬、猿、雉、は、男の鬼たちを、一列に並ばせ、首を、縄で巻いて、固結びにし、それを、一本の縄で、数珠つなぎに、つなぎ合わせました。
「お前らは戦闘員に成りうるからな」
桃太郎は、厳しい目つきで、男の鬼たちを、ジロリと見ました。
しかし、男の鬼たちは、ジャニーズ事務所の俳優のようで、体つきも、弱々しく、表情も、おとなしそく、弱々しそうで、男といえど、とても、屈強な戦力になれるようには、見えませんでした。
桃太郎は、男の鬼の一匹、を、ボクッ、と、殴りました。
「お前らは、オレについて来い」
そう言って、桃太郎は、歩き出しました。
数珠つなぎにされた男の鬼たちは、桃太郎の命令に従って、桃太郎の後について行きました。
「あ。あの。桃太郎さま。私たちを、どこへ連れていくのでしょうか?」
気の小さそうな、男の鬼が、弱々しい口調で、桃太郎に聞きました。
しかし、桃太郎は、振り返ることもなく、
「うるさい。お前らは、オレの言う事を聞いてりゃいいんだ」
と、高飛車に叱りつけました。
鬼たちは、どこへ連れていかれるんだろうと、不安げな様子で、桃太郎の後について行きました。
桃太郎は、浜辺の、すぐ上にある、切り立った絶壁に、鬼たちを、連れて行きました。
真下の、女の鬼たちがいる、浜辺から、50mくらいの高さの、切り立った絶壁です。
「よし。それじゃあ、お前たちは、崖の縁の前に、一列に並べ」
桃太郎は、そう命じました。
「な、何をするんですか?」
男の鬼たちは、不安そうに、しかし、桃太郎の命令には、逆らえないので、崖の前の、縁に一列に並びました。
真下の、浜辺では、女の鬼たちが、絶壁の前に立たされている、男の鬼たち、を、不安げに見つめています。
桃太郎は、一瞬、ニヤリと、笑ったかとおもうと、端っこの、鬼の一匹を、思い切り、ドン、と、蹴とばしました。
「ああー」
鬼たちは、叫びました。
鬼たちは、首を、縄で、数珠つなぎ、に、つながれているので、一匹が、崖から、落とされると、その引力に引っ張られて、連鎖的に、どんどん、崖から、落ちて行き、ついに、全員が、崖から、落ちてしまいました。
そして、崖の下の、岩にぶつかって、即死したり、頚椎を損傷したり、と、回復不能な重症になってしまいました。
まだ、息のある鬼は、「ああー」、と血を流しながら、息も絶え絶えに、かろうじて、断末魔のか細い、声を、あげました。
女の鬼たちは、急いで、男の鬼たちの所に駆けつけました。
「ああ。あなた。死なないで」
女の鬼たちは、それぞれ、自分の夫や、彼氏や、婚約者の、男の鬼たちに、涙を流しながら、もう、助かる見込みのない、臨終を見届けようと、しっかりと、手を握りしめました。
「ああ。オレはもうダメだ。しかし、お前に、看取られて死んでいくのは、幸せだよ。しかし、人間さまを怨んではいけないよ。暴力に暴力で、対抗していたら、人間さまの世界も、我々、鬼たちの世界も、滅んでしまうからね」
男の鬼たちは、そう、言いながら、死んでいきました。
男の鬼たちが、息をひきとる時、女の鬼たちは、「わーん」、と、大粒の涙を流しながら、叫びました。
最愛の、夫、や、婚約者、や、彼氏が、死んでいくのですから、女の鬼たちの、悲しみは、筆舌に尽くせません。
さらに、鬼が島の、鬼たちは、みな、家族のように、仲良く暮らしているので、自分の、夫でない、男の鬼たちの、死、も、胸が張り裂けるような、悲しみなのです。
「これで、確実に戦力になるヤツらは、退治できたな」
桃太郎は、勝ち誇ったように言いました。
夫を殺されて、泣いていた、ラムは、桃太郎の方に、振り向きました。
「桃太郎さま。あんまりです。私たちか、一体、どんな悪い事をしたというでしょう?」
ラムが泣きながら、言いました。
「おー。まだ、反抗的な口調。まだ、反省していないな」
と、桃太郎は、厳しく言いました。
その時、犬、猿、雉、が戻ってきました。
大きな金塊を口に咥えて。
「桃太郎さま。島の中に、大量の金塊が見つかりました。その一部を持って来ました」
と、犬、猿、雉、は、口に咥えていた、金塊を、吐き出して、言いました。
「やっぱりな。お前らは、それを資金にして、イランか、シリアか、ウクライナか、どこかの国からか、核兵器を購入する気だったんだな」
と、桃太郎が、言いました。
「ち、違います。ここでは、金がとれるのです。出来たら、私たちは、日本と、国交を結んで、日本と貿易したいと思っているのです。でも、日本の人たちは、私達を怖がって、気味悪がって、つき合ってくれません。なので、仕方なく、いつか、国交が結べる時のために、保存しているだけなのです」
ラムは必死に訴えました。
「ふん。見え透いたウソを言うな。これらの軍資金は没収する」
桃太郎は、厳しく言いました。
「は、はい。差し上げます。ですから、もう、これ以上の、お咎めは、お許し下さい」
ラムが、土下座して言いました。
「ダメだ。お前たちは、軍資金を、こっそり、貯め込んでいて、いつか、日本を、征服しようと、思っているような、とんでもない、極悪人だからな。悪い芽は、全部、潰すにかぎる。お前たちは、全員、殺す」
鬼たちの顔が真っ青になりました。
「桃太郎さま。そんなことだけは、お許し下さい。私が、この島の代表者です。私は、どんな、酷い罰でも、受けます。ですから、他の鬼たちは、どうか、殺さないで下さい」
ラムは泣きながら、訴えました。
桃太郎は、しばし、思案げな顔で、鬼たちを見ていました。
「そうか。オレも一応、武士だからな。武士の情け、というものは、持っている。だから、お前たちを、殺すのは、勘弁してやる」
桃太郎は、居丈高に言いました。
「あ、有難うございます。桃太郎さま」
ラムは、土下座して、ペコペコ何度も、頭を下げながら言いました。
「しかし、無罪放免というわけには、いかないぞ」
桃太郎は、厳しく、釘刺しました。
「は、はい。何なりと、罰は受けます」
ラムは、すぐに答えました。
「よし。じゃあ、全員、着てる物を全部、脱いで裸になれ。服の中に武器を隠しているかもしれないからな」
桃太郎が厳しい口調で命じました。
「わ、わかりました」
女の鬼たちは、シクシク泣きながら、着ている物を脱いで、皆、裸になりました。
「犬、猿、雉。こいつらを、全員、縄で後ろ手に縛り上げろ」
桃太郎は、そう命じました。
犬、猿、雉、の三匹は、
「へい。わかりやした」
と、言って、裸になった、女の鬼たちを、いやらしそうな目で、見ながら、嬉しそうに、女の鬼たちを、全員、後ろ手に、縛り上げました。
「犬、猿、雉。裸になっても、女の体には、まだ武器を隠す所があるからな。徹底的に、調べろ」
桃太郎は、そう命じました。
「へい。わかりやした」
そう言って、犬、猿、雉、は、裸になって、後ろ手に縛り上げられている、女の鬼たちに、襲いかかりました。
そして、「おい。足を大きく開け」、と言って、女の鬼たちに、股を大きく開かせました。
犬、猿、雉、は、女の股間の、恥ずかしい所を、念入りに、調べました。
女の鬼たちは、悲しそうな顔を虚空に向けて涙を流しながら、犬、猿、雉、に、されるがままに、なっていました。
桃太郎は、裸になったラムを、ドンと押し倒しました。
「これが、お前の罰だ」
桃太郎は、そう言って、ズボンとパンツを脱ぎ、下半身を露出しました。
桃太郎は、体重100kg以上ある巨漢なので、マラも人並みはすれて大きく、そして、そのマラは、天狗の鼻のように、激しく怒張していました。
桃太郎は、TBSの山口敬之が詩織さんに襲いかかるように、ラムに襲いかかりました。
桃太郎は、ラムに馬乗りになると、ハアハアと、息を荒くしながら、ラムの胸を、わし掴みにして、荒々しく揉みました。
「ほれ。しゃぶれ」
そう言って、桃太郎は、ラムの口に、激しく怒張したマラをつきつけました。
ラムは、悲しそうな顔をしながら、桃太郎の、激しく怒張したマラを、ハラハラと涙を流しながら、口に含みました。
「お姉ちゃんをいじめないで」
岩陰に隠れていた、ラムの弟が、泣き叫んで、言いました。
「うぬ。男の鬼は、みんな出てくるよう、言ったはずなのに、お前は、出てこなかったんだな。やっぱり、鬼はウソつきの悪いヤツらだ」
「桃太郎さま。許してあげて下さい。あの子は、ロムという名前で、まだ、物心のつかない、幼い、私の弟なのです」
ラムは、必死に訴えましたが、桃太郎は、ラムの訴えなど、無視して、そして、太く怒張した、マラをラムの股間の女の割れ目に挿入しました。
そして、ハアハアと、喘ぎながら、
「ああー。出る―」
と、叫び、ラムの膣内に、大量の、ザーメンを放出しました。
桃太郎は、若くて、性欲旺盛なので、つづけて、もう二回、ラムの膣内に、ザーメンを放出しました。
コトが済むと、桃太郎は、
「はあ。スッキリした」
と、言って、すっくと、立ち上がり、服を着ました。
ラムは、TBSの山口敬之に犯された詩織さんのように、シクシク泣いていました。
犬、猿、雉、は、まだ、女の鬼たちを、弄んでいます。
「お前たち。もう、そろそろ、鬼たちから、離れろ。また、いつでも、やらせてやるから」
桃太郎は、そう言いました。
桃太郎に言われて、犬、猿、雉、は、女の鬼たちから、離れました。
少し、残念そうな様子です。
「犬、猿、雉。おい。お前たちは、さっき、男の鬼たち、に、したように、こいつらの首を、縄で縛って、それを数珠つなぎ、に、つなぎ合わせろ」
桃太郎は、命じました。
「へい。わかりやした」
犬、猿、雉、は、女の鬼たちを、一列に並ばせ、首を、縄で巻いて、固結びにし、それを、一本の縄で、つなぎ合わせました。
女の鬼たちは、後ろ手に縛られているので、胸も恥部も、隠しようがありません。
「さて。お前たちの、今後の処分だが・・・。お前たちは、放っておくと、金を資金源にして、核兵器をシリアから、購入して、日本を征服するからな。お前たちが、悪さをしないように、全員、日本に、連行する」
と、桃太郎は、厳しく言いました。
桃太郎は、女の鬼たちを、船の方に、連れて行きました。
「さあ。お前たち。船に乗れ」
桃太郎は、そう命じました。
犬、猿、雉、も、吠えたり、つついたりして、女の鬼たちを、船に乗るよう急かしました。
「こ、こわいわ」
「わたし。行きたくない」
女の鬼たちは、日本という、未知の国に連れていかれる恐怖に、みな、脅えていました。
「みんな。抵抗しないで。桃太郎さまに従いましょう。殺さないで、生かして、くださるだけで、幸せと、思いましょう。私たちは、一心同体よ」
ラムが、みなを励ましました。
「はい。ラムさま」
怖がっていた、女の鬼たちは、ラムの言葉に、励まされて、少し、ほっとした様子で、船に乗り込みました。
桃太郎の、乗ってきた船は、大型で、女の鬼たちを、全員、船に乗せることが、出来ました。
ラムの弟も、船に乗せました。
そして、桃太郎は、犬、猿、雉、に命じて、島にあるだけの、金塊を、全部、持ってこさせ、船に積み込みました。
「鬼が島の地中に埋まっている、金は、後日、日本政府に知らせて、全部、採掘させよう」
桃太郎は、そう言って、船に乗り込みました。
犬、猿、雉、も、船に乗り込みました。
桃太郎と、犬、猿、雉、と、女の鬼たちを、乗せた、船は、鬼が島を出て、日本に向かいました。
女の鬼たちは、船の中で、身を寄せ合って、一塊になって、ブルブル震えています。
船は、風を切って、一途、日本に、進みました。
やがて、日本が見えてきました。
桃太郎は、捕縛した、女の鬼たちと、金塊の山を、どっさり、持って、爺さんと、婆さん、の家にもどりました。
「おーい。爺さん。婆さん。帰ってきたぜ」
桃太郎は、玄関で、大声で、言いました。
すると、すぐに、パタパタと、足音が聞こえ、爺さんと、婆さん、が、玄関を開けました。
「爺さん。婆さん。鬼が島に行って、見事、鬼を退治してきたぜ」
桃太郎は、得意満面で、言いました。
「おお。桃太郎。よくやってくれた。お前は立派だよ。これでもう、村人は、悪い鬼どもの、恐怖に悩まされなくてすむ。本当に有難うよ」
そう言って、爺さんと、婆さん、は、桃太郎の活躍を褒め讃えました。
「いやあ。悪人を退治するのは、人間として、当然のことさ。それより、腹が減っているんだ。鬼が島の、鬼たちは、毒入りの食事を、言葉巧みに、だまして、オレに食わそうとしたんだが、その手にはのらかったんだ。だから、何も食ってないんで、腹ペコなんだ」
桃太郎が、言いました。
婆さん、が、桃太郎に、大盛りの、牛丼を差し出しました。
桃太郎は、それを、ガツガツと食べました。
「ああ。そうかい。腹が減っては、戦が出来ぬ、というからね。さぞ、大変だったんだね」
婆さん、は、そう言って、桃太郎を、座敷にあげました。
家の外には、裸で、後ろ手に縛られた、女の鬼たちが、憔悴した表情で、並んでいます。
「おや。桃太郎。鬼を連れてきたりして。お前は、鬼を退治したんじゃないのかね。どういうことなんだね?」
婆さん、が、訝しそうな顔で、聞きました。
「ああ。男の鬼どもは、ちゃんと全部、退治したよ。ヤツラは、筋骨隆々とした巨漢ばかりで、毛むくじゃらで、金棒を振り回して、オレに襲いかかってきたけど、オレが、全部、ブチのめしてやったよ。女の鬼たちも、オレに、料理といって、毒殺しようとしたんだ。鬼が島には、金が豊富に埋蔵されていて、女の鬼どもは、それを、こっそり貯め込んで、それを軍資金にして、ウクライナから、核兵器を購入して、日本を征服しようと、企んでいるんだ。女の鬼どもも、退治するべきか、どうか、オレは、非常に迷ったんだ。しかし、オレも武士だからな。悩みに悩んだ末、悪事を犯さないよう、命だけは、奪わないでやろうと情けをかけてやることにしたんだ。しかし、こいつらを鬼が島に放っておくと、悪事を働くからな。こうして、連行してきたんだ」
桃太郎は、牛丼を食べながら言いました。
「おお。桃太郎や。お前は、腕力、度胸だけではなく、悪人にも、情けをかけてやる、情け心も、持っているんだね。感心したよ」
そう言って、婆さんは、桃太郎を、畏敬の念をもって、讃えました。
桃太郎が鬼退治したことは、すぐに、村人に知れ渡りました。
マスコミは、殺到して、桃太郎の所に集まり、桃太郎の偉業は、全ての大手新聞で大々的に報道されました。
桃太郎は、名誉県民となり、さらに、名誉県民賞も受けました。
○
さて、一方、捕縛された、女の鬼たちの顛末は、というと。
女の鬼たちは、今まで、さんざん、悪さを働いてきた罰として、徹底的に厳しく罰されました。
女の鬼たちは、村の一軒一軒に、奴隷として、引き取られていきました。
鬼は、人間ではありませんから、「人権」、というものがありません。
動物と同じなのです。
村は、過疎化で、農業や工場の、働き手が、いませんでしたから、女の鬼たちは、いい労働力となり、一日、16時間以上の労働をさせられました。
ラムとラムの弟のロムは、桃太郎の家に飼われました。
そして、一日の労働が終わって、飼い主の家に帰ると、そこでは、まだ、洗濯、や、掃除、食事の支度、食事の後片付け、などをさせられました。
食事は、わずかでした。
鬼たちは、あまりの重労働に、次々に、過労死していきました。
ラムの弟は、まだ幼く、農作業は出来ず、家で、掃除、や、洗濯、などの仕事をさせられました。
ラムにとっては、昼間の農作業から、帰ってきて、弟に会えることが、唯一の楽しみでした。
ラムは、アラビアンナイトのように、想像力を働かせて、弟に、面白い話を、考え出して、話してあげました。
その逢瀬が、ラムにとっても、ラムの弟ロムにとっても、一番、心が休まる時でした。
「ロム。つらくても負けないでね。姉さんも頑張るから」
「うん」
と、ロムは、笑顔で言いました。
しかし、そんな、二匹の生活も、長くは続きませんでした。
ある時、ラムが、昼間の農作業が終わって、桃太郎の家にもどってきた時のことです。
ラムは、「ああー」、と悲鳴をあげました。
無理もありません。
ラムの弟、ロムが裸にされ、後ろ手に縛られて、その縄尻は、家の梁に吊るされていたからです。
そして、爺さんと、婆さん、が、竹のムチで、ロムを叩いていたからです。
ロムは、泣きながら、
「ごめんなさい。ごめんなさい」
と、叫んでいました。
しかし、爺さんと、婆さん、は、ロムを叩くのをやめません。
「おじいさん。おばあさん。なぜ、そんなことをするのですか?」
ラムが、弟をムチ打っている、爺さんと、婆さん、に聞きました。
「最近。お寺の、お墓の、お供え物、が、なくなっていることが、村の問題になっていたんだよ。そして、今日、このガキが、お寺の、お供え物、を、盗んでいるのを、村の子供が見つけたんだよ。それ以外にも、家々で、作っている、柿や梨が、盗られる、ことが、村の問題になってたのさ。最近までは、なかったことなんだよ。それで、こうして、折檻したら、自分が盗んでいたと、白状したんだよ。やっぱり、鬼は、子供でも、根っから悪い生き物だね。もう、二度と、悪さしないように、こうして、折檻しているのさ」
と、婆さん、が言いました。
ラムは、急いで、ロムの所に行きました。
「おじいさん。おばあさん。許してあげて下さい。育ちざかりの、男の子なのです。お腹かすいて、我慢できなくなったんでしょう」
ラムは、涙を流しながら、許しを乞いました。
「ふん。ダメだね。情けをかけて、生かしておいてやったと思ったら、すぐさま、泥棒だ。今度は、強盗をするか、火付けをするか、人殺し、をするか、どんな悪さをするか、わかったものじゃない。この際、徹底的に、折檻して、二度と悪さ、しないように、しておかないとね」
そう言って、婆さん、は、ロムの尻を、竹で、ビシーンと叩きました。
「そうじゃ。そうじゃ。婆さん、の言う通りじゃ。この際、根っから性悪な、鬼の根性を徹底的に叩き直しておかんとな」
そう言って、じいさんも、ロムの尻を、竹で、ビシーンと叩きました。
爺さんと、婆さん、は、代わる代わる、ロムの体を、叩き続けました。
「ごめんなさい。ごめんなさい。許して下さい。もう二度と、物を盗んで食べたりしません」
ロムは、泣きながら、訴えました。
しかし、おじいさん、と、おばあさん、は、聞く耳を持ちません。
ロムの体を、竹で、叩き続けました。
ラムは、土間に、土下座して、地面に、頭をこすりつけ、ポロポロ涙を流しながら、
「おじいさん、おばあさん。お願いです。許してあげて下さい」
と、訴えました。
しかし、爺さんは、
「ふん。鬼の社会では、悪さ、をしても、放ったらかしているんだろう。だから、(善)という心が芽生えないんだよ。しかし、人間の社会では、法律もあれば、心に、(良心)もあるからね。悪いことを、したら、罰を与えて、ちゃんと、しつけ、というものを、しているんだよ。だから、人間の社会は、平和なんだよ」
と、言いました。
「おじいさん。おばあさん。まだ、育ち盛りの、幼い子供なのです。どうか、もう許してあげて下さい。罰は私が受けます」
と、ラムは言いました。
言われて、爺さん、と、婆さん、は、ラムの弟を竹で打つのを、やめました。
「そうか。お前が、ちゃんと、しつけ、を、しなかったから、こんな悪い事を平気でする、ガキになってしまったんだからな。お前にも責任がある。じゃあ、このガキの、折檻は、このくらいで、勘弁してやる。そのかわり、お前が、監督不行き届き、の責任の罰を受けろ」
と、爺さん、は、言いました。
「はい。私の監督不行き届きです。いかなる罰も、私が受けます。ですので、どうか、弟は、許してあげて下さい」
と、ラムは、涙を流しながら言いました。
「そうか。じゃあ、弟は許してやる」
爺さん、は、そう言って、弟を縛っている縄を解きました。
弟は、後ろ手に縛られた、縄を解かれて、自由になりました。
そして、脱がされた服を拾って、座敷から、降り、土間に降りました。
鬼は、座敷に上がることは、許されず、家に入っても、土間までしか、許されなかったのです。
おじいさん、は、土間に、正座している、ラムに視線を向けました。
「おい。ラム。こっちへ来い」
おじいさん、が、言いました。
「はい」
ラムは、恐る恐る、座敷に上がりました。
「では、弟を許してやった、代わりに、今度は、お前の、監督不行き届きの折檻じゃ。さあ。着ている物を、脱げ」
「はい」
お爺さん、に、言われて、ラムは、服を脱ぎました。
ラムは、服を脱ぐと、恥ずかしそうに、胸と股間を、そっと、隠しました。
無理もありません。
鬼は、頭に、二本の、小さな角が生えている、という違いを除けば、体は、人間と、全く同じなのです。
ラムは、プロポーションが良く、胸は大きく、腰は、キュッと、くびれていて、大きな尻に、スラリとした、下肢をしていました。
「お前の罰も、弟と同じ、百叩きじゃ」
お爺さん、は、そう言って、ラムの、両手を、つかみ、グイと、背中に回し、後ろ手に、縛りました。
そして、その縄尻を、天井の、梁にかけました。
これで、ラムは、天井から、吊るされた格好になりました。
「悪い鬼め。監督不行き届きの罰じゃ」
そう言って、お爺さん、と、おばあさん、は、ラムの体を、竹で、叩き始めました。
ピシっ、ピシっ、と、お爺さん、と、お婆さん、は、弟の時と同じように、ラムの尻、や、太腿、を、交互に、力一杯、叩きました。
「ああー」
ラムは、眉を寄せ、苦しげな、叫び声を上げ続けました。
「お姉ちゃんを、いじめないで」
土間に、座っている、ラムの弟が、泣きながら、言いました。
しかし、お爺さん、と、お婆さん、は、弟の訴えなど、どこ吹く風、と、いった様子です。
「性悪な鬼は、徹底的に、折檻しておかないとな」
そう言って、お爺さん、と、お婆さん、は、容赦なく、思い切り、ラムを、竹で、叩き続けました。
「ああー」
ラムは、悲鳴をあげ続けました。
・・・・・・・・・
もう、ラムを叩き続けて、一時間くらい、経ちました。
ラムの折檻を、横になって、眺めていた、桃太郎は、しだいに、ハアハアと、息を荒くして、股間をさすり出しました。
「爺さん。婆さん。もう、そろそろ、折檻は終わりにしてやりな。この鬼も、多少は、反省したかも、しれないからな。あとはオレに任せてくれ」
桃太郎は、スッくと、立ち上がって、言いました。
「おお。桃太郎や。お前は、悪人をも許す、優しい心を持っているんだね、この女の鬼が、本当に、反省したのか、どうかは、わからないけど、わしらも、いい加減、疲れてきたからね。あとは、お前に任せるよ」
と、婆さん、が、言いました。
「おじいさん。おばあさん。もう、疲れたでしょう。もう、寝て下さい。あとの始末は、オレがやっておきます」
そう、桃太郎が、言いました。
「じゃあ、あとは、頼んだよ」
そう言って、爺さんと、婆さん、は、部屋を出て行きました。
部屋には、桃太郎と、裸で、吊るされているラムだけと、なりました。
ラムは、桃太郎に、憐みを求めるような目を、向けました。
「もうちょっと、お前を折檻する必要があるな」
桃太郎は、そう言うと、ラムの背後に回りました。
そして、背後から、ラムの豊満な胸を、ムズと、つかみ、荒々しく、揉み出しました。
そして、ズボンを脱ぎ、天狗の鼻のように、激しく、勃起した、マラを、ハアハア、息を荒くしながら、ラムの尻の割れ目に、激しく押しつけました。
「も、もう、我慢できん」
桃太郎は、そう言うと、急いで、天井の梁から、吊るされている、ラムの縄を解きました。
それによって、ラムは、後ろ手だけの縛め、となり、ラムは、クナクナと、畳みの上に、座り込みました。
桃太郎は、後ろ手に縛られた、ラムを、倒して仰向けにしました。
そして、ラムの、股を、大きく広げました。
そして、激しく怒張した、マラを、ラムの股間の割れ目に、突き刺しました。
桃太郎は、ハアハアと、しばし、腰を揺すっていましたが、すぐに、
「ああー。出る―」
と、叫んで、大量の、ザーメンを、ラムの体内に放出しました。
ラムは、TBSの山口敬之に犯された詩織さんのように、悲しみの涙を流していました。
「よし。じゃあ、今日は、これくらいで、折檻は勘弁してやる」
そう言って、桃太郎は、ラムの後ろ手の縄を解きました。
そして、桃太郎は、部屋を出て行きました。
ラムは、そっと立ち上がって、着物を着ました。
「お姉ちゃん。ごめんね。僕が、食べ物を盗んじゃったために、お姉ちゃん、まで、つらい目にあわせちゃって」
土間にいた、弟のロム、が、泣きながら、姉の所に駆け寄ってきました。
「いいのよ。ロムは、育ちざかりで、いつも、お腹を減らしている、ということを、気づけなかった私が悪いのよ。でも、これからは、もう、食べ物を盗まないでね。これからは、私の食事を、ロムに、わけてあげるから」
ラムは、微笑んで、弟の頭を、優しく撫でました。
その夜、二人は、しっかり、手をつなぎながら、床に入りました。
寝る前に、ラムは、いつものように、ロムに、日本の名作文学を読んでやりました。
その日は、ラムは、ロムに、伊藤左千夫の、「野菊の花」、を朗読してやりました。
そして、ラムは、ロムの頭を撫でながら、子守唄を歌ってやりました。
烏 なぜ啼くの 烏はやま山に
可愛い 七つの 子があるからよ
可愛 可愛と 烏は啼くの
可愛 可愛と 啼くんだよ
山の 古巣へ いって見て御覧
丸い眼をした いい子だよ
ロムは、いつものように、だんだん、ウトウトし出し、そして、眠りに就きました。
翌日からも、ラムは、早朝に、婆さん、に、叩き起こされて、きつい農作業を、やらされました。
朝早くから、夜遅くまでです。
爺さん、婆さん、にしてみれば、弟のロムも、働かせたいのですが、まだ、幼くて、力もなく、仕事を、ちゃんと出来ないのです。
人間社会には、労働基準法がありますので、一応、労働時間、に関する制限あります。
しかし、鬼は、人間ではありません。なので。
労働基準法、第5条(強制労働の禁止)の、「 使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によって、労働者の意志に反して労働を強制してはならない。」、も、当てはまりません。
いくらでも、長時間、こき使っても、いいのです。
なので、ラムは、人間では、過労死ラインの、一日、12時間労働、なども、当てはまらず、一日、16時間以上も、働かせられました。
日が暮れて、農作業が、終わると、工場へ行かされ、流れ作業を、やらされました。
もちろん、働いたからといって、賃金など、支給されません。
しかし、あまり、こき使い過ぎて、過労死されては、元も子もありませんので、過労死にならない範囲で、こき使われました。
江戸時代の、「百姓は生かさず、殺さず」、と同じ方針です。
ロムは、大人の仕事が出来ないので、家の掃除、の他に、買い物、郵便物の投函、村の家々に行かされて、掃除、などの雑用をさせられていました。
○
ある日のことです。
ラムが仕事から、帰って、粗末な食事を食べ、弟のロムと一緒に、布団を被りました。
ロムは、姉に、ひっし、と、泣きながら抱きつきました。
「わーん。わーん。わーん」
ロムが、あまりにも、激しく泣くので、ラムは、弟の頭を、さやしく撫でました。
「どうしたの。ロム。なにか、つらいことがあったの?」
ラムが、聞きました。
「うん」
ロムは、泣きながら、肯きました。
「どうしたの。何があったの?」
ラムが、聞きました。
「今まで、恥ずかしくて、言えなかったんだけど。使いで、外に出た時、いつも、村の子供たちに、いじわるされていたんだ。石を投げつけられたり、取り囲まれて、寄ってたかって、殴られたり、蹴られたり、されていたんだ。でも、今日の、いじめ、は、特に、ひどかったんだよ」
と、ロムは、泣きながら、言いました。
「どうしたの。何があったの?」
ラムが、聞きました。
「いつも、通る道に、落とし穴が、作られていたんだ。それに、落っこちて、しまったんだ。かなり深い落とし穴で、抜け出ることが出来なかったんだ。そこに、村の子供たち、が、集まって来たんだ。ニヤニヤ笑いながら、マムシを、何匹も、落とし穴の中に、放り込んだんだ。マムシに噛まれて、死んでしまうんじゃないかと、怖かったんだ」
ロムは、泣きながら、言いました。
マムシに噛まれたら、急いで血清を注射しなければ、死んでしまいますから、これは、ただ事ではありません。
ラムは、そんな深い、巧妙な、落とし穴は、とても、子供たち、だけでは、作れず、また、子供たちでは、マムシを、もってくることも、出来ないでしょうから、これは、大人も手伝っている、と直感しました。
ここに至って、ラムは、とうとう、生命の危険を、確実に、実感しました。
自分たち、鬼の種が、滅んでしまうのは、耐えられないことです。
「ロム。わかったわ。人間様には、悪いけど。明日。ここを脱出して逃げましょう。このままでは、私たち、鬼たちは、みんな、殺されてしまうわ」
ラムが、言いました。
「でも、どうやって逃げるの。すぐに、人間に、捕まってしまうよ?」
弟が聞きました。
「村の子供の中に、赤い服を着た、ツインテールの、女の子がいるでしょ。右の頬っぺたに、ほくろ、が、ある子。あの子は、お寺の子で、やさしい性格で、あの子だけは、私たち、鬼をいじめないでしょ。だから、あの子に、頼んで、かくまってもらいましょう。あの子なら、きっと、かくまってくれるわ」
ラムが、言いました。
「ああ。あの子か。洋子って、みんなが呼んでたよ。あの子だけは、道で会っても、いじわる、しないで、くれるよ」
弟が言いました。
「でも、かくまってくれるかな?」
弟が不安けに聞きました。
「あの子は、お寺の子でしょ。お父さんは、お寺の住職でしょ。住職さまは、聖職者だわ。だから、きっと、かくまってくれるわよ。そのお寺で、一生懸命、働いて、亡命するお金を貯めましょう。ドイツなら、難民・移民の受け入れに寛容だわ。お金が貯まったら、ドイツに亡命しましょう。それに、望みを託しましょう」
「うん」
ラムの説得で、弟も納得しました。
二人は、手を握りしめ合って、眠りました。
翌日、ラムは、早朝、いつものように、農作業に出ました。
弟のロムも、昼頃、使いのため、郵便局に出ました。
しかし、ロムは、郵便局には行かず、姉の働いている、畑に行きました。
二人は、帽子をかぶって、頭の角が目につかないようして、洋子の家に行きました。
トントン。
二人は、洋子の家の玄関をノックしました。
すると、「はーい」、という声と共に、家の中で、パタパタ走る足音が聞こえました。
ガチャリ。
玄関の戸が開かれました。
少女が、そっと顔を出しました。
「あ、あの。洋子さんですね」
ラムは、おどおどと、した、口調で言いました。
ラムは、まだ、洋子が、自分たちを、かくまってくれるか、どうか、確信が持てず、おびえていたからです。
「あっ。あなた達は・・・」
洋子は、鬼の姉と、その弟の、突然の訪問に、躊躇している様子でした。
「何のご用でしょうか?」
洋子が聞きました。
「あ、あの。ちょっと、相談したいことがありまして、やって参りました。家に入れて頂けないでしょうか?」
ラムが、言いました。
洋子は、ちょっと、思案気な顔で、鬼の姉弟を、見ていましたが、
「わかりました。今、父は留守です。が、どうぞ、お上がり下さい」
と、言いました。
「ありがとうございます」
ラムは礼を言って、弟のロムと、家の中に、入りました。
二人は、六畳の部屋に通されました。
洋子が、お茶をもってやって来ました。
「どうぞ」
洋子は、二人に、お茶を差し出しました。
「ありがとうございます」
ラムは、礼を言って、二人は、茶を飲みました。
「あ、あの。お父様は、いらっしゃらないのでしょうか?」
ラムが、聞きました。
「父は、所用あって、東京に出ています。明後日、帰ってくる予定です」
と、洋子が、言いました。
「あの。ご用件は何でしょうか?」
洋子が聞きました。
「あ、あの。洋子さまも、知っておられると思いますが、私たち、鬼は、人間さまに、いじめられています。弟は、落とし穴に入れられて、マムシを放り込まれました。このままでは、私たちは、絶滅してしまいます。ですので、考えに考えた挙句、桃太郎さまには、申し訳ありませんが、桃太郎さまの、家を脱出することにしました。そこで、どこか、移民・難民の受け入れに寛容な国に亡命したいと思っているのです。それまでの間、私たちを、かくまってもらえないでしょうか?どんな、お仕事でも、致します」
ラムが、言いました。
洋子は、黙って聞いていましたが、腕組みして、しばし、考え込んでいる様子でした。
しばしの後、洋子は、顔を上げました。
「わかりました。かくまいましょう」
と、洋子は、ニコッと笑って言いました。
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
ラムは、涙をポロポロ流しながら、畳に頭を擦りつけて、言いました。
その時、ラムの隣りに座っているロムの腹が、グーとなりました。
「あ、あの。洋子さま」
ラムが、おそるおそる、おずおずと、言いました。
「はい。何ですか?」
「お泊めさせていただけるだけでも、大変、ありがたいのですが。大変、厚かましいのですが、一つお願いがあるのです。聞いていただけないでしょうか?」
「はい。何でしょうか?」
「あ、あの。何か、食べ物をいただけないでしょうか。何でも構いません。私は、ともかく、弟が、育ち盛りなのに、ろくに食事をしていないので、体が衰弱しているのです。餓死寸前なのです」
ラムが、言いました。
洋子は、しばし、考え込んでいる様子でした。
しばしの後、洋子は、顔を上げました。
「わかりました。昨夜、カレーライスを、たくさん、作りましたので、温めます。ご飯も温めて、持ってきます」
洋子は、明るい笑顔で、快活な口調で言いました。
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
ラムは、ポロポロ涙を流しながら、頭をペコペコ下げました。
洋子は、部屋を出て行きました。
「よかったわね。ロム」
「うん。人間にも、優しい人は、いるんだね」
二人は、微笑みあいました。
すぐに、洋子は、もどってきました。
電子炊飯器、と、鍋、と、皿二つを持って。
洋子は、炊飯器から、ご飯を、皿に乗せ、それに、鍋の、カレーを、たっぷり、かけました。
美味そうな、カレーライスが、湯気をたてていました。
「さあ。ラムさん。ロム君。召し上がって下さい。ご飯、も、カレー、も、いっぱい、ありますから、いくらでも、おかわりして下さい」
洋子は、ニコッと、笑って、二人に、カレーライスを、差し出しました。
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
礼を言うや、二人は、カレーライスを、食べ始めました。
毎日、わずかな、ひもじい食事で、飢えていたので、二人は、貪るように、無我夢中で、カレーライスを、搔き込みました。
「おいしいわ。おいしいわ。ああ。なんて、美味しいんでしょう」
と、言いながら。
「お疲れになっているでしょう」
そう言って、洋子は、押入れ、を開けて、敷き布団、と、掛け布団、を出し、畳に敷きました。
「どうぞ。食事のあとは、ゆっくり、お休み下さい」
洋子が言いました。
「ありがとうございます。洋子さま」
ラムは、泣きながら、礼を言いました。
「では、二人で、ごゆっくり、くつろいで下さい」
そう言って、洋子は、部屋を出て行きました。
「ありがとうございます。洋子さま」
ラムは、泣きながら、礼を言いました。
洋子が去ると、二人は、二杯目、三杯目、の、カレーライスを、ガツガツ、食べました。
餓死寸前、だったのですから、無理もありません。
「よかったわね。ロム」
ラムが、言いました。
「うん。人間にも、優しい人は、いるんだね」
ロムが、カレーライスを食べながら、言いました。
二人は、人間の愛、に、感謝しながら、カレーライスを、食べました。
二人は、洋子が持ってきた、炊飯器と、鍋の中に入っている、ご飯、と、カレー、を、全部、食べてしまいました。
二人にとって、食欲が満たされたのは、鬼が島にいた時、以来です。
久しぶりに、腹が満たされて、胃袋に、大量の血液が行ったため、二人に、眠気が起こってきました。
「ロム。ちっょと、食後の食休み、をとりましょう。せっかく、洋子さんが、布団を敷いて下さったのだから」
ラムが言いました。
「うん」
ロムが返事しました。
二人は、洋子の敷いてくれた、布団に、横になりました。
長い期間の、重労働の疲れから、解放された、安心感、そして、食後の眠気から、睡魔がやって来て、いつしか、二人は、眠りに就きました。
二人は、泥のように眠りました。
・・・・・・・
「おい。起きろ」
どのくらい寝たでしょう。
声が聞こえました。
しかし、二人は、とても、気持ちのいい、深い眠りに就いていたので、パッ、と起きることは、出来ませんでした。
「おい。起きろ」
再び、今度は、大きな声が聞こえました。
ラムは、眠い目を、こすりながら、うっすらと、目を開きました。
「ああっ」
ラムは、びっくりして、叫び声をあげました。
無理もありません。
なぜなら、ラムの目の前には、桃太郎と、爺さんと、婆さん、そして、洋子が、並んで、立っていたからです。
なぜ、彼らが、ここにいるのか、ラムには、わかりませんでした。
「話は全て洋子から聞いた。お前たちのような、悪鬼でも、情けをかけて、生かしておいて、やっているのに、無断で、逃げ出すとは、とんでもないヤツらだ。やはり、お前らは、根っからの悪鬼だな」
桃太郎が、怒りに満ちた顔で、ラムをにらみつけながら、言いました。
ラムは、一体、どういうことなのか、わけがわからず、桃太郎の隣りにいる、洋子に視線を向けました。
「よ、洋子さん。これは、一体、どういうことなのでしょうか?」
ラムは、気が動転しながらも、聞きました。
しかし、洋子は、黙っています。
桃太郎が、洋子の肩に手をかけました。
「しかし、洋子さん。あなたの、機転のおかげで、悪い鬼を、とっ捕まえることが出来ました。ありがとう」
そう、桃太郎は、洋子に言いました。
それに応えて、洋子が話し出しました。
「いえ。私も、鬼が、いきなり、やって来た、時には、もの凄く、こわかったでした。悲鳴をあげて、逃げ出そうか、とも思いました。しかし、逃げても、私の走力では、とても、逃げ切れず、鬼に、とっ捕まえられてしまい、人質にとられ、そして、殴ったり、蹴ったりと、暴力を振るわれることは、目に見えていました。なにせ、父のいない留守を狙って、やって来た計画的犯行ですから。鬼は、私の家に、ズカズカと入り込んできました。そして、食事を出せ、と、命じました。しかし、私は、それを、鬼から逃げる、チャンスだと思いました。そこで、食事を出し、寝るよう、仕向けました。幸い、父の、常用の、睡眠薬がありましたから、いっぱい、食事の中に入れておきました。幸い、鬼は、眠り出しました。鬼が、起きないうちに、桃太郎さんの、家に、辿りつけるかどうか、本当に、怖かったでした。鬼が、起きて、私を、追っかけてきて、捕まえられないか、と不安で、不安で、仕方ありませんでした」
そう、洋子は、言いました。
「洋子さん。あんまりです。私たちは、そんなことは、全く、考えていません」
ラムは、涙をポロポロ流しながら、言いました。
桃太郎は、ラムを蹴とばしました。
「お前たちは、根っからの悪鬼だな。無断で、脱走して、民家に押し入って、こんな幼い子を人質にとる、押し入り強盗なんて。徹底的に、折檻して、お前たちの、根性を叩き直してやるから、覚悟しろ」
桃太郎は、厳しい口調で言いました。
「さあ。立て」
そう言って、桃太郎は、ラムと、ロム、を蹴とばしました。
ラムは、憔悴した表情で、立ち上がりました。
「お姉ちゃん。こわいよう。こわいよう」
ロムも、泣きながら、姉の、服の裾をつかみながら、立ち上がりました。
桃太郎は、縄で、ラムと、ロムを、後ろ手に縛りました。
「さあ。家に帰るんだ」
桃太郎は、洋子の家を出ました。
そして縄尻を握りながら、ラムとロムを、蹴りながら、家に向かいました。
ラムは、ガックリと、項垂れて、桃太郎の前を歩きました。
「おーい。どうしたんじゃ」
帰途の道中で、村人の一行が、鬼を連行している、桃太郎と、爺さん、婆さん、に聞きました。
「この鬼どもがな。脱走したんだ。そして、住職が留守なのを、いいことに、住職の、幼い娘を人質にとって、押し入り強盗したんだ」
桃太郎は、村人たちに言いました。
「ほーう。そうか」
「お前たちも、自分の家で、飼っている鬼には、注意しろ。鬼は、根っからの悪人だ。うわべは、おとなしく、見せかけて、とんでもない悪事をたくらんでいるからな」
桃太郎は、言いました。
「そうか。わかった。せいぜい、気をつけるわ」
村人たちは、言いました。
「さあ。とっとと歩け。今日は、お前を、とことん、折檻してくれるわ」
爺さんが、言って、ラムの背中を、ドンと押しました。
「わしらも、ついていっていいかの?」
村人たちが聞きました。
「ああ。いいとも。悪さをしたら、どうなるか。とくと、皆にも、見て欲しいからの」
爺さんが言いました。
「では、行くべ」
村人たちは、ゾロゾロ、爺さんに、ついて行きました。
ようやく、爺さんの家に着きました。
桃太郎は、鬼の姉弟を、ドンと突き飛ばして、家に入れました。
村人たちも、爺さんの家に入りました。
爺さんは、ラムの、後ろ手の、縛め、を、解きました。
「さあ。どう、折檻してやろうか」
爺さんは、ラムの前に、仁王立ち、して、折檻の方法を考えている様子です。
「水責め、火責め、そして、耳そぎ、生爪はがし、などが、いいじゃろ。二人とも、額に、(悪鬼)、の烙印を捺してやるべ」
と、婆さん、が、言いました。
ラムは、その言葉、を、聞いただけで、震えあがりました。
「もうしわけありませんでした。もうしわけありませんでした。もう、二度と、逃げたり致しません」
ラムは、畳に、頭を、こすりつけて、謝りました。
「まず、責め、の、手始め、として、ウグイスの谷渡り、を、やらせたら、いいじゃろ。女子の責め、の、基本じゃからの」
爺さんが言いました。
「おう。それがいい」
「わし。一度、女子の、ウグイスの谷渡り、を、見てみたい、と、思っていたんじゃ」
村人たちは、みな、賛同しました。
しかし、「ウグイスの谷渡り」、と、聞いても、ラムには、何のことだかわかりませんでした。
ラムは、何をされるのか、という恐怖心だけで、頭がいっぱい、でした。
「ウグイスの谷渡り、とは、何ぞな?」
一人、村人で、それを、知らない者がいました。
「お前。知らんのか?」
「ああ」
「じゃあ、見ていろ。面白い見物じゃて」
村人が、ニヤリと、笑いました。
爺さんは、押入れから、麻縄を取り出しました。
それは、ただの縄ではなく、30cmくらいの間隔で、縄が縒られて、等間隔に縄の瘤が、たくさんある、縄でした。
爺さんは、その縄を、床に、一直線に置きました。
そして、爺さんは、縄の片方を、部屋の一方の壁、の留め金に、カッチリと結びつけました。
そして、今度は、反対側の壁へ行き、同様に、留め金に、もう一方の縄を、ひっかけました。
そして、縄を、思い切り引き絞ってから、留め金に、カッチリと結びつけました。
瘤が、たくさんある、縄が、水平に、一直線に、ピンと張りました。
爺さんは、ラムの後ろ手の縄を解きました。
「ラム。裸になりんしゃい」
爺さんが言いました。
「はい」
ラムは、素直な口調で言って、着ている物を脱いで、丸裸になりました。
爺さんは、ラムの、両手を、グイと、つかむと、また、背中に、回し、手首を縛りました。
そして、ラムを立たせました。
「ふふふ。この縄を跨ぎんしゃい」
爺さんが言いました。
ラムは、言われるまま、ピンと張った、縄を、おそるおそる跨ぎました。
「ああっ」
ラムは、悲鳴を上げました。
ピンと張った縄が、ラムの股間に、激しく、食い込んだからです。
村人たちは、いやらしい目つきで、ラムを見ていました。
無理もありません。
鬼は、頭に、二つの、小さな、角が生えている、という点を除けば、体は、人間と全く同じなのですから。
村人たちは、いやらしい視線を、ラムに向けました。
「ふふふ。これで終わりと思ったら、大間違いじゃけん」
そう言って、爺さんは、ラムの、ムッチリした尻を、細い竹の棒で、ピシャリと叩きました。
「さあ。歩きんしゃい」
言われて、ラムは、不安げな表情で、ゆっくりと歩き出しました。
「ああっ」
ラムは、切ない顔で、喘ぎ声を出しました。
歩くことによって、縄が、ラムの、敏感な股間を、意地悪く、擦ったからです。
村人たち、の、視線が、縄が、食い込んでいる、ラムの、股間に、集まりました。
「おおっ。すごい。色っぽいべな」
そう言って、村人たちは、ゴクリと生唾を飲み込みました。
ピンと張った縄が、股間に深く、食い込んでいる姿は、極めて、みじめで、いやらしい姿でした。
「さあ。歩きんしゃい」
爺さんは、命令的な口調で、ラムの、ムッチリした、尻を細い竹の棒で、ピシャリと叩きました。
言われて、ラムは、爪先立ちで、足をプルプル震わせながら、足を前に進めました。
少しでも、前に進むと、縄が、女の陰部の割れ目を擦りました。
ラムは、
「ああっ」
と、切ない喘ぎ声を出しました。
とうとう、縄の所々に縒られて出来ている、最初の縄の瘤、が近づいてきました。
瘤が、ラムの、恥部に触れました。
ラムの全身が、ピクンと震えました。
ラムは、前に進むのを、ためらってしまって、立ち止まってしまいました。
しかし、それを、爺さんは、許しませんでした。
「さあ。とっとと、歩きんしゃい」
そう言って、爺さんは、ラムの、ムッチリした、尻を細い竹の棒で、ピシャリと叩きました。
「は、はい」
言われて、ラムは、不安げな表情で、ゆっくりと歩き出しました。
「ああっ」
ラムは、切ない顔で、ひときわ大きな、喘ぎ声を出して、全身をくねらせました。
なぜなら、ただでさえ、ピンと張られて、女の股間に、深く食い込んでいる、縄は、ラムが歩く度に、女の敏感な股間を、意地悪く擦って刺激するのに、縄の瘤は、一際、強く、ラムの敏感な股間を、前から、後ろへと、擦っていくからです。
「ああー」
ラムは、足をモジつかせて、進んでいきました。
「つ、つらいです。も、もう、許して下さい」
ラムは、全身を震わせて、目に涙を浮かべて、訴えました。
「しかし、ムッチリとした尻じゃな」
「乳房も、ぶっくりと膨らんでいて、太腿も、髪も、女子の体、全てが、色っぽい、べな」
「わし。チンポさ。おっ立ってきたわ」
「わしもじゃ」
「わしもじゃ」
そう言いながら、村人たちは、勃起した、マラを、服の上から、扱き出しました。
無理もありません。
鬼は、頭に、二つの、小さな、角が生えている、という点を除けば、体は、人間と全く同じなのです。
「さあ。とっとと、歩きんしゃい」
そう言って、爺さんは、最初の、縄の瘤を、通り過ぎた、ラムの、ムッチリした、尻を細い竹の棒で、ピシャリと叩きました。
「は、はい」
言われて、ラムは、不安げな表情で、ゆっくりと歩き出しました。
そうして、ラムは、二番目、三番目、の、縄の瘤、を通り過ぎていきました。
縄の瘤、を、通り過ぎる度に、ラムは、
「ああっ」
と、苦しげに、喘ぎ声を出して、体を震わせました。
「おお。若い、美しい女子(おなご)が、みじめに、苦しむ、姿は、美しゅうて、哀愁があって、何とも言えぬ、この世で最高の、光景じゃのう」
「おお。そうじゃな」
「そうじゃ。そうじゃ」
村人たちは、興奮しながら、口々に、そう言いました。
「さあ。とっとと、歩きんしゃい。壁に体が触れるまで歩きんしゃい」
そう言って、爺さんは、ラムの、ムッチリした、尻を細い竹の棒で、ピシャリと叩きました。
「は、はい」
ラムは、縄の瘤を通過する度に、「ああっ」、と、喘ぎ声を出しながら、ゆっくりと歩いていきました。
周りの老人達の、いやらしい視線が、自分の尻や陰部に集まっているのを感じながら。
そして。とうとう、ラムの体は、歩いていた前方の壁に着きました。
ラムは、疲れで、ハアハア、肩で息をしていました。
「ふふ。ようついたの。これで、綱渡りは勘弁してやるけん」
そう言うと、爺さんは、ラムの後ろの壁の、留め金に、結んであった、縄を解きました。
ピンと、張っていた、仕置きの縄が、一気に緩み、床に落ちました。
「あ、ありがとうございます。おじいさん」
そう言うや、ラムは、恥ずかしさ、と、疲れで、クナクナと、後ろ手の丸裸のまま、床に座り込もうとしました。
「ふふふ。これで、終わりと思ったら、大間違いじゃけん」
爺さんは意味ありげな口調で言いました。
「座っては、ダメじゃ。立ったままで、いんしゃい」
そう言って、爺さんは、ラムの、ムッチリした尻を細い竹の棒で、ピシャリと叩きました。
言われて、ラムは、丸裸を見られる、恥ずかしさに、耐えながら、また、立ち上がりました。
爺さんは、ラムが進んでいって、到達した前方の壁の留め金に結んである縄も解きました。
ラムをいじめていた、瘤のある縄は、張力を失って、床の上に一直線に置かれました。
「おい。田吾作。銀次。ちょっと、こっちへ来い」
爺さんは、二人の老人を見て言いました。
言われた二人の老人は、「ほいきた」、と、ホクホクした顔で立ち上がりました。
「田吾作。お前は、女子の前に立て」
言われて、田吾作は、ラムの前に立ちました。
「銀次。お前は、女子の後ろに立て」
言われて、銀次は、ラムの後ろに立ちました。
ラムを挟むように、ラムの、前と後ろに、二人の老人が、立ちました。
「おい。田吾作。銀次。床にある縄をつかめ」
爺さんが言いました。
「おう。わかった」
田吾作と銀次の二人は、床にある縄をつかみました。
「な、何をするんですか?」
ラムは、脅えた顔で爺さんを見ました。
だが、爺さんは、ラムの質問に答えません。
「田吾作。銀次。二人で、思い切り、縄を引っ張るんじゃ」
爺さんが大きな声で言いました。
「おう。わかったけん」
田吾作と銀次は、爺さんの、意を解しました。
二人ともニヤリと笑いました。
ラムも、爺さんの意図が、わかって、顔が、真っ青になりました。
「や、やめてー」
ラムは、叫びましだか、田吾作と、銀次の二人は、やめません。
二人は、互いに、縄を自分の方に、強く引っ張りました。
縄は、また、ラムの、股間に食い込みました。
「よし。田吾作。銀次。二人で、縄を引きあうんじゃ」
爺さんが言いました。
「おい。銀次。縄の綱引きじゃ。わしが、引く時は、お前は、力を緩めろ。その次は、お前が引け。わしは、力を緩めるけん」
田吾作は、ラムの、後ろで、縄を握っている、銀次に言いました。
「おう。わかったけん」
そう言って、銀次は、ニヤリと笑いました。
二人は、縄の綱引きを始めました。
田吾作が、「えいさっ」、と、掛け声をかけて、縄を引っ張ると、次には、ラムの、後ろの、銀次が、「ほいさっ」、と、掛け声をかけて、縄を引っ張りました。
二人は、大鋸を使って、巨木を切る木こりのように、代わりばんこに、縄を引っ張りあいました。
ラムは、
「ああー。やめてー」
と、叫び声を出しました。
無理もありません。
二人が、縄を引っ張る度に、ラムの、股間は、激しく縄に擦られるからです。
しかも、縄の瘤、が、歩いていた時とは、比べものにならないほど、速い頻度で、ラムの、敏感な股間を、擦っていきました。
「ああー。やめてー」
ラムは、髪を振り乱して、許しを乞いました。
「ふふふ。この責めは、何とも、面白いの」
田吾作が、ほくそ笑みながら言いました。
「おおー。めんこい女子が、こんなふうに、いじめられる姿は、最高じゃのう」
「ほんま。そうやな」
村人たちが達が言いました。
二人は、20分くらい、縄の綱引きをしました。
「お願いです。もう許して下さい」
ラムは、激しく身悶えしながら、訴えました。
「そうか。女子の、一番、大切な所が、傷ついては、可哀想じゃからな。このくらいで、やめてやるとするか」
爺さんは、そう言って、田吾作と銀次に向かって、
「おーい。もう、そろそろ、今回の折檻は終わりじゃ」
と、声を掛けました。
「おう。わかったぞな」
そう言って、二人は、縄の綱引きを、やめました。
二人が、引っ張っていた縄を緩めると、ラムは、クナクナと座り込みました。
ラムは、座ることは出来たものの、後ろ手に縛られています。
なので、丸見えの、乳房も、大きな尻も隠すことが出来ません。
「よし。このくらいで、許してやるべか」
そう言って、爺さんは、ラムの、後ろ手の縄を解きました。
「おう。今日の折檻は、これで終わりじゃ。もう、夜も遅いじゃて。家に帰りんしゃい」
爺さんが言いました。
言われて、村人たちは、
「おう。わかったぞな」
と言って、立ち上がりました。
村人たちは、「あー。面白い見物じゃった」、と言いながら、桃太郎の家から出て行きました。
ラムは、自由になりましたが、激しい、疲れから、床に倒れ伏したまま、身動き出来ませんでした。
「お姉ちゃん。大丈夫?」
弟のロムが、急いで、ラムの、所に駆けつけました。
「ええ。大丈夫よ」
そう言って、ラムは、かろうじて立ち上がって、着物を着ました。
その晩、ラムと、ロムは、ガッシリと抱き合って、眠りました。
ラムは、あまりにも、疲れていたので、その晩は、弟に、子守唄を歌ってやる気力もありませんでした。
翌日からも、ラムは、時々、昼間の農作業が終わると、夜は、村人たちの、酒の肴に、折檻と称して、淫靡な責め、を受けるようになりました。
○
ある晩のことです。
その日も、折檻、と称して、ラムは、いたぶられていました。
ラムは、丸裸にされ、後ろ手に縛られ、その縄尻は、天井の梁に、つながれて、吊るされていました。
その周りを、村人たちが、酒を飲みながら、取り囲んでいました。
村は、過疎地なので、若者は、みな、都会に出て行き、村は、老人しか、いませんでした。
村人たちは、酒を飲みながら、裸のラムをいやらしい目つきで、眺めています。
老人たちは、時々、ラムの尻や胸を揉んだり、股間を触ったり、と、好き勝手なことをしていました。
意地の悪い者は、ラムの、陰毛を一本だけ、つまんで、ブチっ、と、引き抜いたり、吸っている、タバコの先を、ラムの尻に、サッと、おしつけたりしていました。
その度に、ラムは、
「ひいー」
と、体をくねらせて、叫び声を上げました。
村人たちは、そんなラムを見て、「ふふふ」、と、笑い合いました。
桃太郎は、寝転がって、ラムの折檻を、眺めていましたが、ついと、立ち上がり、
ラムの前に来ました。
そして、ラムを、吊っている、縄を、外しました。
ラムは、後ろ手に縛られた、丸裸のまま、床に仰向けに、寝かされました。
桃太郎は、ズボンを脱ぐと、ラムの胸を荒々しく揉みました。
桃太郎のマラは、激しく怒張しています。
桃太郎は、ハアハアと、息を荒くしながら、激しく怒張した、マラを、ラムの股間の割れ目に、挿入しました。
桃太郎は、腰を激しく揺すりました。
桃太郎は、だんだん、ハアハアと、息が荒くなっていきました。
そして、
「ああー。出るー」
と、叫んで、ラムの体内に、大量の、精液を放出しました。
村人たちは、
「桃太郎さん。あんたは、いいな。若いから、立って。わしらは、もう、立たんよ」
と、残念そうに、言いました。
桃太郎は、ラムから、離れました。
ぐったりして、床の上に寝ている、ラムを、村人たちは、今度は、蝋燭を垂らし始めました。
ポタポタと、熱い蝋が、ラムの体に、滴り落ちました。
「ああー。熱いー。熱いー」
と、ラムは、泣き叫びました。
その時。
それぞれの、家で、飼われている、鬼たちが、一斉に、桃太郎の家に、やって来ました。
「人間さま。どうか、ラムさま、を、いじめないで下さい」
鬼たちは、泣きながら、訴えました。
無理もありません。
ラムは、鬼たちが、敬愛し、崇拝する、鬼たちの女王さま、なのですから。
村人たちは、
「やっ。お前たち。家を勝手に出ては、いけない、という規則をやぶったな」
と、怒りました。
「とっとと、家にもどれ」
と言って、村人たちは、鬼たちを、怒鳴りつけました。
しかし、鬼たちは、再度、
「人間さま。どうか、ラムさま、を、いじめないで下さい。ラムさまは、私たちの崇拝する女王さま、なのです」
と、泣きながら、訴えました。
爺さんは、ギロリと、女の鬼たちを、にらみつけました。
「仕方がないな。お前たち。自分の家で、飼っている、鬼どもを、家に連れて行け。そして、家から出られないよう、縄で、柱に、くくりつけてこい」
と、爺さん、は、言いました。
「おう。わかった」
そう言って、村人たちは、自分の家で飼っている、鬼たちを、家に、連れ戻しました。
ロムに対する、村の子供たちの、いじめ、も、ひどくなりました。
ある日。
ロムは、川に落とされて、滝から落ちて、死んでしまいました。
ラムは、泣いて悲しみました。
あまりの、ショックに、ラムは、呆然自失しました。
ラムは、きつい農作業と、弟の死のショックから、体が衰弱していき、そして肺炎にかかって、死んでしまいました。
女の鬼たちは、みな、
「もう。ラム様のいない、この世に、未練はない」
と言って、次々と入水して、死んでいきました。
そして、鬼たちは、全員、死にました。
こうして、鬼は全滅しました。
こうして、鬼は桃太郎によって、退治されました。
桃太郎は、人間をおびやかす悪い鬼を退治したということで、国民栄誉賞を受賞しました。
平成30年3月18日(日)擱筆