東京都住宅供給公社 丸山町住宅

東京都住宅供給公社 丸山町住宅
所在地:文京区 千石3-16
構造・階数・戸数:RC・4F・6棟・174戸
建設年:1951(昭和26)
解体年:2005(平成17)
Photo 1996.5.31

 江戸期には池田甲斐守の屋敷、戦前は川崎財閥の川崎八右衛門邸だったという場所にあった公社住宅。小石川左岸の高台に6棟の4階建て集合住宅が建っていた。写真は東南側3棟のようす。左手前側は2棟が連続していたようだ。

 下記、リンク先の資料によれば、戦後の早い段階で完成していたそうだが、モダンでそれほど古くは見えない建物だった。

 なお、この西南側の丸山町南住宅(1955築)は2018年頃解体され、北側の丸山北住宅(1957築)も2003年頃解体され、それぞれ民間のマンションに建て替えられている。

建替問題委員会20241120tatekaelesto.pdf
コーシャハイム千石 | JKK東京

Tokyo Lost Architecture
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小西酒舗

小西酒舗
所在地:文京区 小石川1-26
構造・階数:木・2
建設年 :戦後?
解体年代:2010~14(平成22~26)
Photo 2007.5.20

 「小西」は江戸時代前期の1641(寛永18)に芝口(現在の新橋付近)で小西弥兵衛が開いた酒屋が始まりという。関西でつくられた酒を江戸で売って繁盛し、のれん分けをしたことで都内には多くの小西酒店がある。港区にある愛宕小西は今も小西家が運営しているようだ。

 小石川のこの小西酒舗もその流れの酒屋さんだったようだ。当初は小西を名乗っていなかったのか、戦後まもなくの火保図(1953年)では「馬場酒店」となっていた。

 木造モルタルの看板建築で、「小西酒舗」と大書された看板が玄関上に掲げられていたのが印象的。角地に面していて西側の側面も道路に面していたが、西側には勝手口のような入口があるだけで、2階も含めてほかに全く開口部がなかったのがちょっと不思議。また、写真の頃は自販機での販売が主になっていたのか、入口の扉一枚を除いた全てに自販機が置かれていた。

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NTT小石川第2ビル

NTT小石川第2ビル
所在地:文京区 小石川1-21
構造・階数:RC・3+R
建設年:1938(昭和13)頃?
解体年:2015(平成27)頃
Photo 2011.9.27

 白山通り沿いの敷地に建っていた電話局。建物は白山通り沿いではなく、街区北側の通りに沿って建っていた。当初は白山通り沿いには別の建物があったが、道路の拡幅で通り沿いの建物がなくなって白山通りにも面した敷地になったらしい。建物の玄関は白山通りから入った駐車場の奥だったようで、建物が道路に接した北側には入口がなかった。そのあたりはちょっと不思議だが、電話交換局で関係者しか入らない建物だったからかもしれない。

 軒先に庇が出ているが、他は長方形の窓が開いているだけで装飾らしきものはなく、モダニズムらしいデザインの建物だった。1階は灰色の石張りで、2、3階は白色系(薄いクリーム色?)。南西端に丸い煙突があった。


 街区北側の道から  Photo 2011.9.27


 白山通り東側から  Photo 2008.3.28


 街区西南側から  Photo 2011.9.27

 建設時期は正確には分からなかった。国土地理院地理院地図掲載の1936年6月11日撮影の航空写真では、L字型の3階建てがあるようには見えないので、それ以前ではなさそうだ。1937(昭和12)年発行の火災保険特殊地図には既に同型の建物が記されているが、下記「昭和回顧録 建築編」の記事によれば、1938(昭和13)年竣工としているサイトがあるとのこと(現在、そのサイトは消失)。火保図の記載と矛盾してしまうが、1937年にほぼ完成していたので記載されたと考えても良いのかもしれない(ちょっと強引な解釈かもしれないが・・・)。

 1944年11月7日撮影の航空写真や、戦後の1947年7月9日に米軍が撮影した航空写真にははっきり写っている。

NTT小石川電話局別館/小石川1丁目 | 昭和回顧録 建築編

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理容オハラ

理容オハラ
所在地:文京区 大塚5-16
構造・階数:木・2
建設年:?
解体年:2014(平成26)
Photo 2006.3.24

 田口邸と同様、大塚坂下通り沿いにあった看板建築。こちらはモルタル塗りで、上部はトタンがもとの壁面の上に被せられていた。上部と左サイドの傷みが激しかったのか、その部分だけが補修され、下のほうは昔のままになっていた。切妻、妻入りで、中央上部が傘型になったいたのが上部の特徴。

 2階中央の金属製の出っ張りは用途不明。梯子のようにも見えるが、それにしては間隔が開きすぎているし、そもそもそこに梯子を付ける目的が分からない。

 玄関前には自立型の床屋のサインポールと、壁面設置型のものが付いていた。また、玄関だけは昔からの木製扉になっていた。

理容オハラ、きしのパン店/文京区大塚5丁目 | 昭和回顧録 建築編

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田口邸

田口邸
所在地:文京区 大塚5-14
構造・階数:木・2
建設年:昭和初期?
解体年:2008(平成20)
Photo 1996.10.12

 大塚坂下通りに面して建っていた銅板張り看板建築。昔はなんらかの商店だったのだろうと思われるが、業種や屋号は知らず。

 前方が高い片流れ屋根だが、3階建てではなかった模様。銅板は、上部は菱形、2階は下見板状に張られていた。側面はトタン張り。

 少し前まで残っていたような気がしていたが、調べてみたら17年も前に無くなっていた。

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I 邸

I 邸
所在地:新宿区 西早稲田2丁目
構造・階数:木・2
建設年:昭和初期?
解体年:2008〜09(平成20〜21)
Photo 2004.5.11

 早稲田通りと諏訪通りの間の西早稲田2丁目、早大各務記念材料技術研究所(材研)のそばにあった文化住宅

 狭い道に面して建っていたので全景を上手く写真に収めることができず、後方の在来和風二階建ての部分は撮り損ねてしまった。

 洋館部分の屋根は半切妻で、ドイツ破風とも呼ばれる形。壁や窓は改修されていてきれいだった。この数年後に建て替えられたが、ここには現在も従前の方がお住まいのようだ。

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升本酒店

升本酒店
所在地:新宿区 納戸町9
構造・階数:木・2
建設年:?
解体年:2016〜17(平成28〜29)
備考 :1897(明治30)創業
Photo 1995.12.18

 牛込中央通り沿いにある酒屋の旧建物。寄棟屋根、総二階で、外壁はモルタル塗り。道路側の2階の窓は出格子。

 菊正宗、大関月桂冠など、日本酒ブランドの看板が掲げられているのが印象的だった。


 Photo 2015.2.20

 一枚目写真の後、2015年に見た時は屋根が瓦からスレートに葺き替えられて、壁面もきれいになっていた。

 この少し後に建て替えられて、現在は4階建ての升本レジデンスとなっている。新しいビルでも酒店は営業を続けていて、写真の看板の一部は軒先に掲げられている。

納戸町 升本酒店:トップページ

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斉藤庄蔵商店、坂井材木店

斉藤庄蔵商店
所在地:港区 三田1-1
建設年:戦後まもなく
解体年:2001(平成13)頃
Photo 1998.4.22

坂井材木店
所在地:港区 三田1-1
建設年:戦後まもなく
解体年:2020(令和2)
Photo 2010.6.6

 2軒とも、古川を背にして営業していた材木店。写真奥に古川の上空に造られた首都高速都心環状線が見えている。

 戦前、戦後の火災保険特殊地図によれば、古川河口付近には材木店や製材所が多く建ち並んでいたようだ。船で古川まで運ばれてきた材木をここで荷揚げして、製材などをして売っていたらしい。

 古地図によれば、このあたりは新門前町と呼ばれた場所。下記リンク先の記事には、江戸時代中期の1700年頃に荷揚げ場が造られ、1800年代には町屋が建てられるようになった。そして穀物、石材、材木商が多かったと記されている。だとするとここには創業が江戸時代にさかのぼるような店もあったのかもしれない。

 ただ、川沿いのこの場所は、戦時中、建物疎開地に指定されていたそうなので、木造のこれらの倉庫は戦後に改めて建てられたものだっただろう。

 写真の店が5年前になくなり、界隈にこのような材木店はなくなった。現在、跡地はマンションやオフィスビルになっている。

【芝①058】芝新門前町 | 江戸町巡り

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二本榎通り沿いの看板建築

二本榎通り沿いの看板建築  栗栖ランドリー、旧今井電話工業所
所在地:港区 高輪3-7
構造・階数:木・2
建設年代:戦前
解体年代:2021〜22(令和3〜4)
Photo 2006.3.10

 尾根道の二本榎通り沿い、味の素記念館の向かい側あたりに建っていた二棟の二軒続き看板建築。手前側の棟の左側(青い庇)は栗栖ランドリー。右は写真の時点では既に仕舞屋だったが、1960年代の住宅地図では今井電話工業所と記されていた店。2軒続きなので、昔は左側も銅板張りだったのかもしれない。
 数年前に解体され、現在はコインパーキングになっている。


 旧今井電話工業所   Photo 1995.6.6

 一枚目の10年ほど前は、1階の引き戸が昔ながらの木製になっていた。銅板は上部の壁面だけ斜めに張ってあった。また1階庇も◇が連続する張り方になっていた。

スナック小猫ちゃん、君塚食糧販売所
所在地:港区 高輪3-7
構造・階数:木・2
建設年代:戦前
解体年代:2006〜08(平成18〜20)
Photo 2006.3.10

 2棟の2軒続き看板建築を南側から撮ったもの。手前の銅板張りがスナック小猫ちゃん、右隣が君塚食糧販売所(米店)。その向こうが1枚目の栗栖ランドリーなど。2棟は間が少し離れているが、両端の銅板張り看板建築で銅板の張り方が同じ(軒先の銅板が斜めに張られ、庇部分は◇が並ぶデザイン)なので、ひとまとまりで建てられた看板建築だったのかもしれない。

 スナック小猫ちゃんの部分は2006〜08年頃に解体され、現在は3階建てになっている。だがこの部分は環状4号線の予定地のようなので、もしかすると現在の建物も解体されるかもしれない。隣の君塚食糧販売所も道路予定地かもしれないが、こちらは予定地かどうか微妙な位置で、2023年9月時点のGoogle Street Viewでも建物が残っていて、お店も営業を続けている。

二本榎通り沿いの看板建築 港区高輪 - 東京ノスタルジア

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