「デジタルアートはアートじゃない!」
そう言われることもあります。それでも描き続けたい理由が、僕にはあります。
手描きで表現する作品は、素晴らしいものだと思います。

紙の質感、筆のタッチ、色のにじみ。
そこにしかない美しさがあるのは、とてもよくわかります。だけどデジタルだって、自分らしく表現するアートだって思うんです。
むしろ、心の奥にある“まだ誰にも見たことのない風景”を描くのに、デジタルだからこそ届いた世界がそこにはある。
「それって本当にアートなの?」今でもそう言われることはあります。
だから僕はこう答えたい。「誰かの“それっぽさ”より、心が動いた瞬間のほうがアートなんじゃないか」って。
それを表現する方法は、その人らしさがあればいいんじゃないかなぁ。
目次
アートって、誰が決めるの?
昔、写真が登場したとき、『これはアートじゃない』『技術でしかない』そう言われていたことも多かったそうです。

でも今では、写真もCGも映像も、れっきとした“表現の一つ”として当たり前になってきました。
“正しさ”や“本物らしさ”って、実はとても曖昧で、時代と共に変わっていくもの。だからこそ、誰かの「それは違う」という言葉で、自身の表現をやめる必要はありません。
世の中には『ドリームキラー』という言葉があります。
「あなたのこと理解できない」
「そんなのアートじゃない」
そう言って、自分の考えを押し付けてくる人がいます。
その人の言葉を気にしながらつくる作品って、本当に自分が創りたいものなの?
アートは自由でなければいけない、アートはその人らしさじゃなければいけない。
芸術家として東京展開して思ったこと、それは『自分のアートは自分が決めればいい』ということでした。
デジタルだからこそ描けた“自分の世界”

僕がデジタルで表現したいのは、見えないはずの“日常の中にある幻想”です。
例えば、夜明け前の薄いグレーの空、雨が止んだばかりの街路樹のしっとりとした緑、そして、ふと誰かの気配を感じた静かな場所。
それらを忠実に描くより「“感じたまま”に描きたい」そう思ったとき、デジタルだとなぜか自由に表現できるんです。
レイヤーで重ねていく光、現実には存在しない空の色。
僕にとってそれは建築のようなもので、新しい『日常と幻想』という設計図を描いて組み立てていく建造物なんです。
これが、デジタルだからこそ描ける僕らしい世界です。
思い描くのはAIじゃなくて“自分”
心の芯(COA)にある世界を描くのは、AIではなく僕自身です。
たしかに、デジタルは便利です。やり直しができるし、ツールも進化していて言葉を送ればアートな世界が数秒で完成します。
でも、どんなに便利でも、その中に“自分の気持ち”がなければ、ただの画像と同じ。
1枚の作品に向き合っているとき、筆圧、色の選び方、構図の迷い…それは全部、自分の感情との対話です。
デジタル作家をしている僕にとって、仕上げよりも日常にある一瞬の幻想と静けさを、Photoshopでどう組み立てるのかが重要なんです。
素材として撮った写真は、気に入らなければ絶対にAIには出さない。
AIが幻想世界を描いてくれるんじゃない、描いている(撮る)のは僕自身。
そこにAIと言葉を交わしながら、僕の心の中にある世界を創造していくのです。
それでも言われるけど「続けたい」が強い
「簡単そうだね」
「それってAIが作ってるんじゃないの?」
そんなふうに見られることもあるかもしれません。
だからといって、僕がデジタルアートをやめる理由にはなりません。
写真を撮ってデジタルアートを組み上げている時、僕は“静かな余韻に触れている”ような感覚になれます。
誰かに伝えたいというより、まずは自分自身を癒しているのかもしれません。
だから、続ける。
静かに、確かに。
あとがき的にひとこと
もし、デジタルで表現していて「これって意味あるのかな?」と悩んだことがあるなら、少しでも背中を押せたらうれしいです。
あなたの“心が動いた瞬間”は、ちゃんとアートとして誰かに届いてるはずです。


