芸哲宗のブログ

クリエーションは人間に託された力

NFTの未来!2025年以降、デジタル所有権はどう変わるのか?

創造性のマネタイズは・・・

NFTは本当に「終わった」のか?

2021〜2022年のNFTバブルは、多くの人にとって忘れられない記憶だろう。Bored Ape Yacht Clubのフロア価格が一時300ETHを超え、CryptoPunksはセレブのプロフィール画像の定番となった。

 

しかし2023年に入ると市場は急落。「NFTは死んだ」「ただのJPEGだ」と揶揄する声がSNSを席巻した。

 

ところが2025年11月現在、状況は再び変わっている。

 

OpenSeaの月間取引高は2024年後半から連続で前年比プラスに転じ、Solana系NFTの出来高はEthereumを上回る月も出てきた。企業による本格参入も止まらない。

 
「NFTは終わった」という言説は、実はあまりに早計だったのかもしれない。今回は、2025年現在のリアルな市場状況から、2030年に向けた未来像までを徹底的に見ていきたい。

 

どーよ、NFT
 1. 2025年現在のNFT市場、リアルな状況

まず数字から見てみよう。2025年10月のデータ(Dune Analytics基準)では、NFT全体の月間取引高は約9.2億ドル。前年同時期の約3.1億ドルから約3倍に回復している

 

チェーン別では、Solanaが42%、Ethereum(L2含む)が35%、Bitcoin Ordinalsが12%と続く。特にSolanaは低コスト・高速決済が受け、Pudgy PenguinsやMad Ladsといったプロジェクトが牽引している。

一方Ethereumは、Blurのシーズン報酬やBlastのエアドロップ効果でL2への移行が加速。BaseとPolygonがシェアを急速に伸ばしていた。

 

ブルーチップと呼ばれる老舗プロジェクトも底打ち感が強い。

BAYCのフロアは70ETH前後で安定し、AzukiはElementalsの失敗を乗り越えて40ETH台を回復。企業系ではNikeの.SWOOSHが累計売上2億ドルを突破、Reddit Avatarは4,500万個以上がミントされた。

 2. 技術が進化する3つの軸

市場回復の裏側には、確実な技術進化がある。

 

① L2・L3の爆発的普及  
2025年現在、Ethereumメインネットのガス代でNFTを買う人はほぼいない。Base、Blast、zkSync Era、Abstractなど、1トランザクション0.01〜0.03ドルで済む環境が当たり前になった。

 

② アカウント抽象化(ERC-4337)の本格実装  
メールアドレス+パスワードだけでウォレットが作れる。シードフレーズを失くす恐怖がなくなり、ソーシャルリカバリーも標準装備。初心者が「ウォレットを作る」ハードルが劇的に下がった。

 

③ ゼロ知識証明の実用化  
プライバシーを守りながら所有権を証明できるzkNFTや、譲渡不可のSoulbound Token(SBT)が実サービスに降りてきた。学歴・職歴・医療記録などを安全に持ち運べる時代がすぐそこまで来ている。

3. ユースケースが「投機」から「実用」へシフト

かつてのNFTは「右肩上がりを信じて買う」投機商品だった。しかし2025年は、明確なユーティリティを持つNFTが主流になりつつある。

 

・音楽業界では、Royalやanotherblockを通じてアーティストがロイヤリティを永続的に受け取れる仕組みが拡大  

・ライブチケットのNFT化も進み、黄ばん防止+二次流通手数料がアーティストに還元されるモデルが一般的になりつつある  

・ゲームでは『Parallel』『Illuvium』などが「真の所有権」を実現。アイテムを売って生活するプレイヤーも現れた  

・リアルワールドアセット(RWA)のトークン化も加速。不動産の小口所有権や債券をNFTとして発行するプロジェクトが急増している  

・ブランド側は「会員証NFT」が主流に。スターバックスNikeは、NFT保有者だ

 

 

4. 規制と法整備の最新動向

規制の動きも無視できない。

EUでは2024年末にMiCAが完全施行され、NFTは原則として金融商品扱いから除外されたが、投資商品化されたものは規制対象に。これが逆に信頼回復につながっている。

アメリカではSECが2025年に入り「十分に分散化されたNFTコレクションは証券ではない」とのガイドライン案を提示。業界にとっては朗報だ。

日本でも金融庁が2025年6月に「NFTガイドライン」を公表。資金決済法・金商法との棲み分けが明確になりつつあり、大企業が参入しやすい土壌が整いつつある

規制が明確になる=投機家は離れるが、真面目にユーティリティを作るプロジェクトが残る。これが健全な市場形成の第一歩だ。

 5. 2030年に向けた3つの未来シナリオ

ここからは少し先を見据えて、2030年のNFTがどうなっているかを3つのシナリオで描いてみる。

 

シナリオA「メインストリーム化」  

AppleVision Proの次世代モデルでネイティブにNFTウォレットを搭載。GoogleAndroidに標準搭載。10億人規模が「デジタル所有権」を当たり前に使う世界が到来。

シナリオB「ニッチな高級市場」  

物理アートや高級時計と同じポジションに落ち着く。数十万円〜数千万円の本当に価値あるデジタル資産だけが生き残り、一般人はほとんど触らない。

シナリオC「新たな技術に取って代わられる」  

AIエージェントが所有権を管理する時代が到来し、NFTという形式自体が時代遅れになる。ブロックチェーンは裏側で動き続けるが、表に見えないインフラ化。

個人的には、シナリオAが70%、Bが25%、Cが5%くらいの確率だと思っている。というか、希望的観測だな。

 

結論:今、NFTに賭けるべきか?

 

2025年現在の結論を一言で言うなら――  


「投機目的ならまだ様子見でいい。でも『デジタル所有権の未来』に賭けたいなら、今が仕込みどきだ」・・・・ということ。

 

では、個人として準備すべきこととは何だろう?

とりあえず、三つ。


1. せめて1つは自己管理ウォレットを作っておく
2. ユーティリティが明確なプロジェクトを少額で体験してみる
3. プライバシー保護技術(zkなど)の進化をウォッチする

 

企業であれば、会員証・ロイヤリティプログラム・チケットのNFT化を真剣に検討すべきタイミングだと感じる。

最後に、あなたに問いかけたい。  
あなたはNFTのどの未来を信じますか?  

そして、あなたの希望的観測はどんな感じですか?

希望的観測を錬り始めれば、未来に備えての行動となる。

さて、今日何をしますか?

デジタル所有権の歴史は、まだ始まったばかりだ。

 

 

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人間の面白さって、“説明できないこと”にこそ宿ってるんじゃないかと思う。

面白さが創造を想像する
目を閉じゆったりして“直感”を受け取って表現へ繋げていく。意識していないかもしれないが、“直感”はいつもあなたに降り注いでいる。“なにコレ!?”そう感じても、イイと感じたら思い切って表現へ繋げよう。今はまだそれがAIにはできないこと。
(2024/2/10 Xエックスからの抜粋)
人間の面白さって、“説明できないこと”にこそ宿ってるんじゃないかと思う。

たとえば、ふとした瞬間に「これ、いいかも」と感じること。理由なんてないのに、心がピンと反応する。あの瞬間に生まれる小さな“直感”こそ、僕らが本当に生きている証なんじゃないだろうか、なんてマジで思う。
 
考えてみれば、僕たちはずっと「正解」に縛られてきた。

学校でも社会でも、「根拠は?」「なんでそう思うの?」と問われ続け、説明できないものは排除されてきた。でも、人生で本当に大切な選択って、説明のつかない“なんとなく”の積み重ねだったりする。

たとえば、初めて会った人と「この人とは合いそう」と感じる瞬間。それはデータや論理ではなく、体なのか脳なのか、心なのかわからんけど、何かが先にピン!って感じてるんだ。頭で考える前に、心?が“波長”をグッとつかんでる。
 
それにしたって、このピン!は、ほぼほぼ間違わない。大体それを感じると大抵、その後のお付き合いも長く、そして深くなったりする。
 
面白いのは、AIにはこの“波長”がまだわからないということ。先日も、「AIを『意識ある存在』と信じる危うさ」という表題のニュースをみた。
 
下記がその引用

MicrosoftのAI部門のトップ、ムスタファ・スレイマン氏は、AI開発者や研究者は意識を持つAIの構築をやめるべきだと考えているようです。「こうした研究は人間がすべきことではないと思っています」と、スレイマン氏はCNBCのインタビューで語っています。
 
AIは過去の膨大なデータを分析して「最も可能性が高い答え」を導くことは得意だけど、“今ここ”の空気や温度、沈黙の間に流れるエネルギーまでは感じ取れない。人間が「なんとなく」掴んでいるその曖昧さの中に、創造の種がある・・・と思う。
 
たとえば、アーティストが曲をつくるとき。理屈で考えたメロディより、突然ふっと降りてきた旋律の方が心を打つことがある。本人も「なぜ浮かんだかわからない」けれど、その直感の断片が、聴く人の心を動かす。
 
特に攻殻機動隊Kenji Kawai Concert 2007 Cinema Symphony 川井憲次なんて聴きだすと、この直感の強烈な感覚に胸を打たれてシビれ過ぎてしばらく立てなくなる笑
 
そこには、「考えて作った作品」ではなく、「感じて生まれた命」が宿っているからだと思う。
 
AIがどれだけ進化しても、人間の“感じる”という領域にはまだ届かない。なぜなら、直感とは「未知」との出会いそのものだから。データにはない何かが、自分を通して形になるからね。
 
だからこそ、頭で「これ意味あるかな」とか「恥ずかしいかな」とブレーキをかけるより、感じたまま動くことが大事なんだと思う。直感って、最初は小さなささやきなんだよね。「え、今の何?」って戸惑うほどにさりげない。でも、そこに素直に手を伸ばせる人だけが、まだ誰も見たことのない景色を見られる。
 
理性が作る世界は安全で整っているけど、そこには“生きてる実感”が薄い。逆に、直感の世界は予測不能で不安定。でも、その不確かさこそが、人間らしさの源なんじゃないだろうか。
 
僕らの中には、AIがまだ知らない「予感」や「ひらめき」が、激しく、時には優しく、絶えず流れている。

その声をキャッチできるかどうかは、どれだけ静かに耳を澄ませるかにかかってる。
目を閉じて、呼吸を整えて、ふと浮かんだ感覚を信じてみる。
それが“創造”のいちばん最初の扉。
 
AIがまだノックできないその扉を、僕らは自由に開けることができる。
だからこそ、人間ってやっぱり面白い。

 

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最近サボっているXです。

 

Blueskyもやっております。

おはよー🐶 湯気の立つ珈琲が、朝の静寂を優しく満たす。 🌐👾🌏💻🤖👽🖐️ 今朝の空は、Blueskyじゃない。 でも、今日という一日のはじまりは、 Bluesky。 #AIart #AIイラスト #Bluesky

芸 哲宗 (@artetsu.bsky.social) 2025-11-05T21:37:43.750Z

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挑戦と創造の旅

日常こそ幻想かもしれない
ひとりの幸せがほかの誰かの不幸を意味しないことを道行く人々に示すために、歌を歌い、詩を書き、絵を描く。肩書きなんてクリエーションを超えられない。片隅での表現も決して無駄にならない。勇気を持って創造しよう。
(2024/2/9 Xエックスからの抜粋)
 
クリエイティヴ」ってなると、窮屈感じて萎縮してしまう人が多い気がする。
 
けれど、人間は「創造」するために生まれて来たのではないかと思えて仕方ない。ちぃちゃい子供の頃。クリエイティヴな毎日だった記憶ばかりではないですか?
 
ぐちゃぐちゃとした、絵になっていない絵を描く、おもちゃを握って投げる、飛ばす、壊す(笑)
コレって全部まるごと「クリエイティヴ」な表現(笑)
 
本来、人間の脳は制限なく、とてつもなく自由で、元々クリエーションしたくてたまらないんだ、とも思う。
 
それが、いつの間にか、仕事とか職業などという制限されたボーダーラインを引かれはじめて、「稼ぐ」ことと「不自由な生活」を余儀なくされ、子供の頃の純度は馬鹿にされ、「こんなことやってたら食っていけない」という呪文が襲ってきて手放してしまう。
 
そこに反応せずに、「スキ」という漠然とした直感を頼りにやり続けた人が道を自ら作って、その道を歩きはじめる。
 
創造の勇気で、自分らしさは最大限に輝くと思う

日常の中で、目の前の業務に追われ、ふとした瞬間に「なんかこのままじゃいやだな」って気持ち、湧き起こることありませんか? 決して“逃げ”ではなく。
 
別にプロクリじゃなくても、誰だって表現したいことはあるはずなのに、見つける事さえ禁じられているように、人生の中でさまよっている人はメチャ多いと感じます。
 
いや、さまよっていることさえ分からなくなってしまった人たちだって多い。文字も絵も音も動画もすべてが表現のツールだというのに。

創造って単に新しいものを作るだけじゃなく、自分の中にある悶々とした、「形になりきらなくて、まどろっこしいフワフワとしたもの」に意味をつけずに吐き出す行為。
 
「売れるか売れないか」「ウケるかウケないか」をまたいで、吹っ切って一歩踏み出し、振り返る。だからこそ、“アーティスト”は無敵領域に入れる。

「創造すること」の意味

頑丈な≪仕事意識≫を捨てて、≪完全な創造意識≫に入ることが、デトックスになり、瞑想になり、自分で自分を癒したりする。
 
これは、気分晴らしにジムに行くことやヨガで心を鎮めること以上に、何か大切な要素が含まれていると思えてならない。
 
むしろ、そんな小さな損得抜きの行動が、自分を幸せにする第一歩になるんじゃないか、って感じる。
 
実際、僕の知り合いが「仕事のストレス解消に、毎晩ギターを弾く」って習慣を始めてから、表情が明るくなった。創造的活動は、自分を癒すツールとしても最高だとおもう。

大事なのが、「専門家じゃなくていい」っていうマインドセット。社会では「デザイナーじゃないと絵を描いちゃダメ」みたいな無言のプレッシャーがあるけど、そんなのは、完全無視。
 
肩書きはただのラベルで、創造の質を決めるものじゃない。むしろ、素人だからこそ生まれるユニークな視点が、魅力になることの方が多いもの。
 
例えば、料理が苦手な人が作る「適当レシピ」が、SNSで人気出ちゃうみたいな。あれ、プロのシェフじゃ出せない味が出てるね、なんていう人もいる。
 
あなたも、専門家という幻想を超えて、自由にチャレンジして新境地を拓いていく価値を見出してはどうでしょう?

そして、「誰も見てくれないなら意味ない」って思いがちだけど、それは大間違い。
 
実際、創造や創作って言葉が堅苦しくて、仰々しくて、壁があるという錯覚があるけれど、正直いって、今やっている仕事はもしかしたら・・・
 
生命本来の可能性を狭めてしまっているかもしれないのだから。
 

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Blueskyやってます。

おはよー🐶 日本の夏、42年で3週間長く  春秋は短く「二季化」進む (KYODO) 🌐👾🌏💻🤖👽🖐️ それな 毎年〝夏〟が怖いもんな #AIart #AIイラスト #二季化

芸 哲宗 (@artetsu.bsky.social) 2025-10-12T21:47:05.463Z

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表現はエネルギー!善悪を超えた振動の哲学

自由な時間は人間復興
あなたの言葉に響く人がいる。あなたの絵に共感してくれる人もいる。その反面、あなたのひとことに愕然となる人や反感を持つ人もいるだろう。ましてや絵をみて不快な人もいるかもしれない。どちらにせよそこにエネルギーがあれば圧倒が生まれ振動数が変化する。善悪を超えて。
(2024/2/8 Xエックスからの抜粋)

表現というものを、いつも、やっぱり考えてる。
言葉や絵みたいなものが、人にどんな影響与えるかって、面白い。誰かに響いたり、逆にモヤっとしたり。でも、それでエネルギーが生まれて、何かが、きっと変わる。
 
善い悪いの枠を超えて。この辺、哲学的に掘り下げると、頭がワクワクしてくる。ちょっと一緒に深く考えてみよ。
表現が引き起こす「響き」と「反発」

まず、何か発信する。ブログ書いたり、絵描いたり。すると、誰かが「これ、心に刺さった!」って喜ぶ。

 
でも、別の人は「なんだこれ、気に入らねえ」ってイラつくかもしない。面白いのは、どっちも「反応」だってこと。無視されるより、どっちかの感情を揺さぶる方が、パワーがあるよね。
 
これ、哲学的に言うと、「存在の振動」みたいな感じ。
 
ヘラクレイトスって古代の哲学者が「万物は流転する」って言ってたけど、表現も同じ。静かな池に石投げ込むみたいに、波紋が広がる。肯定的な波も、否定的な波も、結局は池全体を動かすということ。善悪って人間が勝手に付けたラベルで、本質はエネルギーの交換かもしれない。
 
エネルギーの「圧倒」と変化
で、その反応が強いほど、「圧倒」みたいなものが生まれる。相手が感動しようが、怒ろうが、そこに熱量があれば、あなたの表現はただの「もの」じゃなくて、生き物みたいになる。
 
振動数が変わるって言うか、周りの空気がビリビリする感覚。
 
ピカソの絵。
キュビズム見て、最初「なんだこれ、意味わかんねえ」って愕然とした人、たくさんいたらしい。でも、それがきっかけで美術の世界が変わった。
 
不快感さえ、エネルギーになって、芸術の振動数を上げた。善い絵か悪い絵かじゃなく、ただ「影響を与える」ってだけで、歴史が変わった。
 
ニーチェの「力への意志」という概念がある。
万物は力を求めて動くって言ってるけど、表現もそれかもしれない。響く人も反発する人も、あなたの「力」を引き出す触媒。
 
善悪を超えて、ただ存在を主張するということ。現代のSNS見てても、同じ。バズる投稿って、賛否両論のヤツが多い。あれ、エネルギーの塊だ。
 
善悪のラベルを超える視点
ここで考えさせられるのが、善悪の枠組み。
 
世の中、良いこと悪いことって分けがちだけど、表現の世界じゃ、それ意味ないかもしれない。仏教の「無分別」みたいに、ただ「あるがまま」受け止める。
 
響くのも反発も、宇宙の振動の一部だって思うと、発信する勇気が出る気もする。
たとえば、あなたが意見を言う。誰かが傷つくかも。でも、無視されるより、議論が生まれて世界が変わる方が、デカい。
 
デリダの「脱構築」みたいに、固定された意味を崩すんだ。
 
表現は、善悪の二元論をぶっ壊して、新しい振動を生むツールかもしれない。
 
発信する勇気と哲学
結局、表現するってのは、エネルギーを放つこと。
AI時代で情報が氾濫してる今、ただのデータじゃなく、心を揺さぶるものが大事。あなたの言葉や絵が、誰かを変える可能性をいつも秘めている。
 
でも、心を揺さぶるモノって何だろう?
恐らく、揺さぶろうとして揺さぶられるものでもない。
本当に、「そう」思って、自然に出てくるものだとも思う。
 
純粋さはやはり神。世間知らずの子供の一言ってキョーレツだもんね笑
 
微妙な善悪気にせず、ムリに振動を起こすこと考えず、ワクワクしてカタチの無いものにカタチを与えていきたい。
 
あなたはどう? 自分の表現で、何か変わった体験あればぜひ教えてほしい。
 
Xエックスやってます。遊びに来てくださいね。

 

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創作物の断捨離は、永遠の中の変化の狭間で

色あせた色はそれでも魅力がある
創作した絵画や文章、そして動画や作曲でも自分が創作したものは死んでも残る。しかし時間と共に表現も変化する。フィットしなくなった作品を断捨離することは生きているうちに必要なのかもしれない。創作し続けることだけが創作では無い。
(2024/2/6 Xエックスからの抜粋)

 

創作の永続性と個人の成長に関してのポストのつもりだった。

 

自由創作を通じて自分を自由に表現すると、
時間が経過し、その表現が自分に合わなくなることがある。なんだろう、もう、なんか違うよねって感じで。

もっと意識の深いところで、このテーマを探ってみたくなった。

ぜひ一緒に考えてみてほしいと思い書いた今回のブログ。

まず、哲学的な観点から見ると、
創作物って、私たちの存在を象徴するもの。

古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスは、
「万物は流転する」と説いた。

つまり、すべては常に変化し、
同じものは二度とないということ。

毎日、同じような決まり切った日常だって同じこと。今日という日は二度とこない


この考えを創作に当てはめると、自分の内面的な表現も、時間とともに変わっていく。


たとえば、メチャ若い頃に描いた絵画は、当時の情熱を反映しているけれど、歳を重ねた今(若いよまだ!)では、その情熱が薄れ、新しい視点が生まれていたりする。

創作物を残すことは、過去の自分を永遠に固定する行為だけど、それが現在の自分にフィットしなくなると、むしろ束縛になってしまうよね。

なんか、外したくなる笑

哲学的に言えば、断捨離は「無常」を受け入れるプロセスなんだろう。

仏教の教えのように、執着を捨てることで、真の自由を得られるのかもしれない。創作し続けることだけが創作の本質ではなく、時には過去を整理し、新たなスペースを創出することが、人生の流転に沿った生き方だと言えるのだろう。

心理学的な側面はどうだろう。

心理学では、自己表現はアイデンティティの形成に重要だという。

創作物は、内面的な鏡のようなもので、創る過程で自己効力感が高まる。しかし、時間とともに変化する自己と、変わらない創作物のギャップがストレスを生むことがあるよね。

たとえば、認知的不協和理論とかいうややこしい理論によると、人は自分の信念と行動の矛盾を嫌うという。

古い作品が現在の価値観に合わない場合、
それを保持し続けることで心理的な不快感が生じる、と。

断捨離は、そんな不協和を解消する手段だ。(キッパリ)

ポジティブ心理学の観点から、過去のものを手放すことで、成長マインドセットを養える。でも、これが若干の勇気がいるんだよね~。

創作を続けるだけでなく、時には整理することで、心のスペースが広がり、新しいアイデアが生まれやすくなるのはわかるんだけどもね。

不要なものを捨てることで、集中力が高まり、幸福感が増すというミニマリズム心理的利点の研究結果もあるそうだ。

つまり、生きているうちにフィットしなくなった作品を断捨離するのは、自己成長のための必要なステップなのだということ。

ここで、具体的な例がある。

著名な画家のパブロ・ピカソは、生涯を通じてスタイルを変え続けた。彼は初期の青の時代からキュビズムへ移行し、古い作品を振り返ることなく、新しい表現を追求した。

もしピカソが過去の作品に執着し続けていたら、革新的な変化は生まれなかったかもしれない。この例からわかるように、断捨離は創作の停滞を防ぎ、進化を促す力を持っている。

創作物は死後も残る永遠の遺産だけど、時間とともに自分の表現は変化する

哲学的に無常を受け入れ、心理学的には自己の調和を保つために、断捨離は生きているうちに必要な行為なんだね。

もう、10年以上も前に描きまくったアクリル画を整理していていろいろ思う。

捨てられなかった。いろんな思いが詰まっていて、捨てれば進化するかもしれないという予感だけでは手放せなかった。

でも、創作の本質は、ただ作り続けることではなく、過去を整理しつつ未来へ向かう柔軟性にあるのだろうな。

そんなこんなで創作活動を見直すきっかけになればいいや。
創作は、人生の旅のようなもの。時には荷物を軽くして、前へ進むか。

 

noteも書いてます。

note.com

 

「あなたの“好き”を信じる勇気 〜価値観の違いと心の自由〜」

誰もが自分のスキに呪文をかけそうになる
社会には沢山の人がいてそれぞれの価値観を持っている。他人の価値観に左右されることはない。あなたはあなたの価値観を大切にすべき。勇気をもって「気に入っていること」を大好きになろう。自分の気持ちに蓋はできないから。
(2024/2/4 Xエックスからの抜粋)
「あなたの“好き”を信じる勇気 〜価値観の違いと心の自由〜」

社会にはたくさんの人がいます。

そしてその一人ひとりが、それぞれ異なる「価値観」というレンズを通して世界を見ています。

価値観とは、生きる上での「判断の軸」や「大切にしたいものさし」のようなもの。何を美しいと感じるか、何に価値を見出すか、何を優先するか・・・。

それは家庭環境、人生経験、教育、出会ってきた人々によって形作られていくものであり、まったく同じ価値観を持つ人は誰一人としていません。

ところが、私たちは知らず知らずのうちに「他人の価値観」に大きな影響を受けています。

たとえば、SNSで多くの人が「いいね」を押している流行のファッションを見て、「私もこれを好きにならなきゃ」と思い込んでしまうことがあります。あるいは、「こんな趣味は変だと思われるかも」と、自分の好きなことを隠してしまう人もいるかもしれません。

でも、それは本当に自分の心からの声なのでしょうか?

心理学では「同調圧力」という言葉があります。

これは、集団の中で「浮かないように」「否定されないように」と、自分の本音や考えを抑えて周囲に合わせてしまう心理的な傾向です。特に日本のように調和や空気を大切にする文化では、無意識のうちにこの影響を受けやすくなります。

しかし、ここで一つの問いを立ててみましょう。

「自分の気持ちに、ずっと蓋をして生きることはできるのか?」
答えは、おそらく「できない」でしょう。心はとても正直です。

表面上は笑っていても、本当は傷ついていたり、不安を抱えていたり、「本当はこうしたい」と願っている自分が奥底に存在しているのです。

哲学者ジャン=ポール・サルトルは、「人間は自由という呪いにかかっている」と言いました。

これは、私たちが他人や社会のせいにしても、最終的には「自分がどう生きるか」を選ぶ責任からは逃れられない、という意味です。

どれだけ周りに合わせても、自分の「気に入っていること」「好きなこと」を否定し続ける限り、心には小さな苦しみが積もっていきます。逆に、その「好き」を肯定することが、自己の確立へとつながります。

たとえば、

ある女性が、幼いころからぬいぐるみを集めるのが大好きでした。

でも、大人になるにつれて「こんな趣味は子どもっぽい」と周囲に笑われるようになり、押し入れにしまい込んでしまいました。ところが、ふとしたきっかけで再びそのぬいぐるみを手に取ったとき、涙がこぼれてきたそうです。

彼女は、そのとき初めて「私はこれが大好きなんだ」と素直に認めることができたのです。

 

このように、「気に入っていることを大好きになる勇気」は、他人の評価から自分を解き放つ小さな革命です。それは“自分の心の声を信じる”という行為であり、社会のノイズの中で自分のチューニングを取り戻すようなものです。

自分らしさを大切にするとは、他人を否定することではありません。

むしろ、自分の価値観を尊重する人は、他人の価値観にも敬意を払うことができます。そうして生まれる関係性には、比べ合いや競争ではなく、理解と共感が宿るのです。

あなたが「これが好き」と思う気持ちは、何よりもあなたにとっての真実

誰が何と言おうと、自分の中にあるその静かな炎に気づくことって大事。そして、恥ずかしがらずに、大切に育ててく勇気も大事。

社会には、いろんな音が鳴り響いています。でも、他人の音にかき消されることなく、自分の音色で奏でていいのです。

心に蓋はできません。

ならば、いっそその蓋を開けて、「私の好き」を大好きになりましょう。それは、自分を生きる第一歩になるはずです。