arimithu’s blog

なんとなく心が軽くなる日々の気づき

まだ何とかできるときと、もう戻れないとき

前の記事では

行動が切り替わるときその瞬間に使える判断が前に出るという話を書いた

 

ただもう一つ大事なことがある

前に出る判断はいつでも切り替えられるわけじゃない。

 

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切り替えの余地がまだ残っている場面と、すでにその余地が消えている場面がある。

 

この違いを間違えると努力論も正論もかえって人を追い込む。

 

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切り替えの余地が残っている状態

 

切り替えの余地があるのはまだ動かせる条件が残っているとき

 

朝起きたときまだ少し時間に余裕がある

 

もう一度寝るか  

起きて動き出すか

 

この時点ではまだどちらも選べる

少し遅れても急げば間に合うかもしれない

 

まだ取り返しがつくという感覚が残っている。

 

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この状態ならやれば変わるかもしれないという余地がある

 

選択肢もあるし体力も判断力もまだ残っている

外からの強制もそこまで強くない

 

一見行動が止まっているように見えることもある

 

後回しにしている。  

気分が乗らない。

 

でもそれは失敗というより切り替え待ちに近い

今なら判断を変えられる。

 

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切り替えの余地が消える状態

 

一方でもう切り替えの余地が残っていない場面もある

  

朝寝坊した

電車もバスもない  

会議にはもう遅刻が確定している

 

この瞬間切り替えの余地は消える

戻せる時間も選択肢もない

 

外からの強制が確定している。

 

ここで残っている判断は多くない

 

逃げるか

謝るか

 

ここで起きているのは切り替えではない

残された判断が前に出ているだけ。

 

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多くの人が混同すること

 

多くの人はこの二つを混同してしまう

 

まだ余地がある段階なのに  

努力を否定し  

気合を否定し  

正論だけを当てはめてしまう

 

あるいはもう余地がない段階なのに努力論や改善案を持ち出してしまう

 

どちらも状況の読み違い

その結果状況は変わらないまま本人だけが追い込まれていく。

 

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だから大事なのは

 

今の状態がまだ調整できる段階なのか

それとももう詰んでいる段階なのか

 

切り替えの話をするべきか

 

耐えるのか

逃げるのか

 

この分岐を誤らないこと

 

それが考えるべきいちばん大きなポイント。

 

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まとめ

 

前に出る判断には切り替えの余地がある段階と余地がない段階がある

 

余地がない状態で努力論や正論を重ねると人は壊れる

 

自責でも他責でもなくまず今の状況を読む

そこから考える

 

それが一番大切なこと。

自分を責めなくていい理由

起きた出来事を全部自分の責任として抱え込んでしまう人を見ることがある

そこまで抱えなくて良いのに

 

問題が起きたとき

自分にできたことはなかったか  

もっと頑張れていれば  

違った結果になったんじゃないか

 

そう考える姿勢そのものは  

悪いものじゃない。

 

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ただ起きてしまった出来事の中にはそもそも個人ではどうにもならないものもある

 

たとえば今から十五分後に隕石が降ってくるとする

地球が滅びる規模のやつだ。

 

突然降ってくるのだから誰の責任でもない

もちろんあなたの責任でもない。

 

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もしスーパーマンみたいな力を持っていたら隕石を壊せたかもしれない

けど人はスーパーマンにはなれない。

  

努力によってできることの範囲が少しずつ広がるのも事実

 

生まれたときから鍛え続けていたらスーパーマンに  

近づけたかもしれない

 

隕石を壊せた可能性もゼロではなかったかもしれない。

 

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でも現実にはそこまで到達できる確率は限りなく低い

 

可能性があったかもしれない 

と  

現実にできたかどうかは別の話。

 

だから起きた出来事を全部自分のせいにする必要はない

 

同時に環境のせいにして考えるのをやめてしまう必要もない。

 

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この世界は  

努力で広がる可能性と  

どうしても越えられない限界

そのあいだにある

 

どちらかだけを見ると苦しくなる

 

その両方があると思うと少しだけ楽になるかとしれない。

行動が切り替わる瞬間に起きていること

前の記事では行動が変わらない理由は意志や気合の問題ではなく、どの判断が前に出ているかだという話を書いた

 

今回は人が動く時、切り替わる瞬間に何が起きているのかを見る。

 

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ここで言う前に出るとはその場で実際の行動を決めている判断のまとまりのこと

 

今回はこの前に出ている部分の話だけを扱う。

 

行動が替わるきっかけにはいくつかある。

 

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ひとつは外からの圧が強くなったとき

 

締切が迫る  

失敗しそうなとき 

誰かに強く言われる

もう戻れない状況になる

 

こうなると

まだ大丈夫

あとでやろう  

とは思えなくなる

 

判断が一気に今やらなきゃになる。

 

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もうひとつは内側の圧が高まったとき

 

不安が大きいとき 

怒っているとき

罪悪感が強くなったとき 

疲れていたりお腹がすいたとき

 

この場合はまず楽になることが優先されやすい。

 

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もうひとつは判断が変わったとき

 

将来のためではなくて

 

今日困る

今怒られる

となったとき

 

未来の話が今の話に変わったときに判断が切り替わる。

 

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大事なのは正しい判断が出てくるわけでは無いということ

 

切り替えが起きるその瞬間に使える判断だけが残る

 

判断することが大変になりすぎると考えること自体が嫌になる

 

そうなるとその場の流れに任せるといったシンプルな動きだけが前に出る

 

これは信念や価値観の話ではなく

 

その場で  

生き残った判断が  

前に立っているだけ。

 

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前に出る判断が切り替わりやすいのはこんなとき。

 

戻れない 

今すぐ決める必要がある 

失敗の結果が具体的に見えている。  

考えるコストが高すぎる

 

逆に切り替わりにくいのは

 

期限がいつでもいい

失敗しても問題なさそう  

選択肢が多い  

安全に先延ばしできる

 

こういうときは前に出ている判断がそのまま残りやすい。

 

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ここまで書いてきたのは人の中で何が起きているかの話

 

分かっているのにできない状態は異常でも欠陥でもない

 

その瞬間前に出ている判断がそうさせているだけ。

 

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前に出る判断は

 

外からの圧

内側の圧  

基準の変更

 

このあたりで切り替わる

正しさが勝つのではなく残った判断が前に立つ。

 

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次は

まだ切り替えられる場合

ほとんど切り替えられない場合

 

どこまで工夫や調整でどうにかなるのか

そしてどこから先はどうにもならなくなるのか

分かっているのにできない理由

前の記事では分かっているのにできない状態が  
特別なことではないというところまでを書いた

 

今回はなぜその状態が起きるのかをもう少し違う角度から見る。

 

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人は何かを決めるとき一つの基準だけで判断しているわけじゃない

 

実際にはいくつものモノサシを同時に持っている。

 

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今が楽かどうか  
少し先で得かどうか 
長い目で見てどうか

今の気分 
怒りや不安 
面倒くさい?

正しい?
公平?  
その場の空気  
立場や関係性

 

こうしたモノサシが常に同時に存在している。

 

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前の記事の例を思い出す

夜ふかしは体に良くないと分かっている

 

それでもその瞬間に前に出ているのは今が楽という基準

 

仕事を後回しにするときも中長期では早く終わらせたほうが楽だと分かっている。

 

でも今の負担を増やしたくないという基準が前に出る。

 

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言うべきことや謝るべきことが言えない場面では

 

理屈や結果よりも 
怒りや悔しさ  
怖さといった感情が  
先に立つ。

 

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ここで大事なのは短期的な楽さや感情が間違っているわけじゃないということ

 

それらは人が自分を守るために持っているごく自然な判断基準。

 

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ただこうした基準は反応が速い

特に強い感情は他のモノサシを一時的に押しのけてしまう

 

長期的にどうか  
公平かどうか
どう見えるか

 

そうした基準を見る前に判断が確定してしまう。

 

だから分かっているのにできない

考えていないわけじゃない。

 

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頭の中ではちゃんとこうしたほうがいいよ、という判断が出ている

 

ただそのとき前に出ているモノサシが別なだけ

 

行動が変わらない理由は単純

判断基準がないからでもないし理性が足りないからでもない

 

使われているモノサシの重さがその瞬間だけ偏っている

その偏りは意志や気合で無理に動かせるものじゃない

 

そのときどの基準が前に出ているか

それが行動を決めている。

 

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次はこの前に出てくる基準が  
どんな条件で切り替わるのか

 

切り替わりやすい場面となかなか切り替わらない場面

その違いをもう一段だけ見ていく。

分かっているのにできないとき

分かっているのにできない

この感覚はたぶん多くの人が何度も経験している。

 

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たとえば夜ふかし

早く寝たほうがいいことはちゃんと分かっている

 

翌朝つらくなることはもう何度も知っている

朝になると今日は早く寝ようと思う

それでも夜になるとまた同じことをしてしまう。

 

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仕事でも似たようなことが起きる

今やっておけば後で楽になる

それも分かっている

 

でも今日はここまでにしたい今は負担を増やしたくない

そう思って後回しにする。

 

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人間関係も同じ

 

言わないほうがいい  

謝ったほうがいい

 

正解はちゃんと分かっている

それでも言えないし謝れない。

 

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ここで大事なのは理解が足りないわけじゃないということ

 

何が問題かは分かっているどうすればいいかも分かっている

判断そのものは毎回ちゃんと行われている。

 

それでも行動が変わらない

このとき頭の中では二つの動きが同時に起きている。

 

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ひとつはこうしたほうがいいと分かっている側

もうひとつは今は動きたくない、今は守りたいという側。

 

どちらもその人の中にちゃんとある。

 

そして実際の行動を決めているのはどちらが前に出ているか

分かっているかどうかではない。

 

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だから分かっているのにできない状態は怠けでも意志が弱いわけでもない

 

正しく考える力は動いているし判断もできている

ただ今を優先する側が主導権を持っているだけ。

 

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能力の問題ではなく優先順位の問題

 

今の快適さや今の安全

それがたまたま前に出ている

 

分かっているのにできない

それはダメな状態じゃない

 

人が複数の基準で同時に動いているというだけのこと。

 

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次は人が判断するときどんなモノサシで前に出る側を決めているのか

 

その基準についてもう少し見ていく。

正しいことを言っているのに反発されるとき

 

arimithu.hatenablog.com

前の記事では正しいことを言ったのに  

なぜか感情で返されてしまう場面を取り上げた

 

今回はそこから一歩だけ進んで 

じゃあどう伝えれば反発が起きにくいの?という話。

 

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人には 自分で選びたいという感覚がある

 

誰かにこうしたほうがいいと言われただけで、自由を奪われたように感じてしまう人もいる

 

内容が正しいかどうかとは関係なく。

 

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正しいことを言う側はたいてい落ち着いて考えている

 

論理的に説明すれば相手も納得するはずだという前提で話している

 

でも受け取る側がすでに余裕を失っているとき。

 

その言葉は助言ではなく

責めに近い形で入ってしまう。

 

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ここで起きているのは同じ言葉が別の意味として受け取られてしまうというズレ

 

言う側は改善のつもり

受け取る側は否定されたように感じる。

 

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たとえばミスが起きた場面

 

いきなり原因は何?と聞かれると身構えてしまうことがある

もうその時点で心は守りに入っている。

 

そこに正しい話を重ねてしまうと反発が起きやすい。

 

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少し順番を変えるだけで空気は変わる

 

「まず状況を整理しようか」  

「今回のこと、どう感じてる?」  

「次はどうすればうまくいきそう?」

 

こう聞かれると相手は自分で考えている感覚を取り戻しやすい。

 

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大事なのは正しいことを言うことだけじゃない

 

正しいところに自分でたどり着ける状態をつくること。

 

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昔の言葉にこんなのがある

 

「過ちて改めざる、これを過ちと言う」

 

失敗そのものは責めていない

改めるかどうかは本人に委ねている。

 

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正論が反発を生むのは正しいからではなく選ぶ余地が消えてしまうから

 

相手が自分で選んだと感じられるかどうか

そこが分かれ目になる。

 

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次は  

 

分かっているのに変えられないときの話

切り替えがうまくいかない状態についてもう少し見ていく。

人間関係でえっ?って思ってしまうとき

誰かに時間をかけて教えたあとで 「ありがと〜!」の一言もなかったとき

 

別にお金が欲しいわけでも感謝が欲しいわけでもない

でも胸の奥に小さなモヤっとしたものが残る。

 

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その感じを自分の心が小さいのかな、と思ってしまうことがある

 

でもそれは違う

あれは計算でも損得でもなくてもっと直感的な反応。

 

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人は自分が何かをした分だけ何かが返ってくるという感覚を持っていることが多い

 

時間を使った

手間をかけた

 

だから何かしら返ってくるだろうと無意識に思ってしまう。

 

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それが何も返ってこなかったように感じた瞬間

 

頭で考えるより先に身体のほうが  

「ん?」  

と反応してしまう

 

あの違和感はそこで生まれる。

 

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面白いのは相手が悪気なくやっていることも多いという点

 

こちらは  

「これくらいは返ってくる」  

と思っていても相手はそこまでのことだと思っていない

 

そのズレがそのまま期待していたのと違うという感覚になる。

 

必ずしも誰かが悪い話じゃなくてただ見ている基準が少しずれているだけ。

 

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このズレを減らす方法は意外と地味

相手がどう思っていそうかを想像してみること

 

そして自分が何を期待していたのかを自分で分かっておくこと。

 

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返し方はその場じゃなくてもいい

あとで何か返ってくる気配がある

 

それだけであのモヤモヤはかなり落ち着く。

 

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「なんか嫌だったな」という感覚

 

それは心が狭いからでも意地悪だからでもなくてちゃんと自分を守るために動いた感覚なだけ

 

そう思えると少しだけ楽になる。