アプリコットな日々

気長にブログ始めてます。

掟(おきて)

「掟」の漢字一字だとなんだか錠だか鍵だか分からなくなってくるのでひらがな添えて。

世の中全て掟が支配している。人間に限らず野生の動物界でさえ生存の為の掟というのがある。いや、人間は動物と違って自由がある。勝手気ままに生きることができるのだ。いかなる自然現象からも自由でいられるのだ。それが人類というものなのだ。

と考える人もいるでしょう。確かにそのように生きることはできる。しかし、一対一の人対人の間にも掟というものがあるのです。傷つけちゃいけない、仲良くしなくちゃいけない、一緒に生きていかなくちゃいけない。そしてひとたび外へ出れば、法律が張り巡らされている。法を犯してはいけない、悪いことをしてはいけない。

そうした束縛があるにも関わらず、全くなんの苦痛もなく自由な心でいられる人。そういう人は幸いだ。愛に満たされている人。そういう人は幸いだ。

法は法でも悪法というものもある。ここでは、人間にとって必要最小限の束縛となり得る法の下として考えてみる。つまり、動物の掟同様、人間の掟であります。

ですから、人間にも自然と掟が備わっているのですね。目に見える形ではなくても、掟はあったのです。進化ですら掟かもしれないですが、ユートピアを語るより、ディストピアを語っておいた方が、希望があるのかもしれません。そのように生きた方が良いのかもしれませんね。そんな世界にあっても、人は、正義のために戦うのですから。

現状維持のための法は正しいのか?今は、人間の行き過ぎた行いのために破壊された世界を蘇生させようとしている、そんな状態かと思う。また一方で温暖化による気候変動、自然災害によって自然からしっぺ返しも喰らっている。

ではどう生きれば良いのだろう。防災、防衛、防御、抵抗、抗議、批判、反対。不合理なことに対するこうした抵抗は必要なことであって、何も打ち拉がれてばかりいる必要は無く、大いに物申していかなくてはいけない。これも人類たる掟の内なのだ。

少しでもましな世の中になるよう、一人一人が己を律して成すべきことを見失わず生きていかねばならぬ。愛に溢れている人は幸いだ。心安らかな人は幸いだ。

というわけで、自由な身でありながら、己を律する必要性から成すべきこと(掟)を始めた矢先、体が資本という。こればっかりはどうにもならない。今日はお休みをお許し頂いて。

それでも、一つだけやっておいたこと。今日は、本当はクリスマスツリーを飾りたかったのですが、自宅に飾るスペースすでになく。どうやっても置く場所がない。すっかり今年一年の間に場所を占領されてしまった。悔しいので、大きめの画用紙に大きなツリーの絵を描いた。具合が悪いのでそもそも飾るどころでもなかったからそれでいい。本腰を入れて描くつもりで、そのためのモチーフとして図案を直接水彩ペンで描いてみた。うん、イメージが掴めたぞ。少し日が経てば、また描く気持ちになるだろう。今日はこれで良い。トナカイさんとサンタさんも一緒に描いて。楽しみです。