aporo2の日記

キリストに従って光の中を歩むしあわせ

永遠の命これこそ神の愛、神からのプレゼント(恵み)

 

一いつまでも死なないこと一

 

それが永遠のいのち

 

人間は一度死ぬことと死後、裁きを受けることが定まっているので

 

クリスチャンでも永遠の命を素直に信じられないかもしれません

 

しかし、キリストの信仰を持つ人は永遠の命信じます

 

口で言っているだけでなく、体験しないと信じられませんが、分かるということです

 

 

キリストの信仰(人間の弱い信仰ではありません)を持つ人は

 

「見るな、味わうな。」などと言う必要がありません

 

 

律法からの完全な解放をわたしたちは受けています

 

律法の下にはいないということです

 

パウロが手紙に書いた「福音はすべて信じる者に救いを得させる神の力。」とは

 

パウロの証しであり体験であり真実です

 

 

キリストが十字架で死に、三日目に復活することで、律法を成就し完全に終わらせました

 

そのため「神の愛」はイエスを信じ従う人に成就しました

 

神はこうして民のこころに割礼を与え、御霊をお与えになりました

 

この方こそイエスが証しされた父なる神です

 

ただ、イエスだけが父なる神のもとへわたしたちを導くことができます

 

わたしたちは、「神と隣人」への愛は御霊によって行います

 

 

rutu一からの引用

 

 

あしたなにして遊ぼうか?

 

まだよ、まだ帰らないから

 

わたしね

 

好きな人の夢をみると

 

いつもダディーに

 

途中で変わっちゃうんだ

 

 

そうか

 

お父さんのことが好きなんだね?

 

 

うん

 

 

でもね、やっぱりお父さんより

 

お母さんのほうが好き

 

 

そうか

 

やっぱり、そうだよなあ

 

じゃあそろそろ帰るよ

 

 

まだ、まだ

 

まって、ママ

 

 

あ、また間違えた

 

お父さんでしょ

 

 

うん

 

 

rutu一からの引用

 

 

われもまた絶対信仰を身につけたなればなり

 

AI解説

 

「われもまた絶対信仰を身につけたなればなり」という表現は、非常に思索的で哲学的な響きを持っています。これは、単なる言葉の羅列ではなく、深い精神的または宗教的な確信、あるいは自己超越的な経験を語っているように聞こえます。

この言葉の解釈は文脈に強く依存しますが、一般的には以下のような意味合いを含んでいると考えられます。

  • 絶対的な確信や信念の獲得:疑いの余地のない、揺るぎない信仰や信念体系を完全に自分のものにした、という強い意志表明。

  • 精神的な達成または悟り:長年の探求や修行の末に、特定の真理や境地に達したという感覚。

  • 自己変革の宣言:もはや以前の自分ではなく、新しい、より高次の信仰に生きる存在となった、という自己認識。

  •  

もしこの言葉が特定の思想や宗教的な背景を持つものであるならば、その文脈に即した特定の意味や解釈が存在する可能性があります。

この言葉について、もし特定の人物や文献、あるいは状況における発言であれば、さらなる詳細を共有していただければ、より具体的な解釈を提供できるかもしれません。

 

その言葉は、中島敦の小説

山月記の終盤で、虎になった李徴(りちょう)が旧友の袁傪(えんさん)に放った台詞の一部を彷彿とさせますが、厳密には武者小路実篤などの白樺派の文学や、あるいは宗教的な文脈で語られる「自己の確信」を表現する際に使われるような力強い響きを持っています。

もし特定の作品の引用であれば、以下のようなニュアンスが含まれていることが多いです。

  • 絶対的な自己肯定: 迷いが消え、自分の進むべき道や存在を疑わなくなった状態。

  • 運命の受容: 虎になった李徴のように、己の身に降りかかった過酷な運命を、もはや抗えないものとして(あるいは必然として)受け入れた境地。 

  •  

もしこれがあなた自身の決意や、ある作品への深い共感から出た言葉であれば、それは「迷いを超越した精神の安定」を意味していると言えるでしょう。

何か特定の作品や、この言葉に至った背景についてお探しですか?

 

 

いや、探していない

 

神が人間に求められている信仰

 

一神は人間の信仰を試される方一

 

 

そこで人間が神に対する絶対的信仰をもつことが

 

救いだと分かる

 

この信仰は人間の信仰ではなく

 

キリストの信仰である

 

人間の信仰は弱すぎる

 

 

わたしの中にキリストが住んでおられる

 

わたしが剣を抜けば、相手がだれであってもキリストと戦うことになる

 

 

キリストと一つならこう言える

 

これをもっていることで、その人は救いを得ている

 

いわゆる本物の救われた者の定義だ

 

 

これさえ、分かればいい

 

神はこのような信仰を求めておられる

 

人間が絶対的な救いの信仰(確信)をもつことが

 

神から与えられた真実の信仰である

 

もう一度いうこれは

 

人間のもつ信仰ではなくキリストの信仰である

 

 

今までの旧約時代の歴史から見ても、一世紀のイエスの時代以降と未来に関する

 

聖書の記述を読んでもこの生き方が出来るならその人は選ばれている

 

 

わたしは7つの銀河を滅ぼす神の力を使い

 

プリマベーラのために死んだ彼女のいうところの「あの人」である

 

Lux光のいうところの「プリマベーラの王子さま」である

 

aporoはまだこの信仰には至っていない

 

rutu一からの引用

 

 

体験がないから信じられない

 

はじめに

 

一キリストの救いは疑うことのできないいわば絶対的なものなのです一

 

それはほかでもない

 

救うことのできる父なる神とキリスト・イエスの御二方を

 

わたしは信じたからです。

 

 

しかし、読んでくださっている、あなたのことはどうだかわからない・・・

 

 

パウロの証はこうです。

 

ローマ8:1の正しい翻訳

 

キング・ジェームズ訳

 

「主にあって肉に従って歩まず、霊に従って歩む者は決して罪に定められることはありません。

 

命をもたらす御霊の原理が罪と死の原理からわたしを解放したからです。」

 

(上記のように翻訳している聖書はわたしの知る限り3冊だけです)

 

この説明をいちいち疑うあなたには、感謝もないはずです。

 

 

キリストはご自分の復活を通して永遠の命をわたしたちに証してくださいました。

 

わたしはそれを信じたのです。

 

信じたというより、信じることができたのです。

 

これで、イエスをとらえることに成功したのです。

 

その結果、新しくされました。

 

 

聖書で

 

神はご自分が創造されたものを通して、そのとこしえの力と神聖とを明らかにされたと

 

パウロは証しています。

 

だから、わたしはすべての被造物によって神が賛美崇拝されますようにと

 

祈っています。

 

それら被造物は言葉によらず、神の栄光を(歌っている)賛美しているからです。

 

ですから、すべての被造物は神の御前に来て賛美の歌を歌い

 

その膝は屈むと神に祈っているのです・・・・

 

 

おわりに

 

 

一美しさについて一

 

 

人をゆるすのは、その人の美しさであり

 

外見の麗しさ、あでやかさは偽りなのです。

 

 

blueeeyes一からの引用

 

 

隠された真実の愛

 

一イエスはわたしのために復活された一

 

真実の愛がなぜ隠されていたのだろうかとわたしは思った

 

イエスはわたしのために復活された

 

それは、わたしに永遠の命を与えるためであった

 

わたしの罪のために死なれたことは、何度も信者から聞かされてきた

 

しかし、信者からこのことばは聞いたことがない

 

こちらの方が、力強いメッセージだ

 

 

これが、隠された真実の愛である

 

3年半イエスの弟子たちはイエスから学び、イエスの凄いことを実際に体験し知っている

 

当然ですが、わたしは一世紀当時まだ生まれていなかった

 

そこで、弟子たちが体験したであろうことを追体験してみた

 

イエスと寝食を共にし、いつもイエスと共に行動した

 

イエスから学び、イエスの凄いことを実際に追体験した

 

イエスをローマの圧制からわたしたちを救いだす王として考えた

 

本当にそう考えた

 

 

その凄い方が殺されてしまった

 

完膚なきまでに

 

徹底的に

 

それを弟子たちは知っている

 

わたしも追体験した

 

 

ところが、死を打ち破ってイエスは復活された

 

凄い方だ

 

復活のイエスに会い、後に弟子たちは御霊を受けた

 

神のみこころをおこなうためである

 

イエスは復活することで、永遠の命を証した

 

 

弟子たちはイエスの復活の目撃証人だ

 

弟子たちは、これをいのちをかけて証した

 

 

まさにこれこそ、キリスト信仰だ

 

わたしが、何をしていても

 

わたしに神からのメッセージが来る

 

それは、真実の愛がなぜ隠されていたかである

 

それは、わたしにも隠されていたことだった

 

分からなかったこと

 

それは・・・

 

 

イエスはわたしに永遠の命を与えるために復活されたということ

 

これが、隠された真実の愛です

 

 

自分がしあわせであればあるほど

 

他の人にしあわせを分けてあげたくなる気持ち分かる?

 

当然でしょ

 

わたしが、しあわせなのはどうしてかしら

 

 

きっと、神さまの祝福があるからだわ

 

だから、何をやってもうまくいく

 

むずかしいこと、考えないでね

 

これは「繁栄の神学」だなんて

 

そんな人、この話を台無しにするだけ

 

あっちへ行ってちょうだい

 

 

「人間の目には不幸に見えても

 

神の目にはしあわせ」

 

この意味が分かった人には、わたしからお願いするわ

 

今度はあなたがわたしに神さまのお話し聞かせてね

 

プリマベーラの王子さまのように・・・

 

 

ヨブが言っていたわ

 

10人の子どもを失い

 

すべての財産を失ったとき

 

 

「人は裸で生まれ、裸で去ってゆく

 

神は与え、そして取られる

 

神の御名はほむべきかな。」と

 

これでサタンは完全に敗北したの

 

 

たくさんの愛をあなたにあげる

 

神さまから受けた喜び

 

たとえば

 

雨と実りの季節

 

あたたかい日の光とそのぬくもり

 

甘い花のかおり

 

それらは神さまがわたしたちに与えてくださったもの

 

その神さまから受けた喜びを

 

わたしは、あなたに伝えている

 

わたしはすべてのことに感謝し

 

絶えず祈り

 

いつも喜んでいる人

 

 

イエスは言われた

 

嘆き悲しむ人はさいわいです

 

その人は慰められるからと

 

だから

 

もう泣かないで・・・

 

 

イエスさまが十字架にかかり愛を達成されたので

 

父なる神は大喜びされたの

 

神の愛を信じる人はさいわいよ

 

 

ヨブのように

 

わたしも言うわ

 

「神の御名はほむべきかな。」と

 

 

アーメン

 

また、お会いしましょ

 

わたしは、あのエメラルドの草原の花

 

覚えている?

 

 

まるで、プリマベーラが話しているようね

 

プリマベーラの親しい友より

 

 

luxひかり一からの引用

 

 

愚かな者たちに救いはない

 

それは神が設けておられる救いの道を知らないからだ

 

彼らは自分を賢いと思っているかも知れない

 

神が自分たちを守ってくださるとさえ思っているかも知れない

 

彼らが歴史上敗北したのはそういった勘違いのためであった

 

・・・・・・

 

残念だ

 

愚かな者たち

 

救われた人たちはただ運が良くて救われたのではなかった

 

彼らは準備が良く出来ていた

 

そこが、愚かな者たちとは違っていた

 

 

いつの時代であっても救いを得る者はしっかりと準備がなされていた

 

いつの時代でも愚かな者たちはその安易さのために自分の命を落とした

 

この汎用性と再現性の法則を賢い者は知っている

 

 

愚かな者たちを救える者など誰もいない

 

彼らの信仰の欠如

 

それが、彼らの滅びを決定的にした・・・

 

 

愚かな者に知恵の光があるのか?

 

それなら

 

キリスト・イエスに従え